第二十九話 咎人の記憶①
「たしかに、私には知ってることがある。皆にも話すべきことを知ってる。知ってて、黙ってた」
するとやはり、皆の表情には不安の色が現れた。皆瀬の言う通りに裏切り者が存在するのなら、客観的に見て今最も怪しいのは雪乃なのだから、当然だ。これから始まるのは罪人の自白の時間だと、少なからずそう思っているに違いない。
しかし雪乃は、決して裏切り者などではない。そう簡単に信じてはもらえないだろうが、言うべきことは言っておかなければならない。
「けど、私は裏切り者なんかじゃない! 健くんや皆を殺したりなんて、できるわけない! そんなことしようと思わないし、したくもないよ!」
雪乃にとっては本心からの叫びでもあったその前置きに対して、皆は驚いたようにこちらを見る。果たしてこの場で何人が、自分の言葉を信じてくれただろうか。雪乃にはそれを把握する術はない。
ただ、元々何をしたわけでもない。皆瀬の問いかけに対して、少し対応を間違えただけだ。これだけ誠意を見せてなお信じてもらえなければ、何を言おうとも無駄だろう。
しかしそんななか、皆瀬は表情一つ変えず退屈げにこちらを見ていた。
裏切り者であろうとなかろうと、誰だってそう言うに決まっている。隠していることがあるのなら早く話せ。今にもそう言い出しそうな彼の様子に圧を感じ、いよいよ雪乃は本題に踏み込まざるを得ない。
「あの日──健くんが死んじゃった日の朝、私は健くんといっしょにいたんだ。会長たちが朝ごはんを作ってくれてるあいだ、文化祭の練習でもしておこうかって話になって、それで──」
話していくうちに、脳裏にはあの朝の出来事が自然と蘇っていく。蓋をしたはずの思い出したくもない記憶が、再生されていく。
──ああ、何であんな思いしなきゃいけないのかな……。
九月十日。世界が血に染まった運命の日からは、まだ一日しか経っていなかった。
家族や友人の死。先の見えない生活に対する不安。たったの一日で、皆がそれらから立ち直ることなどできるはずもなかった。
それでも一人の人物の言い出した妙案──文化祭に向けて、皆は一丸となろうとしていた。
皆がやけにやる気満々だったのには、現実逃避といった側面が若干あることは否定できない。しかし文化祭という名を借りた生存者集めと考えれば、皆の取った行動はある意味理にかなっていた。人は協力し合わなければ生きていけないもので、より多くの協力者が集うよう、皆が協力し合っていたのだ。
──だったら、私だって。
そう思っていた雪乃にとって一番怖かったのは、自分が何の役にも立たなかったら、ということだった。この世界で生きる皆の役に立ちたい。その一心で身体を奮い立たせ、ここまでやってきた。
だからその朝も、自分にできることは何でも率先してしようと心がけた。
「今のうちに、少しでも文化祭の練習しとかない?」
料理上手の集まった藤咲たち炊き出しグループがちょうど朝食の準備をしてくれている頃、体育館内にごろごろと寝転がるステージイベントグループのメンバー数人に、雪乃は声をかけた。
疲れがとれているはずもなかっただろう。朝の気だるさもあっただろう。しかしそれでも、小牧を筆頭としてその場の数人は皆、雪乃の提案にのってくれた。
──よかった。
雪乃はほっと胸を撫で下ろすとともに、文句一つ言わない彼らに心から感謝した。今の自分にできることは、そんな皆と共に最高の文化祭を作り上げるため、皆のモチベーションを上げることだと思った。
「さてと。そうと決まれば他の皆も呼んでこようぜ、雪乃ちゃん!」
「うん!」
雪乃は小牧に同意し、こうして早速、館内にいない残りのメンバーを集めることとなった。
館内には雪乃らを含めて四人のメンバーがいたが、残りの四人はトイレに行っていたり、或いは校内をぶらぶらと散歩していたりするらしかった。
とりあえずは入れ違いになることを考慮して四人中二人をその場に残し、雪乃と小牧で他のメンバーを探そうという判断をした。
「にしても蓮のやつ、風邪引くから長居するなって言ったのに、まだ屋上で寝てるんだな。てかよくあんなコンクリートの上で寝てられるよな。はは、後で痛みに悶えるあいつの姿が目に浮かぶぜ」
道中、小牧が楽しげにそう話していたことを、雪乃は特に鮮明に覚えている。
ついでに起こしにいくべきかと雪乃が口にすると、それに対して小牧はもう少し寝かせといてやれと言うに留まり、この件に関しての会話はそれっきりだった。普段なら気にもとめないような、何気ない会話だった。
にも関わらずあの朝のことがここまではっきりと記憶にこべりついているのは、それが後にやって来る残酷な現実と比べて、あまりにも穏やかで平和なものだったからだろう。いずれにせよこのときの雪乃にその現実を知る由などなく、メンバー探しは着々と進んでいく。
そして雪乃の提案から五分も経った頃には、残りの四人のメンバーのうち既に三人と会うことができていた。
聞いていたとおりに皆トイレに行っていたり散歩をしていたりしたわけだが、突然の雪乃の提案にもきちんと耳を傾け、そのうえで快く了承してくれた。
「よし、あとは図書委員長の野郎だけだな」
「そうだね。早く見つけて皆で練習しよう!」
二人はますますモチベーションを上げ、最後の一人──図書委員長を探した。
先に会った三人にはすでに体育館へ向かってもらったので、あとは彼さえ見つければ皆で練習を通すことができる。自分も皆と協力し合いながら、共に歩んでいくことができるのだ。雪乃がそのことに嬉しさを感じる反面、相応の覚悟を決めていたそのときだった。
ピピッ。
ふいに廊下に響き渡った機械音。雪乃は足を止め、その音のする方へと振り返った。
「ん? ああごめんごめん。何かメールが来たみたいでよ」
視線の先では、小牧がズボンのポケットから携帯電話を取り出しているところだった。
それから小牧は画面を確認し、その手に包まれた機器を操作しはじめた。メールの送り主に対して返事をしていたようだ。小牧がメールし終えるのを待っていると、やがて画面からは目を離さぬままに、彼は口を開いた。
「悪いけど雪乃ちゃん、先に行っててくれないか? 俺ちょっと用ができて」
「え? 用?」
「ちょっと体育館裏の倉庫に用があって。あ、もちろん図書委員長の奴は見かけたら声かけとくぜ。もしかしたらもう体育館に戻ってるかもしんねえし、てか探すなら手分けした方がいいだろ?」
「まあ、そうだけど……」
「よし、じゃあ雪乃ちゃんは校舎内を頼む。外は俺が見とくから!」
雪乃が返事する間もなく走り去っていく小牧。そんな彼の様子に多少困惑しつつも、雪乃は彼の言う通りにすることにした。してしまった。
震えている身体に、落ち着きを失った表情。後から思えば、このときの小牧の様子は明らかにおかしかったのだ。雪乃はもっと早くそのことに気づくべきだった。そして彼を追うべきだった。
しかしこのとき彼の異変を感じとることすらできず、雪乃はただ胸に宿り始めた希望に浸るだけだった。そんなものは容易く打ち砕かれるだなんて、思いもよらずに。




