第28話 法令屋さんのお手伝い(前編)
大変長らくお待たせいたしました。
読んでいただける方がいるのがすごく励みになります。あと数話ですが、引き続きよろしくお願いいたします。
今回のバレンタインは穏やかに終わった。
昨年いろいろあった桝谷は、彼女と五月に結婚式を挙げることに決めたらしい。よくよく聞いてみると、入籍は年末に済ませたとのことで、それもあってシンプルに親族のみで挙式するとのことだ。是非写真を送ってくださいね、と言うと嬉しそうにしていた。
山田と向井の結婚式は六月の予定だ。向井に三月で辞めることにしたと言ったときは少し涙目になられてしまったが、よかったら式には呼んでね、と言葉を添えた。
別に引っ越すからといって今生の別れというわけではない。むしろ、東京にも知り合いやお気に入りの店が夫婦ともに出来たから、年に何回かは遊びに来たいね、などと言っている。
聡太のほうも職場に地元に戻ることを表明したようで、惜しまれながらも、支社に戻ったあとのことを見越し――今後は本社と地元との橋渡し役としての側面も増えるらしく、本社の偉いさんにいろいろ連れ回されているようだ。本社や本社の偉いさんが何をしているのか、肌で知っている人間が支社にいることは、本社と支社のコミュニケーション的な意味でとても大事なのである。
2月の日々は、のんびり過ぎていった。
***
「きむらー。ちょっといいか?」
課長にパーテーション越しに呼ばれた木村がはいはーいと弛い返事をしながら課長席に向かって3分。
「えええ、マジっすか?」
本気で嫌そうな木村の声が響く。今更ながら、よく通る声である。
「週2ですよ?残業できんの。いや無理でしょ。」
課長がごにょごにょ言って、しばし。戻ってきた様子を見るに結局押しきられたようである。机に突っ伏してつぶれている。
「どうしました?」
「タコ部屋、手伝いにいけって。閣決まであと半月ちょいなのに無理って言ったんだけど。しかも半タコ。」
「半タコ?」
「あー、えーっと。」
ここでいうタコ部屋とは、法案作成チームのことで、局内にそれがあったのは遥も知っている。たしか、結成は暑い頃だったはずだ。
それの閣議決定予定日が3月上旬。その前に法令協議も含めた諸手続きがあるらしいのだが、そこを手伝いに行け、ただし今の仕事は免除せず、出来る範囲で、ということらしい。仕事が半分タコ部屋になるから「半タコ」というらしい。
「センス無さすぎる……」
「木村さん。声が大きいですよ?」
「いや、課長にも似たようなことは言った。チームワーク出来てるなかに今更行ったって混乱が収まる前に終わっちゃうし、そもそも彼らは朝まで仕事なのにこっちは半タコかつ基本定時帰りだから反発買うよね。だいたい、タコ長より先輩を今更投入したらワケわかんなくなる。」
どの省でも、程度の差はあれ先輩後輩の序列はある。実質的にどちらがどう、とかは置いておいて、先輩というだけで一定の敬意が払われるべきである、という発想があるのは間違いないところだ。
「そのあたりは、どう……」
「顧問として行く感じでよろしく!だと。意味わかんね。」
「えーっと。」
「とりあえず回ってないから、少しだけでも頼む、って。人数揃えりゃ良いってもんでもなかろうにね。」
大荒れである。と、そこに若い女性が顔を出した。
「すみません、木村補佐はこちらでよろしいですか?」
「はーい。」
「失礼します。法制準備室の上野です。……こちらが資料です。」
ぶすっとしている。
「現時点の資料?……法制局どこまで行ってるんだっけ。」
「今、部長2読です。……今ごろになって木村補佐が来られて、何をされるんですか?」
「さぁ?私も分からん。なんで呼ばれたんだかね。まぁ、これ読んでタコ長と相談かね。」
上野は痛烈に皮肉ったつもりだったらしい。木村もイラッとはしたのだろうが、ここで荒立てるのも大人げないと判断したようでさっくり流した。
「……では、失礼します。」
「ちょっと待った。」
「なんですか?私、定時に帰れる人と違って忙しいんですが。」
「……好きで定時に帰ってる訳じゃない。そこは勘違いしないでくれる?あとね、暇じゃないのはお互い様。」
「……そうですか。」
(ダメだこれ。)
聞いていた遥は頭を抱える。相性とかいうレベルではなく、敵意ばりばりなのだ。
「私に渡せと言われたのはこれで全部?」
「そうですがなにか?」
「スケジュールとか、ポンチ絵の解説とか、想定問答は?」
「……想定問答はつけてますが。」
「法制局資料じゃないやつ。」
「なんのことですか?」
「……あー、なるほど、えーっと。」
木村が納得した顔で呟く。
「ちょっと打ち合わせたいんだけど、山上いる?」
山上はタコ長(タコ部屋トップの補佐)だ。
「これから補佐は法制局です。戻りは定時後ですが?」
「今日は過ぎても大丈夫な日だから、いいよ。山上が戻ったら電話して。」
「呼びつけないんですか?」
「私はそういうタイプじゃない。法制チームに顔も出しときたいしね。……んとね、君は気づいてないみたいだけど、割と君たち危機的状況なのね。」
「は?」
「で、私に突っかかってきてるつもりみたいだけど、私だって好きで手伝う訳じゃないし、私に当たっても仕方ない。それに、君とゆっくり遊んでられないから。悪いけど。」
「どういう意味ですか?」
「言葉通りだけど?」
「は?」
「私、これから自分の仕事をしつつ、君の持ってきた資料を読んで、山上と話す前にある程度は頭に入れないといかんでしょ?それから、マニュアル片手に足りないものをリストアップしないといかんわけよ。お分かり?」
「……はぁ。」
少し意気消沈する上野。けっこう分かりやすい。
「一応アドバイスしておくと、そうやって突っかかると誰にも相手にされないから、必要な情報が来なくなるよ。眠いのもウザいのも分かるけど、気を付けたほうがいい。」
「……そうですか。」
「私、同じアドバイスは一回しかしないから。じゃ、電話よろしく。」
もごもごと口のなかで返事すると、くるっと後ろを向いて去っていく上野。木村をみると、器用にも、ニヤニヤと困ったの合の子、という微妙な表情をしながら、カタカタとキーボードを叩いている。
「元気な方ですね。」
あえてそう言ってみると、手を止めた木村が苦笑した。
「ちっと、あれは感心しないな。」
「若い方ですから。」
「たまにいるんだけど、大抵出来ない奴だ……というより、ああいう言い方をしたら自分が損だと分からない時点でお察し。」
「言いますね。」
からかうと、木村は今度こそニヤリと笑い、ふと真面目な顔になった。
「いやー、しかし彼女はともかく、仕事の中身が前途多難……」
「そうなんですか?ってか、私にはとりあえずほぼ外国語に聞こえたんですが。」
「要は、法制局対応しかしてないってことー」
内閣提出法案は、全て内閣法制局の審査を経て提出される。法制局では法律としての必要性から細かいテニヲハ、更にそれを法律にする場合の実際の条文の一言一句に至るまで審査の対象となるため、それをクリアするのがまずは一大事なのは確かであるらしい。
ちなみに「実際の条文」というのは、今回のような改正法の場合、[第△条中「○○」を「××」に改め、第◻条の次に次の一条を加える。……]といったような、それだけ読んだらどうみても意味不明な文言の羅列である。木村によると、法制局の幹部ともなると、この通称「改め文」と現行法令だけで審査が出来るようになるらしい。脳ミソの構造がどうなっているのか一度見てみたいものだ。
それはそうと、実際に法案が閣議決定されるまでには、それ以外に法令協議、省内手続き、そして重鎮や応援団の与党議員への根回しと与党の合意手続きが必要である。また、そのためには、誰にいつ誰が説明に行くか、アポ入れは誰がやるかなどの差配と、そのための資料作成、更にその前提となる全体的なスケジュールの局幹部レベルまでの共有が必須である。しかし、先程の上野の様子では、少なくとも彼女はそのような意識はないようだし、持ってきた資料の内容からして山上も強くそこを意識しているとは考えづらい。どうも、その辺をフォローしてやれというのが木村が動員された主たる理由らしい。
「こんなん、半タコ一人じゃ無理だって……」
「そんなに大変なんですか?」
「根回し用の想定問答だけで、たぶんこれを半分くらいにしつつ、内容を書き換える必要があるかな?1週間以内に。」
そう言って持ち上げて見せたのは、法制局用の説明資料である。両面印刷で厚さ2センチくらいある。
「そのまま使えないんですか。」
「んー、例えばコレ。『なぜ二つの法律を同時に改正するのか。――○○法の新第25条と××法の第18条が相互に引用しあっており、かつ両法の改正目的は~~という同一のものだからである。』意味わかる?」
「……呪文ですか?」
「でしょ?」
「でも、私は素人ですし。」
「議員さんも素人さんだわね。そのために衆参の議院法制局があるんだし。」
確かに、役人上がりや法曹上がりの法律のプロもいるだろうが、芸能人などの全く関係ない業種から議員になった人もおり、全員に法律の決まりごとを一から全て理解せよというのは無理だろう。一方で、法制局用の想定問答は、それをお互いにわかった上で書いてあるものであり、玄人ウケはするものの、そういう知識がない人間に対してそのまま使うには無理がある。
従って、根回しの場合には、一般の人から聞かれそうなことに対して、一般の人が聞いても分かるように模範解答を作っておかねば、説明者が答えに窮する訳である。そもそも、説明に行くのは一人ではなく、複数人がそれぞれ別々の人に回るため、説明者ごとに説明が大きく異なっていてもまずい。
「スケジュールも例を貰ってくるとこからだし、根回しリストもどうしたらいいやら……」
ぶつぶつ呟く。誰に何を振るか確認しているらしい。
「室長。」
10分ほど何事かメモしたり、斜め上を見たりしながら悩んでいた木村が、喬木を呼ぶ。
「ん?どうした?」
「タコ部屋の件ですけど。」
「おう、話は聞いてる。」
「ご面倒おかけします。それはそうと、業務に支障のない範囲で、はるちゃん借りていいですか?」
(……へ?)
驚愕している遥を置き去りに、喬木と木村で話が進んでいく。
「私の方は、最終的にはタコ部屋とも相談ですけど、たぶん仕事を詰めればなんとかなるんですが、作業する人が。」
「柳澤に想定問答はダメだぞ。」
「さすがにそれは。スケジュールとか根回しリストの下書きとか、その辺りです。」
「まぁ、その辺りならな。……俺はいいぞ。」
(「その辺り」ってけっこう大事なんじゃ……。)
あわあわしたが、どうやら遥の運命は決まってしまったらしい。
「じゃ、はるちゃんごめん、明日からちょっと手伝ってね。」
あっさり言う木村に恨みがましい目を向けつつ、遥はそっとため息をつくのだった。
お読みいただきありがとうございました。
まさか、また続き物になろうとは……(´д`|||)
次回は遥さんと木村さんが法制局以外のところをがんばります。金曜までに更新できればと思っています。
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作中に出てくる条文の謎のフリガナですが、法制局審査の際はルールとしてあのように読みます(かぎ、かぎとじも含め)。そろそろAIが一瞬で右と左が合ってるか確認していい時代になってきてる気もしますが……
おかげで役所には「削る」「改める」などのスラング?が蔓延しています。




