ホームレスのオッサン
5:20
俺は公園で一夜を明かし、眠りから目覚めた。
空は、もう白み始めていた。
……寒い。
初夏とはいえ、やっぱり朝は冷えるなぁ。
俺はベンチに座り、ブルっと体を震わせた。
「にににに、兄ちゃん、そそそ、それ、ももも、貰ってもいいか?」
誰かが話し掛けてきた。
声のする方向へと振り向くと、そこには髪が長くボサボサで、髭だらけの汚らしいオッサンが立っていた。
初夏だというのに、そのオッサンは、何故か小汚いコートを着ていた。
さらに毛布まで肩にかけている。
オッサンの話す言葉は、かなりどもっていた。
ホームレスだろうか?
「かかかか、缶……空き缶、あどぅだろ? そそそ、それをオイチャンにくでや」
小汚いオッサンは、俺が眠っていたベンチの傍に転がっている空き缶を見つめて言った。
昨日、ここまでたどり着く途中、俺が自動販売機で買って飲み干したジュースの空き缶だった。
「……缶って、このドクペの缶か?」
「お、おうっ! そそそそ、そでをオイチャンにくでや」
「ほらよ」
俺は、空き缶をホームレスのオッサンに手渡した。
きっと空き缶を集め、換金して生活してるんだろう。
……嫌だなぁ。
こんな風になりたかねー……って、今は俺もホームレスみたいなもんか。
はぁ……。
「ああああ、あでぃがとよ」
「オッサン、空き缶、集めてるのか?」
「おおおお、おう。にに、兄ちゃん、オイチャンの事、怖くないのかい?」
「べつに……」
「そそそそ、そうか。小学生くだいの子供は、オイチャンの事、避けてくど?」
「俺は高校生だかんな。チビッコじゃねぇーもん。怖くねぇーよ」
「ヒヒヒ……そそそそ、そうかい。オイチャンも昔はな、子供がいたんだど。ここここ、こうやって生活すどぅ前はな。ちち、小さい頃に別れたけど、いいいい、今は、兄ちゃんくらいにおっきくなってどぅだどうなぁ」
「へぇ……」
「じゃじゃじゃじゃ、じゃあな。オイチャン、空き缶集めてどぅから。ああああ、あでぃがどよ!」
「おう」
ホームレスのオッサンは、空き缶回収に戻って行った。
俺と同い歳くらいの子供がいたのか。
──まさか、あのオッサンが、俺の本当の父さん……んな訳ないか。
もし、そうだったら嫌だぞ!
なんか、頭が弱そうだったしなぁ。
俺は昨夜、変態ババアに言われた事を思い返していた。
俺の本当の名前は、清水武史というらしい。
母さんが、さらってきた子供。
……嘘だ。
嘘に決まってる!
そんなドラマみたいな話、ある訳ない。
そもそも、あの母さんが、子供をさらうだなんて、そんな大それた事をする訳がない!
だって、どこにでも居るような普通の主婦だったんだぞ?
うん、昔の母さんなら、そんな事はしない。
……でも、あの変な格好をして、男を作って蒸発してしまってからの母さんなら、とも思えてしまう。
心の中で、母さんを疑ってしまっている自分がいた。
でも、子供なんて、そんな簡単にさらえるものじゃない。
清水武史が行方不明になった件は、ニュースになったり、新聞にも載ったらしいが……。
それも嘘だろう、たぶん。
でも、なんだか胸がムズムズする。
そうだ、スマホを使ってインターネットで調べてみよう!
この、手のひらに収まる精密機械。
スマホを使えば世界中にアクセスできるし、清水武史の件も本当か嘘かが分かるかもしれない。
……このままムズムズするのは嫌だ!
早くスッキリしたい。
俺は、スマホで検索エンジンを使い、『清水武史』『行方不明』とキーワードを入力して検索してみた。
すると、すぐに何件ものページがヒットした。
───行方不明の子供を捜しています───
───清水武史ちゃん行方不明───
───清水武史ちゃん誘拐事件か!?───
───神隠し───
清水武史に関する情報が並ぶ。
……嘘だッ!
ネットは、すべてじゃない!
嘘だって混じっている!
ネットに書かれている事が、すべて本当だとは限らない!
しかし、数多くのページがヒットし、あたかも本当かのように思えてくる。
なんだか自分の出生が暴かれるのが怖くて、俺はスマホの画面を直視できなかった。
……ネットは、信じられない。
俺はスマホのGPS機能で、最寄りの図書館の位置を調べた。
俺はスマホの地図アプリを頼りに、一番近くの図書館に向かった。
※※※※※※
図書館に到着した。
わりと大きな図書館だった。
さっそく、清水武史が行方不明になった当時の新聞の記事を調べてみる事にする。
膨大な本の量だ。
調べるのに時間がかかるだろうと思い、俺は図書館の司書の男に声を掛けた。
「あの、清水武史っていう子供が行方不明になった件を調べてるんですけど、当時の新聞記事ありますか?」
「あぁ、この辺じゃあ、その事件、有名だよ」
「この辺?」
「この市内で行方不明になった子だったんだよ」
嘘だろ!?
清水武史は、本当に行方不明になっていたのか!?
それも、この近くで!?
「ほら、今でも親族の方は熱心に捜しているんだよ」
そう言って、司書の男は、受け付けの近くにあるクリップボードのほうを指差した。
そこには、幼児の男の子の写真が写ったビラが貼ってあった。
──清水武史を捜しています──
そう、書かれていた。
居なくなった当時の服装や、姿の特徴、どの辺りで居なくなったか、情報提供先など、こと細やかに書かれていた。
この写真の男の子が……俺……なのか?
どこか俺の顔と似ている気もしたが、信じられない。
「生きていたら、今は高校生くらいだろうねぇ。でもねぇ……もう随分、昔の事件だしねぇ。親族の方々は今でも熱心にビラ配りしたり、ネットで武史ちゃんのサイトも作ってるけど……正直、こんな事を言っちゃあ不謹慎かもしれないけれど、もう生きてはいないと思うよ」
「……もし、生きていたら?」
「そりゃあ、奇蹟だねぇ。う~ん、一応、当時の記事のある場所、調べてみたけど、見てみる?」
「……はい」
司書に、当時の新聞の記事のある本棚を教えてもらった。
本を開く。
すると、本当に清水武史という子供が行方不明になってしまった記事が出てきた。
あぁ、本当だったんだ……。
やっぱり清水武史は、本当に行方不明になっていたんだ……。
変態ババアの言っていた事が事実で、もし、俺が清水武史本人ならば、父さんと母さんは、俺の本当の両親じゃなくなる。
何故か、清水武史という名前が懐かしく感じる。
「タケシちゃん、タケシちゃん」と誰かが呼ぶ声がどこからともなく聞こえてきて、頭の中で反響する。
……俺は、清水武史、なのかもしれない。
でも、もうどうだっていい……。
これが真実でも、嘘だったとしても、結局、俺は、すべてを失ってしまった事に代わりはないんだ。
両親も、帰る場所も、何もかも、失ってしまった……。
涙が込み上げてきて、ぼろぼろとこぼれ落ちた。
こんなに自分が不幸で哀れな人間になるとは思ってもみなかった。
自分の立場を再確認すると、やるせない気持ちになる。
──俺の中で、完全に“何か”が終わりを告げた。
もう、どうなったっていい。
そんなに強い男じゃねぇよ……。
今まで、何不自由ない平々凡々な毎日を送ってきたんだ。
それなのに、こんなにいっぺんにいろんな事が起こって、頭ん中グシャグシャだ……。
もう……、いいんだ……。