第五話 有識者委員会
お仕事回です。
基本的には、人間関係とお仕事回を交互にしようかな、と思いつつ。
「はぁ…ちょっと本多さん、いい?」
ため息をついた後、尖った声で木村が本多を呼ぶ。
室内の空気が少しピリッとしたものに変わり、遥は周囲に気付かれないように小さく嘆息した。
***
本多は室の係長の一人。40前後の独身男性で、正職員だが地方の機関から出向で来ている準キャリアだ。経験、年齢ともに上ということもあり、最初は木村も敬語を使っていたのだが、どうも最近そんな配慮をすっ飛ばすことにしたらしい。
そもそも木村が本多に指示を出すようになるまでにもひと悶着あった。
先月までは喬木室長ー大山課長補佐ー本多係長のラインで仕事をしていたのだが、今月から、「行けるっしょ!」という、それだけ見れば課長のノリとしか思えない指示により、木村はそのラインの手伝いという名のお目付け役をさせられている。
このあたり、事務系の準キャリアである鳥越は「課長と木村さんは事務キャリア、室長と大山補佐は技術キャリアだから…」と言葉を濁し、大山は「課長は事務キャリアさんを大事にしたいんでしょ」と木村本人にチクチク言っていたが、木村は「うーんどうでしょうね、関係ないんじゃないですか?人手が足りてないって判断じゃないですかねー」と軽く流していた。
木村本人は「課長は室長とめちゃめちゃ仲悪いからねー、室長から話聞きたくないんでしょー。私の仕事はほぼメッセンジャーだわー」とこともなげに言い、できるだけ喬木や大山を尊重しているようなのだが、課長に他にも何か言われているらしく、有識者委員会に出す資料の構成などを根本的にひっくり返したりは珍しくない。
喬木は表立っては何も言わないが、喬木と大山が話し合って決めたことを格下の木村がひっくり返すことが愉快ではないのは明らかで、このところあまり機嫌はよくない。
ただ、木村が好きでひっくり返しているわけではないことも大人として察しており、雑談などでは普通にしているのはさすが、というところだ。
少なくとも、課長が木村をこのタイミングで投入したのは、その有識者委員会が2週間後に予定されているのに、課長が説明するべき資料の用意が遅々として進まず、たまに大山と本多が出来たと言って説明に行っては撃沈して帰ってきて1からやりなおし、という繰り返しに課長の方が業を煮やした結果、ということは端から見ていても明らかであり、なかなかに危ういバランスで成り立っている最近の政策推進室なのだった。
その微妙な均衡でギリギリの平穏を保っている室内を、更にひっかき回すのが本多だ。
彼は、とにかく会話が成り立たない。
遥の担当している印刷や文書発送などの庶務だけでも、この3ヶ月弱で何度も申請の差し戻しをする羽目になった。
最初はベテラン職員の作った申請書に間違いはないはず、と、文書発送や印刷の部署に言われるままに持っていっていたが、すぐに遥自身で確認するようにした。そうしたものの、同じところを何度でも平気で間違って提出する本多に毎度うんざりする。
本多と打合せている木村も、これではなかなか疲れそうだ。
「本多さん、これさー。何で題名変わったのー?」
「はい。」
「いや、あのね。はいじゃ分からないんだけどね。」
「えっと、あの、えーっと…室長に見せたら「題名が長い」ってことで…」
「うーん、そろそろ私抜きで室長に相談するのやめてほしいんだけど、それ何回言えばいいの?あと題名が長いっていうけどさ、ここで切ったら意味変わるでしょ?」
「はぁ…」
部下になってそろそろ3ヶ月。木村が早口の切口上になるのは事態がよほど切迫しているときとイライラしているとき、というくらいの判断はつく。遥は脳内のエアー木村の肩をとんとんしてみたが、当然それでは木村には伝わらない。
(本多さん、、頼むよ…)
***
「いやー参ったわー…」
本多との打合せを終え、彼が省外のシンポジウムへ出掛けていったあと、木村は首をぐるぐる回しながら疲れた顔をしてコピー機の前でプリントアウトを待っていた。そこそこの枚数があるようだ。
「ちょっと本多さんどうしようかなぁ…あんま言いたくないけど…」
「…お察しします。」
遥がそう言うと、木村がやれやれ、というように肩をすくめる。
「○○に関する××施策の推進に資する民間プロジェクト認定制度、ってのを作ろうとしてるんだけどさー。確かに長いのも分かりにくいのもわかるんだよねー、同じ役所でも「くるみん」みたいにわかりやすい言葉の方がいいのはそりゃそうなんだけどさー。」
「確かに、その名前はいかにもお役所ですね。」
「まぁ、ここ役所だし?」
「そうでした。」
ここがあまりイメージどおりの役所っぽくはない原因の何割かを占める、あまり役人っぽくない上司のセリフに遥は苦笑する。
「それにしてもさー、それ省略したつもりなのか、改めた題が「○○施策認定制度」ってのはなくない?○○は抽象的すぎるし、そもそも民間プロジェクトはどこに行ったんだろーね。認定するモノが違うじゃんねー」
「それは……。」
「ね?すごいでしょー?」
本多、恐るべし。
想定外の破壊力に、呆気に取られる遥であった。
***
有識者委員会の準備は、資料の精査などの中身の話と並行して事務手続きも行わねばならない。
ちなみに霞が関用語では前者を「サブ」(サブスタンス)、後者を「ロジ」(ロジスティクス)と呼ぶとのことだ。
その、いわゆるロジの手配は、木村が完全にサブに取られている現状、実質的に無愛想モードの鳥越と遥の二人で回している状態である。木村は確認や補完程度はしてくれるが、作業の人数にはカウントできない。
中身やらなくていいなら楽じゃない、マニュアルあるんだし。最初はそう思っていた遥だったが、予想に反してロジもなかなかの難易度だった。
何せ、会場の手配や機材の確認、マスコミへの発表、委員への依頼の手続きから、当日委員に出すお茶の手配や座席札の用意、印刷用紙の確保まで、ほとんど二人きりで行うのだ。しかも、いったん手配したあとでサブや委員の都合での仕様の変更で、微修正ならまだしも最初から手続きがやり直しになったことも数回ではない。
委員会が無事開催にこぎつけたころには、遥もぐったりしていた。
「木村さん、なんとかおわりましたねぇ…」
「柳澤さんもお疲れ様ー。残業も何日かお願いしちゃってごめんねー。」
「いえ、あれだけ皆さん忙しくされてたら仕方ないですよ。木村さんだって残られてたじゃないですか。」
「旦那に「無理だわー」って言ってお迎え増やしてもらったからねー。繁忙期かぶらなくて良かったわー。」
「補佐のお宅は旦那さんがかなり子育て担当されてるんですよね。子供は同い年ですけど、うちじゃあり得ないっすわ。」
木村と話していると、こちらも脱力モードの鳥越が加わる。元々、配席の関係で彼を挟んで会話をしていたのだ。
「鳥越さんちは奥さんが専業だもん。うちは私がこんなだから。元々は残業ばっちこい系?」
「あー、ワーカホリック。」
「ひどい言われようだわー。」
「略してワーホリ?」
「なんか制度変わってるよ。海外出ちゃったよ、それ。」
少し弛緩したいつもの空気。遥はホッとし…
「さーて、次回まであと一月半か!」
という翌日の喬木の声に現実を見るのだった。
有識者委員会は、何度か続いて中間取りまとめ、最終取りまとめというイベントがあります。
取りまとめ書くのは、文章をまとめるという意味でもアレですが、委員それぞれの意見を取り入れて最後に揉めずに済むように書くのが割と大切で、かつ大変です。