第二十八話 裏切り者
そのとき顔を上げてしまったことを、雪乃は強く後悔した。視界の先にはちょうど、意味ありげにこちらを見る皆瀬の姿があったのだ。
──まさか、全部分かってるんじゃ……。
そう気付いたときはもう、手遅れだった。
「柊、お前は何か知っているんだろう……? 裏切り者について」
淡々と、皆瀬が言った。そしてその発言によって、ざわめく一同の視線は一気に雪乃の元へと集まる。容疑者でも見るかのような、そんな目だ。
雪乃はそんな視線に耐えきれず、今度は思わず下を向いてしまった。しかしその動作は皆からすれば、自分が犯人だと言っているようなものだ。皆の疑念がますます強くなっていることを肌に感じ、雪乃をさらに大きく、そして深い後悔の念が襲った。
「ちょっと待ってください。何で私たちのなかに裏切り者がいるということになるんですか」
雪乃が何も言えず気まずい空気が広がるなか、疑問を口にしたのは藤咲だった。
「今こそこんな状態ではありますが、私たちは文化祭に向けて一致団結したはずです。共に生きようとしたはずです。だというのに、私たちのなかに裏切り者がいるなどと、何か根拠があってのことなのですか!?」
最初こそただ困惑しているだけだった藤咲の口調は、叙々に荒いものへと変わっていった。
悪に屈することはないと示し、全員で協力して生きていく。それが彼女の文化祭をしようとする理由であり、信条なのだ。それすらも否定しかねない凶悪な可能性を聞かされれば、怒りがこもってしまうのも無理はない。
それにどうして皆瀬は裏切り者の存在する可能性にたどり着いたのか。それを考慮できたのは、雪乃以外にはいなかったはずなのだ。彼が根拠を示してくれないことには、皆も雪乃もそう簡単には納得できまい。
答えを求めて、雪乃も含めたその場の全員が皆瀬に注目する。
「根拠、か……」
「ええそうです。ただでさえ、あなたの発言は私たちの不安を煽るものなのですよ? 何の根拠もなく言いましたでは済まされないんですよ!」
「あ、ああ。もちろんわかっている」
藤咲の熱の入りように皆瀬は予想外だと言わんばかりの表情をしたが、彼女の発言内容はもっともなものであり、それは皆瀬も理解していたようだ。
果たして彼は何と答えるのか。そして彼は自説に確証を持っているようだが、その根拠は一体どこにあるのか。この場にいる誰もがその答えを欲していたが、その気持ちが最も強かったのは、他ならぬ雪乃だった。しかし……。
「けれど、それは柊に聞いた方が早いだろうな」
「柊さん、ですか……?」
当の皆瀬からは、何の収穫も得られなかった。そしてあろうことか、説明の責任は全て、雪乃になすりつけられたのだ。
言葉を失う雪乃に、再び一同の視線が集まった。疑念を抱く瞳、困惑する瞳、怯えきった瞳。その全てがこちらを向き、雪乃の心に突き刺さる。
罪悪感はますます増長するばかりで、最早自分では手の施しようがないくらいにまでなっていた。蝕まれた雪乃の心のなかは、今この状況から逃れたいという思いに支配されている。
「私は何も……、何もやってない……!」
それが今の雪乃にできる、最大限の抵抗だった。
事実何一つ嘘は言っていないし、皆には自身の潔白を信じてもらうほかない。ただし、雪乃のなかにある罪悪感の正体だけは、決して誰にも知られるわけにはいかない。
しかし直後、雪乃は自分が言葉の選択を誤ったことに気がついた。この場合、「私はやってない」ではなく「どういうこと?」と答えるべきだった。
案の定、皆瀬はどこか引っ掛かるような表情をした。それを見た雪乃の額を、冷や汗が伝う。
「別に俺はお前が裏切り者だなどとは言っていない。ただ、知っていることがあるんじゃないかと言っただけだ」
「そ、それは……」
「話すなら早くした方がいい。このままではますます怪しまれるだけだからな。それに六神や来栖のいない今のうちに話をつけておいた方がいいとは思わないか?」
「え……? 蓮くんが、いない……?」
咄嗟に、雪乃は辺りを見渡した。するとたしかに、蓮の姿は見当たらない。銀次もまた、この場にはいない。自分のことに必死になるあまり、雪乃は言われるまでそのことに気がついていなかったのだ。
「二人なら、トイレかどこかだろう。そんなことより、話す気にはならないのか?」
「ま、待ってよ。二人がいないうちにって、どういうことなの?」
「そのままの意味だ。裏切り者だなんて聞いたら、来栖はうるさいだろう。六神に関しては、あいつが一番傷ついているだろうからできればこんな話は聞かせてやりたくない」
「何それ。そんなの私だって──」
雪乃だって、辛いに決まっている。幼馴染みが、そして皆が死んでいって、傷つかないわけがない。裏切り者だなどと、そんな話は聞きたくもない。
しかし皆瀬が、そんな雪乃にかまうはずもなかった。
「けれど、柊は何か知っている。そうだろう? だから話を聞かないわけにはいかないんだよ」
否応なく送られる視線の数々に、雪乃は今度こそ逃れられないと悟った。
皆が自分の罪を知れば、一体どんな反応をするのだろうか。きっと軽蔑の眼差しを向けられるに違いない。
それは雪乃が最も恐れていたことだが、こうなってしまっては覚悟を決めるべきなのかもしれない。雪乃は呼吸を整え、ついに口を開いた。




