1.記憶を失った王子 ジェイド
この小説を開いていただき、ありがとうございます。
12話で一区切りとなるので、読み進めていただけると幸いです。
ーー目が覚めると、彼はベッドに寝ていた。
知らない天井、知らない灯り。ここはどこかどうかも分からない。意識がハッキリとすると同時に、彼は全身に鈍い痛みが広がっているのに気づいた。
「ジェイド君。起きたんですね」
彼の耳に入ってきたのは、聞く者をほっとさせる、優しい声。
――俺に話しかけているのか。
体は思うように動かない。なので彼は視線だけを動かしてそちらを見る。
ベッドの横の椅子に座っていたのは、赤い髪の女の子。整った顔立ちもそうだが、目を引いたのは、その瞳だった。右は蒼、左は紅のオッドアイ。
「どうしたんですか?そんな驚いた顔して」
女の子は俺を見て不思議そうな顔をしている。なんでそんなに驚いているんだろう? と。
でも彼もなぜ彼女に驚かれているのか分からない。少なくとも彼女に見覚えが無かったし、彼は、自分が何者かさえも分からなかったのだから。
「俺は……そして君は誰だ?」
「……っ!!まさか、記憶を……」
どうやら彼女は知り合いだったようだ。こんなに可愛らしい子なら大歓迎だと、彼は思う。
「ジェイドくん。とりあえずガルド様を呼んで来ますから、安静にしていてください」
「わ、分かった」
――記憶にはないが、俺の名前はジェイド、と言うらしい。
しばらく待っていると、彼女は、一人の男を連れてきた。
「ジェイド、目が覚めたか!よかったぞ」
「あ、どうも」
その返答に対して、男ーーガルド? が目を見開いて驚いた顔をしている。
「ジェイド、お前、私のことを、覚えてないのか?」
「……うん」
記憶を探ってみたが、誰かも分からない。
「メルリア、やはり……」
「そうですね……事故の後遺症かと……」
どうやら俺は事故にあって怪我をしていまに至るらしい。自分の名前も、素性も、目の前にいる人達も何一つ分からない。
「ええと、あなた達は……」
その言葉を聞くと、二人とも悲しそうな顔をする。そんな顔をされたら胸が痛むが、なんせ分からないのだ。どうしようもない。
「お前の名前はエイドバック・ジェイド。この国ーーエイドバック王国の王子だ」
ーー俺は……ジェイドは、王子だったようだ。全くピンと来ないが。
目の前の男ーーガルドは言葉を続ける。
「そして私はエイドバック・ガルド。お前の、父親だ」
「俺の……父さん……」
ガルドは彼――ジェイドの父親だった。と言っても相変わらずピンと来ない。
「私はナルカフィーレ・メルリア。あなたの家庭教師です」
目の前の可憐な少女はジェイドの家庭教師だった。
「ごめん、全く思い出せないんだ……」
そう謝る。
「いや、気にするな。私はジェイドが生きているだけで嬉しいからな」
隣でメルリアも頷いている。
――どうやら話を聞いたところ、俺は城の上から落ちて大怪我を負い、三日ほど昏睡状態だったらしい。当たり前だが、そんな記憶は無い。
ガルド曰く、目が覚めた時に話を聞こうと思ったが、ジェイド自身が事故の後遺症で記憶が無くなったため、事故なのか事故に見せかけてジェイドを殺そうとした者がいたのかも分からないとの事だった。
「今回の事故がお前を殺そうとして失敗した可能性もある。だからこそ、これから先一人で行動するのは危険だ。城内の警備も強化するが、お前の警護を付けようと思う。もちろん治ってからの話だが……」
「理由は分かりました。それで誰を付けるんですか?」
「私がジェイドくんの警護に着きます」
「メルリアか。確かにお前なら一人で充分だろう」
メルリアは見た目に反してかなりの実力を持っているらしい。どっからどう見てもジェイドより年下に見えるが。
「任せてくださいガルド。ジェイドくんには指一本触れさせません」
「それは困るな」
「比喩ですよ」
そういうと二人は笑った。ジェイドは自分を置いて盛り上がるのはいたたまれないのでやめて欲しい、と内心思った。
「ではメルリアさん、よろしくお願いします」
そう言ってメルリアの方を向くと、メルリアは少し驚いた顔をみせた。が……
「こちらこそお願いしますね、ジェイドくん」
そう言ってまたすぐ笑顔に戻った。
「私はやる事があるのでこれで失礼するが、ジェイド、最後にお前に一つ言っておきたいことがある」
「なんですか?」
ガルドは一呼吸置いた後、真剣な顔で語り始めた。
「生きていたら辛いこともあると思う。だから、だからこそ悩んでる事があったら私に相談してくれ。死んだらそこでおしまいだ。お前が死んで悲しむ者はたくさんいるのだから」
いまの時点では真相は不明だが、ガルドはジェイドが自らの意思で飛び降りたかもしれないと思っているのではないだろうか。もしそうだとしたら、ガルドはジェイドに同じ事を二度と繰り返して欲しくないと考えている。ガルドの真剣な表情は、子を思う親の顔をしていた。
「心配してくれてありがとう、父さん」
父さん、と言う呼び方はすんなり入って来ないが、目の前にいるガルドはまさにジェイドの父親だった。
「いやジェイド、俺の事は父さんじゃなくてガルドでいい。誰かも分からない男を父さんと呼ぶのも違和感があるだろう。俺にとってお前は記憶が無くても息子だ。だからこそ、記憶が無いいま、お前に今までの「ジェイド」という人格を強制したくない。いまは王子ではない一人の「ジェイド」として生きろ。その方がお前も楽だろう」
ガルドはジェイドが『父さん』と呼ぶときに違和感を感じたのを読み取った。その言葉はジェイドを心の底から心配し、思いやっている事が伝わってくる。
「分かった。ガルド、今はそう呼ばせてもらう」
「ああ。それと敬語も外していいぞ。他の者に見られて変な勘ぐりをされても困るからな」
「確かに……いや、そうだねガルド」
それを聞いたガルドはうむ、と深く頷いた。
「では私は職務の続きをしてくるとしよう。後のことはメルリアに任せた。また後でな」
そう言ってガルドは部屋から出ていった。
「ではジェイドくん」
「はい」
メルリアからいきなり名前を呼ばれたジェイドは、不覚にもドキドキしてしまう。
「とりあえず、いまは治療が先ですから、ゆっくり休んでください。怪我が治ったら、その分を取り返す勢いで行きますからね」
「はい。と言いたいんですが、何を勉強すんですか?」
「とりあえず魔術と剣術と座学です。と言っても覚えてないですよね……」
魔術はゼロから奇跡を起こすこと、剣術は剣での戦い方、座学は知識などだろうか。知識として意味は分かってはいるが、今までした経験も、魔術と剣の使い方も分からない。
「はい。存在は知っていますが、扱い方などはさっぱり……」
「なるほど、いままでの記憶と経験を忘れているのですね。けど言語を話せて、単語なども理解できる」
「そうですね」
「分かりました。じゃあ怪我が治ったらまずはこの世界について学びましょうか。エイドバック王国と言われても、どこにあるかも、その歴史も分からないでしょう?」
「はい、全く……すいません」
「謝ることはないですよ!これから少しずつ思い出して行けばいいんですから。とりあえずいまはゆっくり休んでください。あ、それと、分からないことがあったら私に聞いてくださいね」
「分かりました。ありがとうございます。メルリアさん」
「そんな他人行儀じゃなくて、メルリアでいいですよ。それと敬語もいらないです。敬意があれば話し方なんてどうでも……けど、敬意がない時は許しませんけどね」
そう言って軽くウインクする。そのしぐさと表情から、ジェイドは彼女が彼の気分を和らげようと冗談を飛ばしてくれたのだと分かった。
「ああ、常に敬意を持って接するよ」
ご拝読、ありがとうございました。