第16話 着ぐるみの裏側
裏側なのか内側なのか、少し迷いました(笑)
夏の「こども霞が関見学デー」に向けて、政策推進室は局内の取りまとめを行っている。室員は現在、その初回の打合せ中だ。普通、遥は室内のこういった会議に出ることがないが、今回は確実にイベントに駆り出されることになるため、最初から参加している。
こども霞が関見学デーは、夏休みの期間に数日間、霞が関の官庁街をあげて行うイベントで、大きな会議室などを解放するなどして、どんな取り組みをしているかを主に子供を対象に広報するイベントである。子供のほうは、作文だったり自由研究だったりのいいネタになるようだ。
「ブースは局でひとつ。たいていはポスター出展になりますね。」
「とりあえず、ミニチュアは別に場所貰えるんでしょ?」
「例年通り、山内さんがやる気です。」
山内女史はベテランのノンキャリ職員だが、ミニチュア作成に関しては、ギャラリーで個展が開けるレベルの腕前の持ち主である。所管のなにやかにやを箱庭風に表現するのが毎年とても見事で、密かに職員たちや政治家を含めた幹部も見るのを楽しみにしているらしい。彼女としても、子供たちの素直な反応は個展などで愛好家の大人から誉められるのとはまた違う楽しさがあるようで、毎年新しい趣向を加えつつリニューアルしている。
「はるちゃんはこの前は来たばっかで行き損ねたでしょ?いってきたらいいよ。すごいよ、あれ。」
「そうですね。楽しみです。」
去年はなんだかんだで逃してしまい、あとから写真を見せられて悔しい思いをした遥は力強く頷く。
「あとはスケジュール感を局内に共有して、早めに発注と回収して、全体の統一感を取る感じかなあ。フォーマットは最初から固めないとだね。ただ、ウチは華やかさがないからどうもミニチュアのとこ以外のお客が閑古鳥なんだよねぇ。」
「うーん。」
議論をしていると、打合せの最初に局長から呼び出しを食らって少しはずしていた喬木が、慌てた顔をしてが戻ってきた。
「木村。例のアレ、やるらしいぞ。」
「…うっそ。でしょ。」
木村も、がーん、という顔をする。一瞬敬語が飛ぶくらいショックだったらしい。鳥越は表情が薄いからわかりづらいが、置いていかれた他の人間はぽかんとしている。
「お前は大丈夫だ、ああいうのは若い人がやると決まってる。」
「…室長、私、室内では若い方ですが何か。」
「そういう話じゃない、年次と職階だ。あと、やる気と。」
「年次でも若い方で…」
「といいますか、なんの話題でしょうか。」
明後日の方向に暴走する話題に鳥越が突っ込み、
「「当日着ぐるみ着るのに、人を出せって…」」
喬木と木村の力のない声がユニゾンした。
***
省庁や地方自治体で、マスコットキャラクターを作るようになってからもうずいぶんたつ。場合によっては絵心のある職員の手描きでも作れ、あまり原価がかからない上に、犬とか熊とかネコとか梨とか、全国版のメジャーな存在になるのがたまにいるため、たぶん廃れないだろう。
遥たちの勤める某省でも、3人(匹?)セットのキャラクター「ますこっつ」がいた。省内向けイントラに載せてみたり、省外向けの資料にあしらうと少し硬さがとれて親しみやすくなったりと、割と便利に使われている。地方でのイベントなどではよく着ぐるみも登場するが、そろそろ更新と言われながらも、予算の関係で10年ほど前のが現役で活動中であり、だいぶ見た目が残念なことになっていると中では有名だったりする。ちなみに、当然ながらそのために役者を雇うなどという贅沢が許されるところはほぼなく、どこでも基本的に職員が着る。
「けっこうあれ、可愛いですよね。楽しみです!」
遥ははじめ何も考えずに無邪気に喜んだが、喬木や木村をはじめ、職員のテンションは大変低い。
「まだ冬ならなぁ…」
「…柳澤さん、やってみたいの?」
「本番、真夏だよ。ただでさえ設定28℃で冷房きかない霞が関の、更に冷房効かない大会議室で着ぐるみ…絶対死ねる…」
「あ、つまり暑いんですか。」
遥が聞くと、どんよりと若手の桝谷が答える。
「暑さもだけど、めちゃくちゃ汗くさいんですよ。特に、10年モノだし。」
「あぁ、そうか…」
「それに、今度のはまだマシかもしれないんですが、小さい子が多いと蹴られるとか脱がされそうになるとか…邪険にもできませんし。」
「大変なんですね…」
「俺はやらないからな!」
「室長ではそもそも体が入りませーん。」
山田ほどの巨漢ではないが、喬木も年齢に相応しい立派なメタボ体型だ。
「言ったな、木村。俺以外は全部候補者のくじ引き制にするぞ?」
「やー、室長かっこいい!イケメン!やっぱり男は貫禄ですよ!」
「微妙にディスりやがって…」
苦笑する喬木。
「まぁ、それはいいとして。3人×3日間×数時間ごとのシフトってことですよね。」
「おう、局内で4人出せばいい。ただ、発注するウチがゼロは示しがつかないから、一人はウチだな。」
「うーむ。とりあえず希望者…は、いないか。やっぱり。」
「補佐級はさすがにはずした方が良いんじゃないか。拘束時間も長いし。」
室内に係長以下は四人。鳥越、本多、桝谷、それに遥だ。
「…鳥越さんや本多さんにさせるわけにはいかないですよ。柳澤さんってのもないですし、僕がやります。」
桝谷が悲壮な表情で宣言する。
木村がぽん、と肩に手を起き、うんうんと頷く。鳥越が「着ぐるみ後のお疲れ様のジュース、何がいいですか?」と聞き、喬木が「よく言った!」と褒め称えた。
(こ、これはなかなかひどい…ってか、屋内でこれなら、真夏の屋外は地獄…)
着ぐるみを免れたことにホッとしつつ、お盆休みあたりにたまに屋外イベントにいるマスコットたちに思いを馳せる遥だった。
***
そんな話し合いが発生した数日後、室内には喬木、桝谷と遥の3人が残っていた。
『某省ますこっつ『にーさん』、週末の皇居ランイベントに参加』
という見出しの記事をインターネットの配信で見つけた遥は、思わず声をあげた。ちなみに、ますこっつの3人(?)は、いっちー、にーさん、サンサンというかなり安直なネーミングだ。
「…これマジですか?」
「僕も今ニュースリリースを確認してみたけど、マジっぽいです…」
「うわ…」
真夏ではないとはいえ、すでに5月も後半。気温30℃を超えることも珍しくない。
「着ぐるみ着て皇居ラン…」
「中の人なんて公式にはいないから、『ますこっつも楽しみにしています』らしいです。いっちーとサンサンは応援しに行くそうで。」
「誰が行くんだコレ。」
「…広報課の人ですかね?」
3人は顔を見合わせる。
「しかも、昔やってたことあるから俺は知ってるけど、こういうのはイベント会場から相当遠くで着替えるんだぞ。着ぐるみ持ち込んでるとこなんか見られるわけにはいかないから。」
「あ、そうか、彼らだけ車で来るわけにもいかないから…」
「そう。この場合、たぶん省内から出てきて参加が自然なんじゃないか?」
「スタートが二重橋だから、そこまで歩くのがまずハードル高いですね。」
「終わってすぐ帰るわけにもいかないし、これまた撤収は省内に戻らないといかんし…」
「うわあ、よくやる…」
想像しただけでげんなりする面々。
そこへ割に省内に人脈のある木村が帰ってきた。
「ますこっつ、皇居…あ、知ってました?」
「何か聞いてきたか?」
喬木がワクワクした顔で聞く。
「はい。もともと、広報課の係員さんに走るの好きな人がいて、しかも耐久系の走りが好きなんだそうで。」
「トライアスロンとかか?」
「いや、それが3日間走り続けるとか、毎年夏に一人選ばれて走る芸能人みたいなことをやるんだそうで…そんな大会があるって私も初めて聞いたんですが。」
「なんじゃそりゃ。」
「…端的にドM?」
「そういう回答でいいんだ…」
「桝谷さん、真似しちゃダメです。」
最近、木村は「喋らないと死んじゃう病」だけでなく「ボケないと体調を崩す病」も併せて患っているのではないかと半ば本気で思い始めている遥だった。
「それで、彼は「こども~」のために先日着ぐるみを試着して、コレだ、と思ったそうなんです。」
「よくわからん思考回路だな。」
「私にもよくわかりません。」
「とにかく、それで走りたい欲求がむくむくと、ってことなんですか。」
「うん。もともと、トレーニングがてら例のイベントには申し込んでいたんだそうで、ぜひ着ぐるみを着用したいと、イベントの了解を得てから上司に申し出たら、じゃあ省をあげての広報にしよう、となったらしいです。」
「まぁ、後半はなんとなく理解できる。せっかくだしな。」
「応援に巻き込まれた二人は災難だがな。」
「そっちは、代休取れるから大丈夫だそうで。広報課の本課ではなくて、課内に、代休取れないほど忙しくはない室があるんだそうです。」
「ほー…」
納得したような、してないような。とにもかくにも、世の中いろんな人がいるんだなぁ、と感心する遥なのであった。
あ、梨は非公式だった…(笑)




