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第六話 素敵な彼女の意外な裏側

 

 非常勤職員の朝は、洗い物から始まる。


 課によっても違うようだが、政策推進室では、職員が帰宅前に洗い物かごに入れたマグカップについては、非常勤職員が朝洗って食器棚に返すことになっている。


 次いで、コーヒーポットと電気ポットに水を入れ、簡単にお茶コーナー付近を片付けたら、コピー機周辺とシュレッダー周辺を整理する。自分が不在の残業時に交換となったトナーや、紙の不足などを確認し、必要があれば追加を注文。空のトナー自体は置いておけば業者がトナーを届けに来たときに回収してくれる。


 最後に各自の机の回りのゴミ箱からゴミを回収して朝の用意はおしまいだ。

 自席について、たまったメールの処理をする。そうこうするうちに正職員が出勤し、いつもの毎日が始まる。


 ***

 その朝も、遥は給湯室で洗い物をしていた。


 給湯室には他課室の非常勤職員もいて、譲り合ってシンクを使っていた。給湯室はフロア全体で2つ。5、6課室で1つの給湯室がある計算になる。


 非常勤職員は、秘書を除けばだいたい似たような仕事をしていることが多いため、わからないことがあれば上司に聞くより隣の課で同じ仕事をしている非常勤職員に聞いた方が早かったりする。ちなみに同じ非常勤職員でも、秘書として採用されている職員は仕事の内容が異なる。いずれにせよ、横の繋がりはそのまま仕事の効率化に繋がり、そして朝のこの時間は、社交としてまたとない機会だ。そして、情報収集としても。


「ねね、柳澤さん。聞いた?」


 話しかけてきたのは、総務課のもう1つの室である企画室の非常勤職員である向井だった。遥とは2つ違いの28歳。そろそろ結婚が脳裏にちらつき始めるお年頃だが、この仕事の前はCAをやっていたということに誰もが納得する美貌と洗練された立ち居振る舞いに反し、付き合っている人はいないらしい。最初はお互い敬語だったが、なんとなく馬が合い、一緒に何度かランチや飲みに行った結果、どちらからともなくタメ語で話すようになっている。


「どうかしたの?」

「秘書さんたち、今度は円山さんをハブることにしたんだって。」

「えー。またやってるの?」


 非常勤職員の仕事の暗部、と言っていいだろうか。


 ほとんどが30代までの女性で、ある意味そこだけの世界を構築している……となると、江戸城大奥で出てきそうな問題が発生する。特に局長・次長・審議官・部長と四人の幹部の個室が並んだ幹部コーナーの秘書たちは、お互い毎日顔を付き合わせていることもあってか代々仲が悪く、誰か一人を残りの三人が無視するなど日常茶飯事である。


「しかも今度は佐野さんが主導らしいよ。さばさばして面倒見もいい人なのにねー」

「えー、佐野さんが?めっちゃ気遣いの人だよね?意外すぎ!」


 給湯室にいた他の非常勤職員も交え、ひとしきりその話題で盛り上がった後、さすがに遅くなった、とそれぞれの部屋に戻っていく遥たちだった。


 ***

(それにしても意外だなー、佐野さんが…)


 部屋に戻って事務仕事をしていても、それが脳裏にちらつく。この前飲み会で一緒になった佐野は、向井ほどの美形ではないが愛嬌のある笑顔と、洗練された話術で場を盛り上げていて、遥はちょっと憧れていたくらいだったのだ。


「あれー?はるちゃんどうしたー?」


 そんな遥の様子に気づいた木村が声をかけてきた。


 母になったから鋭くなったのか、はたまた元々周囲の変化に敏感なのか。木村は基本的に能天気系なキャラクターの割に、こういうときによく気づく。本人もわかっていなかった他人の鼻声に気づいて「葛根湯いるー?」とか言っていることもしょっちゅうだ。


 ちなみに、木村はとうとう最近「やなぎさわさん」と呼ぶのが面倒になったとのことで、遥のことをはるちゃんとかやなちゃんとか適当に呼ぶ。木村のこの習性は昔から変わらないらしく、木村の後輩にはよこ(庸子)ちゃんとかぐっちー(原口。ちなみにどちらも現在の役職は課長補佐)とかがごろごろいる。「ぐっちーがこーしろって言うんだよねー、めんどーい」とかラフに言うのでふーんと聞き流していたら、実は仕事でギリギリの交渉をしていたのだったりして、人としてはともかく部下としては微妙にやりづらい。


「うーん、なんていうか、人は見かけによらないものだなーって……」


 遥は今朝聞いた話を「内緒ですよ?」と前置きして話した。個人的に木村と仲良くはしていても、非常勤職員の世界は正職員との世界とは別物だ。タブーとまでは行かないが、よほどのことがなければ木村が介入することは好まれないし、それを期待するつもりもない。彼女もそのつもりはないだろう。ただ、木村が何と言うかに興味はあった。


「へえぇ~。すごいね。女の世界こわっ。」


 それが木村の第一声だった。


「なんか、佐野さんが、ってのがすごく意外で…」

「でも、私そっちはなんとなくわかる気もするけどなー。」

「えっ?」


 木村は何だかんだで男性社会である正職員の世界で働いている女性で、本人もあまり女っぽいところは感じさせない。そんな木村の、佐野を擁護するような発言が意外で、少し驚く。


「無視ってのがいいかどうかとは別だけどさ、円山さん、秘書としては微妙だもん。なんか許せなくなるの分からんではないなー。」

「あー、そういうこと…」

「佐野さんは結構ストイックに秘書としてやってるから、ああいうスタンスが信じられないんじゃない?」


 確かに、佐野はボスのために全身全霊をかけて尽くすという意味で、非常勤職員の給与に見合わないレベルの忠誠心とスキルを持った逸材である。スケジュール管理は当然のこととして、来客への気配り、今すぐボスに話をしたいと無理を言う正職員への対応(そして本当に必要ならすぐに話を通す判断能力)、正職員との付かず離れずの付き合い、どれもそつなくこなした上で、自己プロデュースにも隙を見せず、いつ見ても凛とした姿を崩さない。よくコピー機の前で謎の体操をしていたり、「今日の脳内BGM、延々子供のアニソンメドレーだわー」とか言って下手な鼻唄を歌っている木村より、よほど中央官庁職員のイメージに沿うと言っていいくらいだ。


 対して円山は、年齢不祥ではあるが遥より一世代は上であると思われるものの、この仕事が腰掛けであることを隠そうともしない。気が利く利かないのレベルにも到達しておらず、マニュアルに書いてあることをだらだらとこなしたあとは、来客があろうが、幹部コーナーにある自分の机でネイルの手入れや枝毛探しに余念がない。主な仕事の1つである応対もいつも億劫そうで、遥は密かに「場末の小料理屋のママみたい」と思っていた。お客さんに「もう閉めちゃうから帰ってよ」とか言っちゃう、 中年のママの疲れたような気怠げな雰囲気が色気に通じて一部のオジサマたちから大人気のアレだ。


「まぁ、だからって無視とかは怖いなーって思うけど。女社会のあるあるだよねー。触れたくはないなー。」

「私も苦手です。」

「男の方が場合によっては陰険だったりするって言うけどね。」

「そうなんですか?」

「知り合いの弁護士なんかは、事務所のなかで気づいたら干されてて、事務所辞めざるを得なかったって。どうもボス弁に一回逆らったかららしい、とか言ってたけど。」

「うわ、怖」

「戦争とかだと、しれっと確実に死にそうなところに送り込まれたりだとか?」

「…めちゃめちゃ怖いですね。」

「だからどっちが怖いって訳でもないと思うけど、女社会のほうが実害なくても地味に削られるかな?」

「確かに。」

「そういう話聞くと、佐野さんは女子なんだなぁって思うよね。」


 他人事のように言う木村に、遥は少し意地悪な気持ちになった。


「木村さんは女子じゃないんですか?」

「うーん、無視とかの方向には行かないかもねー。」


 少し困った顔でそう言う木村。


「じゃ、男の発想なのか、というとそれも違うというか、典型的に女性だなって部分もあるし。昔は自分は男っぽいんだと思ってたけど、それも違うかなーって思うし。」


 まぁ、曲がりなりにも(?)20代のうちに恋愛結婚し、子供まで儲けているのだ。頭が完全に男性だったらそんなことにはならないだろう。


「いやいや、お前は中身、男だよ。俺はお前の旦那を尊敬する。」


 微妙に返事に困っていると、豪快な喬木の声が割り込んだ。話しているうちにいつの間にか声が大きくなっていたようだ。


「えー、嘘ー!だって、一応恋愛結婚ですよ?!」

「それはどうだか。」

「ひ、ひどい」

「そもそもお前、「一応」って自覚あるんじゃねーか。」

「うっ。」


 漫才モードに入った喬木と木村の声を聞きながら、遥は少し心が軽くなったような気がしていた。


 ***

 任期満了に伴い、佐野が笑顔で退職していって三週間がたつ。


 秘書の面々は、彼女の代わりに新しく入った峰岸を加え、またいろいろとドラマを繰り広げているらしい。


(佐野さん、どうしてるかな…)


 退職の挨拶に来たとき、彼女はすっきりした顔で「少しゆっくりして自分を探してみます」と言っていた。


 彼女ならどこででも働けるだろう。

 お弁当を持って出た日比谷公園で彼女に似た人を見かけ、遥はどこかで元気にしているだろう彼女に心のなかでエールを送った。


女子あるある。


今回は、お昼頃の投稿にしてみました。

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新連載はじめました。更新は不定期になりますが、よろしければこちらもどうぞ。
「Miou~時を越えて、あなたにまた恋をする~」

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