第29話 引っ越しと猛整理(前編)
長らくお待たせいたしました。
「んー、なんでこんな荷物増えてんだろ……」
3月半ば。引っ越しの荷物を徐々に段ボールに詰めはじめた遥は、開始早々に悲鳴を上げることになった。
「いろいろ『いるもん!』って買い込んだのはどこの誰?」
「えー、だって、たこ焼き機はあると楽しいじゃない?」
「道具街だ中華街だと『東京にしかこんなのない!』って歩いては、ザルだ鍋だ蒸し器だと……」
「うっ。」
「それに、洋服とかだって、銀座が近いからって下手したら週に三回くらい寄って帰ってたでしょ?コート3週連続で買ったりとか。」
「……はは。それにバッグも増えたねぇ……」
しかも、同僚たちのおすすめで表参道や原宿に行ったり、下北沢や吉祥寺など評判のいい街に行ったりして、その度に所有物が増えている。
「でも!聡太だって、あちこち陶器市とか展示会とか行っては食器とかインテリアグッズとか買ってる……」
「……責任もって箱詰めします。」
「3月中にお願いします。」
「はい。」
聡太は4月のはじめから地元で仕事なので、年度末で東京での仕事を終えたら身一つで移動し、とりあえず実家からしばらく通う。新しい家は見つけてあるが、布団もカーテンもない家では普通は暮らせないためだ。引っ越し代金が年度の変わり目はすこぶる高いため、仕事のない遥はしばらく東京でひとり暮し。4月中旬に引っ越し業者を予約している。
そう言ったら、転勤族な喬木や木村に「別に寝袋あれば半月くらいどうにでもなる」と説得されたが、実家があるならわざわざ苦労することもないだろう。
「引っ越しってさー」
「ん?」
「なんか、悲しくならない?こっちで丁寧に詰めても、あっちでほどくの自分じゃん。」
「長距離運ぶのが問題なんだろ?壊れたら困るじゃん。」
「まぁ、そうだけど。」
理屈はわかるのだが、なんとなく、自分のために丁寧に梱包するというのがちょっと座りが悪い感じがする。
「こんな時間。ごはんどうする?」
「今日は外食でいいんじゃないか。駅前のラーメン屋ももう行けなくなるし。」
「そうだね。」
ラーメン屋なのにツマミが充実している行きつけの店も、駅から離れておりたぶん引っ越したらわざわざ来はしないだろう。二人は、梱包の手を止めて外出の準備をはじめるのだった。
***
「それは大変ですね。」
休日の話を聞いた鳥越が言う。
「鳥越さんは、転勤とかは……」
「あまりないのですが、この前家を建てたので引っ越しました。」
「あぁ。」
職場でも、遥は絶賛片付け中である。1年と9ヶ月のうちに、書類や私物がえらく溜まったものだ。
「やるなぁ柳澤。俺も片付けるか。」
「えっ。」
なにが伝染したのか、いきなり喬木がやる気を出した。
「俺もたぶん異動だしな。あと木村。」
「うげっ」
上司からの指名に対して、ひどい返事である。相変わらず机の上がカオスな自覚はあるのだろう。
「お前、ちゃんと片付けとけよ。そうそう片しに来れなくなるぞ。」
「……どういう意味ですか?」
「そういう意味だ。地方じゃないって安心してないか?」
にやにやする喬木。異動情報は、引っ越しを伴わない場合、本人は一週間前しか伝えられないが、上司にはその前から伝えられている。
「え、だってもう下旬……」
「引っ越しは、ないだろうな。お前、通勤できるの霞が関だけじゃないだろう。
「……そういうことですか。」
「さぁな?」
はっきりどことは言わないが、なんとなくいつどの辺に異動なのか匂わせる、いわゆる「滲み出し」である。割とはっきり言った方だろう。
「よーし、じゃーキリキリ片付けますか!」
気合いの入った木村とは逆に、喬木から言及のなかった鳥越が明らかにへこむ。
「……室長、俺は?」
「……まぁ、あれだ。みんな替わると仕事、回らないしな?」
「俺、木村さんより早くここに来たのに……」
2、3年、短いと一年未満で異動する国家公務員は、その仕事や職場が気に入っているかどうかとは別に、長くいると異動したくてうずうずしてくるらしい。
凹んでいる鳥越を尻目に、木村はこの機会に!と全力で整理を開始している。一年ほど前に一回書類整理をしていたはずだが、その頃の比ではない。
「ねー鳥越さん、20年前の会議資料とかいるの?」
「補佐、俺は凹んで……公表資料ですか?」
「うん、ホームページに載せてるやつ。」
「じゃ、要りませんね……補佐、俺の心情はスルーですか……」
「はーい、ありがとうー。……ねぇ桝谷くん、8年前に出したパンフレット200部、引き取ってくんない?」
「えー、廃棄してくださいよ。何でそんなに作ったんですか、当時の業者は。」
「ね。これぞ税金の無駄遣い。」
「いや、パンフレット作るとこまで一括でコンサルに外注してるので、100部でも200部でも変わらないはずではあるんですが……」
「完全に死蔵だよね。今年は年度末までの紙代が足りないとか、先月末メール来てなかった?」
来てた。よく覚えているものである。
大騒ぎしながら片付けること二時間。合間に打ち合わせや電話対応などもこなしつつ、なにかにとりつかれたかのように片付け続け、やっとすっきりしたらしい。
「いやー、捨てた捨てた!」
「補佐、保存期限未満のもの捨ててませんよね?」
立ち直った鳥越がつっこんだ。最近、公文書管理はなかなか厳しい。
「公表資料と他局メインの資料しか捨ててないよ?」
「それでこんだけ減るんですか……」
「木村、捨てすぎると始末書だぞー」
「何が注目されて「誤廃棄しましたすみません」になるか分かりませんからね。」
「それで済みゃいいが、「なんか隠蔽したくて誤廃棄なんて言ってるんだろう!」とか責められたりな。」
「あぁ、そんで議員が地下倉庫で見つけたり。」
そんなニュースもあった。捜索に人手が割けないくらい国会質問を連発しておいて、役所に押し入り同然に入って資料を探すというのもなかなか常軌を逸していると思うが。
「ということで、はるちゃん、廃棄はちゃんと廃棄よろしく。」
「そっちですか?」
木村ががんがん廃棄を決めていくので、遥は木村を手伝い、廃棄に分類された資料をどんどん指定場所に運んでいた。そこに置いておけば機械的に廃棄されるはずだが、遥が黙って別の場所に隠しておけば将来何か問題が起きたときに……
「地雷になるわけないですよね、これうちが保存しなきゃいけない資料じゃないし。」
「うん。」
なんじゃそりゃ。
なんか締まりがない感じで、年度末の政策推進室での生活はすぎていくのであった。
***
その知らせは、会計課から総務課本課を経由して来た。
「鳥越さん、これって。」
「……俺一人で対応っすね。」
「いや、準備はみんなでしようよ。現メンバーでやらないと、何が大事かわかんないでしょ?」
憮然とする鳥越に、木村が慰め顔である。
「どうした?」
「あ、室内展開します。……鳥越さんが。」
喬木の声に反応して室内宛に転送されたメールには、「庁舎の引っ越しのお知らせ」とある。曰く、5月の連休を使って二階ほど階上へ執務室を引っ越すので、4月末までに書類その他を段ボールに詰めて廊下に出せとのことだ。段ボールの数や廊下の使えるエリアは、会計課とその傘下の庁舎管理室との相談である。
「えええ?」
執務室が引っ越しするイメージがなかった遥は驚くが、周囲はきょとんとしている。
「たまにあるよ。」
「よくあるのは、新しい庁舎ができたときとかですかね。」
数年前にもある庁舎が完成したので、他省の古い庁舎にいた部署やら、民間に間借りしていた部署やらが一斉に引っ越して入居したという。更にその古い庁舎に入居する外局があったりして、けっこう玉突きでいろいろ引っ越しがあるらしい。さらにその前には議員会館の建て替えもあったりした。
「今回は何でなんですか?」
「七月にうちの局、三課くらい増えるらしいのよねー。あと部長が一人。」
「そんなに?」
「別の局にある部をそのまま持ってくるから。」
「はぁ……」
そんなん意味あるんかいな、と思うが、木村曰く、あんまり意味ないとまでは言えないらしい。局長が違うと別々に動くことになりやすいが、一人の局長のもとでやるとそれなりに統一感が出るのだという。
「で、このフロアが手狭になると。で、7月はそれ以外にもいろいろ替わるから、パズルみたいな玉突き引っ越しをやるらしい。プラン作った人はたぶん落ちゲーとか好きだと思う。」
「その第一段ですか。」
「うん。」
「書類整理、始めといてよかったですね。」
「だね。」
喬木と木村はえっへん、という顔をしているが、他の面々は目をそらしている。一瞬遠い目をした鳥越が気を取り直して言った。
「まぁ、とりあえずうち用のマニュアル作りますんで、あとから見てください。」
「はーい。」
***
鳥越謹製の引っ越しマニュアルの内容は、時系列と担当がきちんと記され、鳥越の性格を反映してきっちりしたものだった。担当場所と、要否の確認、不要物の破棄、過去資料の箱詰め、と、番号つきで手順が示してある。
「はぁ~、すげー」
適当大魔人が呟く。彼女は当初マニュアルを作る発想すらなかったらしい。
「……ところどころ口語なのがまた、鳥越さんらしいけど。」
「雑だと?」
「いえいえ、とんでもない。」
たしかに、内容の確認をかねて渡された紙には「~みたいに」とか「しとくこと。」とか、ところどころ私用メールみたいな言葉が見受けられる。
「とりあえず、現メンバーでは2の破棄まででいっぱいいっぱいじゃないかと思います。」
「私と喬木さんは早目に始めてるし、あと一週間以上あるから3の箱詰めまでいいんじゃない?後任にやらせるのは荷が重いわ。」
「かもしれませんね。」
三人で内容を詰めていく。残り少ないこの時間に、早くも少しノスタルジックな気持ちになる遥なのであった。
***
とうとう喬木と木村の異動内示が出て3日。ここのところ、喬木、木村、そして遥は、判明した後任への引き継ぎを、打ち合わせスペースを融通しながら交代にやっていた。
遥の後任はやはり非常勤だ。民間企業で秘書をしていたという彼女は、受け答えなどもてきぱきしており好印象だった。
喬木は省内の別部署へ。晴れて課長になるという。部下が倍増するんだぜ、と自慢する彼は、気負いもなく普通の感じだった。聞けば、地方に出向していたときなどは普通に100人くらい下にいたりしたそうだ。
木村は関東圏の自治体へ出向。課長を通り越して部長になると聞いて、遥は驚愕した。昔地方の某市で専門分野の部長職をしていたことのある喬木がにやにやしながら言う。
「くそー、木村の方が出世が早いかー」
「何言ってんですか、喬木さん通った道でしょ!」
「ん、10年くらい前にな。しかし俺なんか今じゃしがない課長だからな!今度は奢れよ?」
「給料変わらないどころか、下がるの知ってるでしょ?!」
管理職になるため、残業代がつかないらしい。
「まぁな。それで、付き合いはあるしな。金は出ていく一方だ。」
「若いからって同僚にも部下にも舐められ……」
「舐められるくらいならいいぞ。だいたいにおいて、当初、周囲は敵だと思え。」
「そんなぁ……」
「伝統的に国から行ってるポストでもないんだろ?本来なら何十年勤めて、試験もうけてはじめて手が届くポストに、落下傘方式であてがわれた30代。好意的に受け止められるわけないだろ。」
「まぁ、そうですね。前任も50代とかですし。」
だんだん真顔になる木村。彼女をして前途多難なようだ。そこに追い討ちをかける鳥越。
「あー、補佐、ノリ軽いですし。部下からの受け、悪いですよね。」
「鳥越さん?!」
「俺、何だこの人?って思いましたもん。」
「今それ言う?!」
もう悲鳴に近い。
「ま、最終的に仲良しさんになったわけですから。」
遥が一応慰め、「仲良しさん」と言われた鳥越が微妙な顔をする。本人的になんか違うようだ。
「仲良しさんというか、……あえて言えば舎弟ですかね。」
「そこはやっぱ姐御なの?ってか鳥越さんのほうが歳上!」
「まぁ、補佐ですから。」
それは、ポジションが自分より上だからと言いたいのか、それとも木村だからと言いたいのか。深く追求するとダメージが来ると判断したのか、木村は追求せずに崩れ落ちると床にのの字を書く勢いでへこんでみせる。
「そうか、木村は自治体に舎弟を作りに行くのかー」
「その論理で言うと、私や向井ちゃん、上野さんあたりは妹分ですか。」
「姉妹?」
がばっと蘇った木村が問うも、元ネタがわかる人が遥以外いなかった。仕方なく止めをさす。
「いや、無理があるのわかりますよね?木村さん、薔薇とか似合います?」
「うっ。……黒地の着物なら……」
「まんま姐御ですよ、なに自分でボケてるんですか。」
「ううう……」
現体制はあと数日。しかし、何だかんだで通常営業な政策推進室であった。
お読みいただきありがとうございました。
とりあえず、今週中に更新できてよかった……汗
次回は、来週更新できればと思います。




