第十七話 シンボル
──あれ……?
蓮の発言に対して、どういうわけか藤咲の顔は真っ赤に染まっている。
「え、えっと」
「た、たしかに、状況が状況ですから、か、間接キスなど気にしている場合ではないのでしょうが……」
「は? どういう……」
「これは仕方のないこと、仕方のないこと……」
やがてそんな藤咲の様子に、蓮は彼女が大きな誤解をしていることに気づく。たしかに誤解を生むような言い回しをしてしまったのかもしれないが、蓮は空き缶に利用価値を見出だしただけであって、コーヒーが飲みたかったかったわけでもなく、ましてや間接キスを狙ったわけでもない。
「い、いや、そういうことじゃなくって!」
「えっ……?」
藤咲はしぶしぶ差し出そうとした缶コーヒーを持つ右手をぴくりと止め、蓮を見た。
「飲み終わったら、その空き缶が欲しいなーって思って」
「では……。コーヒーが飲みたいわけではない、と?」
「そうだよ」
「……だっ、だったら初めからそう言ってくださいよ! というかそもそも、空き缶を何に使うつもりですか?」
藤咲は自分の誤解にますます頬を赤らめながら、蓮の意図を問うた。容器であればペットボトルの方が明らかに利便性に優れているため、彼女がこの空き缶に大した価値を感じていないのも当然だ。しかしこの状況で価値の小さいものほど、蓮たちは探していた。
「それを、展示するんだ」
「空き缶を……?」
「うん」
「それは、えっと……」
直前の誤解に対する恥辱を、藤咲はまだ引きずっているらしい。そのせいか頭も回らないようで、彼女はただもじもじとしているばかりだ。
「空き缶アート、だな」
そんな状況を見かねたのか、その場にいた展示グループの一人、皆瀬純が口を挟んだ。
「空き缶アート……?」
「そう。空き缶でいろんな形を作って、それを展示するんだ。これなら十分可能だと思うし、何より不要な物だけ使ってできるっていうのがいい。どうかな?」
「なるほど……。空き缶アート、いいかもしれませんね」
「でしょ。皆はどう思う?」
納得した様子の藤咲を見たあと、蓮はグループのメンバーたちに顔を向け、たずねた。条件が厳しくアイデアが出ずに困っていた一同にとってはそれは名案であり、そして蓮の意見は採用されることとなった。しかし、
「問題は、大量に必要となるであろう空き缶を集められるのか、だろうな」
皆瀬が抱いたその懸念は、重要なものだった。集まった空き缶の数によって、展示物の規模やクオリティが大きく変わってくることは間違いない。
そしてこの学校に設置された自販機の数は、正確に把握しているわけではないものの、おそらく五、六ヵ所あるかないかだ。それぞれの場所にある空き缶用のごみ箱を漁っても、集まる空き缶の数はしれているだろう。
「──けれど、まずは行動あるのみ! とりあえずは手分けして空き缶を集めてこよう!」
そうして八人のグループは二人組で四つに分かれ、それぞれ自販機へと向かうこととなった。
藤咲から非常食をもらってズボンのポケットにしまったあと、蓮も皆瀬とともに出発する。
蓮と皆瀬が向かったのは、玄関にある自販機だ。そこはふだんから人の多く通る場所だったため、ごみも多く捨てられているのではないかと思う。
「それにしても、ずいぶん個性的な連中が生き残ったみたいだな」
その道中で、隣を歩く皆瀬が言った。
「え?」
「お前たち幼馴染みトリオや来栖もそうだが、あの会長もなかなか癖のある人みたいだからな」
「んー……。藤咲なんかはともかくとして、俺ってそんなに個性的かな?」
「まあお前はまともな方かもしれんが、生き残った奴らには変わった奴が多い。副会長や図書委員長、それに体育館には来なかったみたいだが、柄の悪いことで有名なあの問題児もいるらしい」
そう言いながら皆瀬は非常食の袋を破り、剥き出しになった棒状のそれを食べ始めた。隣を歩く蓮には、非常食のビスケットが噛み砕かれる音がわずかにきこえてくる。しかし──。
「六神は、食べないのか?」
「いや、今はまだ……」
そんな音をきいても、蓮には食欲がわかなかった。食べられるときに食べておいた方がいいのだとは思うが、蓮の頭には血まみれの死体が過り、離れなかった。文化祭で生存者を集めるという直近の目標と仲間たちの存在が蓮の心を何とか保ってはいたが、心はもう限界寸前で、それは当然のことだと蓮は思う。
「皆瀬はよく、食べられるよな。俺なんか、全然食べる気が起こらなくって」
すると皆瀬はビスケットを口に入れるのを止め、さらに進めていた足も止めて蓮を見た。蓮も足を止め、皆瀬の顔を伺う。
「どうかした?」
「怖い、か……?」
「え、いや、それは……」
「まあ、それが普通だ。俺が教室に来たときには、過呼吸を起こしてる奴もいたくらいだからな」
皆瀬はどこか他人事のように、そう話した。蓮はそんな彼の飄々とした様子に、当然疑問を抱く。
「皆瀬は怖くないのか……?」
「なぜだろうな、俺は不思議と怖くないんだよ。俺が異常なだけだということはわかっているんだが、でも俺の中にあるのはこんな世界に対する怒りだけなんだ」
蓮には、皆瀬の言葉が本心のものなのか、あるいは単なる強がりなのか、見極める術を持ち合わせていなかった。
しかしただ一つ、分かったことはある。ここにいる皆瀬純という人物もまた、小牧や他の皆と同じように世界に抗おうとしているということだ。
──そうさ、皆闘ってる……!
だったら。だったら自分のやるべきことも皆と同じで、それは絶望に抗うことだ。恐怖を払拭することはできなくとも、恐怖に耐えて、耐えて、耐え抜くことはできる。それは心構えの問題で、できるかどうかではなくやらねばならない。蓮は今日自分のしてきた覚悟と決意を再確認し、より確かなものにした。
「けれど怖いのが当然だ。六神もあまり無理はしない方がいいと思う」
そう言って皆瀬はまた歩き出し、ビスケットを口にした。彼は気を遣ってくれたようだったが、しかし蓮にも信念がある。それを曲げないためにも、甘えてはいられない。
「俺はさ」
「ん?」
「俺はこの文化祭、それからこの空き缶アートを、希望の象徴、シンボルにしたいんだ。そのためには立ち止まるわけにはいかないし、立ち止まるつもりもない。だから、頑張ろう!」
何かを展示しただけで、状況が何か変わるわけではない。それでも、それが人々の心に残るように、そして希望の灯火をつけるように、そういうものにしたい。単なるエゴなのかもしれないが、それが蓮の正直な思いだ。
意思表明とともに蓮も止めていた足を動かし、その様子を見た皆瀬は安心したように、ふっと笑っていた。




