第十九話 和気あいあい
雪乃の歌が終わったあとも、その余韻は蓮の耳に残っていた。体育館中がしっとりとした空気で覆われ、蓮はその空気に浸るばかりで言葉が見当たらない。
「蓮くん、どうだったかな……?」
やがて体育館中のカーテンが開けられて光が差し込み、雪乃がステージから降りてきた。
「おーい、蓮くーん」
「あ、えっと……。す、すごかった……!」
「ほんと? えへへ、ありがと」
不安げだった雪乃の表情は、花を咲かせたように嬉しげなものへと変わった。その表情を惜しみもなく向けられた蓮は少し気恥ずかしさを感じたが、これこそが蓮の守りたかったものだ。蓮は彼女の笑顔に満足し、そして同時にはっと気づく。
「て、ていうか、演技って何だよ! こっちは作業を全部任せて大急ぎで来たっていうのに」
「はっ……! そっ、それは……」
どうやら後ろめたいことがあるようだ。何ともわかりやすいもので、そういうとき雪乃には髪をいじる癖がある。雪乃は髪をくるくると回しながら、慌てて目を逸らした。
蓮はそんな雪乃をじーっと見つめるが、雪乃の方は意地でも目を合わそうとしない。我慢比べは十数秒続き、やがて二人の間に小牧が割って入ってくる。
「ま、まあまあ蓮。ここはひとまず落ち着いて……」
「小牧」
「はいっ」
「お前も共犯じゃないか。どの口が言うんだか……」
「すいませんでした!」
小牧は両手を合わせ、許しを乞うポーズをした。それに便乗して、隣にいた雪乃も同じ動作をし、伏し目がちに蓮を見てくる。
「はあ……。こっちも忙しいのにさ」
「すまん、蓮が電話に出てくれないからつい悪戯心で」
「ごめんなさい、蓮くん」
ため息をつく蓮に、二人は申し訳なさそうな顔をした。しかし蓮は特に怒っているわけではない。ただ少しこちらの事情も考えてほしかっただけで、何事もなかったのであればよかったとは思う。そして文句はこの程度にして、空き缶探しに戻ろうとしたところ、
「それでさ、何度も悪いけど蓮。ちょっとだけいいか?」
体育館をあとにしようとする蓮は、小牧に呼び止められた。
「何?」
「電話でも言ったとは思うけど、本来の用件だ」
本来の用件。たしかに小牧は電話中、その言葉を使ったが──。
「あれも嘘だったんじゃないのか?」
「いや、あれは本当だぜ。蓮たちに早いこと頼みたいことがあって」
「え、何?」
疑問を浮かべる蓮に、小牧はまたも申し訳なさそうな表情をした。そして、一体どんな厄介事が舞い込んでくるのかと心配になる蓮に小牧は言う。
「展示物の作業で忙しいとは思うけど、できたら俺たちの衣装のペイントもしてほしいんだ」
「ペイント?」
小牧によれば、ステージイベントの際に自分たちの着る衣装に、絵の具でペイントをしてほしいとのことだ。衣装と言っても、雪乃以外のメンバーは黒いTシャツを着るだけだそうだが、彼らのなかにはその装飾を施せる人材がいないという。そこで小牧たちは、そういった類いの作業が得意な人材が集まった展示グループに依頼しようとしているらしいが……。
「だから頼む蓮、その間、こっちも手伝えることなら何でもするから!」
「蓮くん、お願い!」
結局、懇願する二人に押し負けた形で、蓮は彼らに協力することとなった。蓮からの返答に雪乃と小牧は顔を見合わせ、喜ぶ。蓮も、まあ仕方ないかと納得することにしたが、条件をつけておかねばならない。
「ただし、他の皆も納得してくれたら、の話だからな。それと今日は空き缶集めに忙しいから、やるとしても明日から。わかった?」
「はーい!」
「わかってるって、親友!」
こうして仕事がまた一つ増えてしまったが、調子づく二人を見ても、不思議と嫌な気持ちはしなかった。それはきっと、この絶望的な状況下においても、こうして和気あいあいとしていられることが嬉しかったからだろう。わずかに笑みをこぼしたあと、蓮は体育館をあとにした。




