早咲きの桜の木の下で
桜乃宮学園、旧校舎の外れに立つ桜の木。
毎年、三月上旬の卒業式に合わせて満開になるその木は、いつの頃からか『早咲きの桜の木』と呼ばれていた。
あの桜の下で結ばれた二人は、永遠に離れない――
そんな噂が、この学園にはある。
今年も例年通り、満開の季節を迎えていた。
卒業式を終えた生徒たちが集まり、写真を撮り合い、笑い声が絶えない。
「はぁー、素敵よねー……」
アカネは満開の桜を見上げながら、思わずため息をこぼした。
「あ?」
隣で気のない返事をしたのは、小山田宏だった。
「あの桜が満開の今! あの桜の下で告白して結ばれた二人は、永遠に離れることはないんだって……」
言いながら、アカネは胸の奥がほんの少しだけくすぐったくなるのを感じていた。
「ほぉ~。ほんじゃ、来年は俺が告白決めてやろうじゃねぇか」
宏は後頭部で手を組み、卒業生たちを眺めながら不敵に笑う。
「え? だ、誰に告白する気なのよ?」
「そりゃー……もちろん、学園のアイドル、美森亜理紗ちゃんだろー」
その名前を聞いた瞬間、アカネの胸がちくりと痛んだ。
「……はいはい。あんたなんか相手にされるわけないじゃない。高嶺の花もいいとこよ。バカっ」
つい、語気が強くなる。
「なんで怒ってんだよ……。でもよ、だーれも告白なんかしてねーよな」
宏の言う通り、この人混みの中で告白する勇気のある者はそう多くない。
その時、ひと際大きな歓声が上がった。
「あ、誰か告白するみたい!」
思わず身を乗り出す。
人垣の向こうで、男子生徒が震える声で想いを伝えていた。
『三年間、ずっと……好きでした! 付き合ってください!』
わっと歓声が上がる。
アカネの胸も、どきどきと高鳴る。
『ご、ごめんなさい! あたし、他に好きな人がいるから……』
歓声は一転して、ため息に変わった。
「あ~ぁ……」
アカネは小さく肩を落とす。
「宏、あんたもああなるのがオチよ?」
「な~に、まだ一年ある。これからが勝負ってもんよ!」
宏は気楽そうに笑った。
その横顔を見ながら、アカネはふと考える。
――来年。
その言葉が、やけに胸に残った。
もし、自分が。
もし、自分があの桜の下に立ったら――
◇ ◇ ◇
そして一年が過ぎた。
卒業式の日。
満開の桜の下は、去年と同じように賑わっていた。
アカネは人混みの中で宏の姿を見つける。
桜の下で、友人たちと笑いながら写真を撮っている。
いつもと変わらない、無防備な笑顔。
それを見ただけで、胸がきゅっと締めつけられる。
いつからだろう。
宏とは、小学生の頃からの腐れ縁だった。
男女なんて意識することもなく、ふざけ合って、笑い合って。
隣にいるのが当たり前で、それ以上でも、それ以下でもなかった。
なのに――
気づいてしまった。
あの横顔を、もっと近くで見ていたいと思った瞬間に。
他の誰かと笑っているのを見て、胸の奥がざわついた瞬間に。
これは、ただの幼なじみじゃないと。
――言わなきゃ。
ここで言わなきゃ、きっと一生後悔する。
何度も練習した言葉が、喉の奥で震えている。
ゆっくりと、一歩踏み出す。
その時だった。
『あの、小山田くん。少し良いかしら』
周囲がざわめく。
振り返るまでもなく分かった。
学園のアイドル、美森亜理紗。
彼女は、アカネの横を通り過ぎ、桜の木の下へと向かう。
宏のもとへと。
その光景を見た瞬間、足が止まる。
胸の奥が、冷たくなる。
意味なんて、考えるまでもなかった。
ほんの一瞬、驚いた表情の宏と目が合った気がした。
しかし、アカネはそっと後ずさり、その場に背を向けた。
――無理だ。
そんなの、敵うわけがない。
宏は、ずっと彼女に憧れていた。
自分とは違う世界の人だ。
逃げるように校門を抜け、坂道を下っていく。
視界がぼやける。
涙が出そうになるのを、必死にこらえた。
長い間、考え続けた告白の言葉。
何度も何度も、噛まずに言えるようにと練習を繰り返した。
昨夜は緊張のあまり、よく眠れなかった。
アカネにとって、人生で一度きりの大舞台。
しっかりと準備を整えたつもりでいたのに。
――遅かったんだ。
ずっと、隣にいたのに。
言えなかった自分が、悪い。
『早咲きの桜の木』なんて、学園の噂を信じて。
桜の下で結ばれることを夢見て。
最高のシチュエーションになる卒業式のあとまで引きずって。
「あたし……ばかみたい」
こらえきれない涙を拭った。
その時、後ろから駆けてくる足音が聞こえてきた。
「アカネー! なんで先に帰っちゃうんだよー!」
驚きのあまり、飛び跳ねるように振り返る。
息を切らした宏が、そこにいた。
「宏……。あれ? 美森さんと一緒じゃないの?」
声が少し震えそうになって、アカネは空を見上げた。
「あー、告られたけどな」
宏は頭をかきながら、少し困ったように笑う。
「でも、なんか違ぇなって思っちまってさ」
「……違う?」
「嬉しいはずなのに、しっくりこなくてさ。気づいたら、お前のこと探してた」
その言葉に、心臓が大きく跳ねる。
宏はアカネの隣に立つと、スマホを掲げた。
二人で画面を見上げる。
そこには『早咲きの桜の木』を下から撮った動画が映っていた。
「なぁ、アカネ。俺らってさ、ガキのころからずっと一緒で……なんていうか、それが当たり前みたいになってたよな」
宏の声が、少しだけ真剣になる。
「俺たち、付き合ってみねぇか? その、恋人……として」
その瞬間、胸の奥で押さえ込んでいたものが、一気にあふれ出した。
『早咲きの桜の木』の下での、告白――――
視界が滲む。
涙が止まらない。
「……うん」
ようやく、それだけを絞り出せた。
春の風が、やわらかく吹き抜ける。
画面の中では、早咲きの桜が静かに揺れていた。
~Fin~
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