第十話 バレンタインのあれこれ
季節感なし!すみません。
2月に入って、ある日の昼休み。
遥は今日も木村とランチに出掛けていた。本日は少し時間に余裕があるため、木村おすすめのスパニッシュレストランのパエリアランチ。デザートに氷菓がつくのに、「近くにあんみつの美味しいお店があるよー」という紹介だったのは何故だろうか…というか、この上司、たぶん買って帰る気である。やせ形とは言わないが、これだけアルコールも甘味も好きで、なんで普通体型を維持しているのか、一度問い詰めようと遥はいつからか地味に決意している。
食後のコーヒーを飲みつつ、早採りのいちごを使ったシャーベットを食べていた二人。木村は、話が途切れたところで少し言いにくそうに言った。
「はるちゃん、バレンタインはどうする派?私、普通はやってるんだけど、はるちゃんがやらない派なら今年は止めとこうかな、って。」
木村が気にしているのは、恐らく、たまにいる強硬な義理チョコ反対派のことだろう。特にこだわりのない遥は笑って答えた。
「大丈夫ですよ、やりましょう。私、調達してきますよ!」
「ありがとう!でも、調達は今度ご飯を立ち食いそばかなにかでさっと済ませてから一緒に行こうよ。私、夫のも買わなきゃだし。」
「わかりました。じゃ、また今度。」
「よーし、じゃそのときはがんばるぞー。今日はあんみつ寄って帰ろうねー!」
(やっぱり買って帰るんか!)
脳内で突っ込んだ遥だったが、結局誘惑に負け、一緒に買って帰ることになり。
(…悔しいけど美味しい。)
晩ごはんのあと、罪悪感と幸福感の狭間で悶えることになるのであった。
***
「えっ?ほんと?」
「ほんとほんと。見たもん。」
超のつく美人の非常勤職員、企画室の向井が教えてくれた話は衝撃だった。
「政策推進室の桝谷さんと、次長秘書の春山さんと一緒にいるの、あらゆるところで目撃されてるよ!」
「えー?」
「お昼時に銀座の眺めのいいレストラン。夜に日比谷の新しい商業施設。夕方に地下のコンビニ。」
「わー、わー、わー」
「私もこの前の金曜の夜に友達とご飯食べに行って、女子会向きの銀座の夜景がみえる雰囲気のいいレストランで…」
「えー!?」
「しかも、この時期じゃない?なんか特別デザートのフォンダンショコラとか頼んでて、幸せそうに同時に割ったりして…」
「うそー!」
正職員がいないのをいいことに、二人できゃーきゃー騒ぐ。片方が三十路だろうが既婚だろうが、恋愛話は女子の大好物だ。
「あれ?でも、桝谷さんって…」
「え?」
「忘年会で高級ハンドクリーム当たって、彼女にあげる、って…」
「…その頃から春山さんと付き合ってたんじゃないの?」
「いや、たしか大学の同窓生とかって…遠恋で…」
「うそー!?」
それが、結構な波乱の予感を感じさせるものだとしても。
***
遥は、噂の春山について、仕事上付き合いのある峰岸に聞いてみた。
峰岸は、佐野の後任で局長秘書に採用された20代後半の気の強い女性で、まだ在任は数か月だが、はるかに歳上の女性もいる幹部コーナーの中で秘かに実権を握っているとの向井情報がある。
峰岸は当初、遥にもマウンティングしてきたものだ。
「柳澤さん、それ、普通の非常勤さんに手を出してほしくないんです」
「おたくは10人くらいですけど、私は局内全部を相手にしてるんで」
「私、まだ20代なんで。30代の柳澤さんには負ける気しないんですよ」
などと連発され、遥は悲しくなったり悔しくなったりというより前に、呆気に取られたものだ。更に木村にまで同じ勢いで噛みつきにいく峰岸を、ヒヤヒヤして眺めるくらいには冷静だったと思う。なお、木村は「あーそーなの?大変ねー。」などと全力で適当に流しており、峰岸の必死感と裏腹の報われなさに、遥はむしろ彼女に同情してしまったくらいである。
結局、峰岸は二月ほどである程度諦めたのか矛を収め気味となり、雑談もするようになって、なんとなくお互いに休戦協定を結んだ感がある。政策推進室はその仕事上、局長室に入ることが多いため、遥にしても、たぶん木村にしても、ちょっと安心したようなところがあった。
「春山さん?まぁ、私の相手じゃないですよね。」
が、峰岸が峰岸であることは変わらない。遥も慣れてしまい、普通に突っ込む。
「いや、そうじゃなくてね。」
「地味顔で化粧薄いから見ようによっては若く見えますけど、確かバツイチの30代ですよ。中古のオバサンなんて相手にしてる暇ないんで、よく知りませんけど。確か実家は都内は都内でも都下で、駅から車で一時間とか。秘境みたいじゃないですか?本人は埼玉県のどこかにアパート借りてるんじゃなかったかな。私は生まれも育ちも港区ですけどね。」
よく知らないとか言う割に、かなりの量の個人情報が駄々漏れである。本人の自慢も入っているが、それが峰岸クオリティ。割に郷土愛の強い木村など、似たような話で「東京で産まれたらなんかすごいのー?」と素で本人に聞き返し、「東京じゃありません、港区です。これだから田舎の人は。」とか言われていた。
ちなみに向井の自宅も都下で、彼女に至っては「バスと電車を乗り継いで二時間かかるけど、別に通勤できるから」と別に家を借りることもしていない。終バスに乗るため、銀座などで飲んでいても9時には電車に乗らないと間に合わない、とんだシンデレラである。が、峰岸は顔を見た瞬間に負けたと思ったのか、向井には喧嘩を売らない。彼女の価値観がよく分かる話である。
「うんうん、港区すごいね。離婚って、そんな歳でもなくない?」
「32?とか言ってましたかね。20代前半で結婚して、旦那さんは結構歳上のモテない君だったらしいけど、若い子と結婚できて勘違いしたのか、浮気?」
「あら。」
「3年くらいで離婚したらしいですよ。もう歳上はこりごりだって。お父さんも浮気するタイプで、ちょっとファザコン拗らせたんだろうけど、もうさすがに目が覚めた、とか本人は言ってましたね。」
そうは言っても、桝谷はたしかギリギリ20代前半である。逆方向に振れすぎではないだろうか。
峰岸に礼を言い、賄賂?のお茶菓子(出張帰りの本多が買ってきた、どこで買っても製造元が同じゴーフレット。峰岸は普通にお礼を言って受け取り、遥は拍子抜けした)を渡して部屋に戻り、パソコンのかげからこっそり仕事中の桝谷の様子を伺う。
(普通に見えるけどな。)
本多と並んで大山の下についている桝谷は、今大山と打合せをしており、特に変わった様子は見られない。特に優れた顔立ちと言うわけではないが、若さも手伝って所謂雰囲気イケメンという体の彼は、それなりにモテるだろうが取り合いになるようなタイプにも見えないし。
(忘年会であんな幸せそうにのろけてたのにな。)
スペックで判断するのはよくない、と思いつつも、学生の頃からの付き合いの同級生のほうが、バツイチ30代よりお似合いなんじゃないかなー、とどうしても思ってしまう遥なのだった。
***
そのあとも、桝谷と春山の目撃情報は続いた。遥も、昼下がりの人気のない給湯室や、あまり人の使わない階段の踊り場で語り合っている二人を見かけている。
そんな中でも日は過ぎていくもので、木村が昼休みに外に出られるタイミングで二人は銀座までチョコレートを買いに出掛けた。忘年会でぱかぱかと「川音」を空けていた局長には日本酒チョコ。喬木には「…似てない?」と、木村がニヤリと笑って、どこからか包装紙にごつい顔のブルドッグがプリントされたチョコレートを手に入れてきた。ほかのメンバーは一律にお高めのトリュフチョコレートの小箱。
木村が「ごめん、ちょっと待って。旦那のぶん買ってくる!」とぱたぱた去って行ったので、遥は会場の柱に背をもたせかけてひと息入れた。木村は退勤後にはお迎えがあるから今買わざるを得ないが、遥の夫の分は、今度仕事帰りにゆっくり買いに来るつもりだ。
会場を見渡すと、すごい人数の女性たち。
(そりゃ、ヨーロッパの有名パティシエだってこの時期来日するよね。すごい市場だもん。)
そんなことを思っていた矢先、有名店でチョコレートを選んでいる一人の女性が目に留まった。
(…春山さん?まさかね。)
彼女の横顔は、怖いくらい真剣だった。
***
バレンタイン当日。
遥と木村は、局長以下にチョコを配って回る。
「おー、ありがとう!今飲んだら仕事にならないから、家で開けるなー」
「いや、日本酒じゃなくて食べ物です、局長。確かにアルコールは入ってますが。」
「なんだお前ら、俺が犬顔だって言いたいのか?知ってるよ。俺、これ貰ったの4回目だぞ。いや5回目か?」
「くっ。いいネタだと思ったのに先駆者が…」
わいわい言いながら配っていたが、桝谷はさっきから席を空けている。打合せなどは入っていないはずだが、と、遥は少し気になって、一通り配布を終えてからさりげなく席を立ち、部屋の外の様子を伺った。
春山が泣きそうな顔で幹部コーナーへの角を曲がるのが見え、逆方向に困ったような桝谷が所在なげに立っている。なんとなく事態を掴み、少し迷った挙げ句、遥は桝谷に近づいた。
「桝谷さん、大丈夫ですよ。けっこう女性は強いものです。」
「ああ、柳澤さん…見られちゃったか。」
わざとらしくぽりぽりと頭をかく桝谷。参ったなー、と顔にかいてある。
「最近いろいろ専門のことで相談を受けてて、お礼ですって飯おごってもらったりして。春山さん、話が上手だから盛り上がったりして。なんか勘違いさせちゃったのかなぁ。」
(桝谷さん、いや桝谷クン。それは女子の定番の戦略だよ!ひっかかってんじゃないよ!)
「僕は地元に彼女残してて、って話もしてたはずなんですけどね。春から一緒に暮らすことになったので、彼女は退職や引越しの準備で忙しくしてて。」
「ご結婚されるんですか?」
「プロポーズはまだです。でも、彼女が上京してきたら、一緒に指環探そうっていう話はしていて。」
「それはおめでとうございます。」
(桝谷くん…それはプロポーズ終わってるよ…)
遥は内心つっこみつつ、一方でひと安心し、微笑んで桝谷に祝福を告げた。
遥から見たコイバナはこうなるという。春山さんには、ふさわしいひとが見つかることを祈っております。




