第八話 現実的思考と反抗心
互いの意志を確かめ合ったあとの二人は、しばらく無言のままその場に座った。しかしそれは決して不快な沈黙などではなく、二人にとっては決意を改めるために必要な時間だった。
やがて十分な時間がたったあと、小牧が立ち上がった。
「さあ、戻るか」
「おう」
そしてほとんど間もなく蓮も立ち上がり屋上をあとにしようとしたとき、小牧が何か言いたげな顔をして蓮の方を向いた。
「何だ?」
そう言う蓮に小牧は、
「いや……」
と言いながら、頭からつま先へゆっくりと視線を下ろした。そして今度はつま先から頭へと視線を戻し、また何か言いたげな顔をする。
「何だよ」
「えっとその……、それは本当に、浴びただけなんだよな……?」
そう言われて蓮は、小牧の言いたいことを理解した。小牧が言及しているのは、スクランブル交差点での一件で蓮の身体中についた血だ。
学校へ来たあと何度も洗い流そうとしたが、染み着いた血や時間が経過して固まり始めこべりついた血は、なかなかとれないでいた。
「ああ、そうだよ」
「本当なんだよな……? 怪我したんじゃないんだよな……?」
「だからそうだって。ついさっきも言ったじゃないか」
蓮はそう言いながら、さっき──今日最初に教室に入ったときのことを思い出す。
大泣きしながら飛びこんでくる雪乃と他のクラスメイトたちの姿を見たそのとき、蓮の心は覚悟を決めるのと同時に、喜びでいっぱいだった。
しかしクラスメイトたちの方はというと、心配していたり、あるいは大慌てしていたりした。問答無用で飛びこんできた雪乃を除いた皆は、世界中に転がる死体とほとんど変わらない、蓮の血まみれの姿を見るだけで精一杯だったのだ。
このことについて蓮は、自分の血ではないと何度も説明しやっと納得してもらえたと思っていたが、それでもクラスメイトたちは不安に思っていたらしい。現に今、小牧は蓮の身体に傷口はないかと必死で探しているところだ。
「ほら、ないだろ?傷口なんて。それより早く戻ろう。さっそく皆と話し合って具体的な計画を立てないと」
確認を終えて納得せざるを得なくなった小牧に、蓮は言った。
「そう……だな」
そして二人は校舎をあとにし、教室へと向かう。廊下にはところどころに死体が転がっており、壁には飛び散ったような血の跡が残っている。それらを見るたびに、蓮は猛烈な吐き気に襲われた。それは当然、恐怖から来るもので、そこから意識をそらすため、二人は文化祭のアイデアを出し合うことにした。
「お化け屋敷とか……?丁度血もあるし」
「馬鹿言え。そんな不謹慎なことできるわけないだろ」
「だよな。じゃあ他に何かあるか?蓮」
「んー。皆で何か作って展示するとか?文化祭はやっぱり準備からが本番だから、そういうことやりたいかな」
「たしかにそれはいいな。後で皆にもきいてみようぜ」
そんな会話をしながら歩いていた二人は、3-Aの教室前の廊下に来たところで空気が変わったのを察した。ドアの前には、人だかりができている。そしてその向こうからは、罵声に近いものがきこえてきた。
「だーかーらあ!やるって言ってるだろーが!」
「は!?文化祭なんてできるはずないでしょう!!こんなときに!!」
どうやら誰かが怒鳴り合いをしているようだ。近づくにつれ、その音はますます大きくなっていく。蓮は小牧と顔を見合わせたあと、人だかりの中に入っていった。そしてその声の主が分かったとき、蓮は驚いた。
「決まったもんは仕方ないだろーが!あんたも大人しく従っとけよ!」
「は?決まった?何勝手に決めてるんですか!!」
文化祭を行おうとする者と、それに反対していると思われる者の言い争い。意外なことに、前者は銀次だった。銀次は、頭一つ分以上の身長差の相手を見下ろしながら怒鳴り散らしていた。
「あ、いたいた。もう、どこ行ってたの?」
蓮がそんな銀次の様子に呆気にとられていると、人だかりの中にいた雪乃が蓮の袖をぐいとつかんだ。
「いや、ちょっと屋上に」
「帰ってくるの遅いよー。今大変なことになってるんだからね」
そう言って雪乃は、言い争いの張本人たちを指差した。その先にいるのは、一人は銀次。そしてもう一人は──。
「B組の藤咲会長か……。これは厄介なことになったな」
眉間をつまみながら、小牧が言った。
「藤咲も生きてたんだ」
「そうだよー。それで文化祭やるってきいた途端、会長すごく怒りだしちゃって。そしたら今度は来栖くんが……」
「なるほど」
状況は大体つかめた。世界がこんな状況で文化祭をするなどと言われれば、反対する者が出てくるのは当然のことだ。ましてやこの生徒会長──藤咲葵が凝り固まった現実主義な性格の持ち主だということを蓮はよく知っている。
対して銀次はというと、特に文化祭に乗り気だからというわけではないと思うが、何より人に否定されるのを嫌う男だ。そんな二人が言い争いなどしようものなら、怒鳴り合いに発展することは容易に想像できる。
結局この二人が和解することはなく、藤咲は、
「私の目の届くところで、そんな身勝手な行動は許しませんからねっ!」
と言って、そそくさと3-Bの教室へと戻っていってしまった。