第2話「迷宮都市」
迷宮都市ラカン。砂漠を介して近隣国家群とも遠く離れたこの地は、いまでも荒くれ者たちが一攫千金を夢見て集う魅惑の都市である。
かの昔、不毛の土地と思われた陸の孤島に古代遺跡が発見されるや否や、出土する魔道具や金銀財宝を求めて都市が形成された。当初は前哨基地に過ぎない集落だったが、軍事力強化のため強力な魔道具を求めし有力者、依頼を受ける冒険者、商機を求めて集いし商人と、指数関数的に人口を爆増させた。
そして現在、高度な統治機構と自由市場基盤が確立され、世界でも有数の都市国家へと成長を遂げたのである。かつて世界中の有力者が集まり共同統治するため編み出された民主主義制度は、制限選挙から普通選挙へと門戸を広げて現政府へ至る。依頼を受ける荒くれ者やならず者達は自らの基本的権利のため団結し、高度な魔道具を持ち帰り研究・複製・技術生産を行う冒険者組合へと発展を遂げた。
このような民主主義の気風が高まる都市国家において、商人たちは元来の保護主義的商売は成立しないと経験則からいち早く見抜いた。卸売業に関する参入規制撤廃を掲げ、少額の税制と許認可免許制度の確立によって安定した自由市場経済を築き上げたのだ。
迷宮都市ラカンとは、冒険者たちの無数の屍の上に成り立つ、陰惨な死の臭いを覆い隠してしまうほど先進的でクリーンな都市国家である。ついた別名は「レミングの街」。包みきれず他都市に漏れ出た死の匂いに精神を滾られ舞い込む冒険者たちを、集団自殺する齧歯類小動物に見立てたのだ。
シャルロット・デュポンはそんな迷宮冒険者である。とはいえ彼女はレミングではない。この地の有力商人の娘として生まれ、あくまで父親の意向で冒険者稼業に就いている。迷宮都市ラカンでは、身分の高い者は政府高官でも豪商でもない。都市に恵みをもたらす高レベル冒険者なのだ。
そのため、高官や豪商たちは自分の子息らを冒険者として迷宮に通わせ、世間体や名誉を保っている。酷い話だが、その分我が子には手厚い支援を欠かすことはなく、シャルロットも例に溺れない。冒険者として名誉と経験を積ませつつも、死なないよう経験豊富なパーティに加盟させている。もちろん、僧侶である彼女自身の実力があってのことだが。
そんな彼女は、今日は敬虔な修道女として教会に足を運んでいる。一ヵ月にも及んだ迷宮探索を終え、地上へ帰還後の初週末。本日は礼拝日なのである。彼女の役目は後方支援だが、迷宮探索は常に死と隣り合わせだ。こうやって無事生還できている自体に感謝を捧げねばならない。
また今回の探索は一癖あった。詳細は省くが、訳あって魔法使いを一名新規で探しているのだ。礼拝には敬虔な信者の他にも、魔法が使える僧侶たちも集う。その中で有望な者がいたら勧誘してみればいい。そう思いながら、シャルロットは教会関係者が通る礼拝堂の裏口へと足を運んだ。
「...はあ。できれば女よりも殿方がいいんですけどねぇ」
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ファム・ファタ―ルの計画は完璧であった。妹に脱走劇を目撃されたという点を加味しても、追手を無事蒔き、幾重もの馬車の荷台を経由して迷宮都市ラカンまで辿り着くことができた。さすがに最後の砂漠地帯は暑さと喉の渇きで死ぬかと思ったが、忍び込んだ商業キャラバンの見習い少女に助けてもらった。
少女は妹と同じ年頃で、隠れて俺に皮の水筒を渡してくれたし、忍び込みも大人に秘密にしてくれた。馬車を降り別れる際、笑顔でお礼に何かしたいと申出たら、顔を赤めてハグしてほしいというものだからハグをした。そしたら本当にしてくれると思ってなかったと、トマトみたいに耳まで真っ赤になってしまった。おかしな子だ。男女逆ならともかく、男の価値なんて低いだろうに。
迷宮都市に到着してからは、真っ先に教会へ向かった。計画では教会で修道孤児として過ごし、迷宮都市の環境調査と状況整理に努める。冒険者になるのはそれが落ち着いてからだ。なに焦ることは無い。迷宮はその魅力とは裏腹に、駆け出し冒険者の死亡率が異様に高い。逆に中堅以降の冒険者の死亡率はガクッと下がっているが、選抜済みというわけだ。せっかく自由の身になったのに死に急ぐことはなかろう。
教会修道院は俺を孤児として受け入れてくれた。ただ受入れの際、理事長の中年修道女の目が少し怖かったのが気になる。終始笑顔なのだが、一目俺を見るや否や眼を見開いて応接間に入れてくれたし、お茶菓子まで出してくれた。普通孤児にそこまでするか?ああ、あの獣のような悍ましい目が記憶に残っている。
まさか実家の捜索の手がここまで届いているのか。だとしたら長居はできないが、他に行く当てもない。かと言って何の下準備もなしに迷宮特攻は自殺行為だろう。そもそも孤児とはいえ10歳はなかなか成長しすぎているのではないか。なぜ受入れてくれたのだろうか。魔法も一切使ってないはずだが、無意識に溢れ出る沁みついた気品を感じ取られたとかか...?全てが疑心暗鬼だ。まずい計画に綻びが出ている。
そう頭を悩ませているうちに早1か月が経過した。幸い、いまのところ実家に差し出される気配はないが、いつ唐突に迎えがきてもおかしくない状況ではある。想定外だが、予定よりも早く冒険者に転身する必要があるようだ。だが当てはない...どうする。
「ファムさん。明日の朝礼拝が終わったら理事長室に来てくださいね」
「はい、シスター」
明くる日の晩、理事長に呼び止められた。嫌な気配がする。
俺は翌朝の礼拝時間、孤児院を抜け出すことに決めた。この一ヵ月で最低限の迷宮都市知識は手に入れたのだ。冒険者の地位が保障されている以上、駆け出し冒険者でもいいからとにかく自立することが先決だと思った。さすがに迷宮に潜っている間は実家も手出しができないはず。俺は礼拝時間が始まる前、そっと礼拝堂を裏口から抜け出した―――。
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「ふげっ」
勢いよく開かれた扉に、シャルロットは頭を強打して思わず座り込む。冒険者として情けない声が出るが、迷宮探索時の緊張を解いて緩みきっていたからと自分を慰める。
「あっ...す、すみません。大丈夫ですか?」
「えっ、ええ。何とか...大丈夫です..」
弱々しい声で答えるが、まだおでこがジンジンしている。まったく見通しの悪い開き戸をなんで振り切るのかなあ。最近の修道孤児教育はどうなってるんだと一言申し入れてやろうかと、屈みながら顔を見上げた時だった。
「ぁ...」
「...?」
絶世の美少年がそこにいた。...やべえですこれは一目で惚れます。
えーなにこの子。超絶タイプなんですけど。衣服から推測して孤児らしいが、どうにも違和感を覚える。どこか気品を感じるし、何かオーラ出ている..?たしかに日光が差し込んで琥珀色の美しい髪色が際立っているし、小顔で綺麗な女の子みたいな顔立ちに惚れ惚れするが、外見だけの問題じゃない。
しばらく黙り込んだ後、シャルロットは気が付く。
...あっ、これ魔力だ。迷宮都市を訪れる前、故郷の魔法学校で学んだ講義内容をシャルロットは思い出した。魔力総量があまりにも多い魔法使いは、ただ普通に生活して血脈の循環をしているだけでも魔力が身体から漏れ出てしまうのだと。だが迷宮都市で長く生活しているが、実際に見たのは初めてであった。
そこからの行動は早かった。一刻も早く修道院から飛び出して冒険者になりたいファム。迷宮探索のための魔法使い募集中のシャルロット。しかも、超絶美少年ときた。テンションが上がらないはずがない。シャルロットはファムに警戒心を抱かせないよう淑女の振る舞いと世間話をしつつ、彼を連れてパーティメンバーが待つ冒険者組合の酒場へと蜻蛉帰りするのであった。
しかしファムと話せば話すほど、この子がどれだけ汚れてないピュアな存在か分かってくる。本当に孤児だったのかと疑いたくなるが、きっと幼い頃から孤児院に守られてきたのだろう。女性にちやほやされるのが当たり前の男性は、往々にして警戒心や悪態をつくことが多いが、この子には一切それがない。これなら男なんてパーティに入れるなと悪態をのたまっていたフランツも納得してくれるだろう。
ファムはこうして、冒険者事情を手取り足取り詳細に教えてくれる僧侶のお姉さん(16)にお持ち帰りされてしまった。
余談ですが、ファムファタ―ルはフランス語で「男を破滅させる魔性の女」を意味します。この世界では意味が逆転して「女を破滅させる魔性の男」ですね。