第二十一話 星空の下で
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その後の空き缶探しは約三時間にも及び、結果集まった空き缶の数は、校内で見つかったものも含めて、二百個ほどだった。さらに蓮が置いていった五十個ほどの缶ジュースは作業中の皆の水分補給に役に立ったようで、その全てが空き缶としてビニール袋に入れられていた。
これで二百五十個ほどの空き缶が集められたことになり、これだけあれば、空き缶アートも最低限のクオリティは維持できるだろう。それに、出発前にしたことと同様のことを今後も継続していけば、数が不足する心配もない。
──それにしても。
蓮は身体に蓄積した疲労を実感していた。日が暮れる頃には作業を中断しようという藤咲の提案によってこの日の作業は終了したが、蓮はその意図を今、ようやく理解した。蓮たちは血の地獄を経験したのであって、疲れやストレスがたまるのは当然のことだ。
──けど、ここは落ち着くな。
藤咲たちが拝借してきたもので夕食を済ませたあと、本日二度目のシャワーを浴び、そして蓮は今、一人屋上で寝そべっている。
時刻は午後八時半。とっくに日は沈み、暗黒に染まった空には、無数の星々が輝いている。街にはろくに明かりがついていないことが影響したのか、視認できる星の数はふだんのそれと比べて圧倒的に多い。
こんな光景は、ジャングルの奥深くか、あるいはプラネタリウムくらいでしか目にかかることはできないと思っていたが──。
「やっぱりきれいだな、星は」
空に浮かぶ星々を眺めながら、蓮は一人呟いた。
夜の空には雲一つ無く、無数の星々が一面に広がる光景は、まるで銀河に放り出されたかのように蓮を錯覚させる。空を占める天の川はあまりにも美しく、そして今日あったことを忘れてしまいそうになるほどのその美しさにうっとりとしていたところ、
「あれ、蓮もここに来てたのか」
足音とともに、きき慣れた声がした。そして声の主は寝そべっている蓮に近づき、蓮の隣にまで来たところでゆっくりと腰を下ろした。
「全く、行動がワンパターンだぜ、蓮」
「それを言うならお前もだよ、小牧」
「そうか?」
「そうだよ。」
寝転がり夜空を見上げながら話す蓮の視界の右端には、胡座をかきながら同じように空を見上げる小牧の姿が映る。
蓮は、この屋上という場所が好きでふだんからよく訪れていた。それは小牧も同じだったようで、二人はここで遭遇することが多々あった。きっと今回もそういうことなのだろう。
「そういえば小牧」
「ん?」
「衣装のペイントだけど、皆も協力していいって」
「ああ……。すまねえ、ほんと助かる」
横に目をやって話す蓮に、小牧も視線を落として返答した。暗くて表情まではよく見えないが、小牧はきっと目を細めて、申し訳ないという顔を作っているのだろう。蓮は、これは貸しにしておこう、という考えにたどり着いたが──。
「というかそもそも、何で誰もできないのさ。そういうのも込み込みの、ステージイベントだろ?」
「うう、返す言葉もない……」
「お前や雪乃はまあ、そういうの苦手みたいだけど、他に誰かいなかったのか」
「んー、図書委員長とかはそういうの得意そうに思ったんだけどなー……。あ、図書委員長と言えばよ」
小牧は、明らかに話を逸らしてきた。ふだんこういうことが起これば、意地悪をしてもう少し問い詰めていたのかもしれないが、今回は違う。これ以上小牧を責めても得るものはないだろう。蓮は仕方なく、小牧に話の逃げ道を作ってやる。
「図書委員長?」
「そ、そう図書委員長!」
蓮が話に食いついたのに気づくと、小牧は嬉しそうに話し始めた。そしてそんな様子を蓮は、微笑ましく眺める。
「図書委員長って硬派な男だと思ってたんだけどよ、話せば案外面白い奴だったんだ。仲良くなったから、電話番号も交換したぜ。あ、そう言えばグループは違うけど、副会長とも電話番号を交換したんだったなー」
そう楽しげに話す小牧の様子は、まるで朝の惨事などなかったかのようだった。しかし、小牧はそれを忘れているわけでも、忘れようとしているわけでもないことを、蓮はよくわかっている。現実と向き合いながらも、何とか皆の心が明るくなるよう振る舞っているのだ。
そんな小牧に対して、蓮が感服していると、
「おっと悪い、ついつい話しすぎた」
小牧は話を止め、そして今度はずいぶんと真剣な声色になった。
「なあ蓮。俺はもうそろそろ行くけど、最後に」
「ん?」
「この文化祭、絶対成功させような。他の人たちもたくさん集めて、そんで皆で協力しあって……」
見ると小牧は、再び夜空を見上げながら話していた。きっと、口にするにはあまりにも気恥ずかしい内容だったからだろう。しかしそれは聞く側にとっても全く同じことなのだ。蓮もまた小牧から視線をはずし、その瞳に、無限に続いていきそうな星空だけを映す。
「うん。どんな世界だろうと、生き抜いていこう」
「おうよ」
こうして覚悟と決意を確かめ合い、二人の間には穏やかな沈黙が流れた。そしてお互い何も言葉を発さず、星空だけを見る。
その間蓮は、自分にこんなすかした言葉を口にする日がやって来たことに対して決まりの悪い思いをしていた。漫画などの登場人物が言うのを見ている分にはいいが、いざ自分が言うとなると恥ずかしいものだ。
しかし、絶望の蔓延るこの世界では、その言葉を嘘にしてはならない。そして、嘘にはしないと誓った。
「さてと」
やがて一筋の流星が二人の頭上を駆けたあと、小牧が立ち上がった。
「じゃあ俺はそろそろ戻るわ。蓮もあんまし長居するなよ、風邪引くぞ」
「うん」
小牧は歩き出し、屋上をあとにしようとしていたが、屋上の扉に手を掛けたところで、小牧は立ち止まった。そんな小牧に蓮が視線を向けたところで、小牧は蓮の方へと振り返った。
「そういやあの缶ジュースもありがとな。俺なんか四本も飲んじまったぜ」
小牧は笑いながらそう言い、そして立て付けの悪いドアの開閉する音とともに、屋上から去っていった。
一人になった蓮は、自分もそろそろ戻らなければと思いつつも、もう少しこの空間に浸っていたいという、駄々をこねる少年のような心が大半を占めていた。それくらいに、蓮にとってこの場所は落ち着くのだ。
そして一つ、二つと流星の数を数えているうちに、蓮は心地よい眠気に襲われ、やがてゆっくりと瞼を閉じた。




