表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
亡国の王子の人生譚  作者: ayataka
3/13

3.新しい護衛 レイナ

読み進めていただき、ありがとうございます。

ヒロイン「レイナ」の登場です。

 翌日の朝、窓から差し込む陽射しに照らされて目を覚ました彼は、なにやら城内が騒がしいことに気づく。時刻は八時二十分。ゆっくりと寝間着から着替えて廊下に出ると、使用人二人がなにやらひそひそと話している。

「おはよう、なんかあったのか?」

 気になったので声をかけると、二人はビクッとしてこちらをみる。その目には怯えが浮かんでいた。

「い、いえ。なんでもございませんよ。ジェイド様」

「ええ、なにも」

 明らかに狼狽えている……というよりこの反応はーー恐れられている?

 彼女達になにかした覚えはなかったが、自分の肩書きは王子、自分の一声でクビになると考えると、恐れるのも無理はないだろう、と無理矢理納得させる。

「いや、別に怒らないから。何話してるのか気になった。今日はなんか城内が慌ただしい感じがするし」

 相手に威圧感を与えないように優しく言うと、二人は顔を見合わせ、そのうちの一人がおずおずと口を開いた。

「私も詳しくは存じ上げないのですが、昨日捕まった男が……その男は何かの罪で城内の牢屋に閉じ込められていたのですが、今朝死んでいたらしいのです」

――男が……死体で……?

 昨日気絶していた所を少しみた程度だが、男が死んでいると言う事実に驚くと共に、嫌な想像がジェイドの頭をよぎる。

メルリアは尋問をしたと言っていた。

――まさか……。

それは最悪の想像。馬鹿らしいと思いつつも否定は出来ない。

「ありがとう。それにしても物騒な事件だな。じゃあ俺はこれで」

 いてもたってもいられず、ジェイドは駆け出した。メルリアに、何があったかを聞くために。

 少し歩くと、メルリアの部屋に着いた。コンコンとノックをするが、返事はない。

 彼女とすぐにでも話したいが、勝手に入るのはマナー違反だ。どうしようか……。そう考えていると、後ろから肩を叩かれた。

「あれ、ジェイド君。私になにか用ですか?」

後ろを振り向くと、メルリアが不思議そうな顔をしている。

「メルリア!?」

「いやそうですけど……」

それはそうだ。早速本題に切り込むことにした。

「昨日の男が死んだって聞いて」

 それを聞いたメルリアの顔が険しくなる。

「その話はどこで聞きましたか?」

「廊下で使用人が話してるのを聞いたんだけど……」

「その話は事実です。彼は今朝、死体で発見されました。犯人は不明ですが」

 犯人は不明、ということはメルリアは男の死に関与していないことになる。その言葉を聞いて、ジェイドは心底安堵する。

「そういうことですが、この件は内密にお願いします。といっても既に噂が流れているようですが」

「分かった」

「それと、今日の授業ですが、外せない用事があって午後からになりそうです。すいません……」 

申し訳なさそうな顔をして謝るメルリア。多分、男が殺された事件に関連する用事だろう。彼女が悪いわけではない。彼女の顔をみると、朝だというのにすでに疲れた顔をしている。

「いやいや、大丈夫だ。お疲れさま」

「はい。ではまた午後に」

 メルリアと別れて自分の部屋に戻る。午前中の授業がなくなって暇になったのはいいが、特にする事があるわけでもない。自習でもしようかと思っているとーー。

「ジェイド、いるか?」

 ノックの音と共にガルドの声が聞こえた。

「いるよ。どうかしたか?」

「いや、昨日話した護衛が決まったのでな、お前に紹介しておこうと思ったのだ。今からでも大丈夫か?」

 朝のゴタゴタですっかり忘れていたが、そういえばそうだった。幸い、メルリアに会うために普段着に着替えていたので、会う分には問題ないだろう。

「大丈夫だ」

「では、私の仕事部屋に来てくれ、そこで色々と話そう」

「分かった」

「うむ、ではまた後でな」

ガルドの足音が遠ざかっていく。ジェイドは手短に服装などを整えると、ガルドの仕事部屋に向かう。記憶を失った何日か後にガルドに言われた事を思い出す。

「基本は敬語を使わなくてよいが、仕事部屋にお前を呼んだ時は王子としての振る舞いを頼む。お前を仕事部屋に呼ぶ時は、政治に関係する時だからな」

 彼はそう言っていた。

ーー王子として失礼の無い立ち振る舞いをしなければ。

 ジェイドは気を引き締め直し、ドアをノックする

「アグラニル・ジェイド、ただいま参りました」

「入ってよいぞ」

 ガルドのいつもとは違う威厳ある声を受けて、ジェイドは背筋をピンと伸ばす気持ちにさせられる。

 入ると、ガルドの他に二人が立っていた。一人はふくよかな体をした中年の男。彼には見覚えがあった。城内を歩いているとたまにすれ違う男で、毎回あいさつをしてくれる。といってもジェイドには誰なのか分からなかったが。

 もう一人の女の子は見たことが全くなかった。歳は俺と同じくらいだ。短くまとめられた銀髪の髪、透き通るような碧色の瞳、彼女は無表情でこちらを見ている。

「アグラニル・ジェイド、ただいま参上いたしました」

「よく来たな。ご苦労だった」

 椅子に腰掛けたガルドに声をかけられる。

「これはこれは、ジェイド様。ご機嫌よう」

「ご機嫌よう、久しいですね」

ーー誰だよ……。

中年の男に声をかけられたが、誰か全く分からない。困っていると

「王国大臣ジェイムズ、本題に入っていいか?」

「はい、王の心のままに」

 丁寧に名前と役職までわざわざ言ってくれた。ありがとうガルド。どうやら中年の男はジェイムズという名前らしい。覚えておかなければ。

「では、本題に入ろう。先日ジェイドには話したが、彼に護衛を付ける話となった。大臣に相談してみたところ、彼の娘が護衛を引き受けてくれるとの事。私はそれでいいと思うが、ジェイド、お前はどうだ?」

「俺はその子がいいならいいが……」

 女の子の顔を見てみるが、明らかに嬉しそうではなく、どちらかというと嫌そうにみえる。それも仕方ない話だろう。護衛となると自分の時間がなくなってしまう。そこまでして赤の他人を守ろうとは普通は思わないはずだ。

「我が娘レイナは親の贔屓目無しに、剣の腕は確かなものです。私が保証します。彼女もジェイド様への憧れをつねづね口にしておりました」

ーーレイナさん明らかにそんな雰囲気じゃないぞ……。ジェイムズの言葉に彼女不機嫌さが一層増したのが分かる。

 しかしそんな彼女の雰囲気に気づかないのか気づいていないフリをしているのか分からないが

「レイナ、お前も護衛になれて光栄だろう?」

 とジェイムズはレイナに話題を振る。

「はい。光栄です」

 明らかに心がこもっていない。声が死んでいる。絶対嫌じゃん俺の護衛。

「いや俺は別に護衛は彼女じゃなくても、俺のために時間を拘束するのは申し訳ないし」

 ジェイムズとガルドには悪いが、さすがに嫌がっている女の子を無理矢理護衛にする趣味はない。

 ちらりとガルドに視線を向けると、彼も明らかに乗り気でないレイナの様子を察したのか、困った表情を浮かべている。

「ジェイムズ、ジェイドもこう言っておるし、彼女を護衛につけるのは辞めておこうと思う。すまぬな」

 それを聞いて真っ先に反応したのが、ジェイムズだった。

「いや、そうなるとレイナが可哀想です。ジェイド様とお知り合いになりたいと言っていたではないか。そうだろ?」

 そう言うと、レイナの表情が変わる。明らかにジェイムズの言葉が彼女に圧をかけている。少しの間黙った後、彼女はか細い声で

「私に、護衛をさせて頂けないでしょうか……」

 絞り出すように言った。下を向いているので表情は分からないが、言ったとあうより言わされたというべきだ。

「いや、俺は別の人でいいんだけど……。どう思いますか、王?」

 さすがに彼女が不憫すぎる。ガルドからも否定して欲しいと話を振ったのだが……

「いいのではないか。彼女にやらせてみよう」

  味方に後ろから刺された気分だった。

「そうでしょう!我が自慢の娘です。是非ともお役立てください」

「…………」

 ガルドに乗っかったジェイムズは水を得た魚のような勢いでまくし立てる。対称的に無言のレイナが可哀想すぎる。

「では、決まりだな」

 これ以上話すことがないというように、ガルドが頷いた。

「オールイル・レイナ、そなたを王国第一王子、アグラニル・ジェイドの護衛に任命する。精進せよ」

「私などに務まるか分かりませんが、拝命を光栄に存じます」

 そしてジェイドの方を向くと

「ジェイド様、よろしくお願いします」

 その顔は無表情ではなく、むしろ嫌悪の感情が浮かんでいた。

 さすがに傷つくが、彼女が悪いわけでは無いので、仕方ない。

「ああ、よろしく頼むよ」

ーーごめんレイナさん。こんなやつの護衛をやることにさせて。

心の中で謝っておく。

 その一部始終を見ていたジェイムズは一人満足そうな顔を浮かべていた。

「では、これで話は終わりだ。二人とも下がってよいぞ。ジェイドは残ってくれ、話したいことがある」

「はい、それでは」

 ジェイムズは恭しくお辞儀をすると、レイナと共に部屋を出ていった。パタン、とドアが閉まった直後、口を開いたのはジェイドだった。

「おい、彼女明らかに嫌がってただろ。酷くないか」

「彼女にはすまないと思うが、仕方ないのだ」

「なんでさ、別に他の人はいるだろ?」

「いや、それが誰もお前の護衛をしたいという者がいなくてな……」

ーー俺人望無さすぎィ!記憶が失う前、俺どんだけ評価低かったんだ……。

「じゃあ、メルリアはどう?」

 彼女なら引き受けてくれそうだと思い、提案してみる。

「いや、メルリアには城内に潜む裏切り者を探すことを任せておる。だから護衛はできないのだ」

 それを聞いて納得した。レイナの意思ではないといえ、護衛を引き受けてくれるのは彼女しかいなかった。そのため、ガルドも彼女を任命するしかなかったのだと。

「ガルドも色々考えてくれたんだよね、考え無しに怒ってごめん」

「いや、気にするな。しかし、彼女にはすまないことをした」

「けど、護衛って言っても別にずっと一緒にいるわけじゃないでしょ?」

 ジェイドの問いかけに対するガルドの返答はなかった。 

「え、まさか……」

 もしかして俺は、とんでもない勘違いをしていたのではないだろうか……。

「護衛の事だが、彼女には四六時中おまえの警護にあたってもらう」

 それは彼女が嫌がるわけだ。俺だって逆の立場だったら知らない男とずっといるなんて絶対に嫌だ。彼女は女性だから特に抵抗があるだろう。

「じゃあ今からでも……」

「それは無理だ」

 ガルドはぴしゃりと言い切る。

「なんでさ」

「お前はもっと自分の立場をよく考えろ!命を狙われているんだぞ!!護衛も付けずに一人でいるなんて殺せと言ってるようなものではないか!!!」

 そう言われて、ジェイドは自分の置かれている状況に気づいた。いや、目を向けていなかっただけかもしれない。ガルドの言う通りだ。二回も殺されそうになっている。生きているのは運がよかっただけだ。暗殺者から命拾いしたのも、メルリアがいたおかげで、彼女がいなかったら何も出来ずに殺されていた。

 父であるガルドからしたら心配で堪らないはずだ。いくらレイナが嫌だからといって、俺の安全には変えられない。だから彼女の気持ちを優先せずに俺の安全と命を優先したのだ。

「ごめん。俺はガルドの気持ちを全然考えてなかった……」

 ガルドの言うことは正しい。誰も護衛をやりたがらないこの現状を考えればベストな選択といえる。いつ命を狙われるか分からないこの状況、猶予などないのだ。

「いや、私もカッとなってしまった」

 言い過ぎたと申し訳なさそうな顔のガルド。

「いや、ガルドの言っている事は正しいよ。気にしないで」

「レイナにはすまないと思うが、護衛を引き受けてくれる者が見つかるまでだが、彼女には護衛を頼もうと思う。私も全力を尽くすが、すぐには見つからない事は承知してくれ」

 レイナがずっと護衛に付くわけではなく、あくまでも他が見つかるまでということらしい。ならレイナも割り切ってくれるだろう。

「分かった。レイナにはそう伝えておくよ」

「ああ、頼む。それと記憶を無くした事は彼女に内緒にしておいてくれ」

「いいけど、なんで?」

「記憶がないという事を利用する輩がいないとは限らないからな。お前にあることないことを吹き込むかもしれん。彼女には適当に話を合わせておけ」

「分かった」

 記憶を無くしたとはいえ、いまの俺は第一王子という身分だ。あまり自覚がないが、王国内で強い発言力を持っているはずだ。記憶喪失をいい事に俺を言葉巧みに傀儡とさせることも出来るわけで、ガルドはそれを恐れたのだろう。

「うむ、では私は仕事に戻る。お前も午後からの授業に備えて休んでおけ」

「分かった。ありがとう。じゃあ、また」

 本人にも内緒だというのは不思議な気がするが、承諾してガルドの仕事場を出ると、ドアの横にレイナが立っていた。

「あれ?レイナさん?なんかガルドに用事でもあった?」

 そうだとすれば待たせてしまって申し訳ないな。しかし、俺の予想は外れた。

「私はアグラニル様の護衛ですので、外で待機しておりました」

 ニコリともせず彼女は言う。

「そういう事か、ありがとね」

 護衛は嫌だが、任せられたからにはしっかりやるということだろう。彼女の真面目な性格がみえる。

「いえ、王の命令ですので」

  相変わらずニコリともせず淡々と話すレイナ。

ーーこれは思った以上に取っ付きにくいぞ。

前途に不安しかないジェイドだった。

「じゃあ、改めてアグラニル・ジェイドだ。よろしく」

「オールイル・レイナ。オールイル・ジェイムズ大臣の三女です。以後、お見知り置きを」

「敬語じゃなくていいよ、呼び捨てでもいいし。多分同い歳くらいだよね。俺は一六だけど、レイナは?」

「私も一六歳です」

「同い歳か。敬語だとお互いに気を使うだろうし、タメで全然いいよ」

「それはお断りさせていただきます。アグラニル様」

 ピシャリと拒絶されてしまった。

「そっか……じゃあ気が向いたらでいいや」

 ここで挫けたら負けである。

「それと、私の事はオールイルとお呼びください。私如きが名前で呼ばれるのは畏れ多いので」

ーーうわ俺のこと超嫌いじゃん。

 要するに、気安く名前を呼ぶなよクソ野郎って事だ。俺のこと明らかに畏れ多いとか思ってないだろうし。

「分かった、オールイルと呼ばさせてもらうよ」

 しかしここで腹を立てても仕方がない。てか俺記憶なくす前になにかやらかしたのか……?

 彼女は明らかに敵意を剥き出しにしている。後でそれとなく聞いてみよう。聞けたらだが……。

「じゃあ俺は部屋に戻るけど、君はどうする?」

「どうするも何も、護衛なのでついていくだけです」

 言われてみればその通りだ。

「分かった。じゃあ部屋に戻ります」

 そう言って歩き出すと、彼女も後ろから着いてくる。歩き始めて三0秒くらい経つと、すぐに自分の部屋に着いた。

ーー女の子が来るならもう少し綺麗にしておけばよかった……。

 そう思うが後の祭り、仕方なく部屋に入ると

お邪魔します、の声と共にオールイルも入ってきた。時計をみると時刻は9時、午後の授業まで後四時間はある。と言ってもやることはあるわけではなく、ゆっくりゴロゴロしようと思っていたのだが、オールイルがいる手前、とてもゴロゴロしにくい。それにオールイルだが先程から一言も喋らない。顔も強ばっている。

ーーどうしたものかな。

 なにか暇つぶしになるものはないか。そう思いベッドから立ち上がると、オールイルはビクリと身体を震わせる。

「ごめんごめん」

 どうやら驚かせてしまったようだ。意外にビビりなところがあるんだな、と笑いそうになるが、気持ち悪がられそうなのでやめておく。

ーー暇つぶしといえば。

 怪我をしてベッドで寝たきりだったとき、メルリアが

「暇つぶしになるものを持ってきたのでやりましょう〜」

 と持ってきたボードーゲームが棚に置きっぱなしだったのを思い出した。急いで棚を漁ると、何個かボードーゲームが出てきた。その中の一つを見繕って取り出すと、それを持ってオールイルの前に置く。

「ひっ、なんですか」

 怯えたような顔をしてこちらをみるオールイル。

「いや、暇だからボードゲームでもしようかなと思って」

 それ以上の意味は無いのだが……。

「なるほど、いいでしょう」

「OK。じゃあロセオって言うんだけどルールは知ってる?」

 ジェイドが持ってきたのは八×八のマスに両面が黒と白のコマをひっくり返して多い方が勝ちのロセオというポピュラーなゲームだった。

「もちろんです」

 当たり前、というように頷くオールイル。

「じゃあ、やろうか」

「はい」

 淡白な返事の彼女だが、ジェイドは彼女の蒼瞳に勝負の炎が宿ったのを見逃さなかった。

ーー面白い勝負になりそうだ。

 メルリアと鍛えたロセオの腕前、見せてやる。ちなみにメルリアとの戦績は全敗である。

 「黒と白どっちがいい?」

「……どちらでも」

「じゃあ、俺は黒で」

 黒は先行なので、有利な気がする。

「じゃあ、行くよ」

 そうして、ジェイドとオールイルの闘い(ロセオ)が始まった。

 ーーそして十分ほど経った頃

「……負けました」

 オールイルは悔しそうな声で、ポツリと言う。

 結果はジェイドの勝ちだった。ロセオをやる上で重要な端のマスは四つ中三つ、彼が取っていて、黒と白の割合は八:二、圧勝である。

 途中は手を抜いてるのかと思ったが、彼女は自分のコマがひっくり返される度に悔しそうにしていたのでマジのガチだろう。

 彼女はとても悔しそうな顔をしていて、なぜか申し訳ない気持ちになってくる。どうしようかと考えていると

「もう一回……いいですか……?」

 絞り出すように再戦の要求が来た。

「もちろん!」

 考えてみれば彼女からこちらに話しかけたのは初めてかもしれない。理由はなんであれ、大きな一歩だ。そう前向きに考える。

「黒と白はどうする?」

「任せます」

「じゃあさっきと同じで」

 再びジェイドが先行の黒を取る。まずは一つ目のコマを置いて、一枚がひっくり返った。オールイルの番だが、彼女の盤上をみる姿は真剣そのものだった。負けたくないという意思がひしひしと伝わってくる。

ーーこれは気を引き締めないとな。ジェイドも目の前の盤に集中することにした。

 そして十分後ーー。

「…………負けました」

 結果は変わらず、ジェイドの圧勝だった。彼女は相当悔しいのか、肩を震わせている。

 どうしよう。すごく声を掛けにくい。

「…………もう一回」

「うん」

 どうやらすごく負けず嫌いのようだ。と言ってもいまの二戦で分かったのだが、彼女は俺より弱い。序盤はたくさん取る事によって優勢なのだが、中盤以降自分のコマの多さゆえに置く場所が無くなってしまう。というかそうなるように俺が置いているのが理由だが。

「次は私が黒でいいですか?」

「うん、いいよ」

 オールイルは負けた理由が先行後攻にあると踏んだようだ。

 そしてロセオを始めて、二時間が経過した頃

「………………」

 オールイルは無言で、なにも言わない。盤面は相変わらずジェイドの圧勝で、申し訳程度に彼女のコマが残っているだけだ。

 戦績、十二戦全勝。彼女は一回も勝てなかった。

 しかし黙ってコマを並べ直すオールイル。まだやるつもりだ。

ーーこれ以上は体力的にも精神的にもしんどいぞ……。

 彼女には悪いが、ここらで切り上げよう。

「オールイル、お腹も空いたし、午後からの授業もあるからこれくらいにしとこうか」

 時計をみると、時刻はすでに十二時を回っている。

 彼女は不満そうな顔をしつつも、頷く。

「それと、授業が終わったらロセオのコツでも教えよっか?」

「…………」

 彼女はなにも答えない。敵から教えを乞うのは嫌なのだろう。

「気が向いたらでいいよ。お腹も空いたし、昼ごはん食べに行こっか」

 コクンと頷く彼女をみて、昼ごはんを食べにいこうとする。

「あ、そういえばこれ渡しておくよ」

 引き出しから取り出すと、オールイルに渡す。

「これは?」

「部屋の鍵。用事があるとき鍵があった方がなにかと都合がいいだろうし。あ、あと俺の部屋は勝手に入ってくれていいから」

 どうせ使う予定のない合鍵だ。それだったら彼女が役立ててくれた方が有用だろう。

「はい」

 彼女は相変わらず短く頷くだけだった。


ーー時は流れ時刻は十三時。ご飯を食べ終わったジェイドは訓練場でメルリアを待っていた。隣にはオールイールが仏頂面で立っている。ロセオで負けて不機嫌になっているのは理由の一つではあるだろう。

「お待たせしました〜。あれ?その子は誰ですか?」

 メルリアが入ってきたと同時にオールイルをみて不思議そうな顔をする。

「オールイル・レイナです。よろしくお願いします、メルリア様」

 自己紹介とともに、彼女は恭しく頭を下げる。俺の時と明らかに態度が違うが、つっこまないでおこう……。

「私の事を知ってるんですか?照れますねえ」

「もちろん存じ上げております。イブ族の数少ない生き残りにして邪龍ヴェムンドラの討伐者の一人!!私たち女騎士全ての憧れです!!」

 興奮した口調でまくし立てるオールイル。メルリアは俺が思っている以上にすごい人物らしい。

「レイナちゃん、それは昔の話ですよ。しかもヴェムンドラの討伐は他の方達が頑張ってくれただけで、私はほとんど何もしてようなものだし」

 そう謙遜するが、心無しか彼女も嬉しそうだ。オールイルも彼女と会えた事が嬉しいのか顔を輝かせている。この微笑ましい状況に水を指すのも野暮なので、静かにしておこう。

 少しの間、二人が話しているのを黙って聞いていると、メルリアが思い出したようにオールイルに問いかけた。

「そういえば、レイナちゃんは何でここにいるんですか?」

「アグラニル様の護衛に任命されたもので」

  ごく当然の質問に、オールイルは自分の境遇を思い出したのか、また無表情に戻ってしまった。

「あー、なるほど。そういう事ですか」

  メルリアは全てを理解したらしい。

「はい」

 先程の元気はどこへやら、訓練場に気まずい空気が流れる。

「そういえば授業の途中でしたね。再開しましょう」

 メルリアも気まずい空気を察したのか、話題を変えた。

「そうだね、考えてみれば昨日の午後から色々あってやってないから久しぶりな気がする」

 ジェイドもその話に乗っかる。

「そうですね。私も久しぶりな気がします」

 あ、と思い出したようにメルリアはオールイルの方を見た。

「レイナちゃん、授業中の護衛は私が兼任するので、適当にどこかで休んでていいですよ。ずっと護衛も大変でしょう」

「でも……」

 その言葉を聞いてオールイルは複雑な表情を浮かべてこちらをみる。申し出はありがたいが、 護衛をしなければという責務があるのだろう。しかしメルリアの言う通り、オールイルもずっと気を張っているのも辛いだろう。なので助け舟を出すことにした。

「メルリアもこう言ってるし、息抜きでもしてきなよ。俺は気にしないからさ」

 その言葉を聞いて、オールイルは少し考えた後

「では、お言葉に甘えるとします」

 メルリアの提案に乗ることにしたようだ。

「はーい!では授業は六時までなので、それまでには戻ってきてくださいね」

「はい、ありがとうございます。メルリア様。それでは失礼します」

「うんうん、全然ですよー」

ーーあれ俺は?

 そんなジェイドの心の中のツッコミをスルーするかのようにオールイルは訓練場を出ていった。

「いやあ……ジェイドくんもなかなか辛い立場に置かれてますね」

「あ、分かります?」

「それはもう。彼女、明らかに君のこと嫌ってますもん。傍から見ても伝わってきますよ」

ーーだろうな。

「まあ、みんな俺の護衛を嫌だっていう中で引き受けてくれたんで、それだけでもありがたいですよ」

「私が引き受けられたらいいんですけどね……」

「いや、気持ちは嬉しいけどメルリアも色々大変だろうし。気持ちだけ受け取っておくよ、ありがとね」

「いえいえ、では授業を始めましょうか。今日は魔法を使ってみましょう。ジェイド君は、魔法の仕組みは分かりますか?」

「いや、詳しくは知らないです」

「じゃあ説明しますね。いまから話す事は重要な事なので、よく聞いていてください。まず、魔法は体の中にある力、エネルギーを変換して使用します。そこで重要となるのが、エネルギーを魔力に変える器官、心臓です」

「心臓って、生きるための……?」

「そう、心臓です。心臓はエネルギーを魔力に変換する役割も持っています。では、私がいまから魔法を使うので見ていてください」

 そう言うとメルリアは手をかざし、何やら唱え始める。すると、彼女の掌から水の塊が射出され、前方ある的に直撃した。

「これが基本的な魔法の一つ、水球(ウォーター)です」

「すげえ……」

 知識としてはあったが、実際にみるとやはり迫力がある。

「というふうに魔法を使ってみたのですが、発動するにはいくつかのプロセスが必要です。エネルギーを心臓に集中させる。次に心臓で生成した魔力を放出箇所に集中させる。最後に、使う魔法に対応する詠唱をする、の三つです。これらのプロセスを成功すると魔法が発動します。と言っても説明だけじゃピンとこないと思うので、実際にやってみましょう。詠唱は私の力に宿れ、【ウォーター】です」

「分かりました。やってみます」

 目を瞑り、体の力を心臓に集めると、体の力が少し抜けて心臓に別の力が湧き上がるのを感じた。これが魔力だろう。そしてそれをそのまま、集中して手の先まで移動させる。体内で力が移動しているのは、何となくだが感じる。そして手のひらに魔力を全て集め終えると、メルリアから教えてもらった詠唱を唱えた。

「俺の力に宿れ、【ウォーター】!!」

  唱え終わったと同時に、手のひらから水が吹き出て辺りを濡らした。そして体が少しだるくなる。

「なにか間違ったか?」

 メルリアと同じことをしたはずなのに、水の塊を撃つどころか、周りに水を撒き散らしただけだ。

「いや、あってますよ。けどジェイド君の【ウォーター】は水球にもならなかったし、的にも届かなかった。原因は二つあります。一つ目は、心臓の変換効率が悪いこと。二つ目は、心臓で変換した魔力を手のひらまで持っていく際に、魔力が途中で抜けていってしまったからです。だから改善点は大きくわけて二つ」

「心臓の変換効率をあげることと、それで生成した魔力をスムーズに手のひらまで持っていくってことか」

「その通りです!出来のいい生徒を持って誇らしいですよ〜」

「そんな褒められても」

 お世辞だとしても、褒められて悪い気はしない。

「ということで、いまの君に足りないものが分かったと思います。ですから、それを解決していきましょう」

「はい、先生」

「いい返事ですね。それではまず一つ目の魔力変換効率の上げ方ですが、これは毎日継続して心臓に適度な負荷をかけてください。そうすることで変換効率は少しずつですが上がっていきます。まあ簡単に例えると筋トレと同じです。毎日する事によって筋肉が鍛えられる。もちろんどちらも過剰負荷(オーバーワーク)はダメですが」

ーーなるほど、適度な負荷か。魔力の使用量を増やすには、ランニングや筋トレと同じく継続的な努力が必要だということだ。

「そして二つ目の魔力の移動ですが、これは何回もおこなって体に染み込ませましょう。魔力が通る経路をしっかりと把握することで、スムーズに魔法を発動できます」

「説明を聞いてだいたい分かった。やっぱり魔法を使うとなると、簡単に連発とは行かないんだね」

「そうです。千里の道も一歩から、ですよ。他にも詠唱破棄や同時展開などもありますが、それはジェイド君が魔法を使うのに慣れてきたらにします」

ーー詠唱破棄、同時展開。どちらも出来たらかっこいいだろう。

「ここまでは魔法の基礎の話ですが、ジェイド君はまず、自分にあった魔法を見つけましょう。基本魔法の元素魔法を二つ使ってみて、最初の【ウォーター】を含めてどれが使いやすかったか比較してみてください」

あ、ちなみに詠唱はそれぞれ「私の力に宿れ、【ファイア】、【ウインド】です」と付け足す。

「分かった。やってみる」

 最初はファイアからやってみよう。

 体の力を心臓に集めて、魔力に変換する。そしてそれを右手まで移動させる。

ーーさっきの経路を通らせると。

 一回目で魔力が通る道はなんとなく分かったので、なぞるように魔力を移動させていく。そして全てを移動させ、掌に集め「俺の力に宿れ、【ファイア】!!」

 唱えると同時に炎が三0cmほど噴いて、すぐに消えた。

「手順は合ってます。あとはより早く正確に魔力を掌まで移動させるだけですね。ではその調子で【ウインド】も使ってみましょうか」

 言われた通り、【ウインド】も使ってみたが、これも【ファイア】と【ウォーター】と同じく強い突風が吹いただけだった。

「こんな感じだけど……どう?」

「まあ、最初はそんなものですよ。魔力の変換率、魔力移動、どれも経験と努力の蓄積です。毎日コツコツ頑張っていきましょう」

「はい!先生」

「いい返事です。魔法を久しぶりに使って疲れたでしょうし、少し休憩しましょう」

 そう言われると、走った後のように、心臓が早いペースで脈打っていて、息も荒くなっているのに気付く。魔法を三回使っただけなのに、体が重い。

「たしかに、疲れたな」

  訓練場の端から端に広がっている椅子に腰掛けで休んでいると

「これ、飲んでください」

 そう言ってメルリアから渡したのはコップに入った水だった。ありがとう、と言って受け取ると間髪入れずに飲み干す。

「ぷはぁぁ。美味しい」

 ただの水なのに、運動?したあとだからだろうか、とても美味しく感じる。

「おかわりもありますよ」

 その様子をみて、メルリアが笑いながら水が入った容器を持ってくる。

「じゃあ、もう一杯もらおうかな」

「はいはい」

 メルリアに注いでもらって、また飲み干す。

「ただの水なのに、美味しそうに飲みますね」

 ジェイドの水を飲む様子が面白いのか、くすくすと彼女が笑う。

「メルリアも飲んでみなよ。美味しいって」

「じゃあ、私ももらいますね」

 ジェイドの隣に腰掛けて、自分のコップに水を注ぐと、両手でカップを口まで運んだ。そして一口飲むと

「ただの水ですね」

 きっぱりと言った。

「まあ、水だからな」

 美味しいといっても、所詮水である。しばらく二人はお互いに黙って座っていた。訓練場の窓から射し込む日差しが暖かく、外からは心地よい風が優しく入ってくる。

「いい日ですね」

「そうだね、とってもいい日だ」

 平和そのものといっても過言ではない。ときおり聞こえるちゅんちゅんという小鳥のさえずりが耳に優しく届く。

「こんな日は外で散歩でもしたくなりますね〜」

「ほんとにね」

「ジェイド君は、散歩好きなんですか?」

「散歩が好きっていうのかは分かんないけど、メルリアと歩くのは好きだよ。楽しいから」

「ジェイド君は女殺しですね〜」

 満更でもない顔で変なことを言われた。

「どういうことだよ」

「私じゃなければドキッとしてたかもしれないって話です」

そう言ってメルリアは、私を落とすにはまだまだ君は青いですよ、といたずらな笑みを浮かべる。

「メルリアを落とそうなんて、これっぽっちも思ってないよ」

 記憶を失ってから彼女はずっと俺に優しくしてくれた、それにはすごく感謝している。感謝してもしきれないくらいだ。だからこそ、彼女を尊敬している。恋人関係になろうなんて、これっぽっちも考えたことがなかった。

「ふーん、そうですか」

 先程より一オクターブ下がった声で彼女は言う。なにか変なことを言っただろうか?

「う、うん」

「まあ、休憩もここまでにして再開しますか。【ファイア】【ウォーター】【ウインド】どれか一つを重点的に練習しましょう。どれがいいですか?」

 しばらく考えて、【ファイア】を練習することにした。理由は炎を出せたらカッコイイからだ。

「じゃあ、【ファイア】を的に当てることを目標にしていきましょう。適宜、アドバイスをするので」

 若干メルリアの言い方にトゲがあるような気がするが、気のせいだろう。

「俺の力に宿れ、【ファイア】」

  さっきよりも大きい炎が出たが、相変わらず球形にも的にも届かないまま霧散した。

「さっきよりは良くなってます。けど、やはり魔力移動時のロスが大きいです。魔力の経路をより精密に辿りましょう」

「魔力経路を精密に辿る……やってみるよ」

 魔力を通す事を意識して、【ファイア】を発動する。結果は、前よりはスムーズに進んだが、炎は相変わらず球形の形を保たずに霧散した。

「経路は精密に辿れていました。けど、精度を求めて移動速度が遅くなりましたね。今度はスピードを意識してください」 

 何度か【ファイア】を使っては、メルカリの指摘を受けて、直していく。やっていくうちに、最初は分からなかったが確実に【ファイア】の精度が上がっていくのが自分でも分かる。

ーーーー【ファイア】を放つ。【ファイア】を放つ。【ファイア】を放つ。三回撃ったら体がしんどいので、こまめに休憩を入れながら、ひたすらに【ファイア】を放ち続けた。

 どれくらいの時間が経っただろうか。窓から射し込む太陽の日差しは、すでに赤みを帯びている。

「俺の力に宿れ、【ファイア】」

 ジェイドは、本日何度目か分からない【ファイア】を唱える。放った【ファイア】は球形の形をしていた。だが、前進むことなく霧散する。

「今日はこれくらいにしておきましょう」

 ちらりと時計をみたメルリアが終わりを告げる。その声と同時に、ジェイドは地面に倒れこんだ。

「ハァ……ハァ…………」

 凄まじい倦怠感、体が重い。休憩を頻繁に取っているのに、ランニングを全力でした後のような疲労感。それなのに汗は一滴もかいていないのは、魔法による疲労だからだろうか。ずっと【ファイア】を使ったが、球形にはなった。だが前にも進まないし、すぐに霧散してしまう。これは思った以上にしんどい。肩で息をしながら天井を見つめる。

「お疲れ様です」

「少しは上達したかな……」

「魔法に近道はありません。けど、した分だけ確実に成長はします。努力した自分を信じてください」

「そうだよな……一日で使いこなせるようにはならないもんな。明日からも頑張らなきゃ」

「その意気です。けど、今日一日よく頑張りましたね。偉いです」

  優しく微笑むと、メルリアは倒れているジェイドの頭を優しく撫でる。

「メルリア、恥ずかしいから……」

 時計をみると、時刻は六時まで後十五分しかない。オールイルはまだ来てないが、この場面を見られたら恥ずかしすぎる。

「あ、すいません。けどちょっと待ってください【ヒール】」

 メルリアの手がボウッと光ると、頭から体中に力が送られているような感覚がして、疲れが少しずつ減っていく。

「はい、終わりです」

 彼女が手を離すと、いつの間にか疲れはだいぶ楽になって、心臓の鼓動もいつも通りになっていた。

「すごい楽になったけど。いまのは……?」

「【ヒール】です。対象の相手を癒します」

「それはありがとう。それにしてもすごい魔法だね」

「そうでもないですよ〜。仕組み自体はとても簡単です」

ーー魔法にもいろいろ種類があるんだなあ。改めて、魔法のすごさを知った。疲れもある程度取れたので長椅子まで歩いて座ると、メルリアも隣には座ってきた。

「お腹空きましたね」

「そうだな。ペコペコだよ」

 しばらく彼女と他愛のない話をするが、一向にオールイルは来なかった。

「遅いな、オールイル」

「遅いですね。ていうかオールイルって呼んでるんですか?」

「うん、レイナはやめろって言われたから」

「レイナちゃんとの仲は前途多難ですねえ」

 メルリアは大変だ、と遠い目をしている。

 時刻はすでに六時を回って、長針は下を向いている。

「ちょっと探してくるよ」

「ダメですよ。命を狙われているんですから。いつ命を狙われるか分かりません」

「うーん。じゃあ俺の部屋だけ確認するからそこまで着いてきてよ」

「分かりました」

 歩いてすぐに部屋に着くと、鍵が空いていた。昼に部屋を出たときに閉めたので十中八九オールイルの仕業だ。

「中にいるみたいだ」

「よかったです。じゃあ、また明日。遅刻は厳禁ですよ〜」

 メルリアを見送った後、部屋に入ると予想通りオールイルはいた。彼女は机に突っ伏して寝ていて、その近くにはロゼオの盤があり、コマが並べられていた。どうやらロセオの研究をしているうちに寝てしまったようだ。今日が彼女にとって神経をすり減らす出来事があったのも原因の一つだろう。部屋は少し肌寒く、このまま寝ては風邪をひいてしまうかもしれない。起こしてしまうのも可哀想なので、ジェイドは布団の毛布を取ると、寝ている彼女にそっと掛けることにした。

「んん……」

掛けたときに僅かに声を漏らす。起きたのかと思ったが、どうやら寝言だったようだ。またスー、スーと寝息を立て始める。

 こうしてみると、オールイルはとてもかわいらしい。普段もこんな感じならいいのにな。と思うが、それは無理な話だろう。

 お腹が減ったが、護衛なしで行動したら危険だしガルドやメルリアに怒られてしまう。ジェイドはオールイルが起きるまで、メルリアに渡された魔術の基礎の本でも読むことにした。

 ーー一時間くらい経っただろうか。

 オールイルがピクっと動いた。その動きと同時に掛けた毛布がパサッと落ちる。

「んんー」

 どうやら目が覚めたらしい。寝ぼけている可能性もあるので、もう少し見守ることにする。

 オールイルは目をこすって時計をみる。時刻は八時前を指している。彼女は自分が寝坊したことに気づいたようだ。後ろ姿だけでも彼女の狼狽ぶりが伝わってくる。

 急いで向かおうと、立ち上がって振り向いた彼女はジェイドとぱっちり目が合った。

 数秒間ほどの沈黙が流れる。先に口を開いたのはオールイルだった。

「あ、あの。私いつの間にか寝てて……」

「おはよ。とりあえずお腹減ったし、ご飯食べに行こっか」

「は、はい」

 彼女には悪いがお腹がぺこぺこなので、話は夜ご飯を食べてからにしよう。

 食堂に着くが、時間が遅いのか、人がまばらにいるのみ。適当な席を見繕って座ると、その正面に彼女も座る。

 料理が運ばれてくるで少しの時間がある。待っていると、目の前のオールイルがこちらをチラチラみている。なにか話したそうだ。といってもなんのことかは大体検討がつくが。

 しばらく待つことにしたが、オールイルは一向に話そうとしない。彼女が話すより先に料理が来てしまった。せっかくの料理が冷めてしまうのは勿体ないので、食べ始める。しかし、彼女は来た料理に手をつけず、相変わらず何かを話そうとしている。

「ほら、料理来たぞ。食べないのか?」

「た、食べます!」

 動揺しながらも、ご飯に口をつける。一口食べると、お腹が減っていたのを思い出したのか、黙々と食べ始めた。

 会話のない食事が続く。といっても気まずいわけではなく、目の前のご飯に夢中なだけだ。

「ごちそうさまでした」

「……ごちそうさま」

 五分ほどで食べ終わって、食器を返しに行く。そのまま部屋に戻ろうと歩き出すと、オールイルも後ろからついてくる。

お互いに一言も喋らないまま、部屋につく。

部屋に入ると、タンスから服を取り出して、風呂に入る支度をする。

「俺はいまから風呂入るけど、オールイルも入るか?」

「は、入りませんよっ!一緒になんて」

「いや、一緒なわけないだろ。普通に別々だぞ」

「そ、そうですか…………入ります」

 墓穴を掘ったオールイルは顔を真っ赤にしている。からかってやろうと思ったが、本気で嫌がりそうなのでやめておこう。

 そう言った彼女はいつの間にか部屋の隅に置いてあったバッグから色々取り出すと、入浴の準備をし始めた

「じゃあ浴場まで行くか。護衛は頼んだよ」

 彼女が支度を終わったのを見計らって声をかけると、彼女は無言でコクンと頷く。

 浴場の入口で彼女と別れて男湯に向かう。すぐに服を脱いで軽く体を洗ってから風呂に浸かると、体の疲れを取れるようだ。お湯加減も丁度よく、気持ちいい。

 風呂につかりながら、今日一日の事を考えていた。魔法の訓練はとても疲れたが、メルリア【ヒール】をかけてくれたおかげで疲労はほとんど残っていない。これなら明日も支障なく動けそうだ。

 しかし彼には悩みの種があった。もちろん、オールイルの事である。初日から明らかな敵意を向けられて、馴れ合おうとしない彼女の態度はジェイドをほとほと困らせていた。ロセオをしている時や、メルリアと話していた時の姿が本来の性格や振る舞いに近いのだろう。だが、彼女が明らかに壁を作っているのが分かる。これが毎日ずっと続くとなると、さすがにキツい。なにかをきっかけに、態度を少しでもなんかしてくれればいいのだが……。

 ジェイドが思案を巡らせていると、壁の向こうから、綺麗な歌声が聞こえてきた。

「〜〜〜〜〜♪」

どうやら、オールイルが歌っているようだ。声が大きいわけではないのに、なぜか耳にすんなりと入ってくる。聞いていると穏やかな気持ちになる。そんな声だった。もう少し聞いていたい、とジェイドはおもう。だが、オールイルの歌はジェイドにも全て筒抜けだが、彼女は自分の歌がこちらの浴場にまで響いているのに気付いているのだろうか。多分、気付いていないはずだ。浴場から出たら、彼女の歌を褒めようかと思ったが、それ聞いたら恥ずかしくなって、次から歌わなくなってしまうかもしれない。しばし思案したあと、ジェイドはこのことは黙っておくことに決めた。歌ってるの聞こえてると分かったら彼女も恥ずかしいだろうし。なにより彼女の優しい歌を、もう少し聞いていたかった。黙って目を閉じると、静かな浴場にオールイルの歌声が響く。毎日この歌が聴けるなら、彼女が多少素っ気なくても、仕方ないな。そう思えるほど、彼女の声は心に響くものだったーー。

 風呂から出て寝巻きに着替えて二十分ほど待っていると、オールイルが出てきたが、彼女の姿にジェイドはしばし、言葉を失った。

 ほんのりと上気した頬に、少し濡れた金髪は彼女に色気を持たせていて、シャツのような寝巻きは薄手なせいで彼女のラインをより強調させる結果となっている。

「出ました」

 見惚れていると、オールイルにおずおずと声をかけられる。ずっと黙っていたので不思議に思われたのだろう。まさか見惚れていたなんていえない。

 ドキドキしつつも、平静を装って部屋にもどるため歩き始めた。相変わらず彼女は後ろから黙って着いてくるが、朝よりも圧は感じない。お風呂に入って機嫌がよくなったのだろう。そう思いながら廊下を歩いていると、向かいの方から一人の青年が歩いてきた。その青年は、こちらを見ると立ち止まる。その顔に浮かんだ怪訝な表情を、ジェイドは見逃さなかった。

「おや、兄さん。こんな夜更けに女の子を連れて相変わらずお盛んですね」

 青年は冷たい目で、吐き捨てるように言う。

 兄さん、相変わらず。気になるワードはたくさんあるが、いまは誤解を解くのが一番大切だ。

「それは誤解だ。彼女は俺の護衛で、護衛をしてもらう以外の関係はないよ」

「そうですか」

 口ではそう言うが、疑念の目をこちらに向けている。明らかに納得していない。

「きみは、名前はなんて言うの?」

 青年は優しく微笑みながらオールイルに問いかける。

「ジェイムズの三女、オールイル・レイナです。お噂はかねがね父から伺っております。ルーゲン様」

「ああ、ジェイムズの娘さんだったのか、これは失礼。私も改めて名乗るとするよ。オールイル・ルーゲンだ。君が護衛をしているジェイドの弟だ。よろしく」

 知り合いの娘と分かって親しみを感じたのか自己紹介を始める。

「こちらこそ、よろしくお願いしますね。ルーゲン様」

「ははは、敬語じゃなくてもいいよ。第一君の方が年上だろ?」

 どこかで聞いたことあるような台詞を言うルーゲン。オールイルは少し驚いたあと

「お気遣いありがとうございます。しかし、アグラニル様に仕えている手前、弟であるルーゲン様に敬語を外すわけには参りません」

 とやんわりと断りを入れた。ざまあルーゲン。

「それもそうだな。こんなやつでも君の主人だものな。つくづく君も大変だな、なにか困った事があったら俺に言ってくれ。私が何とかしよう」

ーーこんなやつ言うな。

「はい。なにかありましたらすぐに相談させてもらいますね。これから先なにがあるのか分からないので」

 と言ってオールイルはチラリとこちらをみる。失礼な、何もするわけないじゃないか。まあ興味ないと言えば嘘になるが……。

「ああ、ぜひ頼ってくれ」

「はい」

 そう言ってオールイルはルーゲンに笑いかけた。自分に向けられたものではないが、彼女の笑顔は綺麗で、目が離せなかった。それはルーゲンも同じだったようで、少し顔が赤くなっている。

「で、では私は失礼する」

 顔を手で隠しながらルーゲンは足早に去っていった。

「あ……」

聞きたいことが色々あったのだが、呼び止める間もなく行ってしまった。

 ていうか絶対照れてただろ。当の本人であるオールイルにははてなマークが浮かんでいる。天然が一番恐ろしい。

 部屋に着くと、オールイルがみているのも構わずベッドに倒れこんだ。ボフッと音を立てた後柔らかい感触が全身を包む。

  オールイルをみると、彼女も床に正座で座っていた。

「今日も一日疲れたなあ」

「……お疲れ様です」

 一拍遅れてオールイルが答えた。

「え?」

 まさか返事をするとは思わなかったので、素っ頓狂な声が出てしまう。

「お疲れ様ですと言ったんです。それとも、私がお疲れ様ですと言うのがそんなに珍しいですか?」

 そうオールイルはジロリとこちらをみながら言うので、慌てて取り繕う

「いや、そういうわけじゃないけど……」

「ならいいんです。それとあなたに話したい事があります」

 真剣な顔をして、彼女がこちらを見てくる。

「どうした?なにか不都合があったか?」

「今日のことについてです。護衛という立場であるのに、寝てしまいアグラニル様の命を危険に晒してしまって、申し訳ありません」

  そう言って彼女は深々と頭を下げた。突然の出来事に、ジェイド は動揺するが、我にかえると

「オールイル、そんな土下座なんてしなくていいよ。何もなかったんだし」

 顔をあげた彼女は驚いた顔でこちらを見ていた。しかし自分が納得しない。という表情を浮かべると

「ですが……」

 彼女はなおも食い下がった。しかし自分としてはそんな攻める気もない。嫌々ながらも引き受けてくれたのは彼女に感謝すれど、叱る必要などない。むしろ嫌なはずの任務なのに、遂行できなかったことを謝ることから、彼女の真面目な性格が伺える。

「今日は馴れない環境で疲れたんだろ?眠くなるのはしょうがないさ。それより、今も疲れてないか?」

「疲れては、いませんが……」

 オールイルは驚いたようにこちらをみている。そんななあなあで許してもらっていいのか、といったところだろう。会った時から思っていだが、彼女は感情が顔に出るタイプのようだ。考えがすごく分かりやすい。

「ならよかった。明日からもよろしく。はいこの話は終わり」

 少々強引だが話を打ち切ってしまう。オールイルは少しモヤモヤが残るようだが、何も言わずに黙って引き下がってくれた。

 再び部屋に沈黙が流れる。しかし昼よりは幾らか空気が重苦しくなくなった気がするのは、気のせいではないだろう。あとは寝るだけだがまだそんなに眠くないので、明日の魔法の練習に役立つかと魔術基礎の本を読むことにした。

「あ、俺は本読んでるから、眠くなったら言ってくれよ。電気消すから」

「…………あ……はい」

 すぐに返事がなかったが、無視というよりなにかを考えていて遅れたような感じだった。

ーーまあ俺が気にすることでもないか。

 切り替えて本を読み始める。

 十ページほど読み終わって、次のページをめくろうとした時、ほんのりといい匂いが鼻腔をくすぐった。香りの正体を確かめようと本から顔をあげると、オールイルが自分の近くに立っている。手にはロセオの盤を持って

「……ロセオ、教えてくれるんですよね……?」

 小さな、けど聞き取れる声で彼女は問いかけた。少しの不安を混じった声で。

 考えるまでもなく、返事は決まっている。

「もちろん!!」

 嬉しそうな顔で、ジェイドは快諾した。

ご拝読、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ