第18話 質問主意書を巡る攻防
最近ニュースにもなってましたね!
ここ最近、毎日雨が降り続いている。
「はぁー、こんだけ雨続くんだと、やっぱり梅干は厳しいかなぁ。」
昼下がりの一時、木村がぼやいた。
「梅干ですか?」
「味噌と梅干は一回作ってみたいんだけど、梅干は梅雨の晴れ間を狙って天日干ししなきゃいけないんだよね。いつ降りだすか分からないから、付きっきりにならざるを得ないし。ワーキングマザーには厳しいかなぁって。」
「買うんじゃダメなんですか?」
「甘味料たっぷりの甘いやつが私、ダメで。実家の近くの漬物屋さんから買って親に送ってもらってるんだけど、いつまでも甘えてられないしねぇ。って、もう10年くらいになるけど。」
「うち、嫁が今漬けてます。毎年この時期は頑張ってて。」
二人で話していると、鳥越が口を挟む。今日は喬木がいないせいか、まったりモードである。
「おー、すごい。子供さんはその間は?」
「できるだけ僕のいるときに作業です。そしたら僕が子供見れるので。一人でやるのは取り込みだけですね。」
「やっぱりそこだよねー。」
「漬かったら少し持ってきますよ。お口に合うか分かりませんが。」
「嬉しいけど、奥さんに悪いような。」
「多目に漬けてるので、親戚に配ったりもするんですよ。」
「じゃ、遠慮なく。」
木村はかなり嬉しそうだ。余程好きなのだろう。
そんな話をしていると、ふらっと山田があらわれた。
「姐さん、異動とかありそう?」
「うーん、人事課のみぞ知る、だねー。」
「へぇ。ちなみにもう一部出回ってるよ。」
「マジ?見せてよ。」
最近の正職員の中でのホットな話題は、専ら人事異動である。国会が終わった7月が大規模な異動のシーズンだ。別にある程度のところまでは誰がどう出世する、とかいうのに意味があるわけではなく、誰をどこに配置するかで人事課の本気度が分かる、とか、単に「へえぇ、○○さん、ここに行くんだー」とか言いたい、というところらしい。
「だってさー、みてる限り、局長くらいまではだいたい下馬評どおりに出世するもん。そこから先は政治力と運だし、レースとか言ってもつまんなくない?」
とは木村の言である。まぁ、本人曰くの「ベテランのぺーぺー」クラスでは、出世と言ってもたいした興味もないのかもしれないが。
あとは、やはり係員なら係員の、局長なら局長の「仕事ができる」があるため、別に課長くらいまでの仕事の出来と、それ以降の出世というのが直結しないというのはあるだろう。木村など、あの大雑把さでよく今まで大事故を起こさなかったというべきだが、これから管理職になれば、彼女の得意な分野であるコミュニケーション能力や、大雑把に勘所を掴む能力などのほうが大事になっていくのかもしれない。
遥たちは課での採用なので直接は関係ないが、やはり親しい人がどこに異動するかや、新しく身近に来る人がどんな人かは気になるため、遥たちの間でもなんだかんだと情報は飛び交っている。
「ウチの局長は卒業みたい。本人が遺言モードになってる。」
「うちは続投だな。宿願の法案をやる気だ。」
「山田、タコ部屋入り?」
「勘弁してほしいね。」
タコ部屋とは、法案を準備するためなどの理由で結成されるプロジェクトチームの俗称である。作業が過酷であることで有名であり、余程のことがない限り希望する人はいない。
まったりそんな話をしていたところ、鳥越の席の内線が鳴る。短く応答して電話を切った鳥越は、木村に告げた。
「補佐、主意書です。」
***
質問主意書、とは、省オフィシャルのマニュアルによると、国会議員が政府に対して文書で行う質問で、国会法に基づいて行われるらしい。内閣は七日以内に閣議決定を経て返答する義務があるとのことだ。
「この、七日以内に閣議決定っていうのが大変でして。一応、内閣総務官室、略称「内総」っていう政府全体の取りまとめの部署がこの省だろうと当たりをつけてくるわけですが、役人としては、できるだけ他の部署に押し付けようとするわけです。どう言い訳しようもなく自分のところであれば諦めますが。まぁ、他に該当する部署があればそこがやるほうがちゃんと答えられますしね。」
例によって鳥越が解説してくれる。木村は会議に出ている喬木に連絡を入れたり、省内の割り振りを担当している大臣官房に抗議したり、と渉外業務に邁進中だ。定まった時間内に抵抗しなければ、問答無用で押し付けられるらしい。
「いやー、主意書は久しぶりだなー。」
落ち着いたらしい木村が愚痴る。
「最近そんなに絨毯爆撃みたいな感じはなくなりましたもんね。」
「いっとき、パワハラじゃないかってくらい来てたよねー。部署狙い撃ちで。」
別に何か知りたいなら聞けばいいと思うが、閣議決定を必要とするこの形式は、普通の「ちょっと教えてくれる?」に比べ、負担が相当増大するらしい。たしかに、呼ばれれば木村などの補佐クラスが普通に行ったり、電話も気楽にしており、ここまでの抵抗感はない。
「大半は普通に電話ででも聞けばいいじゃん、ってレベルなのが腹立つわー。」
「補佐、ご自分で言われてたことですが、何を言うかより誰が言うかのほうが大事です。」
「まーね、そうなんだけどー。」
木村は納得していないらしい。
「主意書は、たまに名作というか迷作が出るから、それだけは私、評価してる。」
「迷作ですか?」
「U.F.Oの存在とか、某女性大臣の赤い××に関して閣議決定させた議員はセンスあると思う。洒落的な意味で。」
「…そんなのまであるんですか。」
「ちなみにU.F.Oはこの前リバイバルがあった。二番煎じはセンス的に脚下。」
「はぁ…」
大真面目らしい木村の戯れ言は鳥越とともに放って置くことにして、次の連絡が来るまで通常業務をこなしながら待機である。このあたり、遥も鳥越も特に打合せどころか目線すら合わせなくても対処が分かるくらいには木村に馴れている。
その後も官房を経由して何度かやり取りしたものの、どうも思わしくないらしい。
「補佐、次で向こうが受け入れなければ内総裁定だそうです。」
「うっそ、マジ?裁定されたら勝手に書くぞ。」
「合議にはいれてほしいと。」
「じゃーそっちで書けよ!」
木村、娘には聞かせられない荒れっぷりである。ちなみに内総裁定とは、論争で決着がつかないときに内閣総務官室がこれまでの論争を踏まえて決着をつけることをいい、審判の判定に近い。
「先方、なかなかいい性格してますね。」
「官房、ちゃんと向こうにこっちの主張伝えてくれてるのかなぁ…。」
「それでは通らない、とかはさっきから言われてますが…」
「言われてますなぁ。どっちの味方なのかちゃんと考えてほしいわ…。」
じりじりしながら待つこと20分。運命の電話が鳴る。
「補佐、内総裁定でうちが書き、先方が合議です。」
「はーいー。しゃーない。今日はこれでおしまいよね?」
「あとは連絡先の交換です。明日午後、法制局ですね。」
マニュアルを見ながら鳥越が答える。閣議決定の面倒さで、書きが当たるとまず合議先と局内の了を経て、官房や内閣法制局の審査を受けた上で閣議請義の手続きを踏まねばならない。7日間がルールだが、閣議は週に2回しかないため、当たる日によってスケジュールに差が出るのだ。
「もうちょい時間あるから、とりあえず書いちゃおう。で、今日じゅうに先方に送っとけばいいでしょ。」
「僕、さっき待ってる間に書きました。これでどうですか?」
「ありがとう!さすが鳥越さん。…ちょっとだけ直すね。」
***
手続きそのものは、面倒そうではあったが淡々と進んだようだ。
途中で緑で囲われた閣議請義の用紙を見せられたり、遥が文書担当の部署にお使いに行ったりはあったものの、特段の騒ぎにはならずに終わった。
「今日の閣議ですよね?」
「まぁ、ニュースにもならない主意書だしねー。」
(やっぱり、木村さん鳥越さんのペアは仕事が楽だ…)
木村と鳥越の話を聞きながら、相変わらず文書担当のところに行く前に2、3回は遥の差戻しを必要とする本多のことをふと連想し、遥は嘆息した。
こんなに割り振りで揉める割にその後が淡々と進むなら、揉めなきゃいいじゃん、と思ったりもしたのですが。
いったん引き受けちゃうと、前例となって今後も似たような主意書は全部引き受けなきゃいけなくなるので、地味に他のお仕事を圧迫します(嗚呼前例主義!)。
内総裁定だと、「今回は仕方ないから引き受けてやるけど、特別だかんね!」と申し入れたりできるのですが。
一見不合理なように見えても、それなりの理由があるものだなぁ、と思ったものです。
ちなみに、作中の「UFO」と「赤い××」は実在の質問主意書です(国会のWebサイトにアップされてます)。こんなもんを閣議決定させるのがいいか悪いかは議論の余地がある気がします。




