第七話 ご意見の行方
その日も、遥は課室ごとに仕分けされた郵便を文書担当者から受けとり、室内に配布するという業務に邁進していた。
前任宛に届いたり、親展だったり。内容も時候の挨拶、シンポジウムの案内、学会の開催案内など様々だ。
今日は中でも分厚いA4サイズの封筒が目に留まった。宛先は鳥越。下手をしたら厚さは2cmくらいある。
「…これ、なんですか?」
お仕事モードの鳥越は、表情の余り出ない無愛想な顔を僅かにしかめて、こう返事した。
「国へのご意見ですね。」
***
「国へのご意見」については、いろいろなやり方がある。
オフィシャルなものとしては、パブリックコメント、官邸や内閣府などが実施する類型等を限定した上での意見募集等がある。モノにもよるが、少なくとも局長くらいまで了解をとって回答するものだ。
次いで、各府省のご意見募集系。こちらは内容が多岐にわたり、基本的には既存の制度で解決するものが多いためそこまで上のほうには相談しないことも多いが、個別事案についてのアドバイスや、場合によっては地方の担当者まで連絡して解決を図ることもあり、記録もきちんと残す。
最後に、代表電話へ電話してきたり、手紙を送ってくるタイプ。人によっては各課室まで訪問してくる強者もいる。基本的にはきちんと対応するが、フォーマットがないだけに、対応する人によって対応が分かれたり、特に電話や訪問の場合は担当者が不在だったりして、言った(出した)人にご不満が残ることが一番多い類型である。
これ以外に、行政裁判などもあるが、こうなると完全に敵対関係となるため少し場面が異なることになる。
「わーお、またすごいの来たねー。誰からー?」
「村瀬さんです。」
「あー、あの人かー…」
村瀬氏は、電話の常連さんとなっている一人だった。電話に出た途端に怒鳴る、担当者がおらず、一時間以内に折り返しがないと「軽視された」と30分に渡って説教する、こちらに口を挟ませずに二時間語り続ける、となかなかに強烈なキャラクターである。基本的に対応の窓口は鳥越だが、「上司を出せ!」と言われて木村が応対したことも少なくない。出た途端に「なんだ、女か。話にならん。」と吐き捨てられた、とは、結局30分ほどご意見を拝聴していた木村の言である。
「実際、同情すべき点もあるんだけどなー。これ、地元が初動に失敗した感だよね。」
「そりゃそうなんですが、その尻拭いをこっちに持ってこられても…」
「地元にはうちより更に頻繁に行ってるんじゃない?んで、なんだって?」
「電話で説明しても分かってくれないから、現場の図と解説を送ってくれたそうです。…図も解説も手書きです。全部でA3の紙が40ページくらいあります。」
「わー。どうしよう。」
「…棒読みですね、補佐。」
「同情はするけど、どうしようもないもんなぁ。問題は一応解決していて、あとは感情面、ってか振り上げた拳の下ろしどころがなくなった感じだよねー」
「解決したというのが、村瀬さんの思った方向と違ったというのが原因でしょうが…」
村瀬氏が問題としているのは、ちまたでよく指摘されている法律の不具合である。確かに彼が問題にしている方向からは不具合なのだが、一応存在理由はあって、社会全体として見るとその条文がないと立ち行かないため、現場が柔軟に解釈したり、適用したりしなかったりしてとりあえずなんとかしている、というのが実態だ。むしろ、うまくなんとかしてしまっているが故に、改正しようということにならない、ということでもあるが。
村瀬氏の件は、そんな法律の隘路ともいうべきスポットにはまって運悪くトラブルとなった挙げ句、関係者が引っ越しや離職等で現場から離れたことで一応の解決は見たものの、どうしても本人が納得いかない、という類いのものだった。
「まぁ、これがあるから法律変えましょう、ってことにはならないよねぇ。」
「社会として見れば必要な条文です、とは言ってるんですが…」
「納得はいかないよねぇ。」
「もう10年近くになるそうですから…」
そんな時、木村の席の電話が鳴る。遥は素早く取って、木村に取り次いだ。
「木村さん、大臣室から電話です。」
***
大臣室のゆっきー君(例によって木村の後輩。正式名称、前原幸紀課長補佐)からの電話によれば、今回村瀬氏は大臣の個人事務所にも投書をしており、そちらで大臣の目に留まったとのことだった。
村瀬氏が大臣の選挙区の人間で、書いてあることも(見た目はなかなかに強烈だが)理不尽でないことが効を奏したらしい。
「てことなので、大臣としてはきちんとこれに対応したい、と。ただ、この条文については定期的に話に上がっており、改正せよという主張が無理筋であることは理解している。大臣としては、『ご意見はありがたく頂戴し、今後の行政に役立てたい』というトーンでいいので返事をしたい、ついては担当部署に返事の下書きを頼みたいとのことです。」
「ふーん。で、ゆっきー様、これ大臣レクいるの?」
「いえ、秘書官止まりで。秘書官から隙を見て話を入れるそうです。」
「はーい。りょーかい。書いたら送るー」
ゆっきー君の指示(?)を受け、鳥越と木村のペアで話し合いながら文面を詰め、喬木、それから局長に確認をとっていく。その作業は流れるようで、遥は鳥越にふと聞いてみた。
「鳥越さんは、こういうの慣れてるんですか?」
「そうですね。少なくはないです。」
鳥越によると、前の部署ではもっと頻繁にこういった対応があり、ときに強面の方が見えて警察を呼ぶ寸前まで行ったこともあるという。親の敵を見るような目で見られたことも多々あり、「世のため人のために、少しでもいい社会に」と思って仕事をしてきたのに、と心が折れかけたこともあったそうだ。
「その前には、訟務の担当をしていたこともあります。答弁書を書いたり、代理人として裁判に出廷したり。知ってますか?弁護士以外で法廷に代理人として出廷できる、数少ない例外なんです。」
「…ご苦労、されたんですね。」
「仕事ですから。」
そういう鳥越は、お仕事モードで例によってあまり表情が読めない。しかし、遥は、鳥越の無愛想な対応に、少しの哀しみが含まれているのを感じていた。
***
鳥越から局長了解版の返答案を大臣室に送り、三日。秘書官経由の大臣レクはつつがなく終わったらしい。ゆっきー君から、「あの文案ほぼそのまま返信したそうです、お疲れ様でした」と班員宛にメールが届いた。
「村瀬さん、納得してくれたらいいねー。」
「どうでしょう。いつも僕が回答するのと同じですから。」
「何を言ったか、も大事だけど、誰が言ったか、も大事だよ?」
「まぁ、そうですね。」
そのとき、外線の着信を知らせる長音の呼び出し音が鳴り、遥は電話を取った。
「…鳥越さん、村瀬さんです。」
「…はい。」
「…がんばれー。はい、チョコ差し入れー」
「…仕事ですからね。」
そういって鳥越は保留を解除して受話器を取った。
遥は晴れた窓の外を見ながら、村瀬氏からの電話を切ったあと、何を話題に鳥越の気分をほぐそうか、あれこれと考え始めた。
実は、全然別のお話を書いていたのですが、どうも流れが悪くて全面的に書き直しました。
リアル多忙と一回分のボツのため、次話は明日じゅうに更新できるかどうか……