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楽園戦争  作者: 如月十五
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第二十五話 降る雨は止まず

 体育館に残った生徒たちは誰も動こうとせず、ただただ時間だけが流れた。そして藤咲が体育館を出て行ってから二時間が過ぎた。未だ雨は止むどころか、その勢いが衰える気配すら見せない。


 今藤咲がいる場所といえば、おそらく図書室だろう。蓮にとっての落ち着く場所が屋上であるように、彼女にとって安らぎを感じられる場所は図書室なのだ。勇気ある発言をした彼女ではあったが、その精神がとうに限界に達しているであろうことは容易に想像できる。


 しかしそれが分かっていながら、蓮は彼女の元へ行こうとしなかった。いや、行けなかったというべきか。

 蓮には彼女を安心させてあげられるような何かを持ち合わせているわけでもないし、そもそもそんなことをする余裕すらない。今にも壊れてしまいそうな自分の心を保とうするだけで、精一杯なのだ。


 ──ん……。


 ただ、どんな状況であろうとお構いなくやって来るものがある。生理現象だ。


 尿意を感じた蓮はふらりと立ち上がり、死んだようにうずくまる皆をよけながら歩き出した。

 皆は動き出した人間の存在になど意識も向けず、ただ己の中に広がる恐怖と絶望に耐えることに必死な様子だ。蓮もまた他の人間を思いやれる状況ではなく、そんな彼らには意識を向けまいとした。今なお頭にあるのは、自分の生死のことばかりなのだ。


「うわ、強いな……」


 体育館を出て渡り廊下まで来たところで、雨の猛威に思わず呟いた。

 館内で音をきいているだけでも分かっていたことだが、この雨の量は尋常ではない。無数の雨の矢は世界を包み込むかのごとく降り続けている。


 肌寒いな、と蓮は感じた。それは地面に衝突し跳ね上げられた雨の飛沫が足にかかったからかもしれないし、単に雨によってますます気温が低下したからかもしれない。しかしいずれにせよここに留まる理由もなく、蓮は体育館から最も近い校舎内のトイレへ向かった。


「ふう……」


 トイレを済ませた蓮は体育館へ戻ろうとしたが、ふと隣の部屋に目をやり、足を止めた。

 そこにあるのは、調理室だ。そして重要なのは、その奥には巨大な冷蔵室が続いているということ。そう、銀次によって運ばれた死んだ者たちが眠っている場所だ。


 ──小牧……。


 小牧の死体もそこにある。蓮たちによって発見されたあと、彼もまた銀次によって冷蔵室へ運ばれたのだ。せめて綺麗な姿に戻してやりたいという銀次の配慮から顔についた血を丁寧に洗い落とされた小牧だったが、それでも彼の恐怖と絶望に満ちた表情は何ら変わらなかった。


 だから蓮には、今の小牧に会いに行く決心がつかなかった。せめて最後に一言声をかけてやりたい、という思いが蓮にはあったものの、どうしても血まみれのあの姿、あの表情が頭から離れないのだ。それに──。


 ──会わせる顔がないや……。


 小牧が死んでから、蓮は怯えるばかりで何もできないでいた。それは死んでいった人々に対して、申し訳ない生き方だ。その自覚はある。自分が生き残り、小牧のような死んでいいはずのない者たちが死んでいった。その事実に対する罪悪感もある。

 しかしそれでも、自分の行動を変えることはできなかった。自分も同じように死ぬことに対する嫌悪、恐怖、絶望。そういった負の感情が勝り、怖じ気づくばかり。そんな自分には生きている価値も感じられないし、死者をたずねる資格もないと思ったのだ。


 結局、蓮は冷蔵室に立ち寄ることはなかった。辛いことから目を背け、逃げたのだ。

 そして今度こそ体育館へ戻ろうとした蓮は、またもその足を止めた。


 ──何か、嫌だな……。


 体育館にいる皆を想像して、そう思った。彼らは今もなお、暗い空気のなか生気も感じられない様子でいるだろう。別にそのことについて口出しする気はないし、そもそも今の自分も全く同じで生きているのか死んでいるのかすら分からない状態だ。

 しかしだからこそ、彼らのそんな姿を目にしたくはなかった。その姿が血の地獄に屈した今の自分を写しているものだと、よく分かっているから。


 ともすれば、自分の居場所はどこか。どこで時間をつぶしていようか。そんなことを考えながら校舎内をぶらぶらと歩いていた蓮の足は、気がつけばいつもの場所へと向かっていた。


『この先、屋上』


 十三、四段ある階段を力のない歩みで登り終えた蓮は、その先にあるドアの前まできて、貼り紙に書かれたその文字を見た。


 ──やっぱり、ここだよな……。


 蓮は弱々しくドアノブを握り、そして押した。

 しかしやや錆が入り立て付けの悪いそのドアは最初、こちらの意思に反して開こうとしなかった。蓮の手にあまり力が入っていなかったこともあってか、その抵抗はかなり強いものに感じられた。

 ただ、開けられないだとか、そんな程ではない。入らない力の代わりに少し体重をのせると、ギギギという嫌な音とともに、ドアは開いた。そして──。


 雨、雨、雨。何の躊躇いもなくコンクリートに衝突する雨の音が絶え間なく、響く。見ると屋上は、やはりどしゃ降りの雨に支配されていた。


 ふつうならばこの大雨のなか屋外に出ようなどとは思わないはずなのだが、このときは違った。もうとっくに心が壊れていたのだろう。外の天候など無関係に、ただ自分の居場所だけを求めて蓮は屋上へと出た。

 すると当然、瞬く間に服は大量の雨を吸収し、全身はびしょ濡れになる。骨の髄まで染みるような感覚で、身体が冷たくなっていく。しかし──。


 ──はあー……。


 そんな状況にも関わらず、 蓮は自分の心が少し落ち着きを取り戻し始めていることに気づいた。灰色の空を見上げて雨を浴びる自分の表情が緩んでいることも、何となく感じられる。

 不安を払拭することができたということか。或いは何か希望を見つけたということか。色々と理由を考えてみたが、しかしどれも違う。的外れもいいところだろう。ならば何故だろうか。しばらく考えた末、蓮は気づく。


 ──ああそうか、そうだよな……。


 そして今度はゆっくりと、目を閉じる。


 ──俺は、諦めたんだ……。


 体温を奪っていくこの雨も、ずいぶんと心地よく感じてしまう。灰色のこの空も、どこか美しく思えてしまう。全部投げ出し、放り捨てたからだ。


 生きることも抗うことも全部、初めから諦めてしまえばよかったのだ。希望を持とうとしたのが間違いだった。立ち向かおうとしたのが間違いだった。

 生きたいと思わなければ、死を恐れずに済む。そうすれば、楽になれる。そんな風に蓮が考えていたそのときだった。


「おい、何してやがる」


 振り返ると、開けっ放しにしていたドアの向こう側には、こちらを睨む銀次の姿があった。

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