第九話 不倫議員と国会のカンケイ
毎度、地味にサブタイトルに苦労します。
年が明けて一月ほど。その日のニュースは、須加原という与党議員の不倫の話題で一色だった。
夫人は十数年の長きにわたり、議員の祖母と父親(嫁にとっての大姑と舅)の介護を一手に引き受け、介護疲れで夫人の役目も自分磨きも手が回らない、という状況。そんな中での若い女性秘書との不倫で、クリスマスだ初詣だと浮かれ回った挙げ句、
「あんなオバさん女として見れねーよ」
「髪振り乱して、いつ見ても疲れて機嫌悪くて。議員の妻の仕事をお前にさせて恥ずかしくないのか、あいつは」
等という不倫相手宛のメッセージが週刊誌に流出してしまったため、須加原議員はテレビのコメンテーターから巷の一般人に至るまで、介護のことを少しでも知っている人を全員敵に回すことになっていた。
「あれは酷いよな。介護なんて片手間にできるようなもんじゃないだろ、常識的に」
政策推進室でも、喬木がニュースを見ては吼えている。
「しかも二人ですからねー。奥様は相当にご苦労されてるかと。介護される人が何だかんだでいい人で、かつ可能な限り人にお願いして、だとそこまでないと思いますけどー。」
誰も拾わないため、お弁当を食べて今まさに寝ようとしていた木村が、若干めんどくさそうに喬木に相槌を打つ。こういうときに毎度思うが、大抵の場合においてそれなりの知識を踏まえた反応ができる木村のスキル構成は謎である。
「だろ?あれはないよなー。」
40代後半の喬木としては、介護は他人事ではないのかもしれない。遥は喬木の結構な憤りを感じた。
***
その昼休みが終わってしばらくした昼下がり。
木村と鳥越がパソコンに向かって「えーっ」と嫌そうな声を上げ、鳥越が「打ち出します」と木村に告げた。うん、と木村が頷き、そのタイミングでかかってきた電話に短く応答して切る。
「明日の国会答弁当たりました。噂の須加原議員。モノは大山さんのとこ。問取りレクは午後4時。詳細と要旨はいま鳥越さんが配ってます。」
「ええ?あの人うちの委員会?」
「いえ、他の委員会ですが。とにかく聞きたいんだそうで。」
マジかよ、という顔の室の面々。
「要旨読んでも何でこうなるのか分からないんですよねー。この質問要らなくない?みたいなー」
「まぁ、呼ばれたなら仕方ない。大山、木村、行ってこい」
「はい」「はーい」
***
国会での質問というのは、政府や与党のやっていることを質したり、推進するよう促したり、この辺には気を付けてほしいと注文したり、反対したり、など、議員が政府や与党に主張する役割を持つ。
法案の審議であれば、基本的にはその法案のことを聞く。他にも、何でも聞いていい会があったり、ある程度テーマを決めたり、内容は結構回によっていろいろだ。規模としては、全員が集まる「本会議」と、だいたい省庁の担当と似たようなことを議論する「委員会」に別れており、全員で集まるのは大ごとだからか、細かい話は委員会でやることが多い。
質問について、特に数字や事実関係などの細かい話であれば、その場でいきなり聞いたところで大抵の場合は大臣などの答弁者が答えを持っていない。したがって、議員は原則として2日前までにどんな質問をするか役所宛に「通告」を出し、役所はそれに従い「答弁案」(所謂あんちょこ)を書き、上司の了解を順次とった上で答弁者に説明する。この「原則として」が曲者で、たいてい守られない。結果、前日夜になって通告があり、そこから答弁を書いて順次上に相談していくなどということも、多くはないが日常茶飯事である。
「…と、ここに書いてありますが、正直、意味がわかりません。」
木村と大山が出ていったあと、省オフィシャル内部資料「よくわかる国会業務」および政策推進室伝統の個人用参考資料「ほんとによくわかる国会業務 こっちを読まなきゃあなたはモグリ」を読んで、遥は情けない声を上げた。ちなみに、資料を出してきた鳥越によれば、個人資料のほうは、他にも予算要求バージョンとか法令業務バージョンとかがあるらしい。
「質問したからって何が起きるのかもよくわかりませんし、そもそも専門用語が多すぎて…」
「何回かやってみたら分かってくると思います。僕も初めて読んだときはちんぷんかんぷんでした。」
「うーん。」
「キャリアさんは、若手の頃に国会業務を集中的にやる研修があるので、なんとなく流れはつかめるんですけどね。実際に答弁書くのはやっぱりキャリアさんが中心になるので。」
「…何がどうして重要で大変なのか分からないんですよ。それに、国会って討論する場だと思ってたんですけど、事前に質問が明らかで、答弁を読むだけって何なんでしょう。」
「これは、うちの答弁だけ抜き出したリストなんですけど。」
「はぁ。」
「たとえば、3年前に野党の議員さんが『○○についてはとても重要で、よく検討していただきたい』と言って、それに大臣が『しっかり勉強していきたい』と述べてます。そして、これが去年の同じ人。『例の件はどうなったか』というのに対し、今度は局長が『有識者等を集めて検討中』と回答し、議員さんが『進めていただいているのはいいことだが遅い。大事な話なのでしっかり進めてほしい』といってます。」
「…そうですね。」
「で、議員さんは、地元や支持者に『自分が国会で言ったから物事が進んだんだ、いまプレッシャーかけてるから加速するはず』と実績として語れるわけです。うちのは細かい話ですが、だいたいどこでもそんな感じです。」
「…なんか変じゃないですか?やってるのは結局政府なんですよね?」
「まぁ、そうなんですけど。政府側としても、何か外圧があるのでこの取り組みをやります、と言った方が通りがいいので…」
「ある意味、持ちつ持たれつの関係にあると。」
「そう、言えるかもしれません。うまく噛み合わなくて、あまり必要と思えないことの尻を叩かれてる気分になることも多々ありますが。」
うーん、と遥は考え込んだ。結局そんなパフォーマンスをするのが国会ということなのかもしれないが、なんとなく釈然としない。
「…なんか、思ってたのと違うんです。」
「僕も最初は意外に思いました。でも、議員さんは政策を進めるツールを持ってないし、政府は巨大組織でそう簡単には方向転換できないので、これはこれであり方なのかな、と。」
「…まぁ、そうかもしれませんが。ってか、大山さんと木村さんはどこに行ったんですか?」
「質問予定の須加原議員のところですね。議員がどういう意図で何を聞きたいのか、答える方向はこっちでいいのか、などを直接議員と会ってお伺いしてくる、通称『問取りレク』です。」
「問取りレク」についてはオフィシャルのほうにちらっと書いてあった。しかし。
「えー?全部答え合わせしちゃうんですか?だったら国会でわざわざ大臣とか局長とかに聞かなくていいじゃないですか。しかも、大山さんも木村さんも課長補佐ですよね?木村さん曰く『そこそこベテランのぺーぺー』の。」
「補佐がぺーぺーかどうかはともかく、事前に議員さんとある程度細かいところまで打合せをするのは珍しくありません。議員さんが聞きたいことではないことを答えるのは、場も白けますし、議員さんの質問時間も限られてるので時間の浪費になります。できるだけ沢山のことを聞いて実績にしたい議員さんから見ても、事前に打合せするのは合理的なんです。」
「答えを知ってるのに聞くって…」
「大臣などから国会の場で答えてもらうのが重要、ということです。もちろん、問だけ送ってきて、レクの時間を設定せず、結局質問の趣旨などが不明な議員さんもいますけどね。問取りに行くと全然考えていることが違ったりして、問から書き直しってことも珍しくないので、僕は打合せしといた方がいいと思いますよ。」
むむむ、と遥は黙った。納得はしていないが、そろそろ質問タイムとしては長すぎる。
「裏話なんかは、『ほんとに~』の裏書きあたりにいろいろ書いてあります。」
「ありがとうございます。読んでみます。」
鳥越は仕事に戻り、遥は再び『ほんとに~』を読み始めた。
***
木村と大山が戻り、大山が書き起こした問答を木村がチェックする。その後、喬木、課長、と説明し修正をもらい、その後局長に説明しようとしたところで局長が別件で外出してしまったため、帰りを待つことになる。
「木村、んでどうだった?」
余裕ができた途端ににやにやする喬木。
「何がですか?」
「須加原議員だよ。秘書いた?例の。」
「顔はマスコミに出てませんからねー。美人の秘書さんはいましたよー。」
「それかなぁ、例の秘書。」
「問取りはばたばたですからね、秘書と異常に親密かどうか、とか見る時間はないですよー」
「まぁな。須加原議員本人はどんな人だった?」
「うーん、意識高い系というか、オレ仕事出来る系?私はあんま好きじゃないです。もうちょいナイスミドルがいい。それに、奥さんにアレってのがちょっと。」
「…木村さん、言いますねぇ」
大山が思わず突っ込む。
「木村の好みは聞いてない。…ってか、お前、議員に『どれが例の秘書ですか』とか『あなた奥さんにアレってどうなんですか』とか言ってないだろうな?」
嬉しそうに木村をいじる喬木。完全にただの野次馬のおっさんである。
「さすがに言わない…ってか、そんなこと言ったら、あとから官房長が管理不行き届きで先方に出向いて平謝り、私も懲戒モノですよぉ。」
「いや、お前ならやりかねん。むしろ俺はある意味期待している。」
「給料減るのは嫌だー!」
「官房長に謝るくらいは一緒にしてやるよ。」
「そういう問題じゃなーい!」
そうこうするうちに局長が帰ってきて答弁を確認、これで今回は内容的には準備終了となる。大臣が答弁者の場合は大臣への説明が必要だが、今回は大山が答弁者は局長でいいですよね?と確認してきてここで収まることになった。
その後の、官房へ答弁案の登録や、参考資料も含めた一連の資料にページ数をつけたり、それらをコピーして大臣などの政治家や事務次官などの幹部へ資料配布したりなどは鳥越と遥の仕事だ。鳥越や木村によると、これが夜になってしまうと、コピーの量が多いために紙の巻き込みエラーなどのトラブルが発生しやすく、業者も時間外で対応しないため、深夜に半泣きになりながらコピー機のトラブルシューティングに奔走、ということも多々あるそうだ。
「今回はほぼ時間内に終わってよかったねぇ…」
「新しい話じゃなかったですもんね。だいたい定番の言い回しで。あとはほぼ配布だけなんでやっときます。」
「ありがとう!…ヤバいお迎え間に合わない!お先!」
木村がばたばたと帰っていき、遥と鳥越はコピーを再開した。
***
翌日、答弁する局長とカバン持ちの大山は国会に出掛けていき、残りの室の面々はテレビ越しに中継を見守る。今は前の質問者の時間で、政府参考人席に座る局長の後ろに大山が映っている。
「あいつ、面白いことやんねーかな。」
喬木が不謹慎なことを言っている。
「いや、大山くんだし。割に真面目ですよ?」
「お前なら『あなたそんなこと言って奥さんに~』とかマイク奪って言うだろ。」
「言いませんって!」
「官房長には一緒に謝ってやるよ。」
「そういう問題じゃありませんってば。」
喬木と木村がじゃれていると、画面に須加原議員が映った。
「始まりまーす。」
鳥越が声をかけ、口々にはーいと返事をして室内の空気が張り詰めたものに変わる。喬木も木村も、相変わらずの変わり身の早さだ。
『えー、○○党の須加原です。まずこの度、わたくしの不徳の致すところで皆様をお騒がせしておることをお詫びいたしたい。妻にも迷惑をかけた。報道されていることは虚実混交でありますが、まずは妻、そして委員各位、また有権者の皆様にも真摯にお詫びしたいと思います。』
意外なことに、須加原は議論に入る前にそんな言葉から発言を始めた。
『そして、これからの政治生命を、贖罪を込めて、高齢者福祉、介護問題、そして介護に従事されてご苦労されている現役世代の皆さん、これは私や私の妻も含めてですけれども、こういった方々のために捧げていきたい。わたくしはそう考えております。本日もそういった観点から質問をさせていただきたい。』
そう言うと、事前に準備した流れに入っていく。遥はあっけに取られながら、テレビの中のやり取りを見守った。
***
「いやー。百戦練磨の議員さんは、さすがに強かだぁね。転んでもただでは起きない。」
まだ続いている委員会を尻目にテレビの電源を落とした直後、木村が呆れた顔で声を上げた。
「お見事、でしたね。」
遥も同意する。スキャンダルを逆手にとって活躍ジャンルを増やし、更正アピールと支持の拡大を同時に狙うなど、なかなかの手腕だ。
「お前ら須加原議員をバカにしてないか?俺は彼を評価するぞ。介護問題はいま一番政府が取り組まなきゃいけない問題だ。」
なぜか喬木が真剣な顔でそう言うのに、木村が交ぜっかえした。
「そんなこと言ってー、昨日はめちゃくちゃ怒ってたじゃないですかー。だいたい今頃になって介護ってどうなんですかー?」
「いや、彼はちゃんと反省してるんだろう。質問もきちんと考えられたものだった。それに、介護はいまでも大変な問題だぞ?一人でも真剣に取り組む議員が出ることが必要だ。」
「でもでもー。」
「お前の好きなタイプじゃないからって、辛口になってないか?」
「いや、そうじゃありませんがー」
「議員は何をしでかしたかじゃなくて、政治的な実績で判断すべきだよな!」
「はいはい。」
「分かってるか?」
「はーい。」
そんな会話を聞きながら、遥はやはり喬木には何かあるのかな、などとぼんやり考えていた。
お仕事回でした。
大臣レクを入れるとゆっきー君が登場できるのですが。(けっこうお気に入り)