第29話 引っ越しと猛整理(後編)
大変遅くなりました。お待たせいたしました。
残り、2日と半日。
遥は引き継ぎ資料の追記に勤しんでいた。先日、半日かけて引き継ぎをしたものの、質問が出たり説明が足りてなかったりして、あとから後任が見て分かるように、という観点からはちょっと不親切だった。ベースは代々受け継がれてきたものだが、ルールは人によって時代によって変わってくるもの。遥の代では、電子化の流れを反映して給与関係と旅費関係の手続きルールに大幅な変更があったほか、小さなところではみんなでお金を出して買っているお茶やコーヒーなどの購入を、遥が買い出しに行くのを止めてオンラインで注文するようにしたり、インデックスを専用機ではなく通常のプリンターで印刷できるように改めた。その辺のことが少し書き足りなかったのだ。
(鳥越さん、最初は嫌がったなぁ。)
書きながら、思い出して苦笑いする。最初の一月くらいは遥も我慢して買い出しに行っていたのだが、お茶の葉などの軽いものはともかく、ペットボトルの買い出しは割と重労働な上、コンビニで買うのはいかにも勿体なかったので、早々に鳥越にオンラインでの調達を打診したのだが、当時無愛想全開だった鳥越は、
「これまでと変える必要はないと思います。」
とにべもない態度だったのだ。きーっ、これだから前例主義の公務員は嫌なのよ!と、遥はひととおり憤った挙げ句、更に上司の木村に相談したのだった。そりゃめんどいわ、とあっさり納得した木村は鳥越に話を持ちかけたのだが、
「これまでこうしてきてるんで。」
「そうかもしれないけど。」
「これまでこれで不都合がなかったので、変える必要はありません。」
と、またひと悶着し、それで徹底的にもめるほどの話でもないため先のばしとなり、最終的に買い出しが不要になったのは鳥越の態度が軟化した数ヵ月後だった。ちなみに、インデックスはは半年間我慢して在庫を使いきってから改革した(前任が嫌がらせを疑うレベルで大量買いしていた)。細かいことではあるが、それでも遥は後任に誇れる仕事をしたと思う。
***
「あったね、そんなこと。」
寿司をぱくつきながら木村が笑う。銀座の有名ショッピングモールの中にあるくせに、間口がほかの飲食店の半分、店内はカウンター数席しかないこの寿司屋は、知らなければ通りすぎてしまうほどだが、割といい寿司を出す。
「鳥越さん、ひどかったですよねぇ。」
「なんか、なんでお前らそんなきゃいきゃい仕事してんだ!?って腹立ってたらしいよ。」
「……楽しく仕事したほうがよくないですか?」
「苦労してるみたい。あんま語らないけど。だいたい、真面目な人ほどダメになるよね。」
「ダメですか?」
「ダメって言うか。鳥越さんがダメな人だ、とはもちろん言わないけど、彼がなりかけてた量産型公務員は簡単に作れるからねぇ。」
「量産型……」
「前例がない」「そんなことしたら責任がとれない」「それは他部署の仕事なので私は知りません」。死んだような顔で息をするようにこんな台詞が出て来はじめたら、あなたも立派な量産型公務員!と、生き生きと語る木村。
「木村さん木村さん、なんかこう、ブーメランでおでこ痛くないですか?」
「ひどいっ。はるちゃん、私がいつそんなことを!」
「いや、まぁたしかに聞いたことはありますけど、頻繁にってわけじゃないのは知ってますけど。木村さん、いつも『私はしがない小役人』って言ってるじゃないですか。」
「それはまぁ、世を忍ぶ仮……」
「閣下に怒られますよ。」
「……というジョークはともかく、量産型公務員は、量産型公務員な上司が押さえつけて一年くらい重石になってれば簡単に作れるよね。」
「木村さんでも作れますか?」
「一年も演技続かないから無理ー」
体質的に合わないらしい。
「ちなみにそういう上司に木村さんが当たると?」
「前例を破る理由とか、新しいことをする理由を説明する。相手が納得して、そしてだんだん変わるか、めっちゃ嫌われてお互いスルーするようになるか。ちなみに量産型部下でも同じー」
「あー。」
なお、そうやって全部否定している方が仕事してるっぽい感じがするのでそれにこだわる、というタイプもいて、そういう人からはツチノコでも見たような顔をされるらしい。
「なんか、全存在を否定されたように思うんじゃないかなー」
「でも、木村さんも『これはうちの仕事じゃなーい』とか、よく言いますよね?」
「そこはまぁ、縄張り的なものが必要な部分はあるし、叩き込まれるから。それに、前も言ったけど全然専門外のこと聞かれてもほんと困るから、その辺はさじ加減ではあるよね。私はせめて迷子になってる方の道案内くらいはしたいと思うけど。」
確かに、一般的な問い合わせには「○○と聞いてますが詳しいことは専門部署であるナントカ省に~」とか、そんな方向で答えていることが多い。
「ただ、プロ迷子もいるけどね。」
「あぁ……」
プロ市民とか、クレーマーとかその類いのやつだ。
「この前なんか、『アメリカの大統領は、フランスの大統領は、ドイツの首相は』ってずっと語ってた人がいたわ。それを私みたいな小役人に語られても、『そうですか……』としかねぇ。」
「彼らも政治家ですよねぇ。しかも世界のトップクラスの。」
「首相に言っといて!とか言うわけよ。せいぜい100人くらいの会社の社長かなんかと間違ってないかなぁ……」
そのきらいはあるかもしれない。ほんとのところ、総理大臣なんて木村クラスの人は口もきけないどころか、議場見学以外で直接見たこともないらしいが。
「それはそうと、机の片付け進んでます?」
「ぶぶっ」
「口で言わなくていいです、ぶぶって。」
進んでいないようだ。
「法案がね……」
「聞きましょう言い訳。」
「この期に及んで、急ぎの問い合わせをばかすかしてきやがって……」
法律として成立してから三ヶ月で施行のパーツがいくつかあるため、法案チームは急いで政省令の準備をしている。そのなかで、法令実務と法律の内容の両方をよく知っている木村にいろいろ聞きたいことができているらしく、そっちの問い合わせ対応で割とばたばたしているらしい。
「なつかれましたね。」
「まぁ、仲良しさんがたくさん役所にいると、こっちもいざというときに無理を言いやすくはあるけども。」
「……木村さんには、木村閥の首領になる野望が?」
「んなわけあるか!」
「仲良しさんに無理を聞いてもらう、というのを、世間では○○閥と言います。」
噛んで含めるように言い聞かせると、木村はぺしょん、という顔になる。
「まぁ、無理というのは『すまん、この書類は明日までに欲しいんだー』とかその程度ですが。」
「今は、ですよね?」
将来の派閥の芽は早めに摘むに限る。
「……てーか、政治の世界なんか大半そんなんだしー。役所もわりかしそんなもんだしー。不正しなきゃいいんだー」
「開き直った!?」
曰く、「○○さんがそうまで言うなら仕方ない」とか、「××さんがよろしくって言ってたなら自分は構わない」とか、政治ワールドはそんなのがデフォルトらしい。
「主義主張どこいった……」
「はるちゃん、きっとシュギシュチョーはお花を摘みに行ってるのよ。」
「誰がトイレですか。」
もしかしたら最後になるかもしれない木村とのランチは、他愛ない(?)雑談で過ぎていった。
***
3月30日。明日で退職だ。
実は木村も退職扱いになる。身分が地方公務員になるためで、当然ながらこういう場合退職金は出ない。
今日は送別会で、遥も木村も夜は確保している。定時後、遥は送別会に向かおうと感慨深く室内を見回して、
「……木村さん。」
ジト目になった。
仕事でてんてこ舞いになっている彼女の机は全っっ然片付いていない。今も電話で解説して、大急ぎで資料をつくって、と大忙しだ。もう夕方六時なのに。
「はーい木村です。ヤバイです。明日は残業できないのにー!!」
「あ、お迎えですね。」
「お迎えだけなら替わってもらえるけど、二日連続寝かしつけがパパだとめちゃくちゃ機嫌悪いの、くるみ。」
「もう、片付けは諦めたらどうですか。」
「でも、もう来年度には来たくないのー!!」
てんぱってらっしゃる。たしかに、自席がコックピット状態だった某課長は、転勤先から新幹線で半年くらいかけて少しずつ片付けに来ていた。
「先に行ってて!!」
「はーい。」
「木村、お前、主賓だからなー」
「今日は主賓いっぱいいるから大丈夫です!」
微妙にフラグを立てつつ、皆を見送る木村であった。
***
「来ねーな。」
「来ませんね。」
「見事なフラグ回収……」
20時半ごろ、そろそろラストオーダーが取られても木村は現れない。空席の周りだけ、取り分けられた料理が残っており、さきほど出てきた〆のアイスクリームがゆっくり溶けはじめている。ふっと個室内の会話が止まったタイミングで、なんとなくみんなの目が空席に向く。
「誰かアイスだけでも食べたら?溶けちゃうよ。」
局長の一言に、一瞬周りを見回してから、桝谷が「いただきまーす」と皿を手に取る。食べたかったというより、あれは恐らく誰かが発言を拾わないとまずかったから、というところだろう。
と、ぴろぴろーん、と鳥越と遥の携帯が鳴る。グループチャットの通知画面では、木村の意外にフェミニンなスタンプがジャンピング土下座している。
「木村さんですねー」
「遅くなったけど、これから行きます、すみません。だそうです。」
「おせーよ。」
鼻を鳴らす喬木だが、なんとなくにやにやしている。
「室長、嬉しいんじゃないの?」
局長がめざとく見つけて言うが、局長もホッとした様子だ。その職務上、木村は局のなかで一、二を争う勢いで局長室に入っている。出向期間三年間では、戻ってくる前に退職の可能性もあるわけで、ちょっと感慨深いのだろう。
延ばしに延ばしたラストオーダーで全員のおかわりと木村分のビールと日本酒を頼み、10分ほど待つと、タクシー代を奮発したらしい木村が駆け込んでくる。
「すみません、遅くなりましたぁ~」
「おせーぞ木村!」
「ひえーん、ずびまぜんー。」
お互いニコニコしているのでじゃれあっているようなものだが、お決まりの応酬。
「それで、片付いたのか。」
「……明日、少し仕上げれば。」
「明日はあいさつ回りだろ?大丈夫なのか?」
「二時間あれば、なんとか。」
「それ、四時間くらいかかるフラグじゃ……」
「補佐、きっちり回収してますもんねフラグ。今日も。」
「ううう、なにも言い返せない……明日早起きして早めに来ます。」
喋りながら、余程空腹だったのか瞬く間に料理を平らげていく。
「ま、とりあえず二次会だな。」
「ソウデスネ。ワタシ、明日ハヤオキデスガ。」
「室長は、木村さんと語り足りないんですよ。木村さん、なに食べます?」
「今刺し盛り食べてる人にそれ聞く?……生ハム。」
「生つながり?」
「パエリア。てかシェリー飲みたい。」
やけくそになったらしい木村が、会場から程近いがそれなりに単価の高い店を指定する。
(局長と課長にも来てもらお?)
(……策士ですね。)
(喬木さんの暴走も抑えてくれそうだし。)
こそこそと会話して、えらいひとを確保。
結局、終電近くまで飲むはめになった面々であった。
お読みいただきありがとうございました。
次回はエピローグとなります。
ちょっと身辺がばたばたしておりまして、少し遅くなるかもしれません。絶対完結させますので、気長にお待ちくださいませ。




