第27話 決断の重さとは(中編)
お待たせしました!
そしてまさかの中編……
まぁ、とりあえずその辺りは脇に置いておいて、まずは目の前のスマイルである。
……という気持ちになったのも、木村と一緒に幹部コーナー最寄りのエレベーター付近に来てからだったが。
ここまで来るまでの間に、
「木村さん、私、辞めるんですかね。」
「んー。はるちゃんの決断だからなぁ。何とも言えないねぇ。」
「そこは、引き留めるとかないんですか?」
「引き留めるだけの魅力がある職場とは言えないなぁ……給料安いし。」
「ってか、非常勤の給料安すぎません?」
「……人件費削減のこのご時世において。」
「だって、前いた本多さんなんか、アレで残業代だけで私より貰ってるんですよ?」
「あの人、私より手取り高いからなぁ……」
「あんなに腹立つ給与計算ないですよ。私はともかく、桝谷さんの倍とかあるんですから。」
「残業って、何なんだろうね。」
といった、半ば八つ当りとも言える不毛な会話をしてきている。
ちなみに、総合職はたしかに一般職より先に出世するが、一般職も長く勤めれば普通に定期昇給で上がっていくので、課長補佐クラスの総合職と係長クラスの一般職だと、基本給からして係長のほうが高いなどというのは珍しくもない。それでいて、飲み会やお茶代の徴集などでは職位で傾斜がかかったりするので、内心穏やかでない総合職はけっこういる。木村などはダブルインカムなのでそういう面では無頓着だが、本多の上司だった早瀬は転勤に伴い奥さんが仕事を辞めざるを得ずシングルインカムだ。できない部下のフォローで残業して家に帰れず、なおかつその部下のほうが給与が高いというのは、なかなか来るものがあったに違いない。
どよん、とした気分を抱えたままエレベーターを降りたところ、そこはアラサー前後を中心とした女子でいっぱい、スマイルのメンバーの顔写真や名前入りのうちわを持った人までちらほら見かける、まさに文字通りアイドルの入り待ち状態で、なんかとりあえず悩んでいるのがアホらしくなってきたのだった。ちなみにスマイルが通るとおぼしきスペースは通路状に開けてあり、警備員が絶えず寄ってくる人波を押し返している。
「……なんか人数、多すぎない?」
「ここに来るとも公表されてないのに、分かるもんなんですかね?。」
「情報ってのは、まことしやかに広まるものでね……」
山田などからは情報屋扱いされている張本人がそんなことを言う。確かに、広報課につてさえあれば取れる情報だけに、拡散されるのもむべなるかな、ではある。
「あとは、来る可能性が高いのは広報課かここだけど、まさかスマイルがいち課ごときに来るわけないよねー的な賭けとか。」
「広報課に別室ありませんでした?」
「記者会見室と繋がってるね。」
情報がなければ微妙なところである。
「ってか、さっきも思ったけど、うちの省にこんなに女子いた?」
「うちわの人達の半分以上はコアなファンの一般人ではないでしょうか。」
「入れるっけ?」
「広報課を訪問したいと言えば……」
「あぁ。」
イメージと異なり、各省は割と警備は緩い。各部屋でパンフレットや発注の仕様書などを配布していることもあり、身分証を見せれば基本的に入れる。場合によっては、食堂を利用したい、とかでもオッケーな可能性がある。ダメなのは、一度中で暴れたなどの理由で出禁になった場合や、ひどい酩酊など明らかに様子がおかしい場合、旗や拡声器などを持ち、入れてしまうと中でデモなどをやる可能性が高い場合など、極端な場合だ。
うちわは微妙なところだが、大きい鞄に入れておけばたぶん問題視はされないだろう。
そんなことをぼそぼそ話しつつ、静かな熱気が立ち込める中待つことしばし。遠くから、
「「「きゃー!!!」」」
と黄色い悲鳴が聞こえた。
「お、ついたみたい。」
「11時15分。ぴったりですね。」
「一流の芸能事務所は、そんなとこでも完璧なのか……」
何となく冷めた会話をする二人。周囲はそれと対照的に臨戦態勢である。
「何でしょう、この場違い感。」
「なんか、ガチのとこに混ざった一般人的な、ね……とりあえずはるちゃん、疑問があるんだけど。」
「……何ですか?」
こういうときのこの人は、ろくなことを言い出さない。
「普通にしてるとあんなにきゃー!!!って黄色い声が出ないと思うんだけど、みんなどこから出てるんだろう?」
「……練習してみたらどうですか?」
知らんがな、と言いたいのを多少ソフトにしてみる。あとちょっとでスマイルが来る、という緊張のときにボケたがるのは勘弁して欲しい。
エレベーターが1階、2階と上がって来、いよいよ扉が開く。ここでも
「「「きゃー!!!」」」
「「「ヒロキー!!!」」」
「「「マサー!!!」」」
と、黄色い声が上がるなか、職員かマネージャーの先導でスマイルの五人がエレベーターの中から姿を見せた。
(意外と小さい。)
そんなことを思った一瞬、スマイルの五人は人混みに笑顔を見せ、数秒立ち止まって元気よく手を振る。それに応え、いっそう高い悲鳴をあげるギャラリー。そのまま五人は幹部コーナーに吸い込まれるように入っていき、一瞬で辺りは祭りのあとのような気の抜けた雰囲気に替わる。
「見えたねー!」
にこにこする木村に笑顔で答え、ふっと息をついた遥は、何となく乗りきれていない自分に気づいた。
「木村さん、出待ちします?」
「ううん、後ろのほうの人達、ちゃんと見えてなかったと思うし。ちょっとだけどちゃんと見れたからいいんだー。写真も撮ったし。はるちゃんは帰りも見てく?」
「いえ、いいです。」
「じゃ、帰ろっかー。」
「はい。……私、少しコンビニに寄って行きます。」
何となく一人になりたかっただけだが、部屋の外に出たついでにお昼を調達してくる人は珍しくなく、りょーかい、と明るく言って木村は先に戻っていった。
(んー。)
口にした以上、何となくコンビニに寄らないといけないような気がして、てくてくとそちらに向けて歩く。自分で驚いたほど、スマイルを見た高揚感がなかった。
思えば、スマイルはテレビや雑誌の中できらきらしている存在だった。それが目の前の、更に自分が生活している空間に現れた途端、メディアの演出がなくなり、その人そのものが浮き彫りになる。一瞬の邂逅、というかこちらが一方的に見ただけだが、その一瞬、遥の目には偶像が思っていたより色褪せてみえた、ということなのかもしれなかった。
(たしかにイケメンだけどさ。)
が、それなりのイケメンは、職員や、街中の店員やウエイターなど、探せばあちらこちらにいる。いきいきと仕事をし、そして生活している彼らのほうが、遥には魅力的に感じられてしまったのだ。
大人になったってことなのかもしれないな、とふと思い、そして、すとん、とその言葉が心に落ちていい感じに納まる。少しの哀愁を感じながらも、足を早めてコンビニに向かう遥であった。
***
別室での打ち合わせから数日。遥は、まだ進退について結論を出せずにいた。そもそも、関わっているプロジェクトが佳境らしい聡太とは、まともに話もできていない。朝などは一応顔も会わせるが、げっそりしながら掻き込むように朝食をとって出ていく聡太に、重い話をするのも躊躇された。まだ少し時間があるとはいえ、あと一週間ほどで返答の期限である月末だ。
「うーん。」
「はるちゃん、どした?」
我知らず唸っていたらしく、木村に声をかけられる。
「いや、例の件、まだ聡太と話ができてなくって。」
「旦那さん次第だもんねぇ。」
旦那さん次第。何気なく言われたそれが、心に刺さる。この人の人生に「旦那さん次第」ということはないのではないか。常に自分が主人公の、明るい未来。
(……嫌だ。)
そっと顔を出した、羨望。学生の頃は自分も得られると思っていたものを、当然のように持って笑っている木村に抱く、黒い気持ち。そういうものを抑えきれなくなってきて、遥は気づかれないようにぐっと手を握りこむ。
(このままじゃ、私、「木村さんにはわかりませんよ!」とか怒鳴りそう。)
たぶん、彼女は表面上は笑って流すだろう。この前から「はるちゃんが決めること」と言っているのは、彼女なりの距離の置き方だ。それが分からないほど、浅い付き合いはしてきていない。
でも、それでは嫌だ。ここまで人の心を開かせた責任は取っていただきたい。
「木村さん、近いうち、話聞いてください。できれば、夜に。」
「いいよー。それで整理できそう?」
「わかりません。でも、聞いて欲しいです。」
「旦那と調整するからちょい待って。……今日でもいいよー。」
遥の様子に気づいたのか、木村は素早く対応してくれた。
「すみません。よろしくお願いします。」
「うん。じゃーあと三時間仕事仕事~」
……相変わらず、声色や態度からは緊張感が見られないが。
***
「なんかですね。付属物みたいな扱いがすごい嫌なんですよ。だって、私だってちゃんと人生あるんですよ?なのに、決めるのも動くのもぜーんぶ聡太の事情。それを当たり前だと思ってる聡太にも腹立つ。」
聡太への不満や木村への羨望、それを口に出すのには勇気が要った。結局、一軒目の焼鳥屋では言い出せず、酒と雰囲気の力を借りて二軒目のジュエルでやっと言葉を絞り出した。
いったん口から出てしまえばあとは勢いがつくもので、愚痴とも悩みともつかぬせりふがどんどん溢れ出る。
「木村さんは立場もキャリアもあって、自分で決められるじゃないですか。私はどっちもない。戻ったって、ここみたいな仕事ができる可能性は少ないんです。やっぱり事務職は、専門職のベテランを除けば若い子がいいんですよ。これで出産でもして3年、4年ブランクがあけば、あとはスーパーのおばちゃん一直線ですよ。別にスーパーのおばちゃんが悪いとはいいませんけど。」
いつもの軽口に似合わず、うん、うん、と頷く木村。遥のペースに巻き込まれて、彼女も相当飲んでいる。
「木村さん!木村さんはうんうん言ってますけど、木村さんだって私の倍近く貰ってるんですからねー!将来だって保証されてるし!」
「非常勤さんの給料が低いのは私も同意する!おかしいアレ!」
「違うでしょ木村さん!私、木村さん怒らせたいんですよ!」
「ほえ?」
ぽかん、とする木村に、遥は続けた。
「木村さん、隙がない答えしかしない!私はいちゃもんつけてるんですから、怒ってください。それで、たいけつしましょう!」
「うんうん、はるちゃん、ちょっと飲み過ぎー。」
「違うんですよ、木村さんにはわかんないんですよ。私と対決してください。それで私、すっきりします!」
そろそろ自分でも何を言っているか分からなくなってきているが、遥は無性に木村の繕わない本音が聞きたかった。お前が選んだ道だから、黙って夫に従え、というならそれでもいい。何も背負わない場所から、あなたの決めること、と突き放されるのが我慢できない。
「んー。」
とりあえず気迫だけは伝わったらしく、木村はカクテルグラスを見つめて考え込んだ。ものを考えるときの癖で、手近にある食料を口に含み、しゃくしゃくと噛む。
「はるちゃんは、私が何でも持ってるって言うけど、いろんなもん、諦めてるよ。」
んー、と口ごもりながら、言葉を選びつつ木村は言った。
「子供は小さいけど、ベルギーのときみたいに、単身赴任になるかもしれないし、なったら家族団らんは遠い。今だって、24時間仕事に費やしたって大丈夫な同僚とは仕事上すごい差がついてる。私だって、もし辞めたら潰しは効かないと思うし。」
「それは……」
「自分が自分で決められるってことは、夫の人生も一部こっちで背負うってことでもあるし。私が週2で遅く帰れる裏には、夫が週2で定時帰りしてる。もしかして、私じゃない奥さんを選んでいたら、佑樹はもっと仕事に集中できてたはず。彼は仕事はできる人だけど、制約がある人はやっぱり評価されづらい。もっと評価されるべき人を引きずり下ろしてる気がする。それってやっぱり苦しいよ。」
ぽつん、ぽつんと語る木村は、怖いくらい真剣だった。
「泣きわめく子を引き離して出勤して、大した仕事なかったり、忙しいときに限って熱出されたり、子供関係ではほんと思うに任せないことばっかだし。……でもまぁ、なんかあるときから疲れちゃって、もういいやって。全部完璧になんて無理だって思って、大事なものを間違えなければ。」
「大事なもの、ですか。」
「……人によって違うから。」
「そうやって、逃げないでください。」
この期に及んで往生際の悪い人だ。
「……私にとっては、子供。でも、同じくらい、仕事は諦めたくない。」
「同じくらい、ですか。」
「仕事か子供か、ってなったら勿論子供。でも、私のなかで、子供がいるから仕事をやめるって選択肢はなかった。……私は、究極的には獲物を追う人なんだと思う。」
「追う人、ですか?」
「原始時代に、狩に行く人と拠点を守る人がいたでしょう?私は、拠点を守る方には向いてないんだと思う。」
そうかもしれない、と遥は思った。淡々と居心地のよい拠点を作り、保存食を作り生活を安定させるあり方は、彼女とは相容れない。
「はるちゃんは、すごく仲良くしてくれたけど、私は女としては異端なんだ。」
基本的に産み育てる性である女性は、拠点を守るタイプが多い。特に田舎ではそれを求められる傾向があり、遥がそうであるように、木村がそれを前提に教育を受けてきたことは想像に難くない。
「異端って。」
「……女のあり方を刷り込まれた身としては罪悪感が拭えないわけよ。いまだにね。それに、一方で仕事も思う存分できてない葛藤ね。」
「木村さんでも、そうですか。」
「もちろん。30年ちょっとも生きてたら、自分が普通じゃないこともさすがに気づくからね。割り切るようにはしてるけど。変でも我が儘でもなんでも、一回しか人生ないんだし、やりたいようにやろうって。」
ふぅ、と一息ついて、少しだけ残っていたショートカクテルを舐める。言うだけ言ったと思ったのか、はたまた遥に考える時間が必要だと思ったのか、追加でウイスキーとチョコレートを注文している。
今度は遥が考え込む番だった。聡太と結婚して、東京に出れば聡太の修業になると聞き、葛藤はあっても当然のように自分が辞める側だと思っていた。従属するのが嫌といいつつ、それが与えられた役割だと疑問なく受け入れていた。
「それって、違うんですかね。でも、聡太はたぶん、私が私の仕事をして家事や、子供ができたら育児をおろそかにするのは嫌がると思うんですよ。」
「それが普通じゃない?」
「でも、木村さんは違うでしょう?」
「普通であることを諦めるのは、なかなか大変だよ。」
苦笑する木村の横顔を見つめる。何でも手に入れているように見えて、そのためにいろいろなものを捨て、それをここに至るまで見せない人。
ぐるぐる考えているうちに、遥は何か分からない何かが、ぽんと腑に落ちてきた気がした。
「木村さん、飲みましょう。」
「なに何はるちゃん、ってか、けっこう飲んでると思うの、私たち。」
「なんか、お互い大変だなって。なので、飲みましょう。」
「お、おう。」
「飲みましょう。」
「んんん」
キョドる木村の前に、マスターというには渋味の足りない店主、マルオがストレートのウイスキーとチェイサーを置く。
「とりあえず一杯?」
「タイミングはかってた?」
「ん。それが俺の仕事。」
「さすが。……マルさんも飲む?」
「軽くいただこうかな。」
「じゃ、あとはるちゃんの追加と、マルさんの。なにがある?」
「はーい。じゃー、はるちゃんのはカルアミルクどう?うちのは美味しいよ。」
いいお返事でカウンターの中に戻るマルオ。結局、その日は終電間際まで痛飲する二人なのであった。
お読みいただき、ありがとうございました。
木村さん、そんな過去や思いがあったのね……と、なぜか書きながら感心する作者でした(笑)←それで想定外の前中後編になった
ちなみに、個人的には、木村さんタイプのひとが専業主婦になると、お受験ママとかボスママとかになる気がします。




