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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

おしゃもじさまの村

作者: 白色矮星

「おしゃもじ様に連れて行かれるよ」


シンゴは顔をこわばらせて、〝おしゃもじやま〟を指差した。夕方だった。うっそうとした木々に覆われた山は、大きな大きな影になって、村の全てを覆い尽くそうとしていた。


ぼくが、村に来たのは2週間前、夏休みに入ってすぐだった。お父さんが「子どもは自然のなかで過ごさないと」と、おじいちゃんの家に、ぼくを放り込んだのだ。


田舎の古い家は、東京のマンションに比べると無駄に広くて、あちこち汚くて、蚊もいっぱい出た。はじめは嫌で嫌で仕方なかったけど、隣の家に住んでいるシンゴと友達になってからは、毎日がサイコーに楽しかった。


セミとり、ザリガニ釣り、木登り、秘密基地づくり、やったことのない「田舎の遊び」は面白すぎたし、おじいちゃんからもらったお小遣いで買うガリガリくんを縁側に座って食べると、これまでに口にしたどんなスイーツよりも美味しく感じられた。


ちょっとだけ不満があるとすれば、遊びがどんなに盛り上がっていても、お日様が〝おしゃもじやま〟の向こうに隠れ始めると、シンゴがフっと真顔になって、「いえに帰ろ」と言い出すことだった。


はじめのうちは素直に従っていたけど、ある日、そのときにやっていた河原での石投げがあまりに盛り上がっていたから、「もうちょっとだけ」と、だだをこねてみた。


そこでシンゴが口にしたのが「おしゃもじ様に連れて行かれる」だった。


その口調が、大真面目すぎたので、ぼくは逆に笑ってしまいそうになった。

「ええと、なにそれ? おしゃもじやまには、おしゃもじ様が住んでるの?」


「そうだよ」シンゴは真剣に頷いた。「おしゃもじ様が連れにくるから、子どもは絶対に日が落ちる前に帰らないとダメなんだ」


むかし話みたいだね。といいそうになったけど、どうにか堪えた。相手は本気で信じてるんだから、茶化すのは失礼だ。


代わりに「おしゃもじ様って、どんななの?」と、きいた。


てっきり、「誰も見たことがない」とか「姿はない」との答えが返ってくると思っていたら、シンゴは「サルだよ」と言い切った。「おれは遠くから、本当にすごく遠くから一回だけ見たことがあるんだけど、おしゃもじ様はサルなんだ。痩せっぽちで、黒くて、歳をとったサル」


「そのサルが山から降りてきて人を怪我させるってこと?」


「怪我どころじゃない。おしゃもじ様は人を食べるんだ。それも肉の柔らかい女性や子どもが好きなんだ」


シンゴの親は、子供を暗くなる前に家に帰らせるために、サルの害について大げさに話しているみたいだった。


ぼくは、ついついツッコんだ。

「猟師さんに駆除してもらえばいいんじゃないの?」


シンゴが急に夏が終わったかのように、両の二の腕をこすった。

「できないんだ。おしゃもじ様は不思議な力を持っていて、猟の気配をすぐに感じるんだ。で、どこかに隠れちゃう。絶対に鉄砲の前に姿を見せないんだよ。何百年も前から、猟師さんたちはおしゃもじ様をやっつけようとしてきたけど、うまくいったことは一度もないんだって」


「何百年も生きてるの? サルが?」


「そうだよ」シンゴは大真面目にうなずいた。「おしゃもじ様は神さまの水を飲んでるから、いつまででも生きられるんだ」


「そ、そうなんだ。でもさ、そんなに危ないサルがいるなら、なんでみんなずっとここに住んでるのさ」


「神さまからもらった土地だからだよ」

何を当たり前のことを、と付け加えたそうな顔だった。


話しているうちに、シンゴがソワソワし始めた。

そびえる山を、ちらちら見ては目を逸らす。

「まずいよ。おしゃもじさまがこっち見てる」


「そのサルが?」

ぼくは目を凝らしたが、見えるのは分厚く山を覆う木々だけだ。

「どこにいるのさ?」


シンゴは答えず、「早く帰ろう。捧げられたらたいへんだから」と、こちらの手を引っ張った。

すごい力だ。問答無用という感じ。


ぼくは諦め、おとなしく家路についた。


田舎町とはいえ、いきかう車のかずは多い。河原から家までは1キロも離れていないけど、村からさらに奥にある谷間で砂防ダムを建設していて、ダンプトラックが砂埃を立てながら猛スピードで突っ走っている。


ぼくは、シンゴにもう少しおしゃもじさまの話を聞きたくて、話の口火を切る機会を伺っていた。


いろんな質問が頭をよぎった。


もし、本当にそんな動物がいるなら、どうして学者がさわがないのか。

頭を使えば捕まえることだってできるはずじゃないのか。

猟師を村のなかに潜ませて、向こうが降りてくるのを待ち伏せしたらどうなのか。


だが、いざ声をかけようとしたタイミングで、ぼくの耳元をダンプが掠めるように通り過ぎた。


間を置いて恐怖に駆られた。

もう少しで死ぬところだった。


結局、その日、シンゴにはそれ以上聞けなかった。


とはいえ、彼とは毎日遊んでいる。

翌日の朝早く、ぼくは彼の家の扉を叩いた。


ガラガラと引き戸が開いた。

シンゴの母親が顔を覗かせる。

おばさんは、ぼくを見みると奇妙な表情になった。恐れとも怒りとも、悲しみともつかない感じ。


ぼくは「シンゴくんいる?」といった。


おばさんが首を横にふり、少し緊張したような声でいった。

「ご、ごめんなさいね。シンゴなんだけど、ちょっと風邪をひいちゃったの。だから、今日は遊べないかな」


「そうですか、お大事にです」といって、ぼくは引き返した。


翌日、もう一度、扉を叩くと、また、おばさんが顔を出した。


彼女はぼくを見るや、「あら!ごめんなさいね。シンゴ、まだ調子が悪いのよ」と早口でいった。


「そうですか。お見舞いしてもいいですか?」


おばさんは微笑んだ。

「だめなの。あの子は、うつる病気なの。だから、あわせられないのよ」


ぼくは頭を下げると、シンゴの家の裏手に回った。

二階の彼の部屋の窓を見上げると、シンゴがいた。心なしか顔色が悪そうだが、とても感染症には見えない。


ぼくは手を振った。


が、彼がこちらに顔を向ける寸前に、誰か大人の手が部屋のカーテンを閉めた。


なんだか嫌な感じがしてならなかった。

シンゴの家族は、彼を閉じ込めているようだ。


さらに次の日、ぼくの訪問に、玄関を開けたおばさんはこういった。

「あの子は亡くなったの」


嘘だ!といいたかったが、たしかにおばさんは喪服を着ている。それに、玄関脇には露骨に感じられるほどの塩の山が作られていた。


とはいえ、シンゴが死んだなら、もっと騒ぎになるはずだ。近所の人たちが手伝いに来てないといけないのに、人の気配がほとんどない。


シンゴは絶対に死んでなんかいない!ぼくには確信があった。おばさんは彼をどうしようというのか。


夜中、ぼくはそろそろとシンゴの家の裏手に回った。

シンゴの部屋の窓は相変わらずカーテンが締め切られているが、かすかに光が漏れている。


地面から小石を拾い上げ、窓にぶつける。

小さく、カツンという音がした。


部屋のなかで誰かが動く物音がした。


ぼくはもう一度、石を投げた。


今度は何の反応もない。


ぼくは意を決すると、雨樋を伝って屋根によじ登った。


窓に耳をつけると、たしかに誰かがそこにいる気配があった。

小声で言う。

「シンゴ、ぼくだよ。おばさんたちは死んだっていってたけど、嘘だよね? 生きてるよね? 生きてるなら返事して」


沈黙のあと、シンゴの声が「うん」と答えた。


ぼくは窓枠に手をかけた。

意外なことに鍵が空いている。


土足のまま踏み込むと、中は異様な状態だった。

大きく円を描くようにして、姿見が十何個も配置されていたのだ。

それぞれの姿見の前には燭台が置かれ、太い蝋燭が刺激臭を漂わせながら炎をゆらめかせている。


円の中心部に、倒れている人影らしきものがものがあった。

「シンゴ!」ぼくは思わず駆け寄り、違和感に気づいた。

人影は藁でできた人形だった。

シンゴの服を着て、彼の帽子をかぶっている。

中身は何か豆類が詰め込まれているようだった。


「シンゴ?」顔をあげると、姿見に写った自分の姿が見えた。


お気に入りの白いTシャツがドス黒い色に変色している。

顔はどろどろに汚れ、髪の毛は血のようなものでべったりと頭の骨に張り付いている。そう、骨だ。割れた白い骨が飛び出している。

頭は不気味に変形していた。

姿見のなかに、別の姿見が写っているせいで、左の後頭部がべっこりと凹んでいるのがよく見える。

大怪我とかそんなレベルじゃない。

なんで? いつどこで?

そう考えたとき、かすかに記憶が蘇った。


シンゴが、おしゃもじ様のことを話してくれた、あの日の夕方。

一台のダンプがぼくの頭部をかすめた。

時速80キロ近くで爆走する十数トンの車体だ。ぼくの頭の骨は凹み、脳の一部は吹き飛んだ。

当然、ぼくは死んだ。

意識は一瞬で消え去り、ただ闇が広がる。

それから、闇が少しだけ薄くなった。

ぼくは目を開き、ぎくしゃくした動きで田んぼを突っ切るようにして歩いていた。

ぼくの意思とは無関係に手足が動いている。

ぼくは立ち止まろうとしたが、まるでいうことを聞かない。

ぼくではない誰かが、無線で操縦しているかのようだ。


田んぼを抜けて山に入ったところで、ぼくは落ち葉の上に倒れた。身体はぴくりとも動かず、呼吸すらしていない。目を見開いているのに、視界が暗くなった。意識が途絶えたらしい。


気づいたらぼくはシンゴの家の前に立っていた。

すでに夜が明け、お日様は燦々と村を照らし出している。

が、通りを歩いている人は誰もいない。

でも、ぼくはそれがおかしいと思わない。

脳が凹んでいるからか、それとも誰かに操られているからか、深く考えることができないのだ。


シンゴのおばさんが扉を開ける。

おばさんはぼくを見て顔をこわばらせた。


「シンゴくんいる?」

ぼくの声だ。

このとき、ぼく自身は自分の意思でこの言葉を口にしたと思っていた。でも、じっさいはラジコンの操縦主が、ぼくの思考回路そのもの操って、そう言わせてるだけだった。


おばさんがいう。

「ごめんなさいね。シンゴなんだけど、ちょっと風邪をひいちゃったの。だから、今日は遊べないかな」


「そうですか、お大事にです」

ぼくは頭を下げ、カクカクした動きで森に戻った。


意識が途切れ、次の瞬間にはまた別の朝が始まっていた。


ぼくは森から出て、またシンゴの家に行った。

この日、おばさんは「あの子はうつる病気になった」と言い訳した。

その翌日には「あの子は亡くなったの」といった。


ぼくを操っている誰かは、おばさんの言葉にがっくりきたが、ぼくの意識が〝シンゴが死んだはずない〟と考えていることに気づいて、明るい気持ちになった。


夜、ぼくはシンゴの家の裏手に回り込み、ドタバタした動きながらも、2階にあるシンゴの部屋の窓の外にまでよじ登った。


そして、中に入り込み、いま、部屋に置かれた姿見に写る自分を見つめている。


ぼくの潰れた脳みそは、途切れ途切れながら記憶を蘇らせたが、だからといって、身体を自分の意思で動かせるようになったわけじゃない。


身体は鼻を鳴らしながら、足元に転がっていた藁人形を掴んだ。豆を詰め込まれ、シンゴの服を着た人形だ。ぼくは三十キロはあろうかというそれを、ひょいと背中に担ぎ上げ、窓から地面に飛び降りた。


よたよたした動きで田畑を突っ切り、森に入る。


明け方、ぼくは苔むした石段を登っていた。

すでに朝日は登っているけど、分厚い枝葉の間から差し込む光は弱々しい。

あたりはじめっとしていて、一歩踏み出すごとに足元の苔から水分が滲み出る。


石段の終点には、朽ちかけた鳥居とちんまりした社があった。


ぼくは背負っていた藁人形を石畳の上にそっとおろしたあと、糸が切れた操り人形のように崩れ落ちた。頭が石畳にぶつかり、凄い音がする。が、痛みはまったくなかった。


身体からはすべての力が抜けて、瞬きすらできない。

斜めになった視界のなか、社の扉が開き、奥の暗がりから足が出てきた。


かかしのように細長い裸の足だ。指は長く、足で物を掴めそうだ。くるぶしから上には、真っ黒な毛がびっしりと生えている。


角度的に、ぼくに見えるのは膝までだ。


脚は、ぼくと藁人形に近づき、止まった。

フンフンと鼻を鳴らす音がした後、毛むくじゃらの手が藁人形を掴み、怒りのこもった唸りとともに振り回した。人形の首がとれて、中の小豆が散らばる。


それから、手がぼくを引き寄せた。

荒い息がぼくの首筋にかかる。

歯が頭に食い込むのを感じた。

バキバキと骨が砕ける音がしたあと、ぼくの意識は完全にこの世から消えた。

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