プロローグ
飽きないようゆるく更新していきます。自分の性癖詰め込みまくるので同じような方に刺されば幸いです。
コメント高評価あれば続くかもしれませんm(_ _)m
「男なら幸せになろうなどと思うな。幸せになるのは女と子供だけで良い。男なら死ねい!」
昭和の時代には、真の漢になるための苛烈な男塾があったようだ。尊大な自尊心が膨れ上がったミソジニー男性ではなく、男の価値とは妻子や弱き者を助ける点にあると。俺もそうなりたかったのだと思う。
我が家には家父長制が残っていた。だが昭和というよりも明治の方が適切な表現であろう。ジェンダーレスが叫ばれる令和のご時世において、当主や戦略婚姻など家督制度の概念が残っていること自体悍ましい。
しかし、父は旧華族である血脈とお家を至上とする教育を受けてきた。その思想の楔を解くには、陛下の象徴としての天皇像や令和の時代でも到底敵わぬようであった。
そして父は今年傘寿を迎える。80歳だ。つまり俺は、父が還暦を迎えて以降に生まれたのである。精魂強すぎわろたと苦笑したいが、これには理由がある。
俺には五姉妹の姉貴たちがいるのだ。中には腹違いの姉もいることを加味すると、よほど後継に恵まれなかったのだろう。そのため、俺は中学時代に自分が養子でないかと疑ったが、お目付け役の執事曰く、正真正銘の実子だと言う。実際、高校生になったいま、自分で密かにDNA鑑定も行ってみたが間違いなかった。
父には威厳があった。旧華族のネットワーク、財界政界とのコネクション、圧倒的な文化資本を駆使して、戦後没落しかけた当家を立て直した。戦後新興財閥に買い叩かれた都内の一等地も買い戻し、新自由主義によって拡大する格差の現代社会では庶民が考えられない程、華やかな生活を俺は送っているのだろう。
だがノブレスオブリージュである。政治資金パーティで会ったいまのボンクラ世襲政治家には程遠いが、我が家では常にエリートたる振る舞いが求められる。これは差別ではなく区別。ディスタンシオンなのである。
え、ディスタンクシオンが分からない?それこそが文化資本の格差の現れなのだ。貧困に喘ぐ者がオペラや演劇文化を十分に楽しめるだろうか。古き伝統たる文化的背景を理解せねば、目の前で起きている演奏や演劇の理解度はそれだけ乏しくなる。諸君、ピエールブルデューを読みたまえ。
とはいえ俺はそんな文化クソ喰らえだと思っている。一見高尚に振る舞っているが、やっていることはSNSで身内ネタで盛り上がる閉鎖的なコミュニティと何ら変わらない。文化資本の定義を何に据えるかの違いでしかない。
俺は不自由だ。いつも気色の悪い笑顔の仮面を被せられている。自由意志などない。自分で選んだペルソナではなく、人生来歴全てが父の掌で踊らされた道化にすぎないからだ。
だから家出した時は最高だった。初めて自由意志を感じた。盗んだバイクで走り出した時も、湘南の海辺で頭の悪そうなギャルという存在を見つけた時も、生まれて初めて事故にあった現在も。いまこうして全身が砕け、血反吐を吐きながら潰れた自分の半身で必死に肺を動かすのも、まるで自分ごとに感じられない。
未成年無免許信号無視交差点事故。おまけに世間知らずの名家のおぼっちゃまで役満だ。明日の報道はさぞ賑わうことだろう。ざまぁないですな親父殿。傘寿のお祝いは俺の葬式で満足してらあ。
「ーーー」
不規則に繰り返される耳障りな風の音が、最後に大きく吸いこまれたのを感じた。被害者は俺だけ。トラック運転手は無事。上出来な人生だろう。