第十八話 雪ノ歌
──さて、どうしたものか。
意思表明をしたはいいものの、自販機の前まで来た蓮と皆瀬は早速難題にぶつかる。
「思ったよりか、ずいぶんと少ないな」
空き缶用のごみ箱を開け中を覗いた皆瀬が言った。
「んー、あって二十個くらいってところかな……」
同様にして中を見た蓮は、その少なさに思わずため息をついた。このごみ箱は六十リットルの大型のもので、かつ人が多く通るはずの場所に設置されたものだ。そうであるからには、せめてこの倍くらいはあってほしかった。しかし嘆いていても仕方がないので、蓮は予め用意したビニール袋の口を開き、空き缶を入れていくことにした。
「一、二、三、四……」
蓮が一つ、また一つとビニール袋に空き缶を放り込むごとに、皆瀬が数字を数え上げていく。そうしてごみ箱の中はあっという間に空っぽになり、皆瀬のカウントは十七にして止まった。
「他の皆がどのくらい集めてくるかわからないけど、この感じだときっと、大した数にはならないんだろうなー」
「ああ。校外の自販機からかき集めてくることも必要になってくるかもしれんな」
「まあ、仕方ないか……。やってやろうさ、皆瀬!」
「おう」
蓮は中身がすかすかの大きなビニール袋を肩にぶら下げ、再集合場所とした体育館前まで戻ることにした。そして皆瀬も歩き出した蓮のあとに続こうとしていたが、
「おっと、悪い」
ピピッという携帯電話の音が鳴り、皆瀬が立ち止まった。そして皆瀬は携帯電話を取り出し、その画面に目をやった。
「電話?」
「ああ、小牧からだ」
皆瀬は携帯電話を耳に当て、何やら話し始めた。うんうんと相槌を打っているが、何を話しているのかまでは蓮の耳には入ってこない。会話の内容が気になる蓮に、やがて皆瀬が視線を向ける。
「ん、何?」
「六神、携帯電話は持ってるんだよな?」
「え、持ってるけど」
「小牧が、電話をかけてもつながらないと言っている。何か用があるみたいだが……」
そう言われて蓮は制服のポケットに入れていた携帯電話を取り出し、自分が電源を切っていたことを思い出した。少しでも電池を長持ちさせようという意図があって学校に来たあとにしたことだったが、コンセントも難なく使える状況を考えると、その必要はあまりなかったのかもしれない。
「まあ、とりあえず替わるか」
皆瀬が携帯電話を差し出してきた。蓮は自分の携帯電話の電源を入れようとしていた手を一旦止めてポケットに戻し、それを受け取ることにした。
「もしもし、どうした?」
『どうした、じゃねえよ。心配したんだぜ!』
焦る小牧の様子は、今日最初に小牧に電話をかけたときのことを思い出させる。しかしあのときとは違って、今回ばかりは心配のしすぎだと思わざるを得ない。だから少々煩わしく感じてしまい、蓮の対応も自然といい加減なものになる。
「ああごめんごめん、電源切ってて。今度からつけとくようにするよ」
『何じゃそりゃ。雪乃ちゃんなんて大泣きして手がつけらんないんだからな! 何とかしてくれよ!』
「えっ」
『うぇぇーん、蓮くんのばかぁぁー!!』
困ったことに、電話越しにでも微かに、雪乃の泣き声がきこえてきた。そしてその声だけで、大粒の涙と鼻水を流しながら泣きわめく雪乃の姿は容易に想像できた。
「えっと……、とりあえず、俺は大丈夫だからって言っといて!」
『今さっきも言ったのにこれだよ!とにかく体育館まで来てくれ、本来の用件もそんとき話すから!』
「おいちょっとーー」
こっちにも都合がある。蓮はそう言おうとしたのだが、小牧からの電話は一方的に切られ、携帯電話からは通話終了音だけがきこえてくる。蓮は携帯電話を皆瀬に返し、やむを得ず空き缶入りのビニール袋も託すことにした。
「ごめん、ちょっと先に行ってくる。空き缶集め、皆に任せといていいか? 雪乃が泣いてるみたいで」
「あ、ああ……。わかった」
皆瀬や他のメンバーたちには申し訳なかったが、ここへ来てから蓮には決めていたことがあった。それは、これ以上雪乃を悲しませないということで、このとき蓮にはそれ以外のことは一切、頭になかった。
家族の涙は自分の悲しみとなるのだ。だから蓮はひたすら走り、走り、ただ雪乃に泣き止んでもらいたい一心で体育館の中にまでやって来たのだったが……。
「おお、来てくれたか、蓮!」
通話中、あんなに慌てている様子を醸し出していたはずの小牧は、あっけらかんと笑いながらそう言った。
「えっと、これは……」
体育館内は、カーテンによって日光が遮断され、薄暗かった。辺りを見回しても雪乃の姿は見えず、蓮は訳がわからないままぽかんと口を開けるしかない。そんな蓮に、小牧はステージを指差してみせる。
「まあとりあえず、あれを見てくれよ」
小牧に言われるまま、蓮はステージに目をやった。そしてその瞬間、ステージの中央にスポットライトが当てられ、純白の何かが蓮の目に映りこんできた。
「雪乃……?」
ステージ上に立つ彼女が身につけていた、雪を纏ったようなその衣装は、彼女の黒い髪と相まってその白をより一層際立たせている。そして小柄な身体の肩から足先までを包み込んだ白は、スポットライトの光を一身に受け止め、その眩しさに蓮は思わず目を細めた。
──きれいだな。
蓮は美しさに一瞬魅せられたが、直後、ここへやって来た理由を思い出す。
「な、何してるのさ、雪乃。泣いてるって聞いたから来たって言うのに……」
「ごめんね蓮くん、ついついお芝居しちゃった……」
「芝居?何でそんなこと」
「この衣装ね、演劇部から借りてきたんだけど、私にはもったいないくらい綺麗だなーって思ったの。でもだから、この衣装を着ながら歌うところ、まずは蓮くんにお披露目したくて」
雪乃は衣装をひらひらとさせながら、ステージ上のスタンドマイクを握りしめた。そして、
「歌うね」
彼女は一言だけそう言って目を閉じ、すぅーっと息を吸い、吐く。体育館は静寂に包まれ、やがて七、八秒の間のあと、彼女の歌声が体育館に響き渡る。
──ああ。
そよ風のようなその歌声は耳に残り、心に絡みついた。そして彼女の歌声をきいている間だけは、心が安らいでいるのを蓮は感じた。貴重な時間を割いたことに対する多少の苛立ちも、恐怖や絶望のような負の感情も、彼女の歌声を前にしては、一切通用しない。
これこそが、自分たちの文化祭で求められるものなのだ。手段こそは違えど、蓮たちが空き缶アートで目指すべきものも、同じであると知った。




