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私の投影シャッター

作者: 白金 ひよこ

 いつもと同じ景色。いつもと同じ時間。

 自転車を漕ぐスピードも、私を置き去りにする景色も、何も変わらない。なぞって繰り返すだけの毎日。

 だけど「つまらない」なんて零した私は、何も変わらないと思っていた毎日の中に、絶対に同じものなんて一つもないものが私の真上に広がっていることを知らなかっただけなんだ。


 それは、ふと。上を見上げた瞬間。


「う、わぁ……」


 息を、飲んだ。


 水色、黄色、オレンジ、赤、紫、青……。

 私の真上から世界の一番向こう側まで、見事に広がっていたグラデーション。その色を包みこむように、左右に大きく開いた白。グラデーションと同じように染まっていきながらもそれは大きな翼のようで。そしてぽっかりと空いたその中心に沈んでいく、丸いオレンジ。


 そこには私の見たことのない世界が広がっていた。


「しゃ、写真! 写真撮らなきゃ……」


 横断歩道を立ち漕ぎで通り過ぎて、人気のない場所で急いで自転車を降りてカメラを構えた現代っ子。

 しかしその時には既に向こう側が家に隠れて見えなくなってしまっていて。咄嗟に振り向いた後ろでは青が赤に変わっていて、車が私の道を塞いでいた。


 私はもう一度自転車に跨った。そして上に時々視線を向けながら、もう一度あの景色が見えるところまで行こうと漕ぎ出した。


「ああ、ここも駄目だ。どうしよう、もう暗くなっちゃう……!」


 駅から家まで。毎日毎日毎日、飽きるくらい通っていたはずなのに、私はあの空を一望できる場所を一つも知らなかったことに今更気づいた。何でも知っているつもりでいた。変わり映えのないこの景色が嫌いだった。知らないところに行きたかった。なのに私は今その見慣れたはずの景色の中で、知らない場所を探している。


「はぁっ、はぁ、」


 やっとのことで見つけた、そこは知らないマンションの屋上。一軒家ばかりのこの場所で、一番高そうに見えたのはここだったのだ。私は自転車を投げ捨てるように置いて階段を駆け上がった。汗の滴る額の奥には、まだあの景色が残っている。


「……着いた、けど……」


 私が生まれ育った町。飽き飽きしていたはずの景色。その空を一望できるその場所。今まで一度だって目を向けたことなんてないくせに、今更そんなことに気がついたくせに、その時になってそれがあの一瞬しかなかったのだと知った。


「……」


 風の強い日。気がつけばもう30分も自転車を漕いでいた。とっくに家に着いていたはずの時間を知らないマンションの屋上で呆けて、私はあの時の光景を噛みしめるように、ただ暗くなってしまった空を見ていた。


 どれくらいそうしていただろうか。オレンジの色がなくなってきた頃、風の音だけが聞こえてくる中、私は流れるようにスマホのカメラを開いて空に向けた。


 パシャッ。


「……なんか違うな……」


 無機質な音が流れて、私は溜め息を吐いた。

 さっきとは違う空でも、今見上げている空だって普通に綺麗だ。だけどカメラのレンズを通して映し出されたそれは、どこからどう見ても私の目に映っているそれとは違っていて。


「そっか……どっちにしろこれ(スマホ)じゃ駄目だったんだな……」


 服が汚れるのも気にせずその場に座り込んだ。いつの間に汗が乾いたんだろうか。そんなことを思いながら、私は無造作にスマホをポケット投げ込んだ。


 きっとこんなものでは残せないのだろう。私があの時見た景色は。こんなものを通してしまっては、私があの時感じた感動は伝わりはしないのだろう。

 そもそもあの時、空を見上げて馬鹿みたいに口を開けた私は、何のために自転車を漕いだんだろうか。こんな小さな機械に残すため? もう一度あの景色を見るため? 私はあの感動を永遠に残しておきたかったのだろうか。それとも、誰かに見て欲しかったのだろうか。


「……帰るか」


 暫くそうして座っていたが、私は冷たい風を肌に感じて漸く立ち上がった。置き去りにされた自転車に跨って、いつもとは違う道を通る。

 そうして家に着くころには太陽は完全に沈んでいて、当然私はお母さんにこってりと絞られた。そんなんだから今日見たあの感動もちょっとしたあの冒険も伝えることは出来ず、結局「明日も学校なんだから早く寝なさい」と言われて自室に向かった。……今思えば母に何か言葉で伝えられることでもなかった気がする。そんなことを思いながら私は自分のベッドに沈み、そのまま珍しくスマホを開くことなく床についた。




「行ってきまーす」


 いつもと同じ景色。いつもと同じ時間。

 自転車を漕ぐスピードも、私を置き去りにする景色も、何も変わらない。なぞって繰り返すだけの毎日。

 だけど私はあの日真上に広がっていたもの以外にも、同じではないものが毎日の中にあるということを知っている。


「あ、猫」


 あの猫は初めて見たなぁ。大きな三毛猫。尻尾がちょっと狸みたいで面白い。あれ、近くもう一匹。一回り小さい白猫だけど、もしかして兄弟かな?

 猫達のいる駐車場に停まってる車、凄い凹んでるけど事故でも起こしたんだろうか。あ、その脇に咲いている花も、初めて見たなぁ……。

 そんなことを頭の片隅に、私は慣れたようにちらりと上に視線を向けた。うーん今日はちょっと、違うかな。残念。


「おっと、青だ」


 慌てて自転車を漕ぎ出した私は今日も手元に残らないシャッターを押す。同じ明日なんてないから、今日見つけた瞬間だけを永遠に残しておくのだ。だけどそれは誰かに見せるためでも、ましてや自分がもう一度見返すためでもない。それらは全部、私の心の中にだけ残れば良い。

 ああ今日の空は曇りだけど、明日の空は晴れればいいな。

 賛否両論あるとは思いますが、誰が何と言おうとこれは「エッセイ」です。

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