第15話 総務課事変
「なんかもう、どうしたらいいか…」
朝の給湯室。遥と向井は、総務課本課の非常勤職員の一人、阪口の悩みを聞いていた。
本課はけっこう大きな課で、非常勤職員も4人いる。キャリア組が課長から1年生まで合わせて8人ほど、本課だけで全部まとめて40人近くいると、いろいろと人間模様が起きるらしい。
阪口は2年目の非常勤職員で、ハキハキと明るい、真面目に働く気持ちのいい20代半ばの女性だ。そんな彼女が胃を痛くしている理由とは。
「残りの3人が、『そんなに頑張るなんて、お仕事好きなのね。邪魔しちゃ悪いし』って、何もしないんですよ…」
「あぁ…よくある…」
この手の話は、非常勤の世界ではうんざりするほどよくある。別に点数稼ぎをするつもりもなければ媚を売るでもないが、給料をもらっている以上それなりに仕事はしなければならないと思うのだが、そういう輩にはその発想はないようだ。
「確かに私たちは出世とかは関係ないけど、職員さんといい関係を築けてチームに貢献できるのも楽しい、ってのもあるよね。」
「それも、『あなたは職員さんと仲良しでいいね』ですよ…。」
「仲良しになりたいなら仕事したらいいのに。さすがに、最低限の仕事もしないでそれはないわ…」
正直、局長秘書の峰岸が職員たちになんだかんだで認められているのもこの辺りが理由で、口の悪さは目立つものの、彼女は仕事はきちんとする。職員どうしもそうだが、職場で職階に応じた仕事が出来ないのであれば、試験や出身校や職種に関係なく、周囲に認められるわけはない。誤解されがちだが霞が関でもそのあたりは変わらない。
「話を聞いてあげるくらいしか今はできないけど、阪口さんは間違ってないと思うよ。私は応援する。」
「うん。話したくなったり、手が足りなければ声かけて。いつでも手伝うから。」
二人がかりで慰めるものの、阪口の顔色は冴えない。四人分の仕事をほぼ一人で引き受けていれば仕事がオーバーフローするのも当たり前で、残業まで発生しているらしい。最近職場に来るのが辛い、とまでなっていると聞くと事態は深刻である。
「植野さんは何も言わないの?」
「うーん、気付いてないんじゃないかな、と思います。私もまだ言ってないですし。」
「了解。私たちもまだここだけの話にしておくね。」
そうは言ったものの、その手の話に鈍そうな男性係長の植野では、気付いた頃には手遅れになっていそうだ。または、気づかぬ体でどうしようもないところまで触らないようにするか。
この手の微妙な問題は、女同士のほうが話が早い。頃合いを見て木村には匂わせようか、と遥は思案する。
「前嶋室長に…」
似たようなことを考えたのか、向井が呟く。
「前嶋さんは分かってくれると思うけど、管理職が出ると大事になる気がするんだ。」
「そうだね。やっぱり木村さんかな。」
「誰、とは言わずに話してみるよ。」
二人はそんな風に結論を出すのだった。
***
「あー、それ本課?あそこ、最近なんか全体的に空気がおかしいんだよねー。」
昼ごはんに誘って遥が相談してみると、あっさり木村はどこの話か看破した。
「なんか、いつ行っても空気が重いし、何の話持っていってもウチの仕事じゃありませんとか。所掌に確実に入ってる話だけしてりゃいいなら、あんなに職員いらないよねー。総務課なんだからバスクロで全部受けろってーの。」
バスクロ、とはざっくり言って「その他類似の諸々」というような意味の役所用語である。
「全体なんですね…」
「だから、植野さんも手が回らないというか。精神的に誰もが余裕ない感じ?あんま知らない人だから、見えてないか見ないことにしてるかわからないけど、そんなことだろうね。」
「そうですか…」
「自分の部署じゃないし、あんま出来ることもないけど。ちょっと気にするようにするし、ヤバいと思ったら口出すから、はるちゃんもターゲットになってる彼女のフォローお願いしていい?」
「はい、むしろ私からお願いしたことですし。よろしくお願いします。」
戻って、阪口の様子を見がてら本課を覗いてみる。
(うわあ…)
遥は心の中で頭を抱えた。自分たちや企画室がいつも通りだったので気付いていなかったが、真ん中の本課だけ、雰囲気がどんよりしている。必要な打合せすらひそひそと声を潜めて行われる空気に、遥は就職直後の政策推進室を思い出した。
(でも、あれよりひどい気が。)
もともとはそんなにトラブル多発というわけでもなかったはずの総務課で、なにが起きたのか。木村も気にしているようだったし、遥は遥の人脈で探ってみよう。そんなことを思いつつ、そっと席に戻る遥であった。
***
木村、向井と、木村の判断で前嶋にも声をかけての答え合わせの結果は、けっこう惨澹たるものだった。
「つまり、審議官が替わって、総務課をキリキリとシメてる、と…」
「それで課長以下がピリピリしてるのね。仕事もどっと増えて新しいものを受ける余裕もなし。」
「で、機嫌の悪い上司に声をかけるのが苦で、みんな硬直してる。それで非常勤さんにちゃんとお願いできなくて統制が取れない、と…。雰囲気悪いのも影響してそうですね。」
「もう、機嫌の悪い上司なんて法律で禁止してしまえばいいのにと思います。」
「…その場合、“機嫌の悪い”の判断基準と、それを認定するのは誰かという問題が…」
「あず、その発言は職業病。」
「すみません、つい言いたくなりました。」
「まぁ、ちょっと見過ごせないけど、審議官も悪気がある訳じゃないもんねぇ…」
「むしろ、言うことは妥当なんですよね。頭よすぎて誰もついていけないだけで。」
頭を抱える前嶋と木村。
「…ま、来週あたり、企画室と審議官で飲むから、ちょっと探ってみるわ。」
「たぶんですが、審議官と総務課の企画官がめちゃめちゃ相性悪いんですよねー。」
企画官は、課長と課長補佐の間にある役職で、副課長のような立ち位置の人だ。総務課の企画官といえば、局内のよろず困りごと相談所でもあり、予算などのキーパーソンでもある。ここには政策推進室があるのでそういった機能はあまりないが、局によっては局長の政策面での秘書的な仕事もこなす。
「そうなの?」
「企画官は典型的優等生タイプで、教科書の端から端まで覚える人なんで。」
「あー、あずと昔上下で、めちゃめちゃ合わなかったんだったっけ?」
「私がこんなですからねー。腹立つんじゃないですか?」
「あんたは典型的なヤマを張るタイプだもんね。わかった、頭にいれとく。ただ、やっぱり先輩だからずけずけは言いづらいな…」
なかなか簡単に解決しそうにはないが、とりあえず突破口は見つかったかもしれない。
遥と向井は、阪口の精神的なフォローをしつつ、動静を見守ることにするのだった。
***
前嶋が何か言ったのが効いたのか、はたまた着任後ある程度言いたいことを言ったら落ち着いたのか、審議官と総務課との関係は一段落ついたらしい。総務課も、一時のピリピリした雰囲気は鳴りを潜め、それなりに風通しのいい雰囲気を取り戻しはじめた。
その一方で収まらないのが非常勤ワールドである。いったん楽を覚えてしまったからか、阪口への業務の押し付けは止まず、阪口は仕事を休みがちとなってしまった。
「今日もあのぶりっこちゃん、お休みだってー」
「うっそー、仕事どうするんだろー?」
「責任感あるんじゃなかったんだー。」
給湯室でそんなことを悪びれずに言う総務課の非常勤職員を横目に、ため息が出る遥。
(誰が追い込んだと思ってるのよ…)
とはいえ、ここからは総務課の話で、遥は傍観者でしかない。メッセージを送ってみても阪口は未読スルーしているようで、どうしようもなかった。
(このまま辞めちゃうのかなぁ…)
そんなことを思っていた数日後、木村から別室に呼ばれる。木村が改まって、更に執務室以外の場所を設けて話すのは珍しい。
「阪口さんの件だけどね。」
そう切り出した木村の顔は、いつもの抜けたところのある表情とは別人だった。木村のたまに見せる仕事モードとも少し違う、苦味を含んだ顔に、場所のこともあり遥は柄にもなく緊張した。
「私は直接関係ないんだけど、植野さんに探りを入れてみたら、彼も女性の機微はわからないって困っててね。少し口を挟むと言うか、助言だけすることになった。それで、はるちゃんに相談しようと思って。状況を簡単に言うと、有給も限界で、本人から退職希望が出てる。」
「やっぱり…」
「総務課としては、すごくいい人だから辞めてほしくないらしいんだけど。私は正直、慰留は厳しいんじゃないかと思ってる。」
「でも。」
「ここまでこじれて、戻って居場所があるのかな。どう思う?これは、私には空気感はわからないから、純粋な質問として」
「それは…」
遥は言い淀む。
「スジから言えば、残りの3人がやめるべき、っていうのはすごく分かる。ただ、有期契約とはいえ雇用している以上、よほどのことがない限り期間満了以前に退職してもらうのは厳しいんだよね。よほどっていうのは、たとえば、横領したとか、無断欠勤が何ヵ月も続くとか。」
「そういうものなんですね。」
「あと、これは私の個人的な意見というか経験だけど、独身の人は、もともと在職中に夢を見つけて辞めてくことが多い。もちろん満了まで勤めてくれる人もいるけど、辞めると言われたときに強く引き留められるほど、魅力的な職場じゃない。」
「それも、分からなくもないです。」
秘書であればまだスキルアップと表現できなくもないが、期間限定での事務補助職は、確かに他に転職する気とチャンスがあれば途中退職しても惜しくないかもしれない。正社員としての採用なら尚更だ。
「というのを踏まえた上で、ただ、辛いってだけで仕事を辞めちゃうのはお互いのためによくないとは思う。彼女にとっても、無職期間がないほうが履歴書的にも経済的にも良いことが多いしね。だから、もしはるちゃんがよければ、なんだけど、一回私、はるちゃん、彼女でお話をして、それでもダメそうなら諦めようかな、と。」
「お願いしていいんですか。」
「むしろこちらからお願いしたい。非常勤さんは、職場を支えてくれる貴重な戦力だし、大事な仲間だと思ってる。」
「…ありがとうございます。」
「よろしくお願いします。」
改まった木村は、素を知っていても妙な迫力と説得力があり、遥は彼女の隠れた一面を垣間見た気がするのだった。
***
結果から言うと、阪口の退職の意思は固かった。
「わざわざおいでいただいて、ありがとうございます。でも、もう決めたので。」
「そう…」
「阪口さん。こちらがきちんとフォロー体制を取れなかったことが原因なので、こちらを利用するつもりでいてもらって構わないんだけど、例えば転職先が決まるまで籍だけ置いとくとかって考えはない?」
「実は、もう、転職先は決まっていて。来月から入社してくれと言われてます。」
「そっか。」
「もともと希望していた業界で、ふと求人サイトを見たら珍しく中途採用があっていて。採用までトントンと行ったこともあって、何かの縁かなと。」
阪口は吹っ切れたように言った。遥や向井に相談していた頃に比べ、表情が晴れやかだ。
「わかった。そこまで決まっているのであれば、もう何も言えない。これまでありがとう。そして、きちんと対策がとれなくてごめんなさい。」
「木村さんが謝ることでは。」
「組織としての謝罪かな。柳澤さんから何かある?」
「私も、話を聞いていたのに力になれなくて。悔しいです。」
「もう、それは。」
「すごく残念だけど、新しいところで頑張って。」
「ありがとうございます。」
阪口の家をなんとも言えない気持ちで出ると、木村も複雑な顔をしていた。
「ここまでがっつり関わったのは初めてだけど、来るねこれは…」
「だいたい、植野係長が来ないってひどくないですか?」
「関わりたくないんでしょー。そういうタイプだから悪化した疑いもあるし。あんまはるちゃんに言うことではないかもしれないけど、私が話題をだしたら、嬉々として押し付けてきたよねー。」
「…なんだかなぁ。」
「まぁ、本人が立ち直っているというか、新しい道を探していて良かった。もともと希望していた業界だったなら、災い転じて、かもしれないし。」
「それは救いですね。」
二人で昼下がりの道を歩きながら淡々と話す。民家の庭先の緑が眩しくて、遥は目を細めた。
バスクロ…バスケットクローズの略で、法令用語です。木村さんは法律系の人なのでたまに分からないことを言います。
木村姐さんが阪口さんや(今回出てきてませんが)鳥越さんにタメ語ですが、普通の人は非常勤さんや部下さんにも敬語です。その辺はもう、姐さんだからということで…




