表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

いつの世においても日本国を助けてしまうのは死の商人であった

最後に、グラバーと薩摩藩の関係について簡単に説明したい。

まずグラバーと薩摩藩の出会いだが、これは薩英戦争が関係している。


よく八月十八日の政変によって薩摩藩とグラバーが関係をもったと言われるが、実はそれより前の段階で彼らは出会っている。


各種手記や書物を参照する限り、薩英戦争にて甚大な被害を受けた薩摩藩は欧州の最新鋭武装の導入が今後の兵力を左右することを理解した。


特に銃と銃剣の組み合わせは刀という存在がロマン兵器であったことを薩摩藩に身をもって教え込み、槍に勝ると銃だけでなくスパイク式銃剣の輸入を画策した。


そこで「英国人」であり「貿易商」でもある人物を探し、長崎にて運命の出会いを果たす。


その人物こそ日本製の生糸を輸出して金を稼ごうとしつつも、ちーっとも上手く行かず、新たな商売を模索していたグラバーなのであった。


グラバーはとにかく商売をしてアメリカンドリームのように貿易商として成功したいという野心家であったのだが、実は武器商売として必要となる経営に関する才能は無かった。

後にこれがグラバー商会破産の原因ともなる一方で、グラバーの厳選する武器は極めて品質が良く、非常に高く評価された。


商売人としての能力はなかったグラバーだが、商売人として最も重要な「品定め能力」とそれを在庫として「確保する」という能力においては極めて秀でており、彼が商売で何度も失敗してもその都度周囲の者が手を差し伸べる背景には、この「品質を見極める能力」という部分に起因する。


また、品定めというのは商品だけでなくそれを製造する「企業」にも及んでおり、後にキリンビールの母体となった存在は経営が火の車となったスプリング・バレー・ブルワリーを買収させることで誕生している。(このあたりはwikipediaに記載がある)


そのような状況において薩摩藩が彼が調達する中で特に評価したのは彼が調達してくる火薬であり、お手ごろな値段ながら性能は英国式の中でも極めて品質の高い物だったとされる。


薩摩藩が開発した大砲の威力はこのグラバーがもたらした火薬によってさらに上昇したが、実はそれ以上に銃においての命中率が格段に上昇した。


これは後に戊辰戦争の発端となった鳥羽・伏見の戦いで発揮される。

鳥羽・伏見の戦いにおいては「銃の性能に差があった」と当時から記録が残されているが、実際に装備の状態を見ると両軍共にそれなりに近代化された装備を所持していた。


しかし記録では明らかに新政府軍の銃の方が命中率が高いといわれている。

この理由はネット上では「旧政府側の油断」や「装備の品質」などと書かれていることが多いが、薩摩藩と旧政府軍側の記録を見ると明らかに火薬の品質の影響である。


両軍はすでに英国式の銃撃方法などを訓練によって習得しているため、銃の性能差と銃撃時の射撃主の能力にそこまで差はなかった。


しかし旧政府軍は基本的に国産の火薬を用い、新政府軍は輸入した火薬を用いていた。

弾丸については弾丸を製造するための機器が残されているが、グラバーは一応弾丸についても輸入していたものの、その輸入体制は十分ではなく、薩摩藩はグラバーにとりあえず火薬だけ求め、弾丸は自作していたりする。


実はこれが不法輸入だったことはあまり知られていない。

当時火薬は戦力に大きく作用する存在であることは英国内でも認知されていたが、下瀬火薬などのエピソードにあるように、それは非常に高度な技術を要するモノであり、知られると他国が大幅に強化されるため火薬類は最上位機密の1つとされ、簡単に輸出できないものだった。


しかしグラバーは商売はヘタクソだが品定めと調達に関しては超一流の商売人。

どこからかとにかく質の良い火薬を集めては実質的に密輸する形で薩摩藩に納入していたのだった。

(恐らく軍など、国家機関などで調達担当をやるべき能力を持つ人材だった)


しかし火薬については基本的に倒幕側にしか流通させておらず、旧政府軍においては火薬を国産品としていて、それを用いて弾丸を作成していたのだが、品質がよろしくなかった。


5000vs1万5000という戦いにおいて初手において弾丸を込めていなかったこと大きく戦況が乱れたというのが鳥羽・伏見の戦いの実情ではあるが、その初手を支えたのが大砲と同時に用いられた英国直輸入の火薬による精密射撃だったのである。


旧政府軍は砲撃部隊が来るまで完全に身動きがとれなかったとされ、その間多数の死者を出したとされる。


射撃能力の錬度がいくら高くとも、先込め式だと元込め式よりも火薬の品質が命中率により影響するため、それが人数だけで3倍の差をひっくり返す要因となったのだ。


薩摩藩が見出した死の商人はその能力をいかんなく発揮し、そして見事に日本国という存在が形成されていく時代を作る。


その裏にいたのがグラバーとモンブランなどの西洋人であり、その中でもグラバーは最も倒幕側、新政府側の者たちに影響を与えた人物といっていいだろう。


死の商人はいつの世においても日本国の裏で活躍する。

戦後の日本国の統治問題を解決する糸口となったのは死の商人Cダグラス・ディロンであったし、


日露戦争時代において日本国に多数の武器を売りさばいた男はなんとロシアで生まれたユダヤ人、バジル・ザハロフだ。


バジル・ザハロフに関しては高橋是清が直接交渉した人物の一人であるが、当時の日本の国家予算60年分を英国から借りた上で武器も調達したいという高橋の話に乗って大量の武器を売りさばいた男である。

結果的にその調達した武器、戦艦、装備が活躍して日露戦争に勝利できたが、大体の場合、日本が勝つパターンは死の商人が味方についた時なのはなろう読者の皆さんの頭の中にいれておいてもらいたい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ