巴の期待
とある授業中蓮華は相も変わらず夢の世界。クラスの者にとってはもうそれが当たり前のことのようになっていた。
しかし、そうなっているのは蓮華のクラスメイトだけであって必ずしも先生たちはそうではない。
「ジェンティーレという人種はこの世で最も新しい人種です」
ジェンティーレの歴史について語っているこの女性の先生は、自分の授業を一度もまともに聞いた素振りを見せない蓮華のことが気になっているようだ。先ほどからちらちらと蓮華を見ている。
この子、大丈夫かしら。もしかして内容がさっぱりわからないからグレてるんじゃ……
そう思考した彼女は試しに蓮華に質問を投げかけてみた。
「じゃあ、ジェンティーレがこの世にあらわれたのは約何年までしょう? そうねぇ、それでは霧ヶ谷くん」
しかし、返事はないので彼女はもう一度呼びかけてみた。
「霧ヶ谷くーん」
「……んあ? 俺?」
ほかのクラスメイトの視線で蓮華は状況をなんとなく理解はできたのだが、何をすればいいのかがさっぱりわからない。なにかしようと思い、とりあえず腰を上げた。
「えーと。なんですか? 廊下に立ってればいいですか?」
「いや、違うから。もう、聞いてなかったの?」
「はい。すいません」
ぺこりと頭を下げる。すると後ろの席の秋久から質問の内容を教えてもらうと蓮華は先生に向かって、
「約300年前」
「……正解よ」
あら、当たったわね。あ、そうか佐久間くんから教えてもらったのね。
そのように解釈した彼女は違う質問を投げかける。
「じゃあ、ジェンティーレの出現は何が原因とされていますか?」
「世界規模の大地震。それによって人間が進化したという説が今のところは有力」
うそーなんでわかったの! 今のは佐久間くんに教えてもらってないわよね。実はちゃんと授業聞いてくれていた? いやいや、だったら初めからまじめに聞いとけよって話よね。もしかして知ってた? でもジェンティーレの歴史はここみたいな学校でしか習わないし……
「霧ヶ谷くんまだ続くわよ」
蓮華は露骨に嫌な表情をした。
質問はどんどん蓮華に投げかけられ蓮華はその質問を滞ることなく答えていく。
もう何問目になるだろうか。
「一人目のジェンティーレはどこで発見された?」
「日本」
「その人の能力は?」
「ない。その人はスクルータだった」
「この神楽坂のような教育機関や決闘などといったルールを設け取り締まっていた、ジェンティーレで構成された組織の名前は!」
「シュタルキア」
なんで、全部わかるの! 寝てたんじゃないの? まさか私の心を読んだ? そういう能力ってこと……なわけねーよ! こいつはスクルータだっつーの! 何なのよ、もう。心配して損した。
キレ気味の彼女を呼びかける命知らずが一人手を挙げた。彼女はその男子生徒を睨まないように視線に気を付ける。
「先生」
「……ん。なに」
「後半からの問題はまだ習ってないんですけど……」
目が点になった。
え? うそぉぉぉぉぉぉ!
そこで、彼女をバカにするようにチャイムが鳴った。
◆
同日、放課後の職員室。
蓮華は今パソコンに向き合って仕事をしている巴に呼び出され「今忙しいから少し待て」と言われ彼女の横に待機している。
蓮華は、またお叱りを受けるのだろうかとびくびくしていると巴が急にイスを回転させて蓮華のほうに体が向く。いきなりのことに蓮華は鳥肌が立ってしまった。
「今日、坂本先生がお前のクラスの授業から帰ってきたとき絶望した顔で『私の授業は寝ててもわかる意味のない授業だったのか……はは』とか言ってたぞ。なにかあったのか?」
この問いに蓮華は何も知らないように首をかしげた。しかし、思い当たる節が一つだけあった。
「あ、そういえばさっきの俺、なんかいきなりガンガン当てられましたね。13問くらい答えさせられました」
巴は指でこめかみをおさえて小さく呻いた。
「えっと、なにか俺は悪いことをしたんでしょうか?」
「いや、気にするな。しいて言うなら……教師としてのプライドかな」
そう言って巴はコーヒーのカップに口をつけた。傍から見ればかなりかっこいいポーズなのだが蓮華はその姿に思わず吹いてしまう。
「先生、コーヒー……入れてきましょうか?」
「…………たのむ」
巴の声は途端に聞こえにくくなった。
「先生、コーヒーです。どうぞ」
蓮華は先ほどかっこつけ損ねた巴にカップを手渡す。
「それじゃあ、テイク2……いきますか」
「誰が行くか! まったく。霧ヶ谷、人をおちょくるのも大概にしろ」
「すいませーん」
カップにしっかりと入っているコーヒーをのどに通す。そして一息入れて巴は今度こそ本題に入る。
「とりあえずついてこい」
それだけ言って巴は席を立った。蓮華はどうせろくでもない仕事頼まれるんだろ、と思いながら文句一つ言わずついていく。
文句なんて言ったら殴られる。この人こわいからなー。
ついていくと教官室が見えてくる。まあ、巴は体育教師なのでそこまで不思議ではないのだが、そこから『望月』と書かれた部屋に迎えられる。
そこで部屋に入るとすぐに蓮華は気づいた
はあ、これだよいつもこんなことばっかやらされる。もういいよ、わかったから。
「私の部屋の掃除手伝ってくれ」
「いやです」
思わず口を突いて出てしまった。すると案の定、にらまれる。すごくこわい。よって、蓮華は早急に訂正する。
「なーんて、冗談ですよー。俺は委員長ですよ。先生のお手伝いだって委員長の立派な仕事ですよ」
ふざけんなっ! 全然立派な仕事じゃねーよ! てゆーかこの人が立派じゃねーよ!
「そうかそうか。やってくれるか。よかったー。私、実は物の整理とか苦手でな。いやーなんかすまんな。よっ、さすが委員長」
「先生無理しなくていいですから。キャラ崩してまで俺のことほめてくれなくて大丈夫ですよ。俺、終わるまで逃げたりしないんで」
そう心に決めて蓮華は作業に取り掛かり始めようとした。
「そうか。じゃあ、私なにすればいい?」
「何そのやる気なさそうな言い方。あんたが俺よりやる気なくてどうすんの! なにすればいい? って俺が聞きてーよ! この部屋どう掃除したらいいんだよ」
だがまあ、やるしかないことに変わりはない。もう一度気を引き締めなおす。
とりあえずそこら中に散らばっている本やらファイルやらの整理から始めることにした。
10分後。蓮華の心情はいたってシンプル。
帰りたい。
そう思っていると巴が蓮華に話しかけてくる。
「おまえ今、帰りたいとか思っただろ? 帰さんぞ。この部屋が片付くまでは」
「そんなことわかってますよ」
しばしの沈黙が続く。その間に蓮華は横目で巴を見た。巴はいつもと同じ顔で作業をしていたが、蓮華にはどこか少しだけ嬉しそうに見えた。
「……先生はどうして俺に結構かまうんですか?」
「どうした急に」
「いえ、先生って結構俺に目かけてくれてるなぁって。こんな風に生徒と二人で話してるとことかあんまり見たことないし。それになんか今の先生いつもと少し違う気がします」
巴は目を見開いた。確かに心なしか楽しんいたことかもしれない。
「それは私が君を少しひいきしてるからだ」
「それは先生としていいんですか?」
「それはその通りだ。だが君を見ているとおもしろい。君にはどこか人を引き付ける才能がある。私も少し惹かれ始めているのかもしれない」
「なんですかそれ。なんか気持ち悪いですよ」
それを聞いた巴は変な意味に捉えられても仕方がないと思い作業を中断して無意識に顔がほころんだ。
「君が思ってるようなことはないさ。ただ、今年初めて担任としてクラスもってみたらわかったんだが……なんか先生してるなって思ったんだよ」
「俺にはよくわかんないですよ。それより早く掃除、再開してください」
「そうつれないこと言うな。まあ聞け……どの学校の先生にも自分の前の教え子の話をするやつがいるだろ。私は今それがしたいと思ってるんだ。まあ、まだ一か月強ほどしか君たちを見ていないがな」
蓮華は合点が言ったようにうなづく。そして、自分が考えていることがあっているかどうか聞いてみた。
「つまりその話の種となる教え子に俺が選ばれたということですか」
「その通りだ。君が卒業するまでしっかり見届けて、次に受け持つ君の後輩たちに霧ヶ谷蓮華という人間について話してやるのが今の私の夢なんだ。だから期待しているぞ」
今度は蓮華の顔にも笑みがこぼれる。
女帝なんて呼ばれてるけどこの人も結局は教師なんだな。
「数年先を担ってるなんて結構重いですね。でも、期待するのは先生の勝手。その期待に応えるのも俺の勝手ですよね。俺、その期待に背中向けるかもしれないですよ」
「それはそれで、こんなクソ野郎がいたんだと言えるから構わないさ」
◆
2時間ほどかけてやっと部屋の掃除が終わる。二人は大きく伸びをしてピカピカになった部屋を後にした。
「さて霧ヶ谷。明日は学内トーナメント3回戦。七高剣舞祭メンバーになるには明日の試合を合わせて、あと2戦か、3戦勝てばいい」
蓮華はもう面倒くさいと言わんばかりにいやそうな顔をする。
「まだそんなにあるんですか?」
「まあな。だがここまで来たんだ、いっそのこと全部勝て」
「簡単に言ってくれますね。そんなにモチベーションが持つかどうか」
「いいからやれ」
「はい!」
蓮華は即答する。もう巴の期待に有無を言わさず答えなければいけないことは蓮華の体が一番よく理解していた。
「しかし、次からはきっと能力発言者が勝ち残ってくるだろうな。まあ、がんばれ」
そう言って巴は誰もいない暗い職員室に入って行った。
その後少しだけ、きゃっ! というような女の子らしい声がしたが蓮華は何も聞こえなかった振りをした。
教室から自分の荷物をとって学校を出ると、巴が真っ赤なスポーツカーに片手をついて待っていた。
「霧ヶ谷。乗ってくか?」
蓮華は息小さくため息をつき巴のほうに向かう。
「先生、あんまり一人の生徒をひいきしすぎるのはどうかと思いますよ」
「そう言いつつ乗ってるじゃないか」
車は静かに、それでいてぐんぐん前に進んで行く。窓からくる冷たい風が頬をなでる。
「先生この車いいですねー」
「そうだろう。私の自慢の車だ」
坂道に差し掛かる手前で信号にひっかかってしまう。それが気に食わないのか巴は一回だけ舌打ちをした。
「先生、どうかしたんですか?」
「ん? なんでもない」
そして信号が青に変わりまた発進――ボン! という小さな爆発音がする。
「先生?」
「……坂道発進……苦手なんだ」
「宝の持ち腐れ……ですね」