喪失
「そそそそ、そっちは、どぉぉーーだい?」
「こっちは、もうねぇーよ! 次いこーぜ!」
俺はあれから、以前、変態ババアのマンションを飛び出して野宿した時に公園で出会った、ホームレスのオッサンと供に暮らすようになった。
そう、あの吃音の激しい、頭の弱そうなオッサンだ。
……もう、どうだって良かった。
なんにも関係ない。
とにかく、現実から逃げ出したかった。
放心状態で、悲しみに打ちひしがれ、心ここにあらず。
当時の俺は、そんな状態だったらしい。
オッサンは何も言わずそばにいてくれたり、ショックを受けている俺に、オッサンなりに優しく接してくれた。
酷く塞ぎ込んでいる俺を、元気づけようとしてくれたりしたのだ。
本当は、あの時、俺は死のうと思っていた。
父さんと同じように、公園で首でも吊ろうかって考えていた。
でも、鬱々とする俺を、オッサンが思いとどまらせてくれた。
オッサンが引き止めてくれなかったら、俺は今頃、死んでいたかもしれない。
俺は、公園で寝泊まりし、空き缶を拾い集めて換金するホームレスの一員になった。
時には炊き出しに並んだり、ボランティアの人々に食事や衣類などを恵んで貰う。
俺は、親身になってくれたオッサンと行動を供にした。
その公園には、他のホームレスたちも数多く居た。
俺が『オッサン』と呼ぶホームレスのオッサンは、他のホームレスたちからは『ササキさん』と呼ばれていた。
でも俺は、他のホームレスのオッサンたちとはなるべく馴れ合わず、ササキのオッサンとだけ会話をしたり、一緒に行動した。
なんとなく、心を許せるのは、ササキのオッサンだけだったから……。
他のホームレスたちは、大人のズル賢さみたいなのがあって、少し苦手だった。
だけど、ササキのオッサンだけは違った。
思いやりがあって、温かくて、ほのぼのしていて、いつも笑っている事が多かった。
一種の、俺の命の恩人みたいな人でもある。
オッサンは、知能が遅れているように見えた。
失礼かもしれないとは思ったが、どうしてそんな風なのか疑問だった。
だから、尋ねてみた事がある。
するとオッサンは、自分の身の上話をしてくれた。
どうやらオッサンは昔、交通事故に遭ってしまい、一命は取りとめたものの、後遺症で言語障害と知的障害と記憶障害のようなものが残ってしまったらしい。
だから言葉がどもったり、頭が良くなかったり、過去の記憶が一部抜け落ちていたりするのだ。
「オオオオ、オイチャンはなぁ、昔ぁ、おお、大金持ちだったんだど! 男爵さまだったんだ! 今はスッカラカンだけどなぁ! ヒヒヒ!」
「嘘くせぇー」
「むむむ、娘も、みんなが、かか、可愛いって、評判の、とと、とんでもねぇゼッセーの美少女だったんだどぅ!」
「いやいや、俺が好きだった、コンビニで働いてたカワイ子ちゃんにはかなわねぇと思うぜ?」
オッサンが言うには、昔は大金持ちで、会社を経営していて、運転手付きのリムジンに乗っていたらしい。
娘は、とてつもない絶世の美少女だったとか何とか……。
まぁ、本当か妄想かは確かめようがないが……。
オッサンは、歯も虫歯だらけで何本も抜け落ちており、吃音も含めて、何を言っているのか聞き取りづらい時もあるが、その喋り方はどことなくファニーで笑えるし、何より、オッサンは愛嬌があった。
これから俺は、オッサンと一緒に、世間から少し離れた場所で生きていくんだ。
それでいい……。
それでいいんだ。
※※※※※※
オッサンとのサバイバル生活は楽しかった。
公園の中にテントを張り、毎日、空き缶回収をして生活をした。
俺は、オッサンのテントに一緒に住まわせてもらった。
そのテントは狭かったが、オッサンが俺のためにテントを広く拡張してくれて、ボランティアの人から貰った毛布に包まって寝た。
今までの俺は、本当に何処にでもいる“普通の高校生”だったが、まさか、ホームレスになるなんてなぁ。
昔はホームレスたちを見ると、『汚い』とか『臭い』とか『落ちこぼれ』なんてイメージを持っていたし、同じ人間なのに、同じ人間じゃないような目でホームレスたちを白い目で見下していた。
でも、実際になってみると意外と楽しいもんだ。
なんでもないような些細な物が意外と使えたり、こんな風に使ったりできるとは……なんて驚いたり。
毎日、発見の連続で興味深かった。
まぁ、辛い事もいっぱいあるけどな……。
世間から逃げ出したかった俺にとっては、良い居場所だった。
世間から少し離れた場所に居ると、今までは見えなかったモノが見えてきた。
今まで普通だと思っていた、せわしなく出勤するサラリーマンたちの群れ。
あの黒づくめの群れが、ロボットのように異様なモノに見えてくるのだ。
いや、ホームレスの俺たちのほうが異様だが。
だけど、機械で動いているような無機質な人間に見えてくる。
誰かに操られているようだ。
何のために、そんなに必死になって働いているのだろうか?
そんなに働く事は重要なんだろうか?
何をそんなにカリカリしているんだ?
その背中には何を背負っている?
もっと力抜けばいいのに。
俺らみたいに、もっとゆるやかな生き方もあるのに。
同じ高校生だった子たちも、四六時中スマホをいじっていて、駅でも、公園でも、道を歩きながらも、どこでもいつでも画面とにらめっこ。
以前の俺も同じようなモンだったのに、何故だか不思議と、情報とマシーンに支配されている俗物に見えてくるのだ。
何がそんなに楽しいのか?
ソレって今やるべき事か?
イイネされる事だけが生きがいか?
誰に認められたいのか?
リアルの世界の家族や友達じゃないのか?
承認欲求なんて本当に欲しいのか?
ディスプレイの画面ばかりじゃなくて、今そこにある景色、空気を楽しもうぜ。
目ぇ悪くなるぞ。
ちなみに、俺のスマホは、変態ババアのマンションを飛び出してから、約一ヶ月で使えなくなった。
きっと変態ババアが解約したのだろう。
まぁ、それでも、Wi-Fiスポットが使える場所では使えたから、いろいろ分かんない事とか、行われる炊き出しの場所や時間とか、地図アプリを使ったり、ネットで検索したり、オッサンの役にも立てたけどな。
新しい俺の居場所。
オッサンとのホームレス生活。
しかし、そんな居場所もなくなるなんて……
俺はこの時、思ってもみなかった……。
※※※※※※
ホームレスになって、ササキのオッサンと一緒に暮らし始めてから約二ヶ月が経った。
──ある夜の出来事。
22:26
「オッサン、そんなに酒飲むなよ」
「いいい、いいじゃないかぁ。おおお、お前も飲むかい?」
「いらねぇよ。……あんまり飲むんじゃねぇーぞ」
この日、オッサンは、空き缶回収で換金した金でウイスキーを飲んでいた。
久しぶりの酒だった。
まったく……こんなに酔っ払って、どうしようもねぇな……。
なんか酒を見ると、死んだ父さん──いや、本当の父親ではないが──を思い出すんだよなぁ。
あぁ、嫌だ嫌だ。
思い出したくねぇ。
オッサン、根は良い人なのに……酒なんて、ロクでもないモン飲むなよなぁ。
「ちちちち、ちょっくら、よよ、酔いさまじでくどぅど」
「おう。オッサン、気をつけろよ」
オッサンは、酔いを冷ますため、よろよろとテントから出て行った。
立ちションでもしに行ったのだろう。
しばらくすると、外が騒がしくなっていた。
テントの隙間から顔を出してみると、無数の人影がぼんやりと闇に紛れて見えた。
何か荒々しい言葉が飛び交っている。
普通の状態じゃない。
俺は、テントから外に出た。
もしかしたら、オッサンが何か厄介事に巻き込まれているのか?
他のホームレスたちと言い争っているのかもしれない。
でも俺は、オッサンとしばらく過ごしてきて、そういうトラブルにオッサンが遭っていた事は今までなかった。
酔っ払っているせいか?
その人影のほうに行ってみると、オッサンが若い集団に囲まれていた。
高校生や中学生らしき少年ばかりだが、いかにも柄の悪い奴らだった。
な、なんだっていうんだ!?
オッサンが何かしたのか!?
ただならぬ状況。
俺は集団のもとに急いで駆け寄り、オッサンを呼んだ。
「オッサン!!」
「ナンだ、テメェ!! あぁッ!?」
集団のリーダーらしき少年が俺に近づく。
「な、なんだよ、お前ら! オッサンが何かしたっていうのか!?」
「プ、プププーーーッ!! なぁーんにもしてねぇーよ! この汚ねぇジジイはな、今夜の俺たちのイケニエなんだよ! おい、お前ら、ヤれッ!!」
オッサンが集団に暴行され始めた!
「いいいいい、痛いど! ぐふぅ……やめてくで!」
「おい、お前ら!! やめろッ!!」
オッサンを助けようとする俺を、リーダーらしき少年が抑えつけた。
「ナンだよ、ヤらしてやりゃー良くね? 俺らさぁー、すっげぇームシャクシャしてんだよ」
「ふざけるなッ!!」
「オメェもイケニエになりてぇのかよ!? なら、ヤってやるぜ!! ギャハハハッ!!」
俺とオッサンは、中高生らしき少年の集団にリンチされた。
集団の人数は十人くらいは居た。
中には、メリケンサックやバットやサバイバルナイフを持っている奴もいた。
少年ばかりだからって、敵うわけがねぇ……。
オッサンを守ろうと必死に戦ったが、途中、俺は背後から頭を何かで強く殴られて意識を失った……。
※※※※※※
漆黒の闇夜の中、俺は意識を取り戻した。
どれくらい意識を失っていただろうか?
意識を取り戻すとともに、俺の全身に激痛が走った。
「痛てぇ……なんだよ……最悪だ!」
オッサン?
オッサンは何処だ!?
そばに、オッサンの姿が見当たらない!
しばらく広い公園の敷地内を探し回った。
15分くらい探し回った時だった。
オッサンは、公園の中の草むらの中に血まみれで倒れ込んでいた。
「オッサン、大丈夫かッ!?」
返事が無い。
オッサンの顔はボコボコに腫れ上がっていて、黒がかった紫色に変色し、頭からは大量に血を流していた。
全身を殴打され、ところどころ切りつけられていて、ボロボロの状態だった。
俺は、倒れているオッサンの背中をかかえて起こした。
顔を近づけてみる。
……息が、無い!!
脈を取ってみる。
脈拍が無い!
オッサンの胸に耳を当てて、心臓の鼓動を確認する。
心臓が動いていない!
俺はテレビでの見よう見まねで、必死にオッサンに心臓マッサージと人工呼吸をした。
しかし、何度やってみても、オッサンの息は戻ってこない!
嘘だろ!?
なんでだよ!?
オッサンが何をしたっていうんだよッ!?
「チクショーーーーーーッ!!」
オッサン……
目を開けてくれ……
嫌だ……!
一人にしないでくれ……!
俺を置いていかないでくれ!!
もう一人は、嫌だ!!
俺の中に、憎しみと悲しみが同時に込み上げ、臨界点を突破した。
頭が正常に働かなくなり、何もかも訳が分からなくなった。
徐々に目の前が真っ暗になり、とてつもない絶望感に襲われる……。
夜が明けるまで、俺は、ずっとオッサンのそばに居た。
「オッサン、朝が来るぞ……。また、空き缶、集めなきゃな……」
オッサンが、返事をしてくれるわけがない。
だって、もう呼吸をしていない。
「なぁ……オッサン……なんとか言ってくれよ……じゃないと、俺……俺……」
返事はない。
心臓も止まっている。
もうオッサンは……死んでしまった。
そうだ、あの連中に、殺された。
涙が血と混じり、頬を伝う。
鉄分の味がした。
「気持ち悪りぃ……」
月が沈み、やがて陽が昇り、朝がやってきた。
朝陽に照らされ、何かがキラリと輝いた。
定期入れのような物が、オッサンの死体のそばに落ちていた。
それは、学生証だった。
パラリと中を開いて見る。
昨夜の集団のリーダーらしき少年の顔写真が載っていた。
───桃が丘高校 一年生 清水秀史───
学校名、氏名、住所が載っていた。
よし、決めた!
復讐だ!
俺は、オッサンの仇を討つ!
刑務所なんて怖くない!
もう、なんにも関係ねぇ!
俺は、コイツとコイツら集団を皆殺しにするッ!!