第四章
第四章 家族
「おはよう、アーデ。」
「おはようございます。」
切り裂き魔に対抗するための巡回任務に『ミスティル』が参加した夜から三日が経過した朝。アマデウスはミスティルでこれまでと同じように朝を過ごしていた。
「アリスの様子はどう?」
「まだ目を覚ます様子はありません。ですが熱もようやく下がって今は気持ちよさそうに眠っています。」
「そうか、早く目を覚ましてもらわないとな。家族が一人居ないだけで飯も味気ないからな。」
あの日敵の妖気に当てられ九尾の妖孤の姿を現したアリスは、エルランドの言った通りアマデウスが刀で叩くと姿はすぐに戻った。しかしその後三日間は熱にうなされ四日目の今朝ようやく落ち着きを見せた。
「おい、チビ助。お前ここんとこアリスに付きっきりでちゃんと休んでねえだろ。ほら、ガツッと朝飯食ってドカッと睡眠とっとけ。」
ドスンッとアマデウスの前に置かれた朝食は普段の三倍はあるドデカ盛りになっていた。
「そうよアーデ。次にその男が来た時には私が守ってあげるから、今はちゃんと休みなさい。」
「ヘレンさん・・・。」
自分とアリスをこんなにも労り気にかけてくれることがアマデウスには何よりも幸せだった。しかしアマデウスにはどうしても気になることがあった。
「どうして・・・・・どうして誰もアリスのことについて聞かないのですか。」
クルトの作ってくれた朝食に手をつけようとフォークを握った手をそのまま机に降ろしアマデウスはその場に居た全員に尋ねた。
「アリスのこと?何のことかしら?」
アルヴァはすでに朝食を終え食後の一服中だった。白い煙を長く吐き出しながらとぼけるように答えた。クルトとヘレーナは全ての意向はアルヴァに委ねるとでも言うように口を閉ざし見守っていた。
「誤魔化さないでください!皆さんエルランドさんから聞いてるのですよね?アリスが九尾の妖孤だということ。」
「ああ、確かそんなことも言ってたかな。」
アマデウスが覚悟を決めて発した言葉に対しアルヴァは眉一つ動かすことなく簡単に答えた。
「どうしてそんなに落ち着いているのですか!九尾の妖孤ですよ!世界崩壊の兆し、災厄の根源。そう呼ばれている妖孤がすぐそばに居るのにどうしてそんなにもゆっくりしているのですか!追い出したり殺したり膨大な妖力を利用しようとは思わないのですか!」
これまでアマデウスたちが多くの国や街、集落を転々としてきた理由は何も母親の日記を辿っていただけではなかった。アリスは普段こそアマデウス同様にピュアヒューマン純人間の姿をしているが先日のように過度な妖気に晒されたり感情が高ぶりることで妖孤の力が表に出てきてしまう。アリスの正体がバレればその日の内に逃げなければならなかった。訪れる災厄を恐れ命を狙う者や切り裂き魔のように力欲しさに妖気を求め襲いかかる者によってアリスに危機が降りかかるからだった。
これまで通りであれば昨晩アリスを連れてファミリーハウスに戻った後必要な荷物だけをまとめ『メルマリア王国』を出ていくはずであった。だが戻った二人を待っていたのは『ミスティル』のメンバーからの力強い抱擁だった。ヘレーナとラウラはすぐにアリスをアマデウスから預かり、看病のため部屋に連れていった。アルヴァは力強くアマデウスの頭を撫で、クルトは背中を軽く叩き『よく守った。』と一言だけ告げてくれた。
翌朝には食卓で朝食を食べ、いつもと変わらない日常が流れていた。
ここ『ミスティル』での反応が嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。だが嬉しさが大きければ大きいほどそれを失う時が怖かった。四年前、母親を、故郷をあの男に奪われたことが脳裏に刻まれたままアマデウスの心の不安を大きくさせていた。
「で、それがどうした。」
「えっ?」
カンッ!と煙菅を灰皿に叩きつけると真剣な顔落ち着いた声でアルヴァは答えた。あまりに冷静で無欲な答えにアマデウスは間の抜けた声を出してしまった。
「アリスはもう私たちの家族だ。たとえ九尾の妖孤だろうが災厄の元だろうがそんなもの関係ないのよ。そのせいで危機が及ぶと言うのなら私たち全員でぶちのめす!災厄が起きたって何も変わらない、私たちは『ミスティル』、逆境を耐え忍び困難に打ち勝つ、ただそれだけのことよ。だから、あんたたちが何者でこれから先どんなことがあったとしてもあんたたちは私らの家族よ、何か文句あるかしら。」
どこまでも挑戦的で格好良く男より男らしい女性だ。アマデウスが同意を求めるようにクルトを見ると大きくうなづいてくれた。
「ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。」
アマデウスの心にあった不安はアルヴァの言葉一つで一気に引っこんでしまったらしくアリスが目覚めることが待ち遠しくて仕方がなかった。
「だいたい、あんたも王国の奴らも全員間違えてんのよ・・・。」
「はい?アルヴァさん何か言いましたか?」
ヘレーナやクルトからもみくちゃにされていたアマデウスはアルヴァの言葉を聞き取ることが出来なかった。
「あれ、そう言えば、ラウラさんはどうしたのですか?」
アマデウスたちが切り裂き魔に襲われた時もっとも近くに居たのは同じ『ミスティル』の仲間でピュアヒューマン純人間のラウラ・ラーゲルベックであった。しかしその日アマデウスたちを助けたのは自衛団団長エルランド・メランデルでラウラとはその日以降顔を合わせていなかった。
「ラウラはね、アーデと顔を合わせ辛いのよ。今は自分の工房に籠ってるわ。」
ピュアヒューマン純人間であるラウラにとって『ミスティル』での役割は元来戦闘員ではなく鍛冶師である。なのでファミリーハウスの中にある自室とは別に森の中に作業用の工房を持っている。
ヘレーナから工房の場所を教えてもらったアマデウスはラウラの工房へと向かった。
ファミリーハウスから王国とは逆方向に森の中を五分ほど進むとまた開けた場所に出る。ファミリーハウスのある広場と比べると二〇分の一ほどの広さ、同じく水溜まりがある。幅は最長で五m底までの深さは深いところでも七〇㎝ほどの大きさの泉。泉の水は底が見えるほどに澄み切っていてその底からは絶えることなく清水が湧き続けていた。
泉のすぐそばに一件の木造家屋が佇んでいた。家というにはつつましく納屋と呼んだ方が幾分かふさわしい大きさの建物。屋根にはそんな外観には似合わないしっかりした煙突が取り付けられていた。
煙突からは黒い煙が立ち上り建物からは甲高い金属音が聞こえてきた。
「ここが、ラウラさんの工房・・・。」
いざ、広場に足を踏み入れ工房に近づいてみると、その空気の違いを感じた。辺りには音がなく空気中の分子一つ動かすこともはばかられるような厳かさがあった。それで居て広場の中には神聖で格式高い空間のように感じられたが空気は決して重くはなく、軽やかでそこの泉のように澄んだ清らかな空気が流れていた。
アマデウスはこの場に似た感覚を昔別の場所で感じたことがあった。
「まるでお社のようです。」
四年以上前、まだ母親が生きていたころ。月に一度彼女は村とそこに住まう全員の安全を祈り舞の奉納を行っていた。その時に訪れていた村のお社、アマデウスが中に入ったことがあるのはたったの数回ではあったがその感覚は体と心にしっかりと刻まれていた。
工房は窓も扉も完全に閉ざされ外からの光が一切入らないようになっており、中からは金属が叩きつけられる音が聞こえてくるだけだった。
厳かな空気の中アマデウスは眼を閉じ母親の舞う姿を思い出していた。毎日見つめ憧れ続けた母親の舞の姿。目を開けると目の前には舞を舞う母親の姿が見えた。アマデウスは母親の影を追うように舞い始めた。母親と一緒に過ごし練習をしていた頃を思い出し胸が熱くなる。
舞を終えると母親の影はアマデウスに向けて優しく微笑み手を差し出した。だが、アマデウスはその手を取らずに母親の目を見て静かに首を横に振った。母親の影は一度だけうなづくと目を閉じすうっと霧のように空中に消えていった。
「母様はもう居ません。今は僕がアリスを、仲間を守らないといけません。だから、僕に今必要なのは過去の思い出ではなく未来を生きるために攻める力です。」
アマデウスは握る拳に力を入れ顔を上げた。
ギイ・・・。
アマデウスの後ろで、閉め切られていた工房のドアが突然開かれた。
「あ、ラウラさん!」
工房からは頭に手ぬぐいを巻いた作業着姿のラウラが出てきた。
「あ、あああ、アーデ!ななななな、なんでここに居んの!」
アーデが工房まで来ていることに驚き、作業着姿を見られたことを恥ずかしがり、そしてまたアーデを見て驚いた。
「アーデ、・・・泣いてんの?」
「えっ?」
アーデが頬に手を当てると一粒の涙に触れた。
「ホントですね。どうしてでしょう?」
キョトンとした表情で居るアマデウスに対し『なるほどな』と何かわかったような顔で口を開いた。
「それは精霊に見せられたんやな。」
「精霊ですか?でも僕魔力なんてないですし・・・。」
精霊はこの世に存在する全ての生命全ての自然に宿るエネルギーの源であり、魔法では魔法力・魔力を消費することで精霊を使役し強大な力を得ている。なので膨大な魔力を持つ一部の者は精霊の姿をその目に見ることが出来直接意思の疎通をすることも出来る者も居る。
しかし、ピュアヒューマン純人間に魔力を持つ者は居らず精霊の存在を感じることすら出来ない。
「それはな、認識が間違うとるだけやねん。確かにうちらが精霊を感じることは出来ん。せやけどそれはうちらにとっての話や、この子らからすればうちらのことはちゃあんと見えるしさわれふ・・・。」
精霊に対する認識の違いを丁寧に説明するラウラの頬が引っ張られ釣り上げられていく。さらに頭に巻かれた手ぬぐいは宙を舞い、髪は逆立ち踊っていた。
「っへ、ひふはほははは・・・止めんかい!」
ラウラが釣り上げられた頬の先を目がけて手を振り上げると頬はその手を躱すように元の位置へと形状記憶されたゴムのように戻っていった。
バチン。
「あんたら、アホか!痛いわボケ!」
ラウラは何もない空中をぶんぶん腕を振り回して暴れまわっている。
一体何が起こっているのかさっぱりなアマデウスは一人唖然として突っ立っていた。
くすくすくす・・・。
きゃははは・・・・・。
唖然とするアマデウスの右肩で注意しなければ聞き逃してしまうほどの小さな笑い声が聞こえた。見れば肩の上に赤に青、黄、緑、それぞれ帽子を被った者被ってない者、羽のある者ない者様々な姿をした小さな何かがそこに居た。
「もしかしてこの人たちが・・・?」
「そっ、その子らが精霊。」
宙を舞っていた手ぬぐいをようやく捕まえ頭に巻きなおしながらラウラは話してくれた。
「うちが鍛冶師として『ミスティル』に入った後、工房を近くに建てよってなった時にヘレン姉がここがええって教えてくれたんよ。ここには力の強い精霊たちがよーさん居るからって。」
「どうして工房の場所に精霊が関係あるのですか?」
純粋な疑問だった。魔法道具の生成であれば精霊が関係することはわかる。だがそもそも魔法の使えないラウラにとって工房の場所選びに精霊の存在が関係することが理解できなかった。
「精霊、特にここに居る子らみたいに力の強い子らはな人と関わりを持つことを嫌うんよ。自分らが人と一緒に居るせいで争いが起こることを知っとるからな。」
どの国にとっても精霊の質と量はそれだけで戦局を大きく左右する重要な問題である。だからこそ、より多くより強い精霊を所持する国はそれだけで支配する価値が生まれ永く渦中に身を置いて来た。
「だとすれば、僕たちがここに居るのも本当は良くないのでは?」
「それはちゃうよ。この子らは別に人のことを嫌っとるわけやないよ。むしろ大好きやからな。アーデやってそんなけたくさん精霊集めとったらわかるやろ?」
気が付けば右肩だけでなく左肩にも頭の上にも足元にも、体中に精霊たちがくっついていた。
「それにアーデもその子らにええもん見せてもろたから涙流しとったんやろ?」
「?」
「この子らは人が大好きやから、せやから誰かの心が不安定になってるとそれを落ち着けるためにその人が一番望むものを魅せてくれる。アーデも感じたやろけどこの広場の空気が無駄な感情の含まれてない清らかなで厳かなものになっとるのはそのせい。そしてこの空気こそが刀を鍛えるんにもっとも大事なんよ。」
「刀、ですか?」
アマデウスは普段ラウラがミスティルの皆の装備のメンテナンスをしていることを知っていたが、自分で武具防具の作成まで出来ることは知らなかった。
「ああ、・・・うん、まあな・・・。」
普段の快活すぎるラウラからは想像もつかない歯切れの悪い返事であった。
「実はな、うちの家は刀鍛冶の家系なんよ。爺ちゃんは稀代の刀鍛冶と呼ばれたそれはもうすんごい人で名刀と呼ばれる刀をよーけ生み出した人やねん。その息子、うちの父ちゃんも爺ちゃんに負けへんぐらいの腕利きやった。けどな、父ちゃんはいつからか妖刀しか作らんくなってしもて爺ちゃんに破門された。その後すぐに爺ちゃんは死んでもてな。父ちゃんを後継者にって思てたから門下生も居らん。うちは女やからって鍛刀技術は何も教えられてん。つまり我が家の刀鍛冶としての名はそこで途絶えたってわけ。没落鍛冶一家となったうちの家族はバラバラになってもてな、行き場を失くしたうちはその後アルヴァさんに拾われたんよ。」
「じゃあ、ラウラさんは刀は・・・。」
「そ、打てへん。」
「でもラウラさんがいつも持ってる小太刀、あれはラウラさんが打ったものですよね?」
「なんでわかんの!」
「初めてラウラさんに会った時あの小太刀を手にしたらラウラさんの真っすぐで力強い心を感じたのです。『お爺様、お父様を超える刀を作ってお父様に帰ってきてほしい』と。」
「いやっ、・・・あのっっ、・・・・・そっ、それはっ・・・・・。」
ラウラの顔が茹でられた甲殻類のようになり最終的には頭から湯気を噴き出し始めた。
「ラウラさん本当は可愛い話し方なのですね。」
ボンッ!ラウラの頭は爆発してしまいその場でたたら足を踏んでいた。
「ちゃ、ちゃうねんそれは!父ちゃんが出ていった後すぐに打った刀やったしうちもまだ幼かったというかやなあ・・・・。」
わたわたとセリフの三倍ぐらいの身振りをつけ真っ赤な顔で話すラウラは本当に可愛らしく普段の姿と違って愛おしく思えた。
「今でも帰ってきてほしいですか?」
「えっ?」
アマデウスからのいきなりの質問に体に全身の細胞が冷静になった。
「お父様が出ていって家族はバラバラになってしまっていますし、今のラウラさんには『ミスティル』という新たな家族が居ます。それでもまだ、家族を見捨てたお父様に帰ってきてほしいのですか?」
アマデウスから聞かれるまでラウラは考えたことがなかった。正直に言うと父親が帰ってくることを刀に願っていたことすらも忘れかけていた。ラウラが考えを整理しているとアマデウスが続けて話し始めた。
「今日、ここに来た時に精霊たちが僕に母様の姿を見せてくれました。昔一緒に舞の稽古をしていたことを思い出してとても幸せでした。でも、それは僕が望むものであっても僕が必要としているものではないと強く感じました。母様との時間はもちろん僕にとって大切なものですが、僕が生きるべきは思い出の中ではありませんから。今の僕には『ミスティル』という新しい家族が居ます。だから今僕に必要なのは今を守り先へ進む力だと思いました。」
「アーデ・・・。」
ラウラはこれまで自分が祖父や父親の影を追ってきたのと同じようにアマデウスも母親の影を追って過去に生きていると思っていた。それなのにこの数日の内にこんなにも大きく強く成長していることに素直に驚いた。
「だから、ラウラさん!僕にかた、」
「ストップ!そこはうちに言わせてくれるかな。」
アマデウスが意を決して口に出した言葉をラウラはあっさりと止めてしまった。
「まず・・・切り裂き魔の襲撃の時助けに行けんくてほんまにごめんなさい!霧で二人がどこに居るんかどうしてもわからんくてエルランドさんを呼びに走ることしか出来んかった。・・・・・うちは戦闘ではアーデとアリスの助けにはなられへんけどうちやって家族や。二人の助けになりたい!せやから・・・。」
そこまで一気に話すと一つラウラは大きく深呼吸をした。
「うちにアーデの刀を打たせてほしい!」
そう言いきったラウラの表情には覚悟が満ちていた。ラウラが他人のために打つ初めての刀。没落鍛冶一家が再起をかけた一本。ラウラの肩にかかる重みがそのまま表情に表れていた。
「僕も、ラウラさんに刀を打ってもらいたいです。よろしくお願いします。」
「ほんまおおきに!こちらこそよろしく!」
深々と膝の高さまで頭を下げるアマデウスに対しラウラも脛まで頭を下げた。
「それでなアーデ刀なんやけど何か希望とかある?言うても三日前から作業は始めとって皮鉄も心鉄もすでに出来とるから形とか拵えとか見た目的な話になるけど。」
「いえ、全てお任せします。僕はラウラさんのことを信じていますから。」
そう告げるアマデウスの表情は溌剌として瞳は強い力が込められキラキラと輝いていた。アマデウスの迷いのない信頼の表情と言葉にラウラは武者震いしアマデウスの両手をひしと握り改めて宣言する。
「任せとき!」
ぐっと力の入った握りこぶしを見せラウラはにかっと笑って見せた。その笑顔にはひどく硬さがあるように見えアマデウスは思わず声をかけた。
「ラウラさん!僕にも何か手伝えることはありませんか見守るだけでも・・・。」
「大丈夫。・・・これはうちの、ラウラ・ラーゲルベックの戦いやから。」
アマデウスに背を向けたまま言った言葉、後半はほとんどラウラ自身に向けて言った言葉のようだった。
「安心しとき!絶対に、うちがアーデの力を十二分に発揮できる刀を仕上げるからな!」
緊張と覚悟の大きさを理解したラウラの顔には余裕が戻っていた。
ラウラは『ほなまたしばらく工房に籠るから皆によろしく言うといて』と手をひらひらと振って工房に戻っていった。
ファミリーハウスまで戻る道中アマデウスは終始笑顔だった。一秒でも一瞬でも早くアリスに伝えたくて走っているのに気を抜くと心に釣られて体まで弾み出し前へ進めなくなってしまう。
「浮かれている場合ではないのですが・・・。アリスはまだ目を覚ましていないですし、切り裂き魔もあれからずっと行方の分からないままになっていてまたいつ襲ってくるかもわかりません。」
不安要素なんて数えてみればいくつだって出てくる。切り裂き魔だって本気を出していたようには見えなかった。それでも、強化された切り裂き魔には傷をつけるどころかダメージを与えることさえ出来なかった。妖気さえ集まればそれ以上にさらに強化されるだろう。あの時妖孤の姿のアリスを見た一般人だって居る。ミスティルの事を良く思っていないギルドの者の耳に入ればどうなることか。第一にアマデウス自身がもっと力をつけなくてはならない。
本当に上げ始めるときりがない。それでも、今日だけ、今日一日だけは浮かれて過ごしてもいいのではと思った。
アリスの正体を知っても全く動じることもなく受け入れてくれる家族に出会ったのだから。表面だけ見繕った優しさはこれまでにも受けたことはあった。でもそうじゃない『ミスティル』はアルヴァはヘレーナはクルトはラウラは、これまでの人たちとは違う。受け入れるふりをして悪人に売ろうとしたり殺そうとした者とは違う。そういう者は全員心の冷たさで笑顔が凍りついている。そして同じ笑顔で同じことを口にする。
「それは大変だったろ。大丈夫だ、これからは俺たちが守ってやる。」
「それは大変だったね。大丈夫、これからは私たちが守ってあげるから」
「それは大変でしたね。大丈夫ですよ、これからは僕たちが守ってあげます。」
だけど、アルヴァは違った危機が及ぶなら共に戦うと言ってくれた。危機が及んでも共に居ると言ってくれたのだ。
そもそもアルヴァやクルトに関してはこの先降りかかるかもしれない危機や災厄など頭の片隅にもないのだ。『そんなものは来てから考えろ』『乗り越えられない危機?ならその危機を乗り越えられない自分を乗り越えるまでのこと』そう言って実際にやってのけてしまう。人によってはそんなものは生まれ持った力のせいだとそういう人が多く居ると思う。でもアマデウスはそうは思わなかった。本人たちと接したアマデウスからすればアルヴァたちの強さは臆さない心とどんな逆境も耐え忍び最後には乗り越えてきたこれまでの積み重ねの結果としか思えなかった。
「アリスももう目を覚ましたでしょうか?」
アリスに話したいことがたくさんあったアルヴァやヘレーナ、クルトにラウラ『ミスティル』のメンバーだけではない、エルランドやエイラにアラン『メルマリア王国自衛団』の団長や副団長もアマデウスたちのことを気にしてくれている。もう二人きりで逃げながら生きる必要もない。二人きりの粗末な食事も藁が敷かれただけの寝床ももう見ることはない。今は毎日温かい食事を家族で食べ、自分だけの部屋にふかふかのベッドもあり、毎日お風呂にだって入れる。
「こんなに幸せな気持ちになれるのもアリスのおかげですね。」
あの日、ミスティルを襲撃しに来たレッドファングと戦った日にアリスがアマデウスの望みを汲んでくれたからこそアマデウスは『ミスティル』の一員になることを素直に望むことが出来た。
「そうです。エルランドさんにもアリスの事を庇ってもらったお礼を言っておかないと駄目ですね。」
エルランドは妖孤の姿のアリスを見せない為にエクスカリバーに閃光を放たせてくれた。でももし、『ミスティル』に入らずに『自衛団』に入ると言っていたらどうなっていたか。今と同じようにとはいかなくても違う形で幸せな気持ちになれて居たのかもしれないとアマデウスは思った。
工房を出てファミリーハウスへと向かっていたアマデウスは広場の入り口まで帰ってきた。広場の中へ目をやるとファミリーハウスの前に人だかりが出来ているのが見えた。
「自衛団の人たち・・・?」
ファミリーハウスの前に集まっていた人は自衛団の制服を着ていた。広場に入っていくとその奥にはエルランドがアルヴァ、ヘレーナ、クルトに何かを話していた。
「エルランドさん!」
エルランドの姿を見たアマデウスは広場の入り口付近から大声で呼びかけ駆け出した。
「あ、・・・アマデウス君。」
アマデウスの呼びかけに答えるエルランドの様子がおかしい。駆け出したアマデウスの足はスローダウンし、そして止まった。いつもと違うたどたどしい返事、アマデウスの呼びかけに一度振り向いたきりアマデウスを見ようともしなかった。
ザッ。
アマデウスがエルランドの様子がおかしい事に気を取られているとファミリーハウスから誰かが出てきた。
「エイラさん!」
『ミスティル』のファミリーハウスから出てきたのは自衛団副団長エイラ・メランデルだった。
「・・・アマデウスさん、戻られたのですね。」
エルランドの様子がおかしかったので一瞬緊張してしまったがエイラは平常運転のようでアマデウスは安心した。
変な緊張感からふうっと一息つけると再び足を進め始めた。だがその足も三歩目には再び止まってしまった。
「エ、エイラさん・・・。その・・・エイラさんの右脇に抱えられているのは・・・・・誰、いえ・・・何ですか?」
アマデウスにはその目に映る光景を信じることが出来なかった、いや信じたくはなかった。エイラが『ミスティル』のファミリーハウスから何か、いや誰かを抱えて出てきた光景を。
「エルランドさん?エイラさんが抱えているのは何なんですか。・・・ねえ、エルランドさん?」
エイラが抱えているのが誰なのか、そんなもの選択肢自体一つしかない。アルヴァもヘレーナもクルトもそこに居てラウラは今は工房に籠っている。さらにアマデウスを除けばファミリーハウスに居る者なんて一人しかいない。そもそも自衛団が来ている以上、彼女に用がある以外考えられない。だがそれでも、それでもアマデウスはそんな彼女の名前が選択項目に並ぶこと自体があり得ないことだと、そう思いたかった。
エルランドを見ても彼は何も答えてはくれなかった。ただ俯いたまま拳を震わせているだけだった。
黙ったままのエルランドを見て間を測るようにエイラが口を開いた。
「アマデウスさんも戻られたのでもう一度申し上げます・・・・・。本日、国王様より勅命が下りました。これより、ここに居ますアリス・レンクヴィストが『九尾の妖狐』であるとして我々『メルマリア王国自衛団』の監視下の元、隔離・保護させていただきます。これは自衛団団長エルランド・メランデルと数名の国民の証言に基づいた判断です。」
(エルランド・メランデルの証言・・・?)
エイラが何を言っているのかアマデウスには理解できなかった。
『私もアマデウス君やアリスさんの味方ですから。』
『さあ、後のことは任せてください。』
エルランドの言葉、声、それを口にした顔がアマデウスの頭の中をぐるぐると回りそれをさらにエイラの言葉がかき回す。これまでのエルランドの言葉も表情もどれも嘘だなんて一瞬も思うことはなかった。ならどうして?状況が変わったから?アリスが妖狐だったから?だがエルランドは妖狐のアリスを見た上で、それでも助けてくれた。ならどうして!
(わかりません。)
アマデウスには何がどうなっているのか全くわからなかった。あれほど強く誠実で真っ直ぐだったエルランドがどうしてここで俯き拳を握ったまま動かないのか、口を開こうともしないのか、わからなかった。
(でも、確かにわかってることがあります。)
それは、アマデウスたちがエルランドに裏切られたこと、そしてアリス妹が連れ去られようとしていること。
「もう一度言います。これは国王様の勅命です。私たちにはどうすることも出来ません。言いたいことがあれば国王様へ直訴されることをお勧めいたします。」
エイラの発言などもはやアマデウスの耳には届いてはいない。
「・・・・・何でですか。・・・・・返してください。」
アマデウスは刀を抜きながらゆっくりとアリスを目指して足を送る。
「団長!副団長!」
アマデウスが近づくのに気付いた団員が声を張り上げ武器を構える。
ぞくり。
団員の声に顔を上げたエルランドは身震いした。こちらに向かって歩みを進める少年はもはやエルランドの知る者ではなかった。入団試験で剣を交えたときともミスティルに入ったあと顔を合わせた時とも切り裂き魔と対峙していたあのときとも違う。深く暗い紫色の瞳。目が合うだけでまるで心の奥まで見透かされ、細胞一つ一つまで見張られているようだった。身動き一つしてはいけない、この者に逆らってはいけないと本能が強く訴えてくる。
「貴様、刀を仕舞え!それ以上近づけば容赦はしないぞ!」
団員の言葉などアマデウスには届きもしない。
「くっ!・・・うおおおおお!」
忠告を無視し歩みを進めるアマデウスに対し団員三名が地面を蹴った。
「ダメです!今のその子に近づいては!」
エルランドが叫んだ声が届くよりも先に、団員三名の体は空中で三度回転し地面に落下した。
「なぜだ、なぜ裏切った。信じておったのに、うぬはわしらの味方だと心底信じておったのになぜ裏切った。」
団員を払ったところでアマデウスは立ち止まりエルランドの喉元に刀を突きつけた。エルランドとアマデウスの距離はまだ三〇mほどある。それなのにアマデウスの刀はエルランドの喉元に突きつけられていた。ひやりとした金属の冷たさと舌が這うような殺意がすぐそこ顎の下に感じた。だがそれでも、エルランドは口を開こうとはしなかった。
「アマデウスさん。先ほども申し上げました通り、これは国王様の勅命です。我々を脅したところで何も事態は好転しません。」
「だからなんだと言うのだ。国王の勅命であろうがなかろうがわしには関係のない話だ。わしには守らねばならん者が居る、ただそれだけのことだ。早くわしの妹を返せ。」
アマデウスはエルランドに突きつけていた刀を下ろしエイラに向けて手を差し出した。
「それは出来ない相談です。これは私の任務なのです。アリスは私たちが連れていきます。」
エイラは剣を抜くとアリスを人質に取るように構えた。
「やめなさい、エイラ!早く刀を仕舞ってください!」
エルランドが声を張り上げるがエイラは無視してアリスにさらに剣を近づけた。
「わしの大事な妹に刃を向けるな!その手を離せ!」
吠えるアマデウスに対しエイラは身構えた。だが身構えるその一瞬の間にアマデウスはエイラの五m手前まで跳んできていた。
ズドンンンンン・・・!
エイラが一瞬で目の前にまで詰め寄ったアマデウスに、死の恐怖すら感じられずにいるとすぐそこに迫っていたアマデウスの体は次の瞬間地面に叩きつけられていた。
舞いあげられた土煙の中には地面に押し付けられたアマデウスの上に人影が見えた。
土煙が晴れるとそこには背中には赤い大きな翼を生やし両手足が赤い鱗で覆われたアルヴァの姿があった。
「ア、アルヴァさん。・・・どうして、止めるのですか?」
アマデウスは地面に叩きつけられた衝撃で元に戻っていた。
「今あいつらを倒してアリスを取り返しても、何も変わらないわ。今は待ちなさい。アリスは必ず私が助ける!この命に懸けて約束してあげる。だから、今は少し眠っていなさい。」
アルヴァの言葉を最後まで聞くとアマデウスは眠るように意識を失った。
へた。
エイラは今になって死の危機に直面していたことを認識したらしく腰が抜けその場に座り込んでしまった。そんなエイラをアルヴァは少し関心したように見つめていた。
「どうして?どうして私を助けたのですか?アルヴァ・フォルシアン。」
エイラは腰は抜かしながらもまだ力のこもった目でアルヴァを見上げていた。そんなエイラをアルヴァは少し関心したように見て鼻を鳴らして答えた。
「フッ、別にあんたを助けたわけじゃないわよ。私はアーデを助けただけよ。あんな力これ以上使ってたら体も心もおかしくなってただろうからね。それにあんたの言ってた通りのことよ。ここであんたたちを責めても仕方がないってだけ。あんたらをどうにかしたらアリスが帰ってくるってんなら私が真っ先にあんたたちを締め上げてるからね。」
笑顔で言ってはいるが目は全く笑っていない上に殺気が駄々漏れだった。アルヴァは元の人間の姿に戻るとアマデウスを担ぎ上げエイラの手を引っ張り体を起こさせた。
「あんたたちはさっさと帰りなさい。これから日が落ちるとまたあの男がアリスを狙いに出てくるかもしれないからね。」
アルヴァはそう言うとアマデウスを抱えヘレーナとクルトも連れてファミリーハウスの方へ歩き出した。
「ア、アルヴァ!」
アルヴァを呼び止めたのはエルランドだった。普段からは想像も出来ない情けない顔をしている。アルヴァたちを呼び止めたがその次の言葉まで随分と時間があった。
「・・・・・す」
「エルランド!そこから先の言葉はよく考えて口にすることね。もし、『すまない』なんて口にしたら今すぐあんたのこと引き裂くわよ。」
この時振り返ったアルヴァの目はエルランドを見たまま完全に据わっていた。アルヴァだけではないヘレーナやクルトからも同じように蔑むような視線と静かな殺意を浴びせられたエルランドはその場に縮こまっていた。
「はあ、この子たちの目に今のあんたがどう映っているかは知らない。でもあんたにはあんたの信じる正義があってそれに従っただけ、そうでしょ?なら胸を張ってなさい。この子たちにもきっとわかる時が来るわ。」
エルランドはアルヴァの言葉を最後まで聞くと顔を上げ胸を張った。
「さあ皆さん、王宮へ報告に向かいましょう。」
「ああ、それとねえ。あの頭の固い国王に伝えといてくれる?お望み通り明日直訴に伺ってやるから予定を空けておけってね。」
「・・・わかりました。一字一句そのまま伝えておきます。」
エルランドはアマデウスに倒され気絶していた三人も連れて去っていった。
翌朝、アマデウスはファミリーハウスの自室のベッドの上で目を覚ました。自室の風景はアマデウスのその日一番に目にするものとしてすでに違和感のないものとなっていた。
ズキッ。
うすぼんやりとした頭のまま体を起こそうとするとアマデウスの体中に痛みが走った。
「アリスはっ!」
全身に走った痛みがアマデウスに意識を失う前に起きたことを思い出させた。九尾の妖狐の存在は王国内で周知され国王が妖狐の捕獲を自衛団に命じた。妖狐の正体がアマデウスの妹アリスであることをエルランドが証言したことで昨日アリスを連れ去った。
「どうして、どうしてですか・・・。」
アマデウスはエルランドは自分とアリスの味方で居てくれるとそう思っていた。切り裂き魔に襲われたあの日かばってくれた背中は大きくて優しい確かに安心させてくれるものだった。だがその背中は昨日のエルランドには見る影もなかった。アマデウスの問いに一言も答えず顔を背け続けるエルランドの姿は見るに堪えなかった。
「アルヴァさんも、どうしてあの時止めたのでしょうか?」
アリスを取り返そうと自衛団に挑んだあの時、普段では考えられない力が出ていた。あのまま戦っていれば絶対にアリスは取り返すことが出来ていたのに。
「もちろん、アーデのためよ。」
突然の声に見てみると扉に手をかけアルヴァが入り口に立っていた。
「おはよ、アーデ。」
「アルヴァさん!つっ!」
アルヴァを目にしたアマデウスはベッドから飛び出そうとしたがその瞬間全身にひどい痛みが走り足を布団から出すまでもいかなかった。
「言っとくけどその体の痛みは私のせいじゃないわよ。・・・全身の筋肉が断裂してる。今日一日は激しい動きは控えるようにしなさい。」
アルヴァはいつも通りのアルヴァだった。ただアマデウスの体のことを口にするアルヴァは少し険しい顔つきをしていた。アドバイスというよりは忠告のように聞こえた。
「わかりました。・・・・・あの、アルヴァさん。」
「ん?どうした?」
「昨日止めたの、僕のためってどういうことですか?」
アルヴァは煙管を加えると一服含み強く長く吐き出した。
「確かに、あのまま戦ってれば間違いなくあんたはアリスを取り返していたわ。でもね、それじゃ、アーデは強奪者として国を追われることになってた。今はまだ正攻法でアリスを取り返す余地があるのよ。強奪者になるのはそれがダメだった時でいいのよ。男が簡単に揺らぐんじゃないよ。真ん中に重り付けてるんでしょ?だったらどんと構えてなさい!」
アルヴァがそう言ってアマデウスの股の付け根を凝視するのでアマデウスは赤面しつつ隠した。それを見て明るく大声で笑うアルヴァを見てアマデウスは少し心を落ち着けた。
「あとね、あの力は簡単に使うんじゃないよ。あれはアーデの力ではあってもアーデ本来の力じゃないからね。今回は筋肉が断裂した程度で済んだけど使いすぎると体も心もバラバラになるわよ。」
アルヴァはベッドに腰掛けアーデの手を優しく労わるように撫でながら話した。話すアルヴァの横顔はとても儚げで美しくアマデウスはただただ見惚れていた。
バシッ!
「痛っ!」
アルヴァは惚けたアマデウスの背中を力強く叩くとベッドから勢いよく立ち上がった
「さっ!アリスを連れ戻しに行くわよ!」
「はい!」
「あのー、アルヴァさん。」
「なにかしら?」
「ここって・・・王宮ですよね?」
「そうよ。」
「さっき門兵に『おかえりなさいませ』とか『アルヴァお嬢様』とか言われてましたよね。」
「そうね、いい加減やめろって言ってるんだけどね。」
アルヴァは特に説明もなく『私に着いてきなさい!』とだけ言ってアマデウス、ヘレーナ、クルトを引き連れファミリーハウスを出た。そして今、四人は王国の中心に建てられた『メルマリア王国』の国王の家、つまりは王宮の廊下を闊歩していた。
「王宮ってこんなにすんなり入れて大丈夫なのでしょうか?」
「ふふっ。アルヴァはね国王の一人娘なのよ。つまりここはアルヴァの実家ってわけ。アルヴァはすっごい嫌がってるんだけどね。」
王宮のセキュリティーの甘さをアマデウスが心配しているとヘレーナが横からそっと耳うちして教えてくれた。
「あんたたち無駄話はもう辞めなさい。謁見の間に着いたわよ。いい?話は私がする。あんたたちは何を言われても黙ってなさい。」
いつもとは違う。この時のアルヴァは全員を隠す大きな大きな盾のように見えた。アルヴァが初めて見せる雰囲気にアマデウスは体を緊張させた。
ゴンゴンゴン。
「入りなさい。」
アルヴァが扉を叩く音が廊下に響く。音が鳴りやみ少しの間の後、中から威厳を感じさせる低く太い声が聞こえた。
ギイッ。
扉が開かれ中に入るとそこは荘厳な広間になっていた。きらびやかと言うよりは寡黙で堅実と言った感じで飾りが少ない。その分実際の広さ以上に広く感じる。重く固く真面目にただ真っ直ぐに、そんな国王の人となりが現されているようだった。アマデウスは緊張が煽られ息が詰まるようなそんな部屋に感じられた。
「久しぶりだな、アルヴァ。」
「ええ、御無沙汰しております、お父様。」
初めて聞くアルヴァの話し方だったが驚くほど自然で彼女が王女であることを実感するには十分であった。
「わしも忙しいのでな、早いところ本題に入ろう。確か妖狐の娘のことだったか。」
娘であるアルヴァとの会話を『久しぶり』の一言で済ませると国王は部下から手渡された書類に目を通しつつ話を進める。
「お父様は相も変わらず、お仕事がお好きなようで。」
「国王が国民のために全力を尽くして働くことの何が悪い?」
アルヴァの棘のある言葉も国王は書類から目を離しもせずに淡々と答える。
「全く・・・。本当に昔から変わらないのね、あんたは。・・・・・私たちは私たちの家族、アリス・レンクヴィストを連れ戻しに来たのよ。」
国王の淡々とした態度にアルヴァは敬意という衣を脱ぎ捨ていつもの挑戦的な話し方に戻った。
「そうか。だが返してやるわけにはいかん。今国民の多くは妖狐がこの国に居ることに戸惑い怯えておる。妖気を集めておる敵もこの国に居る以上、これ以上不安を広げるわけにはいかん。」
「ならアリスを捉えたのは殺すためかしら?」
「いや、殺しはせん。だが騒ぎが鎮まるまでは隔離させてもらう。騒ぎが鎮まればお前たちの元へ返してやろう、しかしまた妖狐の姿になられては困る。こちらから監視をつけさせてもらう。」
(監視?アリスは何も悪いことなんてしていないのに?そんな犯罪者か家畜のような扱いなんて・・・)
アマデウスの中でふつふつと怒りが湧き上がっていた。
「彼女一人を抑えておくだけで多くの国民の安心が得られるのだ。安いものだろう?第一九尾の妖狐は災厄をもたらす害獣だ。全ての国民の命が危機に晒されることを考えれば今の内に摘み取って然るべき命とも思うが、お前の仲間ということだから監視で済ませているのだぞ。」
・・・・・・・・ぷつん。
「いい加減に」
「ふざけんじゃねえぞ!クソ親父!」
耐え切れず声を出したアマデウスの言葉はアルヴァの怒声で微塵も残らずかき消されてしまった。
「さっきから黙って聞いてれば勝手な事言ってんじゃねえ。監視?命を摘み取る?アリスはてめえのもんじゃねえんだよ。てめえの言葉一つに左右されていい命なんてこの世に一つもねえんだよ。アリスは犯罪者でも家畜でも害獣でもねえんだよ。何もしてねえ奴とっ捕まえて勝手なこと言ってんじゃねえ!」
「ちょっ、アルヴァ様。謁見の間でそんな暴言は。それも国王様相手に・・・・止めてください、幾らあなたでも国家反逆罪になってしまいます。」
広間の脇に並んでいた兵士たちがうろたえ口々にアルヴァを止めにかかるがアルヴァが口で止まるわけがない。
「何が国王だ。来るかどうかもわからない危機に怯えて一人の命を簡単に切り捨てることが王の器だと言うのなら私は王族で居ることすら願い下げだ。私は家族を守る一家の主で構わない。国家反逆罪?結構!家族のためならたとえ国が相手だろうが世界が相手だろうが私が相手になってやる!何の罪もない大事な私の娘に手を出すというなら貴様ら覚悟しろよ!」
一気に捲し立てるアルヴァの姿は体表は鱗で覆われ背中からは大きな翼が生えた昨日アマデウスが見た姿になっていた。頭には角、赤い鱗を纏った尖った耳に鋭利な歯、瞳は爬虫類のようで体の周囲には火の粉が舞っている。
「お前がどうしようとわしの考えは変わらん。彼女は騒ぎが落ち着くまでは隔離する。」
あくまで決定を覆そうとはしない国王の姿勢にアルヴァは元の姿に落ち着いた。
「わかったわ。ならそのうち取り返しに来るからしっかり首を洗っておくことね。」
山場を乗り越えた兵士たちは大きなため息をついた。
「あとアリスの事を預かる以上、あの子の身に何かあったらあんたたち全員喉元食いちぎってやるから。」
ギイイイ、バタンッ。
アルヴァは三人を連れて部屋を出た後扉が閉まる間際に部屋の中にその言葉だけ残して去っていった。
「アルヴァさんありがとうございました。」
王宮を出た四人は『戸陰』に寄って一休みしていた。アマデウスはアルヴァがアリスのために自分以上に感情を出して怒ったことにひどく興奮し感動していた。
「何言ってんの、結局アリスは取り返せてないのよ。これからでしょ。それに私たちは家族よ。家族のために怒るのは当然でしょ。」
「そうでしたね。でも、ありがとうございました。」
『ホント、おかしな子ね』と言ってくすっとアルヴァは笑っていた。
その後いつどうやってアリスを奪還しようかという話し合いを『戸陰』で繰り広げた。
ファミリーハウスに戻ってからはクルトと軽く訓練をし、ヘレーナとラウラの工房まで様子を見に行った。ラウラは刀は後は研ぎの作業だけになっていると言っていた。早ければ明日の明け方には完成するとのことだが『ちゃんと完成した姿でアーデに手渡すまでがうちの役目やから』と言って刀を見せようとはしなかった。工房のある広場ではヘレーナとラウラそれにたくさんの精霊に見守られながらアマデウスは誠心誠意、全神経を注ぎ舞を舞った。
何度かアマデウスの舞を見てきたラウラだったがこの日の舞はこれまでと全く違うもののように感じられた。
「何と言うか、アーデやのにアーデやない、みたいな。なんかうまく言われへんのやけど、何かに陶酔しきってたっていうか、何かが乗り移ってたみたいな!あとこの場所もいつも以上に異空間に感じた!他の場所が無くなってこの場所しかないーみたいな。」
「私もそれは感じたわ。それに精霊たちがあんなに誰かに追従してるところ見たことないし。」
精霊が誰かを気に入ることはあっても無条件に従うことはないという。だがアマデウスが舞っている間、精霊たちはアマデウスの動きに合わせ風を起こし水しぶきを上げ火の粉を散らした。今はと言えばキャッキャッ言って楽しそうに辺りを飛び回っている。
気持ちの整理が出来ていて余計なことを考えず舞うことが出来たからだとアマデウスは納得していた。
日も落ち始めアマデウスたちはファミリーハウスへ戻ることにしたがラウラは完成するまでは帰らないと二人に話した。
「うちは早いとこアーデに刀渡したりたいからこのまま仕上げまでやってしまうわ。」
「そう、じゃあ晩御飯だけいつも通り置いておくわね。」
「ヘレン姉、おおきに。アーデ、楽しみにしとってな。」
打ち始める前は見ている方まで不安になるような顔をしていたラウラが、今はアマデウスに自分の打った刀を早く手にしてもらいたくて仕方ないという顔をしていた。アマデウスは自分のためにこれだけ夢中になってくれているラウラのことを本当にありがたく感じた。
二人が戻るとすでに食事の準備を終えたクルトが迎えてくれ、四人で食卓に着いた。ここでも話はアリスのことについてだった。
『アリスが帰ってきたら何をしよう、どこへ行こう、何を食べさせてあげたい、何を教えてあげたい』
その光景はアマデウスにとってはまさに夢のようであった。自分たちのことを本当の家族のように扱ってくれる仲間が居ること。上辺だけの優しさじゃないアマデウスやアリスの中身を見てその上で与えてくれる優しさ、そのぬくもりでアマデウスの胸はいっぱいだった。アマデウスの瞳から一粒の熱い涙がこぼれた。
「・・・だから、皆でアリスを連れ帰るわよ。」
アルヴァの言葉にアマデウスの目から次々と涙が溢れ出し止まらなくなってしまった。
「どうしてでしょうか?拭っても拭っても涙が止まりません。心が熱くていっぱいで目から熱い涙がどんどん溢れてきます。」
アルヴァは黙ってアマデウスを自分の胸の中で抱きしめた。
その日の話し合いでアリス奪還作戦は明日の夜に決行されることになった。内容は作戦とは名ばかりの正面突破である。面と向かってアリスを返せと言っては歯向かうものを倒していく。いかにもアルヴァらしい方法である。
明日の夜までは一日かけて体調を整えておくようにとのことだった。
同夜、日付が変更されたころ。全員が居間でそのまま眠っているとアマデウスは一人、目を覚ました。
アルヴァ、ヘレーナ、クルトの三人が眠っていることを確認するとアマデウスは居間を抜け出し自室に向かった。いつもの服に着替えあらかじめ用意していた荷物を持つとアマデウスは決意とともに自室を後にした。
「皆さんの気持ちは本当に嬉しかったですし本当の家族が出来たみたいで幸せでした。でもだからこそ、皆さんを巻き込むわけにはいきません。僕と一緒にアリスを連れ戻しに行っては皆さんまでこの国を出て行かなくてはならなくなってしまいます。でも皆さんはこの国にとって必要な人たちです。ヘレーナさんに街へ連れていってもらった時にわかりました。」
ファミリーハウスを出て行くには必ず入り口に隣接した居間を通ることになる。アマデウスは立ち止まり居間で眠る三人に対して挨拶をする。
「クルトさん、アリスは僕の妹で絶対に守りたい、いえ守ると決めている人です。まだまだ大きくも強くもないですが、アリスと自分の命は絶対に最後まで守ります。」
「ヘレンさん、ヘレンさんがここに居る理由、僕にもわかりました。ここに居る皆さんは種族とか性別とか能力とか力とかそんな表向きな何かを見てるのではなく内面、心を見てくれているのですね。それがどれだけ尊く大切なことかわかりました。世界中の人間が同じ考えを持つことが出来れば世界はきっと素敵になるのでしょうがそれは難しいことなのですね。」
「アルヴァさん、勝手に家を出て行ってごめんなさい。アルヴァさんと居ると母様と暮らしていた頃を思い出してすごく幸せでした。また帰ってくることが出来たらもう一度家族に迎えてもらえると嬉しいです。」
アルヴァをヘレーナをクルトを大切に思っているからこそ迷惑をかけたくない、アマデウスはそう思った。
(これまでならアリスが助かるのであればたとえ僕の命を犠牲にしてでもと思っていたのに変ですね。)
助けの手を差し伸べてくれている者が居る中、その手を払い自ら敵地に赴こうとしているというのにアマデウスの心は温かな気持ちで満たされ驚くほど落ち着いていた。
アマデウスには王宮に行く前に立ち寄らなくてはならない場所があった。それはラウラが居る工房である。ラウラが他人のために打つ初めての刀、刀鍛冶としての処女作をアマデウスがもらうという約束であったがヘレーナと訪れた時の話ではまだ刀は仕上がってはいないだろう。
「アリスを助けた後ここを離れる前に寄れるといいのですが・・・。」
アマデウスは残念そうに呟きながらラウラの工房がある広場に足を踏み入れた。
「・・・・・ラウラさん。こんな時間にどうして?」
工房の前には一本の刀を抱えたラウラが腰掛けていた。
「アーデは絶対に今日アリスのこと助けに行くと思たからな。これだけは絶対に渡さなあかんって待っとってん。」
ラウラはにひっと歯を見せて笑顔を作りながら抱えていた一本の刀を差し出した。
「これって・・・、でも、完成は早くても明け方だったのでは!」
「まあラウラさんが本気を出せばざっとこんなもんよ!あっ、一応断っとくけど手抜きなんか一切しとらんからな。」
「ふふふ、あははは。そんな心配してないですよ。・・・本当にありがとうございます。」
ラウラはこんなに笑っているアマデウスは初めて見た気がした。いつも何かに追われて悩み苦しんでいた少年がその長く暗いトンネルを抜け新たな旅立ちに向かう。今のアマデウスはこれまでより垢抜け少し大人びて見えた。
「え、ええから刀の方ちゃんと見たってか。」
「そうですね。」
アマデウスはラウラが差し出した刀を両手を添え受け取ると鞘から抜いて見せた。刃長はおよそ八〇㎝、反り三㎝近く先にかけて細く作られている。刃文は小さな波いくつか見られるだけで真っ直ぐに描かれていた。心奪われるほどに美しい刀だった。
「少しだけ舞ってみてもいいですか?」
「もちろん。」
ラウラの答えを聞くとアマデウスは急いで離れ新しい刀を手に二、三度舞って見せた。
「この刀、すごいですね。あまりにも切れ味が鋭いので振った瞬間に空気が切れたような感覚がしました。長さがあるの舞の速度が落ちるどころか勢いが出やすいし、手に馴染んで扱いやすいです。それに何より手にしていると心が熱くなって力が湧いてきます。」
初めて手にした刀なのにまるで長年連れ添ってきた刀のような安心感が手の中にあった。
「あの、この刀名前は何ですか?」
「名前なんやけどな『童子切』ってのはどないやろ?これからはたくさんの人を守れるようになりたい、今度は自分が大人になろうって言うてるアマデウスに送る刀やから。アマデウスが大きくあれるように強くあれるように小さくて弱い子ども、童子を切る刀。・・・どないやろ?」
「『童子切』・・・。僕が強くなるための強くあるための刀。素敵です!ありがとうございます!」
ラウラはひとまずアマデウスが『童子切』を気に入ってくれたことに胸を撫で下ろした。
「こちらこそおおきに。・・・『童子切』はどんな時でもアーデの助けになるように、そう願いを込めて打った刀や。アーデが望む限り欠けず折れずこの子はアーデの力になり続ける。」
ラウラはアマデウスの手にした『童子切』を愛おしく見つめ鞘の上からその身を撫でた。そんなはずはないのに、アマデウスには『童子切』がラウラの手に擦り寄ったように見えた。
「この子を打たせてくれたんはアーデや。うちはずっと逃げとった、刀からも弱い自分からも。『アルヴァ姉たちが特別でうちはそうやない』、『皆が頑張れるんは才能があるから才能のないうちはどれだけ頑張ったところで意味がない』、刀のことかてそうや打ち方はずっと見とったから知っとってん。やけど『うちが打ったところでどうせ爺ちゃんや父ちゃんの刀は越えれん、無駄や』そう思て逃げとった。」
ラウラは姫に忠誠を誓う騎士のようにアマデウスの前に跪き胸の内をさらけ出す。
「せやけどうちよりも幼いピュアヒューマン純人間のアーデが頑張ってんの見てわかったんや、うちは結果が出えへんことを怖がってただけ、努力は結果が出るからやるもんやない、結果が出るまでやるもんやって。だから、うちがこの子を打てたんもアーデのおかげや。ほんまおおきに。」
ラウラの握る手に力が入る。握られた手が震えているのがアマデウスにはわかった。
「・・・『童子切』はうちが誰かのために初めて打った刀や。せやからちゃんとアーデの手に馴染むところを見届けたい。うちも連れて行ってくれへんやろか?」
ラウラの手の震えは止まり力のこもった強い瞳がアマデウスに真っすぐに向けられた。
「でも、ラウラさんは・・・。」
そう、ラウラは戦いにおいては全くと言っていいほど役に立たない。自分がこの世で最弱の種族であることに甘んじ先を望むことを諦めていた弱者なのだから。
「せや、うちは弱い。戦闘においては役立つどころから足手まといにしかならへん。それでもそれはいつまでも弱いままで居ってええ理由にはならへん・・・・・。それに戦闘では今はあの人らがうちの代わりにアーデの力になってくれる。」
ラウラはそう言うとアマデウスの後方に視線を向けた。アマデウスもラウラの視線を追って振り返ると、そこには二人の見慣れた姿があった。
「私のこと置いて行くなんてひどいわ、アーデ。あなたとアリスの居場所はここしかないと思うんだけど一体どこへ行くつもりなのかしら。」
「一人で背負い込んでんじゃねえよ、アーデ。てめえはまだまだ小せえし弱え、だから今は大人しく俺らの力を借りとけ。・・・だいたいアリスはもう俺たちの家族でもあるんだ、だから俺たちにも守らせろよ。」
月光に照らされながら広場に現れたのはヘレーナとクルトの二人だった。二人が装備も万全の状態で現われたところを見ると、今晩アマデウスがファミリーハウスを抜けてアリスを助けに行くことは始めからばれていたようだった。
「ヘレンさんもクルトさんも、どうして気付いたのですか?」
「それはもちろん・・・家族だからよ。」
「それはもちろん・・・家族だからな。」
「普段は喧嘩ばかりしているのにこんな時にだけ息が合うなんて卑怯ですよ。」
今日は四年分の涙が出ているんじゃないかと思うぐらいアマデウスは泣かされていた。
「アーデ、今度はお姉さんの胸で泣いても良いのよ。さ、おいで。」
今日の夕食の時にアルヴァの胸の中で泣くアマデウスを見て羨ましく思ったのか、ヘレーナは腕を大きく広げアマデウスを呼んだ、つもりだった。
「おいヘレン。お前乙女を追い詰める強姦にしか見えんぞ。」
外から見たヘレーナの本当の姿は前かがみでアマデウスの退路を塞ぐように腕を広げている。アマデウスの名を呼ぶ口からは胸いっぱいの愛情がよだれという形で溢れ出してしまっている。
「はあ、はあ、アーデ。さあお姉さんの胸でお泣き。」
「止めんかあ!」
アマデウスに詰め寄るヘレーナの後頭部にクルトのドロップキックが炸裂した。
「ねえ、クー?あんたレディの頭に蹴りかますって一体どういうことかしら?」
月明かりを背に髪を逆立てゆらりと立ち上がるヘレーナは勇者の前に立ちはだかる魔王かの如く恐怖を体現したような姿に見えた。
「くっ、ついに本性を現したか・・・。お前だけは絶対に俺が倒してやる!」
ヘレーナの魔王ぶりにクルトは思わず勇者風なセリフを吐き『同田貫』を構えた。
「ははははっ。二人は一体何をしに来たのですか。」
「アーデに力を貸しに来た!」
二人は両手を突き合わせ取っ組み合いの真っ最中ながらアマデウスの問いに再び見事なハモリをみせた。アマデウスはずっとこの二人は反りが合わないのだと思っていたが、最近はこうしているのがお互いに落ち着くというだけなのだと納得するようになった。
「んでアーデはどないするつもりなん?うちらのこと連れてく?それとも一人で行く?」
ラウラはにたにた笑いながらアマデウスに確認してきた。
「どうする?」
「どうする?」
ヘレーナとクルトが交互にアマデウスの返事を急かしてくる。今のアマデウスにはそんなちょっかいもむず痒くも幸せに感じられた。
「分かりました。皆さんの力を僕に貸してください。この借りは一生懸けてでも返しますから。」
アマデウスは三人に対し深々と頭を下げた。
「そうじゃないのよ、アーデ。」
「そうだぜ。貸しとか借りとかそんな話じゃねえんだよ。俺らは家族だ。家族なんてものは迷惑かけあってこその関係だ。そこに貸しだの借りだのくだらねえもん持ち込んでんじゃねえよ。」
「クー兄の言う通りや。そう言うんはな、野暮っちゅうもんや。」
口々に文句を言うだけ言って、各々に歩みを進め始めた。
「私たちはね、すぐにでもアリスを助けに行きたかったの。でもね強行するほどのきっかけがなかったのよ。アマデウスみたいに直接の家族でもないし一緒に居た時間もまだまだ短い。だけどね、それでもアリスのことも、もちろんアーデあなたのことも本当に大切に思ってるの。だからアーデが一言『一緒にアリスを助けてほしい』と望んでくれれば私たちは初めからなんだってやってあげるつもりだったのよ。」
前を一人でズカズカと進んでいくクルトを見ながらヘレーナはアマデウスにそっと伝えた。本当にこの人たちはずるい、普段はふざけてばかりで全然しっとりとも出来ないくせにちゃっかりかっこいい大人を見せてくれる。
「本当にずるいですよ・・・。」
「コラア、チビ助え!もたもたしてっと俺が一人でアリス助け出してくっぞお。」
一人静かに涙を拭うとアマデウスは走って三人の後を追いかけた。
王宮までは東西南北それぞれの国境の関門まで続く大通りが走っている。だが王宮への入り口は王宮をぐるりと囲んだ城壁の南に作られた正門ただ一つである。城壁を飛び越えようにもその高さは三〇m近い、その上城壁の延長線上上空と地中に王宮を包むように球状の魔法結界が張られている。つまりは正門を通る正攻法を取るほか王宮に辿り着く道はない。だが、
「おい、見てみろよ。あんなところに裏切り者が立ってるぜ。」
「本当ね。地面に突き立てた剣の柄頭に両手を重ねて仁王立ちしてるわ。」
正門前には門番が居た。門番が居ること自体は当たり前でいつものことなのだが本当ならそこに居るはずのない、居てはいけない人がそこに立っていた。
「エルランドさん!そこで門を立ち塞いでいるということはやっぱり僕たちの敵、ということなのですね。」
公的記録上、現在この国最強である人物自衛団団長エルランド・メランデルがそこに立っていた。
「アマデウス君・・・。君には私が裏切ったように見えるのですね。そうであるのなら私は君のことを裏切ったことになるのでしょう。ですが私はまだ君とアリス君の味方で居るつもりです。今回のアリス君のことも君たちをむやみに引き離したわけではありません。君たちを助けるためなのです。全てが終わればアリス君はアマデウス君の元へ必ずお返しします。今は私のこの言葉を信じて引き返してもらえませんか?」
この人の言葉は信じられる。エルランドの言動に対するアマデウスの思いはアリスが連れていかれるまでも今も変わらない。だが、アリスの命が自分の手の届かないところにある今だけはその思いに従うことは出来なかった。
「ごめんなさい。今は、今だけはその言葉を信じるわけにはいきません。アリスの命を守るのは僕の役目です。それだけはたとえこの国最強のあなたでも譲れません。」
アマデウスは力のこもった笑顔で答えた。その笑顔にエルランドはアマデウスの成長を見た。
「よく言ったぜ、アーデ。お前は先に行ってな。俺がこの国最強の座を奪ってきてやるからよ。」
「何言ってんのよ。あんた一人じゃ時間がかかりすぎるわ。この先どれだけ邪魔が入るんだかわかんないのよ・・・。だから二人でさっさと突破するわよ。ラウラはアーデのこと頼むわよ。」
アマデウスの前にクルトとヘレーナが武器を構えながら入ってきた。目の前に並ぶ二つの背中はとても温かくとても力強かった。
「わかりました。ですが私には私の守るもの、信じる正義があります。なので手加減は出来ませんので、よろしくお願いします。二対一とはいえ本気の私から簡単にアマデウス君を逃がせるとは思わないでください。」
エルランドは地面に突き立てたエクスカリバーを手に取り静かに構えた。本気と宣言されたエルランドは人の型に押し込まれた怪物だった。ただただ戦いに飢えより強い者との対戦だけを求める怪物がそこに居た。光の剣は二本に増えそれらを両手に持ち前傾の攻撃的な構えを取る。全身からは誰に向けるわけでもなく殺気が漏れ出し、彼の間合いがそのままデッドゾーンで立ち入り禁止になっているのが遠目からでもビシビシと感じられた。
「ちょっと、ちょっと。ちょー本気なんですけど。さすがにあれはやばいわね。というかあんなのが自衛団の団長って大丈夫なのかしら?私もし実在するなら魔王ってあんな感じだと思うわ。」
ヒュン。
「・・・・・おう、そーだなー。」
ゴゴゴゴ・・・という効果音が自然と脳内で取り付けられるエルランドを前にさすがのヘレーナも焦りを感じている中、クルトはぼんやりと西の空を見上げていた。
「ちょっとクー!何ボケっとしてんの!あんたもさっさと本気だしてわんわんモードになりなさいよ。」
「おう、まあ気持ちはわかるけどよお。あれ見ちまったら『とりあえずこの場はお役御免かな』って気が抜けちまうぜ。てかわんわんじゃねよ。」
「あれ?」
ヘレーナもクルトの言葉に釣られ同じ方向を見る。クルトの視線は上空に向いたまま何かを追いかけ、
ズドン!
そしてクルトたちとエルランドの間に降りた。
舞い上がった土煙が風に流されると角の生えた赤髪ロングの頭に大きな翼よくよく見覚えのあるシルエットが露わになっていく。
「全くあんたたち私だけ置いていくなんて随分親に対する態度が冷たいのね。もしかして反抗期かしら?」
いきなり飛んできてわけのわからないことを言い出したアルヴァはきっと、自分が置いていかれた理由も自分が飛び込んだ場の状況もわかっていないのだろう。アマデウスたちは揃ってそう思った。
「アルヴァ、あなたも来たのですか。あなたなら私の信じる正義もわかってくれるかと思いたのですが。」
「あんたの信じる正義?そんなもの知らないわよ。私が信じるものはこの子たちの信じること、それだけ。私にとってはぶっちゃけこの国の平和だとか国民の心の安寧だとか知ったこっちゃないって話。私はあんたたちみたいな正義の味方じゃない、私はいつだってこの子たちの味方なのよ。」
胸を張って拳を当てるアルヴァの背中はどこまでも大きくていつまでも敵わないとそう感じさせられる。
「ほら、あんたたちは早く先に行きなさい。」
アルヴァは優しく背中を押してくれた。
「この国を守る自衛団の団長としてこの門を潜らせるわけにはいきません。」
エルランドが両手に構えた剣をアマデウスたちに対し振るうが誰一人として足を止める者は居ない。
ガギン!
「あんたは何をしてるのかしら。うちの子に向かってエクスだけじゃなくカリバーンまで出してきて・・・。もしうちの子が傷ついたらどうしてくれんの?」
アルヴァのレーヴァテインをエクスカリバーとカリバーンの二本で受け止めるエルランドは呆れたようにため息を吐いた。
「はあ。あなたがそれを言うのですか。レッドドラゴンのドラゴニュートである上に魔剣レーヴァテインまで使っているではないですか!」
ギギン、ドドォン、ゴゥ、ビカッ、ズガガァァァンン・・・・・。
アマデウスたちは後ろで繰り広げられている高次元の戦いは無視して王宮へと急いだ。
王宮の入り口である巨大な分厚い扉を押し開けると声が反響しないほどの広間が広がりその奥に先に続く入り口と階段が見られる。
「さて、一体アリスがどこに居るかだな。手あたり次第に探すか?」
「こんな広い城を四人で?んなアホな。ヘレン姉魔法で探されへんの?」
「ちょっと待ってね。」
ヘレーナが目を閉じ詠唱を始めようと息を吸う。
すぅ・・・
「無駄ですよ。」
突然の発言とともに広間の奥からは二人の人影が現れた。
「この城は特殊なアンチ魔法構造になっていて、国王の許可なく魔法の使用は出来ません。」
「エイラにアラン・・・。」
広間の奥から姿を現したのは自衛団副団長であるエイラ・メランデルとアラン・オークレンの二人だった。
「あなたたちこんなところに居ていいのかしら?アリスの守りが手薄になってないか心配なんだけど?」
外ではエルランドがアルヴァが戦っていることを考えると自衛団の上位三名は少なくとも監視にはついていない。各番隊の隊長も当然実力者揃いではあるがエルランド、エイラ、アランの三人と比べると大きく見劣ってしまう。
「それは問題ない。彼女が居る部屋には私が内と外、両側から防御魔法をかけさらにはアリスさん自身にも防御魔法をかけている。」
「それは息も詰まるほどの手厚い保護ね。」
「そもそもそんなことをするまでもないのでしょうが、念のためです。」
「保護の必要がないっていうのはどういうことかしら?」
「彼女には国王様自らが自分の部屋で警護しているからだ。この国にあの部屋より守りが固い部屋はないし、あの方より強い人は居ないだろう。」
確かにこの国でもっとも重視される人物の部屋ならば敵襲を受けにくく守りも堅いに違いない。事実、国王の部屋はこの城の最上階に位置しているため国王を襲おうとも城壁と魔法結界のおかげで今のアマデウスたちのように最下層から上ってくる他ないのである。
だが、国王であるドグラス・フレイヴァルツがメルマリア王国最強という点は容易に頷けるものではなかった。多くの種族を従えわずか一代で世界有数の大国を築き上げたのだ、もちろんその力量を疑う余地はない。それでもメルマリア王国が建国されたのはもう四〇年近く昔のこと、長く戦列を離れた者が未だなお健在とは考え難い。
「『国王がどれほど戦えるというんだ』とでも言いたそうな顔だな。お前たちは俺たちの訓練を見ることがないから知らんだけだ。あの方の力は未だに健在だ。『むしろ年を食った分昔より洗練された動きをしている』とか親父は言っていたかな。エルランドさんはずっとあの方の弟子でそれは今でも変わらない。」
今でもエルランドの師匠として稽古をつけている、そう聞くと思わず身震いさせてしまう。
「さっきのエルランドさんよりもまだ強い・・・。」
「チビ助、まだ見てすらもねえ相手に呑まれてんじゃねえ。いいからお前はラウラと一緒にさっさと先に行きな。こいつらは俺とヘレンが相手しといてやるよ。」
「そうね。私とクーが相手しとくわ。」
「おい、ヘレン。わざわざお前を先にして言い直したのはどういうことだ?ああ?」
「さ!さっさとやるわよー。あんたも変態しなさい。」
「なあ、今字がおかしくなかったか?なあ、なあ!」
自衛団の二番手三番手を相手にいつも通りのヘレンとクルトにアマデウスもすっかり緊張が解けてしまった。
正門前のエルランドとは異なり意外になことにも副団長の二人はすんなりとアマデウスとラウラを通してくれた。
「おい、アーデ!」
階段を駆け上がるアマデウスをクルトが呼び止めた。
(しっかりやれよ!)
クルトは親指を立て拳を突き出しただけで言葉にはしなかった。それでもアマデウスの心にははっきりとクルトのエールが聞こえていた。アマデウスは大きく頷くと再び階段を駆け上がっていった。
「随分と簡単に通してくれたけど、止めなくてよかったのかしら?」
レイピアを抜きゆっくりと構えながらヘレーナはエイラに尋ねた。
「さあ、なんのことでしょうか?彼はアリスさんの兄妹です。きっと面会だと思いましたので通したまでのこと。」
「あら、あなたにしては随分といい加減な解釈ね。仕事に関してはもっとドライなのかと思ってたんだけど。」
「普段の私であればそうでしょう。ですが私にだって私の信じる正義があります。今回の作戦は少々気に入らないのです。」
剣を構えヘレーナを見据えるエイラの瞳は力を振るいたくとも震えずにいた、街で見たアマデウスの表情に似ていた。
「はあ・・・はあ・・・最上階の、一番奥の部屋!」
アマデウスとラウラは城の階段を上り切り、真っ直ぐに続く廊下を走っていた。飾り気の少ない単調な柱と壁が順番に一〇〇mほど続く廊下。城全体がそうであったが、ここもよほど大きな者が通るのか幅も高さも四〇m近くはありそうな広さをしていた。その広さも手伝い一〇〇mという距離がいやに遠く感じられた。
ここまでくる間二人はただの一人にも合わなかった。だがアリス奪還を目の前にアマデウスにはそんなことを気にしている余裕はなかった。ラウラもそのことをおかしく思いながらも今のアマデウスには声をかけることは出来なかった。
「・・・はあ・・・・・はあ。この部屋、ですね。」
(今何か起きたらうちがアーデをフォローするんや!)
「行きましょう!」
アマデウスは最上階最奥の部屋、その扉に手をかけた。
ギイィ・・・
ガギィン!
「アルヴァ、確かにあなたたち『ミスティル』は強い。ですがたった五人ではアリス君を匿うにはあまりにも人手が足りません。それはあなたもわかっているでしょう?」
激しい剣劇が繰り広げられる中、エルランドは諭すようにアルヴァに言葉をかける。
ギギギィンッ!
エルランドの振り下ろす二本の剣を一振りではね上げるとアルヴァは沈んだ低い調子で言った。
「あんた、少し見ない間に随分と汚い大人になったみたいね。」
アルヴァの端的な言葉はエルランドの心をえぐり、真っ直ぐに向けられた視線が心の奥深くに突き刺さる。
「本当はわかってんじゃないかしら?これはアリスを隠すことで妖狐の存在を国民の心から消し去るのが目的じゃない。真の目的はアリスを餌にあの男をおびき寄せることだって。」
ギイィ・・・
ズドオォン!
アマデウスが扉を開けようとした瞬間、扉左の壁から巨大な衝突音が起きるとともにその衝撃が扉を伝ってアマデウスの体にまで届いた。
「アリス!」
身に覚えがないほどの衝突音に危険を感じるよりも先にアマデウスは声を張り上げ部屋に駆け込んだ。
ラウラも急いでアマデウスの後を追うがアマデウスはどうしてか部屋の入り口近くで立ち止まっていた。
「アーデ?」
ラウラはアマデウスのそばに駆け寄ると立ち止まったアマデウスの視線の先を追った。
「アリスッ!」
ラウラの目に飛び込んできたのは真っ黒なローブを羽織った男の小脇に抱えられ、すでに妖狐化したアリスの姿だった。
すぐに飛び出そうとしたがアマデウスがそれを制した。
「ダメです、ラウラさん。僕より前には一歩も出ないでください。」
男は間違いなく先日対峙した切り裂き魔、だがあの時に見た姿よりさらに体が大きく、纏う雰囲気は禍々しくなっていた。
「アーデ・・・。」
アマデウスの後ろに隠れていることしか出来ない自分の弱さがラウラは憎かった。だが、
「アーデ、頑張れ。」
アマデウスの戦いをそばで見守ることこそが今の自分に出来ることなのだとラウラは気を引き締めた。
「いや、アマデウス君。君も下がっていなさい。」
「国王様!」
ラウラたちの後ろ扉の左の壁から起き上がってきたのはメルマリア王国国王ドグラス・フレイヴァルツだった。
「おいおい、いい加減止めとけよ、おっさん。さっきからこのメスガキが気になって全然戦えてねえじゃねえかよ。」
「黙れ。貴様はわしが殺す。この者たちには戦わせん!」
「そんなこと言ってもよお。だっておめえ・・・」
無言を押し通すエルランドに対しアルヴァは続ける。
「だけどあんたらはその作戦で二つ見誤ってることがあんのよ。」
アルヴァは動きも止めうつむいたままのエルランドに向けて二本の指を立てた。
「まず一つ。敵の力。」
二本立てた指を一度仕舞うと改めて一本人差し指を立て直した。
「これだけ見え見えの罠に突っ込んでくる奴が本当にバカならそれでいい。でもそうじゃなければ?絶対にアリスを連れ去れると、それだけの自信があるのだとしたら?」
「国王様が負けるというのですか!」
師の敗北を暗示されたエルランドは思わず声を荒げたが、すぐに我に返りまた静まり返った。
「普通に戦えればあの人は絶対に負けないわよ。だけどあの部屋はレッドドラゴンのあの人が本気で戦うには狭すぎる。それに幾ら防御魔法を張っていようが同じ部屋に居るアリスを気にせずに戦うなんて出来やしないのよ。」
アルヴァの予想は正しかった。男は防御壁を破り侵入し、戦場の狭さとアリスの存在をうまく使いドグラスを翻弄、一方的な戦いを繰り広げた。その結果、
「だって、おめえ・・・右腕斬り落とされてんだぜえ!それで俺とどお戦うってんだ、国王様よお?」
「たとえどんなに追い詰められた状況であろうとわしは絶対に諦めん。わしが国王である限り民の命はわしの手で守る。」
そう言うと国王は人型のレッドドラゴンの姿になり男に向かっていった。
「そういう態度がムカつくんだよお!てめえがそういう態度で居っからあの女も偽善者面してたんじゃねえのかよお!」
ドグラスの攻撃は男の動きよりもはるかに速い、だが相手がアリスを盾に構えるせいでドグラスの攻撃は止まりその後の回避行動も遅れる。
「だからよお、俺があいつを殺したことを恨んでるってんならよお。そりゃあ、てめえのせいだ!あっちで詫び入れて来いやあ!」
ドグラスが怯んだところに一気に攻め立てた男はとどめを刺しにかかった。
(いよいよ終わるか。わしは良い国王で居れたことなど一度もなかったのではないだろうか。いつも民のためにと仕事ばかりしていたせいでフレヤを失い、アルヴァにも随分と寂しい思いをさせてしまったな。やはりわしには民を導くことなど出来なかった、お前の代わりなどわしには荷が重すぎたのだ。すまない、ウルスラ・・・。)
ドグラスは静かに目を閉じた。
「二つ目!」
立てられた人差し指の隣、に中指が立てられた。
「あんたら、アーデのことも見誤ってんのよ。」
この時アルヴァの顔には苛立ちの色が見えた。
「わかっています。彼は強い。直接手合わせをしてそれは十分理解しています。そして今もすごい勢いで強くなっているのも知っています。もしかすると敵と正面からぶつかったとしても打ち勝つことが出来るかもしれません。ですが、相手は彼の・・・。」
そこまで話すとエルランドはまた口を噤んでしまった。『もしアマデウス君があの男と再び戦うことになってしまったら』そう思うとそれより先は言葉が出て来なかった。
ギキンッ!
男の振り下ろした刀がドグラスの命に幕を下ろすかと思われた瞬間、その刀はアマデウスと童子切によって止められた。
「ギャハハ・・・。やあっと出て来やがったかあ。また会えて嬉しいぜえアマデウス、・・・我が息子よお。」
男はそのままに受けた刀諸共アマデウスたちを斬り飛ばした。ドグラスとアマデウスは飛ばされた勢いそのままに壁に叩き付けられた。
「・・・息子?どういうこと、ですか?あなたは一体何を言っているのですか?」
「そのままの意味だぜえ。俺あ、てめえの母親ウルスラ・レンクヴィストの唯一の夫だったからなあ。てめえだって知ってたんじゃねえのかあ、国王様よお?」
『国王様』どうしてここでその言葉が出てきたのかアマデウスには全く理解出来なかった。それでもアマデウスは即座に振り返り後ろで壁にもたれて座り込むドグラスの反応を窺わずにはいられなかった。
「・・・・・。」
ドグラスは座り込み顔も俯けたまま身動き一つ見せなかった。
「ギャハッ。沈黙は是なり、だよなあ?」
男が高笑いする様にドグラスは強く奥歯を噛みしめた。
「アーデ・・・・・。」
ラウラはアマデウスに懸ける言葉が見つけられずに居た。アマデウスの心が未だかつてないほどに乱れていることはわかっている。それでもラウラには言葉一つかける事も出来ない、それが自分が何も出来ないことを殊更に強調し胸をきつく締めつけた。
「・・・だとすれば、あなたは自分の妻を殺したのですか?母様のこと愛していなかったのですか?」
アマデウスは男に対し正面に向き直すと静かな調子で問いを口にした。
「もちろん愛していたさ。だけどなあ、愛ってのは嫉妬、嫉妬ってのは憎しみ、憎しみってのは殺意だ。愛なんてもんは特定の状況でだけでの不安定で不確かな感情、状況が変わればそれはそのまま殺意にだって変わんだよ。俺の状況は変わった、だから殺した。第一俺はあいつの夫であいつは俺のもんだったんだ殺して何が悪い?」
ギリリ・・・
アマデウスの耳の奥で歯の軋む音がした。右の手のひらに爪が食い込み血が流れ出る。全身の血が沸騰し、頭の中を一つの感情がひたすらに駆け回る。
(そうだ。やつこそお前の家族を奪った張本人だぞ)
憎い、憎い憎い。
(やつをやってしまえばもう、うぬを苦しめる者は居なくなる)
あて先もなくずっとくすぶっていたこの思いがなくなる?
(そうだ、今までうぬを苦しめてきたもの全て奴のせいだ。さあ)
「殺してやる。」
アマデウスの瞳は紫に深く沈んでいた。心は憎しみに支配され体はアマデウスの意識はなく動き出していた。
ゴオウッ。
俯いたエルランドのすぐそば頬を火の粉が掠めるようにレーヴァテインの炎が駆け抜けた。
「ッ!」
エルランドが驚き顔を起こすと視線の先には激しい怒りを表情に見せるアルヴァの姿があった。
「それがアーデを見くびってるって言ってんのよ!自分の親とのことだ、あの子が自分で何とかするしかないんだよ。あの子はこれまで私たちが想像出来ないほどの多くの困難を耐え忍んできてる、そして今これまでの困難全てを乗り越える時が来てる。あの子はもう私たち大人と対等になれるとこまで来てんだ、邪魔してんじゃないよ!」
エルランドはミスティルのメンバーはアマデウスを守ってあげているのだと思っていた。自分はそれと同じことを彼のためにしているのだと、そう考えていた。
それは大きな勘違いであった。彼らはただアマデウスが自分の望む先へ迷わず進めるように道を整えていた、道を違えることがないように見守り手を差し伸べ背中を押してあげていただけ。自分たちはアマデウスたちを危険から引き離し安全という檻の中に閉じ込めようとしていただけだったのだと痛感した。
「ですが、まだアマデウス君も一〇歳、精神的に不安定な面もあります、それにあの謎の力のこともありますし。」
前回の切り裂き魔との戦闘の時やアリスを拘束しに行ったときにエルランドも目の当たりにした異常な能力の向上。
(もしそれが精神の乱れが原因なのだとすれば恐らく今回もですが、あんなデタラメな力を放っておいてはアマデウス君の体が請われてしまいます。)
「そのために私たちが居るんでしょうが。」
エルランドの心配を表情から読み取ったアルヴァは呆れた様子で言うとニッと笑って見せた。
「けっ、その力・・・。てめえウルスラ以上に好かれてるみてえじゃねえか。いいぜえ。俺が気に食わねえなら殺せばいい。てめえには俺と同じ血が流れてんだぜえ。憎くて人を殺したって仕方ねえんだよなあ。」
(そう、憎い人は殺して仕方がない。だからその人が僕の母様を殺したのも、)
「それ以上いったらアカン!アーデ!」
男目がけ足を運ぶアマデウスをラウラは後ろから抱きしめた。
「ラ・・・・・ウラ、さん?」
アマデウスの瞳にすうっと青さが戻り全身に込められていた力が抜けていった。力が抜けたアマデウスはラウラに体を預けるような形になった。
「大丈夫、大丈夫やでアーデ・・・。後ろにはうちが居るから、アーデは前だけ見て進んだらええ。」
「ありがとうございます。・・・もう大丈夫です。」
アマデウスは抱きしめるラウラの手を握りその温もりを確かめると足に力を込め一人で立ち上がった。
「んだ、つまらねえ。あのまま暴走してりゃ面白かったのによお。・・・だけどどうするつもりだあ?てめえじゃ俺に傷一つつけられねえんだぜえ!」
男の声など全く聞こえていないかのようにアマデウスは黙々と真っ直ぐに足を進める。
「どうするよお?今更でも命乞いしてみるかあ?」
目の前で立ち止まったアマデウスに対し男は上から被さるように上体を傾け挑発の言葉を重ねた。
「命乞いなんてしませんし、あなたを殺しもしません。ですが僕はあなたには負けません。」
アマデウスは上から見下ろす男に対し顔を上げ真っ直ぐに視線をぶつけた。
「行きます。」
アマデウスは右手で構えた童子切に左手も添え下から男目がけて斬り上げた。
「だからあ、てめえの攻撃は効かねえって、っ!」
シュッ!
アマデウスの攻撃は強化された男の肉体には通用しない、はずだった。だから男は躱すつもりもなかった。だが、刀が振るわれる瞬間アマデウスが刀が纏っている空気が以前と全く違うことに体が飛び退いた。結果アマデウスの振るった童子切は空を斬り男は距離を取り態勢を立て直す。
(何だったんだあ、今の感覚はあ?前と全然違げえじゃ・・・)
態勢を起こしたときに首筋をつうっと何かが伝うのがわかった。手で触るとそれは血だった。
(バカな!んなわけねえ!今のは完全に躱したはずだ。切先すら掠めてるはずがねえ。・・・だとすればあいつの刀は空気さえも斬り裂き俺の喉に斬り込みやがったってえのか?)
「く、そ、ガキがあ!なんだあ、てめえのその刀はあ!」
前回よりもなお一層強化された肉体に斬り傷をつけられたことにひどく怒った。
「この刀はここに居るラウラ・ラーゲルベックさんが僕のためだけに打ってくれた刀『童子切』です。僕が今を守り先へ進むための力です。」
アマデウスの答えを聞くと男は少し黙り込み声を上げて笑い出した。
「ギャハハ、ギャハハハハ!おいおいまじかよ。ラーゲルベックって没落鍛冶師だろうが、確かあの男を最後に後継は居なかったと思ったんだがなあ。」
アマデウスは前に居る男以上に後ろに居るラウラのことがこの瞬間気になった。だが、そんな心配は今のラウラには必要はなかったようだった。
「没落鍛冶師?それはうちが打った刀を負かしてから言うてもらおか。『童子切』を使ったアーデが負けたらうちは没落鍛冶師の末裔や。せやけどアーデが勝ったらその瞬間うちは鍛冶師ラウラ・ラーゲルベックや!」
ラウラはいつも通りの威勢の良さで男に対し挑戦状を叩き付けた。
「そうかよ。ならてめえはこの場で親父越えをするってえわけだなあ?」
「え?」
「この妖刀を打ったのはてめえの父親だぜえ。この刀に勝つってのはつまり今親父を越えるってことだよなあ。てめえに出来んのかあ?」
父親を越える刀を打つ自身がなくてずっと人の刀を打つことが出来なかったラウラはこの質問に答えることが出来なかった。だがこの質問に対し沈黙が続くことはなかった。
「出来ます。この刀は絶対に負けません。」
何のためらいもなくそう言い切ったアマデウスに男は顔をしかめた。
「『童子切』はラウラさんが僕のことを思って僕だけのために打ってくれた刀です。思いの強さは刀の強さです。あなたの名前もない刀の形をしただけのただの金属の塊には負けません。」
「上等だぜえ、クソガキがあ!死んで後悔しろお!」
ボルテージの上がった男の体はまた一段と盛り上がり妖刀からは目に見えるほどの妖気が漏れ出していた。
「アーデ!」
男とアマデウスの間、緊張に張り詰める空気を裂くようにアマデウスを呼ぶ声が部屋に飛び込んできた。
「クルトさん、ヘレンさん!それにエイラさんとアランさんも、どうしてここに?」
クルトとヘレーナと一緒に来たのはさっきまで二人と戦っていたはずのエイラとアランだった。エイラは血相を変えてそのままアマデウスの横まで走りこんできた。
「あなた、一体何をしたのですか!今街を襲っている魔物たちは何なのですか!答えなさい!」
エイラは剣を抜き男に突きつけた。
「そうかあ、もお準備はできたってわけかあ。ギャハハ・・・。」
「早く答えろ!」
エイラはさらに男の方へと脚を踏み出した。剣の切先が男の喉元に狙いをつける。
「おいおい。そう殺気立つなよお。あれはあ、俺と志同じくした同士って奴よお。だけどよお仲間って訳じゃねえから俺を殺したって何も止まらねえぜえ。ほらあ、さっさと大好きな一般市民たちの所へ行かねえと、みいんな魔物の餌んなっちまうぜえ?ギャハハ。」
どこまでも不気味に男は笑っていた。
「くっ!」
エイラの剣を握る手が震える。
「じゃあ俺は引かせてもらうぜえ。」
「てめえ、待てこら!」
叫び飛び掛かろうとしたクルトだが即座に体を止めた。
「ギャハハ、そうだよなあ。てめえらこのメスんために来たんだよなあ。死んだら困るだろお?」
男はアリスの首に刀を当てゆっくりと後ろの窓へと後退していく。
「大丈夫です。あの窓の下には今エルとアルヴァが居ます。飛び降りれば取り押さえて終わりです。」
エイラがアマデウスにだけ聞こえる声で呟いたが、アマデウスの心臓は依然騒ぎ続けていた。
「悪いなあ息子よお。後でちゃんと殺してやるから良い子で待ってなあ。なにこのメスのことは安心しなあ。俺がたあっぷりと面倒見てやるからよお。」
男はアリスを顔近くに引き寄せるとその右の頬に舌を這わせた。
「この下衆が!今ここでミンチにしてやる!」
刀に手をかけたクルトをヘレーナが引き留めた。
「ギャハハハ・・・。すぐ立ち去ってやるからそう殺気立つんじゃねえよお。」
男が窓際で立ち止まりそう話した瞬間。
ブワアッ!
窓の外に大きなスカルワイバーンが現れ、窓から飛び移れる位置に静止、ホバリングしている。
「また会おうぜえ、俺の愛しい息子よお。ギャハハハハハハ・・・・・。」
アマデウスに粘着質な視線を残し男はスカルワイバーンに飛び乗り去っていった。
「それで、結局あいつの正体は何なんだよ。」
ドグラスの腕の応急処置に街に現れた魔物への団員の手配をおえアルヴァとエルランドも合流したところでクルトが苛立ちを隠そうともしないままに話を切り出した。
「名前はニルス・レンクヴィスト。今回の連続殺人の犯人よ。アーデの実父に当たる人間でありアーデの母親、つまりは自分の妻であるウルスラと村の人全員を殺した張本人でもあるわ。」
クルトの問いに対し答えようとしないドグラスとエルランドに変わりアルヴァが返答をした。
「ちょっと待てよ・・・。アーデの親父って、自分の妻を殺して今度は娘息子を殺すってのか?」
「クーあなたちゃんと聞いてなかったの?ニルスはアーデの父親、アリスの父親とは言ってないわよ。」
怒りのあまり勇み足になろうとしているクルトに対しヘレーナが水を差す。
「はあ?だってお前アリスはアーデの妹だろうが、ならアリスだって・・・・あ、」
そこまで言ってクルトは静止した。彼の中でこれまで疑問だった事が一本に繋がる。クルトの視線がゆっくりとアマデウスへと移された。
「はい。アリスは僕の本当の妹ではありません。アリスは僕が幼いころに見つけて一緒に暮らすようになりました。黙っててすみませんでした。もしアリスが僕の妹でもなく九尾の妖狐であるとなればどういうことになるかわかりませんでしたから。・・・だけど、アリスは今は僕の大切な妹なのです。これだけは嘘じゃ、」
必死に回りに訴えるアマデウスの頭にアルヴァはポンと手を下した。
「大丈夫よ。あんたと同じでアリスは私たちにとっても大切な家族よ。義理だから何だっての?これまでの経緯なんてものは気にしたって変わんないでしょ?本当に大事なのは今の気持ちなのよ。」
アマデウスはアルヴァの笑顔を受け止めもう一度周りを見渡す。ラウラもヘレーナもクルトも自衛団の者も全員が頷いてくれた。
「ですが、今回のことが本当に妖狐の存在が導いたというのであれば何かしら対策を考えなくては。」
「ばっ!エイラ、お前空気読めよ!今はそう言うこと言っていいタイミングじゃ・・・。」
「だがエイラが言うことももっともだ。」
「てめっ、アランまで。」
さっきまで怒り狂う一歩手前だったクルトが今度はアマデウスの心のケアに奔走するが、妖狐の存在から国の危機が訪れたという事実が場の空気を重くする。
「あんたたち、九尾の妖狐は災厄をもたらす害獣だって本気で思ってるの?」
アルヴァはこの場にのしかかる重い空気をあざ笑うかのようにあっさりと声を出した。
「いやですが、アルヴァ。今この国に訪れた危機の中心にはアリス君が居るのです。そうとしか・・・。」
「そんなもんたまたまでしょ?」
「はあ?」
アルヴァのあっけらかんとした回答に全員が声を上げた。
「あんたはわかってんでしょ、お父様。」
アルヴァの言葉に全員がドグラスを見るとドグラスは観念したように話し始めた。
「ああ、アルヴァの言う通りだ。九尾の妖狐は害獣などではない、あれは神の使い、神獣だ。神の行いはよく天災として表れるものだ、だから姿の見えない彼らの代わりに神の使いとしてその場に姿を見せる妖狐を『災厄をもたらす害獣』としたのだろう。」
ドグラスの言葉に全員が息を呑み言葉を失った。
「で、でも・・・。神は大昔に居ったってだけで今はもう居らへんのと違うんですか?」
「確かに彼らは人から信じられなくなり力のほとんどを失った。だが彼らは依代を得ることで今も生き続けている。わしの妻フレヤやアマデウスの母ウルスラは生前その依代だった。」
「そして今は私とアーデが依代なのよ。」
「なら・・・なら何でみすみすアリスを攫われてんねん!神の力で奇跡でも何でも起こして助けえや!」
ラウラには見ながらに助けの手を差し伸べない神が許すことが出来なかった。誰を助けることも出来ない自分がもどかしい、それゆえに力を持ちながらにそれを善行に使わない者に苛立ちを覚えて仕方がなかった。
「神が幾ら力のほとんどを失ってると言ってもそんなもの私たち一生命体ごときに扱える代物じゃないのよ。アーデがニルスと初めて戦った日を覚えてるかしら?あの日アーデは神の力に呑まれてる。わずか一分、そのわずかな時間に得た絶対的な力の代償が三日間の意識不明。・・・他人への力の譲渡は不可、使うタイミングも選べず使い過ぎれば死ぬ力。私たちの中に居るのはそんな力の塊なのよ。」
ラウラは言葉を失った。自分の考えが甘かった力さえあれば何だって出来ると自分が力が無いだけに力を持つ者の悩みなど考えたこともなかった。
「でもねラウラ、神の力なんかに頼らなくたって私たちは絶対に負けない、アリスも絶対に助ける。そうよね、アーデ。」
アルヴァの言葉に促されるようにラウラはアマデウスを見るとアマデウスの青紫の美しい瞳は真っ直ぐにラウラの瞳に向けられていた。
「当然です!僕はあの人には負けません。それに『童子切』もあんな名無しの妖刀には絶対に負けません。」
アマデウスは腰に据えていた『童子切』を外すとラウラに見せつけるように前に突き出した。
「信じてください『童子切』を、自分自身を。・・・僕たちは家族です。ラウラさんの分は僕が戦いますだから僕に足りない力をラウラさんが補ってください。そしてちゃんと見ててくださいあなたの刀があなたの父様の刀を越えるその瞬間を。」
(アーデやって急に父親が現れたか思たら、そいつが自分の母親と故郷を襲った犯人やったとか、自分が神の依代になっとるとか。いきなりいろんな事知って頭ん中ぐちゃぐちゃのはずやのに・・・。)
自分よりも八つも年下の子が渦中に居ながら自分を励ましてくれているのを見ているると、さっきまで慌てていた自分が途端におかしく思えてきた。
「あはははははは・・・。知らん間に随分偉くなったもんやなあ、アーデ。よっしゃ、うちがちゃんと見守っといたる。せやからアーデも、あのおっさんぶっとばしてこれまでのこと全部乗り越えよ!」
「はい!」
アマデウスはラウラが差し出した手を力いっぱい握り返した。
「さ、それじゃあ行きましょうか。最終決戦!」
アルヴァの掛け声にミスティルのメンバーは声を揃え掛け声を上げた。
「エイラあの男、見つかったかしら?」
「当然です。あなたの予想通り大戦跡地エーラムル盆地に居ます。」
「やっぱりか。あなたたちもこれから街へ制圧に向かうってのに、魔力使わせて悪かったわね。」
「別に構いません。ヘレンは広範囲探知魔法のような繊細な魔法技術はありませんので。それにこれは大人の事情にアマデウスさんとアリスさんを巻き込んでしまったせめてもの償いです。」
『気にしないでください』とそう伝えようとしたがエイラは優しくアマデウスに微笑んだ。まるで『私が望んでこうしているのです。好きにさせてくれますよね?』とそう言っているようだった。
「では、私たちは街に現れた魔物の制圧に向かいます。」
エイラはそう言うとアランと一緒に部屋を出ようとしたがエルランドだけは部屋を出ることをためらっているようで顔を曇らせ視線を泳がせていた。
「すみません、一つ言い忘れていたのですがあの男の口ぶりからして街に入り込んだ他にもまだ戦力を持っているようでした。こちらは私とアランが加勢すればそれで片が付くと思いますので団長はミスティルの皆さんの加勢をお願いします。」
エイラの言葉を聞いた途端表情は晴れやかになった。
「そうですか。すみません、ではそちらはお願いします。こちらは任せてください。」
「全く、世話の焼ける人ですね。まあそこが可愛くもあるのですが。」
エイラは誰にも聞こえないくらいに小さな声で呟きその場を後にした。
メルマリア王国から北に一五㎞離れたところにエーラムルと呼ばれる盆地がある。四一年前、そこで『メルマリア王国』建国のきっかけとなった世界最大級の大戦が繰り広げられた。二〇を超える種族、八〇万にも及ぶ生物を巻き込んだ血で血を洗うひどい戦いだった。生き残ったのは三〇万ほど他は皆戦場で命を散らした。
大戦で亡くなった者は皆戦場となったエーラムルの地に埋葬されている。つまりあの地は妖気を求める者にとってはこれ以上にないホットスポットになっているのである。
「何やねん、あの数・・・。」
エーラムルに到着したアマデウスたちは盆地そばの崖の上に身を潜めニルスの様子をうかがうことにしたのだが盆地にはひしめき合うように敵が集まっていた。
「あれは・・・死体だな。ここの土にアリスに妖気を流し込ませて埋葬されてた死体をアンデッドにしてんだろ、。」
「居たわ。アリスはここと反対側の少し高くなった台地の上、ニルスと一緒ね。」
敵の群れを挟んだ反対側、台地の上にアリスは両手を吊るされた状態で拘束されているようだった。その横では無強化状態のニルスが自分の王国でも手に入れたかのように満足気に高笑いしている。
「どうしますか?回り込んでいては時間がかかりすぎます。それにニルスと戦うにはどうしてもあのアンデッドたちと戦わなくてはいけません。」
アリスの所までは直線でも三㎞、敵を避けて回り込むには一〇分はかかる。アリスが幾ら膨大な量の妖力を持っていてもあれだけのアンデッドを生み出して大丈夫なはずはなく今は一秒でも早く駆けつけたかった。だがそれには目の前の盆地にひしめく五〇万のアンデッドを退ける必要がある。
「よっこらせ。」
全員がアンデッド対策に頭を捻っているとアルヴァはおもむろに立ち上がるとストレッチを始めた。
「アルヴァさん?」
「先陣は私が切るわ。端の方で暴れて雑魚は引き付けるから道が開いたらあんたたちも来なさい。」
アルヴァは一通りストレッチを終えるとドラゴニュートの姿になった。
「アーデ、しっかりやんのよ。」
それだけ言うとアルヴァは空高く飛び出した。
ズッドオオオンン・・・・・。
アルヴァが飛び立った数秒後、轟音とともに大地に降り立ってのは一頭の巨大なレッドドラゴンだった。ドラゴンの着地の勢いで地面はめくれ上がり大量のアンデッドたちが宙を舞った。
「あ、あのレッドドラゴン端の方で暴れてますね。ということはあれアルヴァさんですか?」
「ドラゴンの姿で戦う姉さんはレアだからな。普段ならあのサイズで暴れるだけで戦闘どころじゃなくなるからな。」
レッドドラゴンの姿のアルヴァは体長三〇m、翼長は六〇m、さらに口から吐く炎は一〇〇m先のアンデッドも数秒で灰にしていた。
「先陣にしては破壊力がありすぎますね。」
エルランドですら五〇万のアンデッドを相手に喜々として暴れるアルヴァに少し引いていた。
「何してるの、皆行くわよ。」
次々と大量のアンデッドたちを蹴散らすアルヴァに視線を奪われていて気づかなかったが戦場はすでにアルヴァの登場で異様な偏りを見せ、アリスの元までの最短ルートが開かれていた。
「アリス!」
アマデウスたちは大量のアンデッドたちに囲まれながら大暴れしているアルヴァを横目に見ながら戦場を真っ直ぐに走った。アリスの姿を肉眼で確認出来る辺りまで近づくとニルスもアマデウスたちに気が付いた。
「やあっと来やがったかあ。寂しかったぜえ、アーデえ。」
ニルスはアマデウスの姿を確認すると待ちきれないとばかりに刀を抜きその刃に舌を這わせた。
「あなたの顔を見るのはこれで最後です。」
アマデウスはニルスに対し神経を集中させた。
「アマデウス君!」
ニルスに意識が向いていたアマデウスを背後から鈍く光る剣が鞭のようにしなりながら襲いかかった。危機一髪、アマデウスの眼球その寸前にまで迫ったところをエルランドが弾き上げた。
「ごめんなさい、エルランドさん・・・。僕あの人を見て頭に血が上って・・・。」
「どうして謝るのですか?私はあなたとの約束を守るためにここに来たのです。私はあなたたち兄妹の味方です。後ろは私に任せて今は前だけ見ていてください。」
「あの・・・ありがとうございます。」
アマデウスが何を言いかけたのかエルランドには想像がついた。しかし、それはアマデウスが口にする言葉ではない。本当にその言葉を口にしなければならないのは他でもないエルランド自身なのだから。
「・・・すみませんでした。」
すでに前を向いたアマデウスには聞こえてはいないそれでもエルランドがどれだけアマデウスとアリスを大切に思い自分の判断を後悔したかアマデウスの心には伝わっていた。
「ニルスさん、もう終わりにしましょう。」
「寂しいねえー、アリスう。お兄ちゃんが俺のことお父さんって呼んでくれないよお。アリスはアーデの妹だろお?なら俺のことお父さんって呼んでくれるよなあ?」
ニルスは拘束されたまま妖気を吸われ続けているアリスに近寄ると両手で上顎と下顎をそれぞれ掴んだ。
「ほらあ。『お・と・う・さ・ん』。」
ブチブチブチ!
「汚い手でアリスに触んなクソジジイ!」
アマデウスより早く、ニルスにブチギレたのはヘレーナだった。
ヘレーナはレイピアを抜くと複数の氷柱空中に生成しニルス目がけ射出する。射出された氷柱は加速されうなりを上げてニルスを襲う。
「ギイャハハハ。」
ニルスは迫る氷柱を前に気味悪く笑っていた。
ヴァサァ・・・。
ニルスに迫る氷柱は空から降り立ったスカルワイバーンの体にぶつかり砕け散った。
「家族水入らずの場面だろおよお。そこに出張ってくるなんてナンセンスだぜえ!」
ニルスの前に降りたスカルワイバーンは後ろとの壁になるように翼を広げた。
「鳥骨野郎は解体して出汁取ってやるぜ。」
台地前に立ちはだかる高さ七m幅二二mの壁となったスカルワイバーンに向かいクルトは同田貫を担ぎ飛び出していった。
しかしスカルワイバーンに対し斬りかかろうとするクルトに大きな影が覆いかぶさる。
「ちょっ、待てよ。なんだこいつ・・・。」
ゴゴオオオン・・・・・。
巨大な何かが地面を抉りクルトとともに吹き飛ばした。
大きく動く影、月明かりを遮るそいつをアマデウスたちは見上げた。
「巨人族・・・。」
アマデウスたちの前に新たに現れた敵は体長六〇mの巨人の骸骨だった。地面諸共クルトを吹き飛ばしたのは巨人の腰までの長さに人一人が悠々住めるほどの太さのの巨大な木の棍棒。
身長にしてクルトの約四五倍、高さの差はそのままパワーの差を意味する。
「これだけのポテンシャルの差、恐怖したかあ?絶望したかあ?この世界力が全て、これだけの力が今は俺のものだぜえ。嬉しすぎて震えが止まらないねえ。」
スカルワイバーンの向こう、骨の隙間から勝利を確信し力に溺れ笑みを浮かべる父親の姿が見えた。
「くっ。」
巨人に立ち向かおうと刀を抜こうとするアマデウスの手をヘレーナが掴んだ。
「あんたの出番はまだ先でしょ。こいつはあの脳筋童貞に任せておきなさい。奥の鳥は私がもらったげるからさっさとアリスを助けて来なさい。」
「ヘレンさん・・・、でもクルトさんは・・・。」
クルトは先ほど巨人の振るった棍棒に吹き飛ばされ大量の土の中に埋もれてしまっている。
「・・・・・だあーっ、くっそ!何の嫌がらせだこら!」
「クルトさん!」
降り積もった土山を噴火させ立ち上がったクルトは口に入った土を吐き出すと再び飛び掛からんと屈み脚に力を込める。
「この身長差・・・、これ絶対俺に対する嫌がらせだろ?舐めんなボケ。身長だけで全てが決まるほど世の中簡単じゃねえんだよ!」
脚に力を込めるにしたがってクルトの体は厚い毛に覆われみるみる内にウェアウルフ狼人間の姿になっていった。
「その高え頭、地に着けさせてやる!」
巨人目がけ地面を蹴りだしたクルトは打ち出された弾丸のように一直線に飛ぶ。巨人は自分目がけ飛んでくる弾を撃ち落とさんと棍棒を振り下ろす。
「くそ食らえやあああ!」
クルトは振り下ろされる棍棒に正面から鞘に納めたままの同田貫を打ち込む。一瞬同田貫が押し込まれたように見えたがその次の瞬間。
ガゴオオオオオオンンンン!
棍棒は同田貫と当たった点を中心に大きく陥没し弾き返された。弾かれた棍棒は巨人の頭上を越え尚その勢いは止まらなかった。
ドッスウウウウンン・・・。
巨人はそのまま棍棒に引っ張られ後方に倒れた。
「ったく、人のこと見下ろしてっからそうなるんだぜ。」
「クルトさん!」
巨人を打ち返しそのまま着地したクルトの元にアマデウスは駆け寄った。
「なんだ、アーデまだこんなとこに居るのかよ。早く先に行けよ。あのノッポ野郎は俺に任せとけ。」
「その、大丈夫なのですか?」
心配そうなアーデの顔を見るとクルトは声を上げて笑ってみせた。
「前にも言っただろアーデ。男ってのは格好つけてなんぼだ。ここは俺が格好つけるとこだ。んでもって、お前が格好つける場所はアリスの前だろ。」
何事もなかったように起き上がる巨人を見るとクルトは親指をアマデウスに見せると走っていった。
「ちょっとだけ待っててねアーデ。今あの邪魔な壁退けてくるから。」
巨人に飛び掛かるクルトの後ろ姿を見ているとヘレーナが後ろから抱き付き耳元で話すと立ちはだかるスカルワイバーンの方へ歩き出した。儚げで幻想的なハーフエルフの姿、アマデウスは初めて会った時のヘレーナを思い出した。
「全く、さっきの攻撃でわからなかったのかあ。てめえの攻撃じゃあこいつを倒すどころか傷一つ付けられねえんだよお。」
「へえ・・・、全然知らなかったわ。」
ひやあ・・・・・。
足元を冷たい冷気が流れる。ヘレーナの体からは冷気が流れ出し、空気中の水分が凍り付きキラキラと光を反射させている。
「普段ならこんなセリフ絶対に言わないんだけどね。」
ヘレーナは右手をスカルワイバーンの左側の空中に向け静かにかざした
「そいうセリフは、私の本気を見てからにしなさい。」
突如ヘレーナが手をかざした空間から巨大な氷の柱がスカルワイバーンを殴りつけた。
「お待たせ、アーデ。」
ヘレーナはスカルワイバーンを突き飛ばすと振り返りまたアマデウスを抱きしめた。
「ごめんね、私はあの鳥を抑えとかなきゃいけないからここから先は一緒に行けない。だけどアーデなら大丈夫よ。あなたはもう大切なものをたくさん持ってる。」
ヘレーナはそっとアマデウスの胸に手を置くとしばらく目を閉じ、優しく微笑んだ。
「後は頼んだわよ、ラウラ。ここから先はあなたがアーデたちを守るのよ。」
アマデウスを放しすっと立ち上がったヘレーナはラウラに力強い眼差しを向け言葉を送った。
「う、うん。わかっとるよ。ヘレン姉・・・。」
力ない返事をするラウラは見ていると今にも重圧に押しつぶされてしまいそうに見えた。
「何情けない声出してるのよ。あなたらしくないわね・・・。大丈夫よ。アーデのことを思って考えてきたのはあなたよ。そしてあなたは今も一番アーデの側に立ち続けている。大丈夫よ、あなたの思いは必ずアーデの力になるわ。」
ヘレーナはラウラを抱き寄せると耳元で魔法をかけるようにそっと囁いた。
「おおきに。・・・おおきに!ヘレン姉!後はうちに任せとき!皆々ハッピーエンドに導いたる!」
「そっ。じゃあ、後頼んだわよ。」
ラウラのガッツポーズを確認するとヘレンは優しい笑みを浮かべ戦いに戻っていった。
「もう、後はあなただけです!」
アマデウスは台地に飛び上がりそのままにニルスに斬りかかった。ニルスはアリスを残し飛び退きアマデウスから距離を取った。
「うわあ、参ったぜえ。ここまで来られちまった上にアリスが向こう側に行っちまったぜえ。」
アマデウスはニルスと対峙する間に、ラウラはアリスの拘束を解きにかかる。頭を抱えた状況で他に増援があるとはアマデウスには思えなかった。
「さあ、観念してください!」
アマデウスが刀を突き付けるとニルスは顔を俯け体の動きをピタリと止め。
「全く残念だぜえ。せっかくここまで来たのによお。てめえら二人じゃあ俺が手をかけるまでもなく死んじまうだろうからよお。」
にたにたと気持ちの悪い笑顔をアマデウスの前をうろつかせた。
「どいうことですか!まだ他に仲間が居るのですか!」
アマデウスが目の前をうろつく気持ちの悪い笑顔めがけ刀を振るうと、ニルスはこれを大げさに躱した。
「ギャハハ、なあアーデえ。お前も俺に構ってる場合じゃねえんじゃねえかあ?」
ニルスは眼を大きく見開くとわざとらしく首を傾けアマデウスの後ろを覗いた。
「きゃあ!」
「ラウラさん!」
ニルスの言葉に警戒し、後ろを向くことを躊躇ったアマデウスであったがラウラの悲鳴に慌てて振り返った。悲鳴を上げたラウラは広場の方へと飛ばされ地面を転がった。ラウラが居なくなった後には一つの影が残された。
「アリ、ス・・・?」
妖狐の姿になったアリスはこれまでにも何度か見たことがある。だがそこに居るのはアマデウスの知る姿ではなかった。
「どうしたのですか?その姿は・・・。」
九つの尾を起こし全身の毛を逆立てこちらを威嚇している。体には黒紫の炎のような妖気を纏い瞳は真っ赤に染まり光を帯びている。その瞳からは殺意以外には何も感じられず長く伸びた爪は間違いなく凶器なのだとそう悟らせた。
「やっぱキャパオーバーしたかあ。まあ仕方ねえわなあ。この場に溜まった妖気全部コイツに集めて死体に流させてたからなあ。」
「ニルス、あなた!」
「おっとお、今気にするべきは俺じゃあねえだろうよお。そっちのバケモンを何とかしねえと手当たり次第に殺しまくんぜえ。」
ニルスを倒してアリスを連れ戻す。それで全て終わりだと思っていた。なのに、
「妖力の暴走・・・。」
ニルスの言っている通り、このままでは妖気の化身となったアリスがその全てを発散しきるまで見境なく暴れ続ける。そしてアリス自身も限度を超えた妖力に体を侵食されやがて死んでしまう。
「ですが、アリスを攻撃するなんて・・・。」
刀を握る手が震える。アリスを守りに来たのに、絶対に守ると誓ったのに、その大切な妹に刃を向けることなどアマデウスに出来るわけがなかった。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
躊躇うアマデウスを前にアリスが咆哮を上げた。身に纏われた妖気が一瞬大きく膨れ上がると一気に天目がけ妖気の柱を伸ばした。妖気の柱は天高く伸びると先端から無数に分かれ戦場へと降り注いだ。
「ギイヤアアアアアアアアアアア!」
妖気が降り注いだ先々で雄たけびが上がった。
「くそっ!何だってんだこの野郎!いきなり肉体が復活したかと思えばこの力の上がり様、シャレにならねえぞ!」
戦場い響くクルトの声に視線を向けると骸骨だったはずの巨人に筋肉が脂肪が皮膚が戻っていた。巨人はそれまでの単調な攻撃ではなく、まるで意識まで戻ったかのようにクルトの攻撃を躱し回避先を予測した攻撃を繰り出していた。クルトの戦う巨人だけではない、ヘレーナが戦うスカルワイバーンも血肉を持ったワイバーンにエルランドが戦う剣士も戦場に居た全てのアンデッドが生前の姿に戻っていた。
「まさかここまでのことがそのガキに出来るとはなあ。てめえらに相当の恨みがあるんじゃねえのかあ?ギャハハハ・・・・。」
「恨み・・・・・。」
アリスがミスティルのメンバーやエルランドに恨みを持っていたとすればそれは自分のせいであると、アマデウスはそう思った。ミスティルに入ってからもアマデウスはアリスと一緒に居た。だがそれは一緒に居たというだけでアリスと交わす言葉もアリスのことを考える時間も極端に少なくなった。さらには意識を失ったままのアリスを他人に預け挙句アリスの妖力を悪用する敵に連れ去られる始末、アリスが恨むのも仕方のないことだと思ってしまった。
かと言って、アリスがこのまま妖気に生命力を消耗させられ衰弱するのを黙って見てなど居られなかった。
チャキ。
「なんだあ?やあっと妹のことを斬る気になったのかあ・・・。そりゃあそうだよなあ。ただのお荷物で偽物の妹だもんなあ?ずっと邪魔だと思ってたんだよなあ?殺しちまっても仕方ねえよなあ?」
アリスに対し刀を構えたアマデウスにニルスが発破をかける。だがアマデウスはそんな言葉に動じはしなかった。
「殺す?何を言っているのですか?僕はアリスを助けるためにここに立っています。どうすれば殺すなんて判断になるのですか。」
刀を構えたアマデウスに対しアリスは戦場に妖力を流すのを止め襲い掛かった。アマデウスは宣言通りにアリスに刀を振るわずアリスの攻撃を躱していた。
殺そうと思えば殺す隙は幾らでもある。逆にアリスの攻撃も一撃でアマデウスの命を刈ることが出来る力を備えている。にも拘わらず自分の命よりも血の繋がっていない偽物の妹を救おうとしていることにニルスは腹を立てた。
「てめえこそ自分が何を言ってるのかわかってんだろうなあ!そのガキはもう体を妖気に支配されてんだ。後はその妖気に生命力を食いつくされて死ぬだけだろうが。もうてめえにはどうすることも出来ねえんだよお!」
確かにアマデウスにアリスを助ける手立てはなかった。その上アリスの攻撃は回数を重ねるごとにその速度と精度を高め躱すだけで精一杯で助ける方法など考えている余裕はなくなっていた。
「フウウウ、フウウウ・・・。」
息を荒げアマデウスの命だけを狙うアリスの姿にアマデウスは心が苦しくなった。
『ごめんなさい・・・・・、ごめんなさいアリス。僕がアリスの優しさに甘えたせいで、欲を求めたせいでアリスに寂しい思いをさせてこんなつらい目に合わせてしまって・・・。』
アマデウスがアリスに後悔の念を抱いた、その瞬間。
キィンンン・・・・・。
アマデウスの気が逸れた一瞬にアリスが童子切をはね上げた。
「しまっ、」
アマデウスが意識を戦闘に戻した瞬間にはアリスは右の後ろ回し蹴りをアマデウスにかますところだった。
ズドン!
アマデウスは広場目がけてパチンコの玉のように打ち出された。
「ゲホッ、ゲホッ・・・。」
地面を二度跳ね五mほど転がったところでアマデウスの体は止まりアマデウスは腹を抱え地面に蹲った。
ダンッ!
台地の方から響いた音に顔を起こすと鋭く伸びた爪を突きに備えさせ飛び掛かるアリスの姿が目に入った。アマデウスは右の手に刀の重みがないことに気付いた。アリスに蹴り飛ばされた時に落としたのだろう。もはやアリスの攻撃を恨みを受け入れる以外に選択肢はなかった。
「これも僕がアリスにしてきたことの報いということでしょうか・・・。」
アマデウスは目の前の現実、恨みに狂うアリスを受け入れようとした。
ギインッ!
「アーデ!何諦めてんねん!」
アリスとの攻撃の間に突然人影が飛び込んできた。目の前ではラウラがアリスの攻撃を刀で受け止めていた。アリスの爪と刀の間には白い暖かな光が溢れラウラとアマデウスを包む結界のようになっていた。
「アリスの事一生かけて守るんとちゃうんか!あんたが死んでどないすんねん!アーデが死んだらアリスは誰が守んねん!」
「そうだぜ!てめえの命もアリスの命も勝手に諦めてんじゃねえ!諦めんのは死んだ後あの世に行ってからにしろ!それまでは何があっても諦めんじゃねえ!」
ボロボロになったクルトが巨人と戦いながらも笑ってアマデウスに激を飛ばした。
「そうよ!アリスもアーデも勝手に死んだら許さないわよ。あんたたちの居場所はあの世じゃなくて『ミスティル』なんだから!」
「グオオオオオオオオオオオオオオオ!」
ワイバーンを氷柱に閉じ込めながらヘレーナもアーデに向けて声を上げアルヴァも広場の一番端から咆哮を響かせた。
「ラウラさん、皆さん・・・。」
「アマデウス・レンクヴィストはもうアリスだけやない、うちやアルヴァ姉、ヘレン姉にクー兄の皆の家族なんや!勝手に死んでええわけないねん!それはアリスも一緒や!誰にでも胸張れるような立派な人やないし、血のつながりもない偽物かもしれんけど、それでもあんたらのこと本物の家族以上に大事に思っとる!あんたらはもう勝手に死んでええわけないねん!」
「でも、アリスは・・・アリスは僕たちのことを恨んで・・・・・。」
アマデウスはそれ以上言葉には出来なかった。自分の中でアリスの恨みも自分の非も認めたつもりだった、だがそれでも自分のアリスを大切に思ってきた気持ちには偽りはないその気持ちがアリスには何一つ通じていなかったと、やはりそう思いたくはなかったのだ。
「アリスがうちらのこと恨んどるかどうかなんて本人に聞いてみなわからんやろ?せやから、ちゃんと助けよ!」
「ラウラさん・・・・・はい!」
家族の声に励まされたアマデウスは地に拳を突き立てると軋む体を起こした。
「・・・ごめん、アーデ。もうこれ以上は止めてられへん!」
ラウラの持つ刀にひびが入り二人を覆った光の壁にもひびが入る。消耗し限界が近づいたのではなくアリスの出力が上昇したことが原因のようだった。
「あれは・・・?」
纏う妖気を大きくしたアリスの首元で妖気と同じ色に輝く何かが巻き付いているのが見えた。
「きゃあ!」
刀が砕けるのと同時に光の壁は砕けラウラはその反動で弾き飛ばされた。
「ありがとうございました。ラウラさん、後は僕がやります。」
「うん、アリスのこと頼むわ。」
アマデウスは飛んできたラウラを受け止めると自分の後方へとうながした。
アマデウスは母からもらった守り刀を抜く。
「ごめんなさい、母様。僕の力でアリスの事を守ると言ったのに・・・。もう一度だけ僕に力を貸してください。アリスと僕と大切な家族を守らせて下さい。」
アマデウスは刀に祈りを捧げゆったりと構えなおした。
「アリス、僕と舞ってくれますか?」
「ギャウ!」
アリスの動きがまた一段と早くなる。手にした守り刀は童子切よりも短く、アリスの速度に合わせるのもギリギリだった。アリスの爪がアマデウスの体を掠めていく。それでもアマデウスは舞い続けた。それを狙う瞬間を待ち続けた。
「ギャウ、ハッ!」
アリスが一度大きく息を吸った。この瞬間わずかながらアマデウスが待ち続けた隙が生じた。
『今です!』
シュッ。
アリスに対し振り下ろされようとした刀が止められた。
「アリス・・・。」
アリスは大きく息を乱し、手足を痙攣させていた。そんな姿が目に飛び込んできてはアマデウスは無意識に手を止めざるを得なかった。だが、この瞬間アマデウスの動きと思考は完全に静止し、
ドシュッ!
「っっあああ!」
アリスの右腕がアマデウスの左腹部を貫通した。あまりの激痛にアマデウスの意識は飛びかけ、体はアリスに覆いかぶさるように寄りかかった。
がしっ。
アマデウスは朦朧とする意識の中アリスの背に両腕を回し力いっぱい抱きしめた。
「ウッ、ガアアア!ギャウ・・・、ギャウ!」
アマデウスの腕の中でアリスは激しく暴れたがアマデウスは絶対に離さなかった。
「アリス、ごめんなさい。こんなに辛い思いをさせてしまって・・・。帰ったらたくさん色んな話をしましょう。アリスに聞いてほしいことがたくさんあるんです。全部全部アリスが僕にきっかけをくれたおかげなのです。だから、僕にお礼をさせてください。一緒に帰りましょう、家族の所に。」
パキイィンン・・・・・。
アマデウスのお守り刀がアリスの首元に触れると黒紫に光る輪は砕け散りアリスの姿ももとに戻った。戦場を暴れまわっていたアンデッドや巨人も崩れ落ち土へと還った。
「おかえりなさい、アリス・・・。」
アマデウスは力強く、しかし優しくアリスを抱きしめた。
「アーデ!」
アマデウスの後ろに控えていたラウラが駆け寄るとアマデウスはアリスをラウラに預けふらつきながら立ち上がった。
「アーデ、あんた腹に風穴開いてんねんで!そんなんで動いたら・・・。」
それでもアマデウスは庇うラウラの手を下ろし台地へと向かった。
戦闘を終えたアルヴァ達もラウラとアリスの元へ駆けつける。
「アリス!・・・・・良かった無事みたいね。」
駆け寄ったヘレーナはアリスの心拍を確かめその無事を確かめた。アルヴァやクルト、エルランドもヘレーナのことばに胸を撫で下ろした。
「アルヴァ姉!アリスは無事なんやけどアーデが!あの子腹に穴開けてんのにニルスんとこに・・・。」
「ラウラ、アーデなら大丈夫。自分の家族を信じなさい。」
アマデウスは守り刀を鞘に納め台地を上ると童子切を拾いニルスの前に立った。
「残っているのはあなただけです。大人しく投降して罪を償ってもらえませんか?」
「何が罪だあ。これは俺が手に入れた俺だけの力だぜえ!力のねえ奴が力を欲することの何が罪だあ!てめえらみてえに初めから力を持った連中にはわかりゃしねえんだ、力ある奴の側で常に比べられ苛まれ続けるこの心の痛みはよお!」
ニルスの心の涙がその瞳から零れ落ちた。
国王ドグラスから聞いた。『ニルスもあれで可哀想なやつなんだ・・・。』昔、ニルスとウルスラは軍の兵士としてともに戦っていた。ウルスラは周囲を圧倒する力を持ちながら誰に対しても態度を変えることのない気の優しい女性だった。凡庸な一兵士ニルスは分不相応にもその美しく気高い姿に憧れ恋い焦がれた。そしてウルスラもまた素質に恵まれないながらも決して投げ出すことなく地道な訓練を続けるニルスの真面目さ、ひたむきさに惹かれた。
周囲の者からも好かれ信頼も厚い二人の結婚は大きな祝福を受けた。しかし、結婚した後ニルスに対する周囲の見る目は変わった。
『あれが、ウルスラの旦那か?ドラゴンとカエルじゃないか。』
『せっかくの恵まれた血縁にあいつの血が混ざるのか、残念でならんな。』
『せめてもう少し力を持っていれば良かったのだが・・・。』
どんどんと昇進を重ねるウルスラに対しニルスがどれだけ努力を続けても成果は上がらず一兵士のままだった。
ニルスの名は一兵士のまま大きくなることはなく『ウルスラの夫』という肩書だけが大きくなった。ニルスはその真面目さと責任感の強さから強い焦りを感じていた。睡眠時間を削り訓練の時間を倍にした。それでもウルスラの背中は遠ざかるばかりだった。
そしてアマデウスが生まれる半年前、過度の訓練と重圧に心身ともに疲弊し切ったニルスは任務中に足を滑らせ崖下へと転落した。その日現場はひどい嵐に見舞われ他の兵士はあっさりとニルスを見捨てたという。
「そうですね。僕はまだ誰かと比べられるという経験がないのであなたの気持ちはわかりません。力のない人が力を求めることが罪だとも思いません。ですが、その力はあなたのものではありません。」
「はあ?」
アマデウスはドグラスからニルスの受けてきた理不尽を聞き激しく激しく同情の念と怒りを感じた。だが、それ故にアマデウスは今のニルスを受け入れられなかった。
「今のあなたの力は他人がこれから生きるはずだった命を奪って手に入れたもの、それは誰かの未来で幸せです。それを奪うことは理由が何であっても罪です。」
「あいつと同じセリフ言ってんじゃねえ!あいつもそうだ、四年前俺が妖刀を力を手にして帰ったらウルスラの奴なんて言ったと思うよお?『あなた、それで何人殺したの!』だってよお。死んだかと思ってた夫が生きて帰ってきたってのに俺に向けられた目は猜疑心に溢れ、心に至っては死んだ奴らのことでいっぱいになってたよ。あいつのために手に入れてきた力は穢れたものだと言われ挙句『頭冷やしてくるまで帰ってこないで』だとよお。頭来て殺しちまっても仕方ねえだろうがあ。」
アマデウスはもはや怒りを感じる気にもなれなかった。ニルスに対しては憐れみしか感じなかった。
「そうですか・・・。あなたにはここで僕と舞ってもらいます。」
「舞?舞えば許しが乞えるってかあ?一体誰が許すってんだあ?この世は力が全てあいつらが死んだのは俺より力が無かったから、弱かったからだあ!そしてお前も同じ道を歩むんだよお!」
アリスの体から解き放たれ場を漂っていた妖気がニルスの妖刀へと集まりニルスの肉体へと吸収されていく。ニルスの体は五倍以上に巨大化、身長は九mを越え手足は丸太のように太くなっっている。手に持たれた妖刀も妖気を吸収しその身を成長、三m近い大刀と化していた。
「ギャハハ!ギャハッ、ギャハハハ、ギ、ギィハハ・・・・・。」
今のニルスには元人間の面影すらない。許容値をはるかに上回る量と濃度の妖気を吸収し完全に自我を失い、さらなる力を求めるだけの怪物と化していた。
「ギイイヤアアアアアアアアアアアアアアア!」
全身に漲る力に興奮の雄たけびを上げると怪物はアマデウスに対し一直線に突進してくる。体は巨大化し筋肉の塊のような怪物の突進はまるで大砲の弾のようだが、クルトほどの速さはない。アマデウスからしてみればあくびが出るほどに退屈な攻撃だ。
突進を躱された怪物はすぐに切り返し再度突進するがそんなもの幾ら繰り返したところでアマデウスには当たらない。怪物の体が左右前後に行き交う中アマデウスはその中央でひらりひらりと舞を舞う。
「フウ・・・・、フウ・・・。グウ、グウウウウウ・・・。グガアアアッ!」
突進を躱され続け呼吸を乱した怪物は、怒りを咆哮に表すと大刀を振り回しアマデウスに迫った。アマデウスは舞を続けたまま怪物を迎える。
ブンッ、ブンッ。
怪物の振るう大刀はことごとく空を切る。そこに居るにも関わらず掠りもしないことに怪物はまた頭に血を上らせた。怒りで視野が狭まり攻撃が大振りになるとアマデウスの舞は変調した。
それまで相手の攻撃を躱し空いた場所で舞っていたアマデウスは足を前へと送る。怪物の攻撃の間を縫うように体を進め怪物の体を軸にその周囲を舞う。怪物の一振りに対しアマデウスは三つの傷を刻みつけた。体表の厚くなった怪物は自分が刻みつけられていることなど気にも留めずに大刀を振るった。そんな捨て身の攻撃の中でもアマデウスには呼吸するかの如く自然に舞う。
辺りに充満していた黒紫の靄はいつからか眩い白色へと変わろうとしていた。
「きれい・・・。」
「アーデ、雲の上で舞っとるみたいや・・・。」
「決めろ、アーデ!」
クルトの声にアマデウスの刀速が上がる。
怪物の背後を取り大刀を握る右手に狙いを定めた。後は刀を振り下ろし怪物の妖刀を叩き落せば全て終わり、その筈だった。
ぐらり。
アマデウスの視界が大きく歪む。
にぃ・・・。
怪物の口元が厭らしく笑みを作った。怪物が微笑み見ていたのはアマデウスの腹に開いた穴だった。
「血が足りません・・・。」
倒れまいと刀を地面に着き貧血症状をこらえるアマデウスをほくそ笑みながら怪物は大刀を構えなおした。アマデウスの視界は四重五重にぼやけ大刀を躱そうにも二本の足で立つことさえままならない。
更なる決定打を与え嬲り殺さんと怪物はアマデウスの左の脇腹に狙いをつけた。
「アーデ!」
見守る仲間たちから声が上がる中、大刀が振り下ろされた。
ギイイインン・・・。
振り下ろされた大刀はアマデウスの腰に当たることなく制止した。そこにはアマデウスが母ウルスラからもらった守り刀があった。先ほどのラウラの刀のように白い暖かな光の壁を作り出していた。
カッ!
守り刀から強い真っ白な閃光が発されると怪物は光に弾き飛ばされた。
アマデウスが目を開けると辺り一面真っ白な光の世界に居た。
「母様・・・。」
「久しぶりね、アーデ。」
そこに立っていたのはアマデウスの母ウルスラだった。
「母様・・・、母様!」
ウルスラの姿を目にしたアマデウスは駆け寄りその胸に飛び込むように抱き付いた。ウルスラは黙ってアマデウスのことを抱きしめた。
「母様、どうして!」
「ごめんなさい。これまで大変な目に合わせて・・・。この刀に私の力の一部を込めていたのよ。刀は人の思いを力に変えてくれるのよ。」
ふふっ、といたずらな笑みを浮かべたウルスラだったが次の瞬間には後悔に顔をしかめた。
「あなたにはアリスのこともあの人のことも任せてしまって本当にごめんなさい。でも私にはあの人を殺すことは出来なかった。・・・どれだけ変わってしまってもあの人のことを
愛していたから。だけどあの人は多くの人を殺めたわ。今のあの人は決して許されてはならないわ。だからお願い、あの人を止めてあげて。それが出来るのはあの人の敵で私の息子のあなただけだから。」
アマデウスの手を握るウルスラの両手はひどく震えていた。
「・・・わかっています。あの人は僕の父様です。僕はあの人のことも母様のこともちゃんと乗り越えてアリスとミスティルの皆と先へ進みます。」
アマデウスが強く握り返すとウルスラの手の震えが止まった。
「ありがとう・・・ありがとう、アーデ。」
ウルスラは零れ落ちそうになった涙を拭い笑った。
「そうだわ、これは母として守り刀としてあなたへのサポートよ。」
ウルスラはアマデウスの腹に開いた穴を手で覆うとゆっくりと念を込めた。手を外すとアマデウスの腹に開いていた穴は見事に塞がっていた。
「あくまで応急処置よ。とりあえず塞いだだけだから終わったらちゃんと見てもらうのよ。」
「はい。」
「それじゃ、行ってらっしゃい。」
光の世界は消えエーラムル盆地内の台地にアマデウスは立っていた。腹を触るとそこに穴はなく守り刀は沈黙したまま左腰に据えられていた。
「グウオオオオオオオオオオオオ!」
弾き飛ばされた怪物は今立ち上がり大刀を振り上げアマデウス目がけ走り出す。
アマデウスは静かに童子切を構えると細く長く息を吐いた。
「もう、終わりにして先に進みましょう。」
ガキイイインン・・・・・。
アマデウスは突撃しながら怪物の振り下ろした大刀に合わせ童子切を振るった。
シュンッ・・・・・・・・・サク。
怪物の手にある妖刀は真っ二つに折れ、先端は宙を舞い地面に刺さった。すると妖刀はその場でバラバラに砕け塵になって空へと吹き上げられていった。
妖刀が砕け散ると怪物の体に吸収されていた妖気も吐き出されニルスの体は元に戻った。
その様子を見届けたアマデウスは息絶えるようにその場に倒れた。