第三章
第三章 アリス妹
世界有数の王国『メルマリア』、その西側領域外には大きな森を見ることが出来る。森の中央付近には丸く開けた土地が存在する。そこに生えた大木を住処とした一つの集団、それこそがアマデウス、アリス兄妹が新たに迎えられる『ミスティル』である。
つい先ほどまでゴブリンやオーガで構成された闇ギルド『レッドファング』の襲撃を受け戦闘が繰り広げられていた広場では新人歓迎会という名の宴会が開かれていた。
「アーデもアリスももっと食べな。クーは料理だけは一級品だからね!腹いっぱい食べな!」
「ちょっ、姐さん。料理だけってどういうことですか!俺は戦闘技術も男としても一級品ですから!」
「ぷぁは~。」
「全然聞いてないし。ってそれ何杯目ですか!最近お酒が洒落にならないぐらい高いんですから加減してくださいよ。」
食費の管理を担うクルトからすれば大蟒蛇のアルヴァは頭痛の種である。今日もすでに大きな酒樽を三つも空にしている。
「クー、あんたは馬鹿か。新しく二人も家族が増えたんだ、こんな時に飲まないでいつ飲むって言うんだい。」
「いつもなにも毎日飲んでるじゃないですか。少しは家計も気にしてくださいよ。」
「クー、あなたわかってないわね。この飲みっぷりの良さもアルヴァの魅力でしょうが。」
「ヘレン、お前・・・。」
アルヴァのことを言いながらヘレーナもくいっと一〇本目の冷酒を飲み干した。
「それに今日はお金の心配しなくても大丈夫なのよ。」
「ああ?どういうことだ。」
「ん。」
ヘレーナが立てた指の先にはろくに下調べもせずに『ミスティル』に喧嘩を売った結果一人残らず返り討ちにされた『レッドファング』たち五〇〇人が無造作に積み上げられていた。
「こいつら小悪党の割りにいい値段かけられてるのよ。自衛団にとっても悩みの種だったんじゃないかしら。事件は小さいけど件数が多いから一般市民からもかなり苦情が出てたみたいだし。一番の戦力だったトロール兄弟も居るし頭の悪いボスも幹部も居るみたいだから二〇〇万ナクロぐらいにはなると思うわよ。」
「まあそれならいいか。」
二〇〇万ナクロ。ヘレナの言葉に一人耳をピクリと反応させた者が居た。
「あの~ヘレン姉?」
「何?どうかしたの、ラウラ。」
腰をかがめた状態で両手を擦り合わせながら近づいてきたのはラウラだった。
「ははーん。さては『戸陰』の借金まだ返してないんでしょ。」
「いや~、お恥ずかしい限りで。」
「で、今幾らになってんの?」
「それが、こんなけ・・・。」
ラウラはヘレーナだけに見せるようにこっそりと人差し指を立てた。
「なんだ一万だけ?つまらないわね。」
「いやいや、そうやなくて・・・。」
立てられた右手の人差し指に左手で作られた○がそっと近づけられた。ラウラは差し出す自分の両手からも顔を背けていた。
「うっそ、十万?ぷははは、あなたよくそんなに踏み倒せるわね。あの店長相手に大したものよ。」
「アルヴァ姉とクー先輩には言わんといてな、店長よりもあの人らの方がおっかないわ。」
わかったわかったとでも言うようにヘレーナは優しい笑顔でラウラの肩を二度叩いた。
「さすがヘレン姉。おおきに!で、そのお金なんやけど・・・」
「クー!ラウラが『戸陰』への一〇万の借金立て替えてくれってー!」
「うおおい!言ったそばから何大声でリークしてくれてんねん!誰も家族内放送なんか求めてないっちゅうねん!」
「家族に隠しごとなんてナンセンスでしょ。」
人差し指を立てウインクするヘレーナはアイドルの笑顔並みのうさんくささだった。
「ラウラてめえまた借金して飯食ってやがったのか。もういっそ食えねえように手斬っとくか。それか外に出れねえように脚斬るか?」
「いや、クー先輩?『同田貫』はないんじゃないっすかね。いや冗談じゃなく死ぬっすよ。」
愛刀の黒刀『同田貫』の刃を見せながら近づいてくるクルトは死神のようにすら見えた。
「全く、あんまりご店主に迷惑かけるなっていつも言ってるでしょ、大概にしときなさいよ。」
「いやアルヴァ姉はもうちょっと気合入れて怒らなあかんやろ!あんたの娘が借金して人様に迷惑かけてんねやから!・・・ってなんでうちがこないなこと言うてんねん!」
(なんでもかんでもツッコミ入れて、ホンマにうちはアホやなー)などと自ら墓穴を掘り進めたこと後悔しつつラウラはこの後二時間は続くと思われるお説教タイムを覚悟した。
「すでに全て片付いてしまった後のようですね。」
突然広場に聞こえた声は『メルマリア』王国の治安を守る自衛団団長エルランド・メランデルのものだった。
「エルランドさん、どうしてここに?」
「おお、アマデウス君。私たちはここで暴れているという『レッドファング』の討伐に来たのですが、遅かったようですね。」
「今更何しに来たのかしら、エルランド。」
「やあ、アルヴァ久しぶりですね。『レッドファング』の連中がここで暴れているという情報を聞いて来たのですが。」
「それ何年前の情報かしら?あいつらならそこよ。さっさと引き連れてバカな国王の所へ帰りなさい。」
「いくらあなたと言えど国王様をバカ呼ばわりするのはやめなさい。」
もう一人、広場へと入ってきたのは自衛団副団長エイラ・メランデルだった。
「エイラさん。」
「こんにちは、アマデウスさんアリスさん。昨日ぶりですね。」
「あれ、エイラ?久しぶり~。一緒に飲みましょ。」
「ヘレーナ、そんな下品な飲み方は辞めてください。私はまだ勤務中ですので飲酒は出来ません。」
エイラの姿を見て宴会に誘いに来たヘレーナはすでにグラスなど持たずにラッパ飲みをしていた。
「アルヴァ、あなたのせいでヘレーナがまた品を損なっているのですが、どうしてくれるのですか!」
「いや、そこまで私に面倒見ろと言われてもね~。上品にしたところで疲れるだけだし自然体で居ればいいんじゃないかしら。」
昨日アマデウスが出会った時の真面目で芯が強い鉄のような女性のエイラはどうやらアルヴァのことが受け入れ難く否定したい存在のようだった。
「アマデウス君。君もこいつらと戦ったのですか?」
「いえ、僕は最初の何人かとトロールを二人倒しただけです。後はアルヴァさんたちが。」
「そうですか。」
エルランドは積み上げられたゴブリンたちの体を見て何かを確認しているようだった。
「アマデウス君、今日私が試験をしておきながら言い難いんですが、君さえ良ければ自衛団に入りませんか?」
思いがけない申し出にアマデウスは固まってしまった。
自衛団は国営組織で給料がよく各団員にはその家族構成に見合った部屋が家具付きで貸与される。他にもいくつかの特権や特典もあり多くの国民がその一員になることを夢見る栄誉ある集団である。だが、そんなことはもうアマデウスにとってはどうでもいいことだった。
「・・・・・すみま」
「エルランド、悪いけどアーデはもう私の息子なの。」
アマデウスが口を開いた瞬間、アマデウスの顔はアルヴァの胸の谷間へと仕舞い込まれた。
「やはりそうでしたか。」
「だから私は言ったのです。団長との試験結果など気にせずにあの場で合格にしておくべきだと。アマデウスさんは感覚が鋭いようですから必ず『ミスティル』のメンバーになると思っていました。この人たちは問題も多く抱えていますが皆さん優秀でメンバーの絆も強い。素敵なチームだと私も思います。」
「エイラ・・・あなた本当はただのツンデレだったのね。可愛いやつめ~。」
よしよしとヘレーナがエイラの頭をなでるとエイラは恥ずかしそうにその手を振りほどいた。
「別に、私は事実を述べただけのことです。」
「照れずともよいのだよ、君~。」
うりうりと無理矢理にエイラの体を抱え込みヘレーナが頭を撫でていた。
「そうですね。私もエイラに同意です。ですがせっかくこうして知り合えたのですからどんなことでも相談してくださいね。私もアマデウス君やアリスさんの味方ですから。」
「はい、ありがとうございます。」
一体いつ振りであろうか、アマデウスの心は温かな感情で満たされていた。昔に感じたことのある感覚。これが幸せというものなのだろうとアマデウスはゆっくりと心のぬくもりを感じていた。
「さてと、私たちは罪人を連れて戻るとしましょう。エイラ。」
「はい、団長。」
エイラが風魔法を詠唱するとゴブリンの山はゆっくりと上昇を始めた。エイラとエルランドの体も続けて宙に浮かびあがった。
「ヘレーナ、皆さんお元気で。」
「アルヴァ、楽しむのは構いませんがあまり羽目を外しすぎないでくださいね。」
各々の言葉を残しエルランド、エイラとゴブリンの山は王国の方へと飛んで行った。
その後。エルランドの注意などアルヴァの耳には届いてなど居らずこの日うっすらと空が明るむまで新人歓迎会は続けられた。
早朝、日が昇ると広場は最高の陽だまりとなり動物たちが体を目覚めさせに集まってくる。眩しい日差しと小鳥のさえずりでラウラは目を覚ました。
「んん・・・。あ、ててて。頭痛っ!やっぱ皆ピュアヒューマン純人間のうちとは比べものにならんな。全員酒強すぎやわ。」
昨晩は結局アルヴァの一人早飲み大会だのヘレーナの長ったらしいうんちく付き利き酒選手権だの、あげくは自棄になったクルトが大酒樽の一気飲みをしていた。ラウラはと言えばアルヴァたちがアマデウスたちに酒を飲ませないように見張りながら普通に食べて飲んで大笑いしていた。満足気に大の字で寝るアルヴァににやけ顔で何か寝言を呟いているヘレーナ、泣きながら寝ているクルト。アリスもアルヴァの胸にしがみついて寝ているところを見ると大分打ち解けてくれたようだ。
「ホンマ昨日は楽しかった。クー先輩はなんで泣きながら寝てんねや?なんや不憫やわ。・・・ん?アーデは?」
皆で揃ってそのまま外で寝ていたはずだがそこにアマデウスの姿だけがなかった。
―――ひゅん。
近くを探すラウラの耳に湖の方から風切り音と芝を踏み鳴らす足音が聞こえた。広場の中で一際強く朝日が差し込むそこに多くの動物たちに見守られながら舞を舞うアマデウスの姿があった。
水浴びをした後なのか髪からは水が滴り着用している襦袢は肌に張り付いていた。一振り舞うごとに髪や襦袢、刀からは水が払われ光を反射しながら飛んでいく。見守る動物たちは身動き一つせずじっとアマデウスの舞を見つめていた。
「随分と早起きなんやね。」
アマデウスの舞が終わるのを待ちラウラが声をかけると動物たちは一斉に森の中へと駆けていった。
「あ、ラウラさん。おはようございます。」
「おはよう。今のは?戦いの時の型みたいなもん?」
「いえ、今のは正真正銘ただの舞です。母様との約束で毎朝清水で体を清めた後舞を舞うのが日課なので。」
アマデウスは寂しそうに笑った。
「そうなんか。・・・なあアーデその刀、見せてもらってもええか?」
「えっ、あ、はい。どうぞ。」
手に取ると感じられる重さは見た目よりはるかに重い。刃は美しく刃こぼれ一つない。何か変わった刀だった。刀自身が持つ独特の存在感、人を傷つけるために作り出された物が持つ殺気にも似た重圧がこの刀からは一切感じられなかった。
「これ、守り刀やんな?」
「!・・・・どうしてわかるのですか?」
「まあうちも鍛冶師の端くれやからな。でも、鍛冶師やなくてもこの刀が人を傷つけるために作られたんと違うっていうんはわかるよ。こないにも恐怖を感じひん刀なんて見たことあらへん。」
「それは僕の刀が鈍だってことですか?」
「いや、むしろその逆や。刀としての質は超一級品にもかかわらず誰も傷つけようとせず誰をも受け入れようとしとる感じがする。存在感とその外側に纏っとる雰囲気がちぐはぐなんや。・・・この刀、一体誰からもろたん?」
アマデウスはラウラから刀を手渡されると見つめたまま少しの間黙り込んだ。
「・・・この刀は、僕が初めてこの舞を教わった日に母様からいただいた刀です。母様が僕のために打ってくれた、僕だけの刀。」
「せやけど、その刀では戦われへん。だから敵にやって刃は向けへん。そうやんな?」
「ラウラさん、気づいていたのですか?」
「うん、最初にアーデがオーガ相手に戦ってた時からな。あんときは『こんなやつ斬るまでもねえ』みたいな自己陶酔しとる痛い子供か思とったけどな。やけどエルランドさんと戦っとる時も刃向けてへんかったからな、なんか理由あんねやなって気づいたんよ。」
「鋭いですね。・・・・・ラウラさんは御神刀ってわかりますか?」
「確か大昔、まだ神なんかが信じられとったころに打たれとった、魔やら厄やらを断ち切るお守りみたいな刀、やったっけ?」
「はい、大体そのようなものです。用途に関しては色々ですがこれは神前で舞を奉納するときに使用する儀式用の刀です。刀は人が強い思いを注ぎ込んで作られています。また、美しい刀や多くの功績を上げた刀は他の人々の思いも受け崇拝の対象となるのです。それはかつてこの世界を統べていたとされる神が強大な力を持つ経緯と同じなのです。すなわち人はその刀を手に舞を舞うことで神に近しい所まで上り、願いを伝えることが出来るとされています。」
あまりにも突拍子のない話にラウラは唖然としていた。儀式?崇拝?神?実力、強さだけがすべてのこの世界でそんな不確かな存在があり得るわけがない。この子はまだ幼いから現実を理解できていないのだろう。ラウラはそう判断しようとした。的確に相槌を打ち相手の話を気持ちよく喋らせてあげる、これこそが大人の対応だとラウラは相槌を入れた。
「なるほどな~。」
「・・・いいですよ。こんな世界で神だなんて話をしてもわかるわけがありませんでした。すみません。」
十歳の子供に心無い相槌を見抜かれた挙句気を使われてしまった。ラウラは恥ずかしさと敗北感それから少しの苛立ちを感じた。黙り込んだラウラを他所にアマデウスは地面に置いてあったタオルを手に取ると頭をしとやかに拭き始めた。
「神なんかホンマに居ると思うんか?」
「ッ!」
考えるよりも先に言葉が出ていた。この場で言ってはいけない言葉だとわかっていたのにもかかわらず。それでも、ラウラには許すことが出来なかった。神の存在を肯定する言葉を。
(神なんてものがもしホンマに居るならそいつはうちにとって敵でしかない。)
姿は見えずどんな能力を持っているかもわからない攻略不可能な敵、そんなものの存在を認められるわけなどない。
「居ます。母様が居ると言っていましたから。」
「でも、そんなんアーデの母ちゃんが間違っとるかもしれんやん。」
「それはあり得ません。ラウラさんは母様に会ったことがないからそんなことが言えるのです。」
「なら、ならアーデの母ちゃんに会わせてえや。」
「それは出来ません。」
「なんで!」
「母様はすでに亡くなっていますから。」
「え・・・。」
この瞬間ラウラを熱くさせていた何かが一斉に引いていった。ピュアヒューマン純人間として生まれ家族も失い常に最弱の存在として孤独に生きてきた、自分の人生が最悪だと、自分の気持ちのわかる者など絶対に居ないとそうずっと思っていた。
「僕とアリスは四年前に故郷と家族を失いました。一人のとても気味の悪い男が村に火を放ち村の皆を、家族を皆殺しにしたのです。母様はその時僕たちを逃がすためにその男に殺されました。」
タオルを被ったままのアマデウスの表情は見えない。それでも彼がどんな顔をしているのかラウラにはわかる気がした。
「アーデ、ごめん。」
「・・・。」
俯いたまま黙り込む二人の間、気まずさだけが時を刻んだ。
「ははは!この話、誰かにしたの初めてです。どうしてでしょう、ラウラさんには話たい気になってしまいました。・・・どうしてか僕の言葉を僕と同じように受け取って感じてくれる、そんな気がしました。」
この時見せたアマデウスの笑顔はすごく大人びて感じた。安心と不安を同時に感じていながらその両方を塞ぎ込んで作ったような笑顔だった。
その笑顔に対してラウラは不器用な作り笑いを浮かべることしか出来なかった。
「なあ、アーデたちはなんでこの国に来たん?」
ずっとアーデはこの国の自衛団に憧れて来たのだと思っていた。だがそんなのはラウラの勘違いでもっと他に目的があるように感じられた。幼い子供が二人で故郷と家族を失った後四年かけてこの国までやってきたのだから。
「それは・・・母様のように強くなりたかったからです。」
一瞬躊躇うような間があったもののアマデウスははっきりと言葉にした。
「母様は最後に『これから先アリスはあなたが守りなさい』そう言って僕に一冊の日記を渡してくれました。」
タオルと一緒に置かれた上着の懐からぼろぼろになった一冊の日記を取り出し見せてくれた。
「日記には母様が結婚するまでのことが書かれています。訪れた国や出会った人、訓練や戦いの記録。・・・僕は一人でアリスを守れるほど強くはありません。これまでだって戦った数より逃げた数の方がずっと多いです。でもそれは二人だけだから出来たことです。だから母様のように多くの人を守れる強さが欲しくて、アリスに安心できる場所を作ってあげたくてこの国まで来たのです。」
アマデウスが見せてくれたページには『メルマリア王国』で過ごした日々のことが書かれていた。強い国王、確立された自警団体、豊かな資源。一五年前のメルマリア王国の様子がアマデウスの母の感想を交えて記されている。
ラウラよりもはるかに若い彼がこれまでに何を見てきたのかそれは想像も出来ないが、少なくともただ長く生きてきたというだけの自分がこの子のためにしてあげられることなど何もないように感じられた。
(あの小さい背中にどんなけ大きい思い背負い込んでんねやろ。うちやってもうアーデの家族や、一緒に背負ってあげたい。)
「ア、」
「ラウラさん!」
「は、はい?」
「クルトさんが家で呼んでるので僕先に行きますね!」
「・・・ああ、また後で。」
「はい!失礼します!」
まだ開きっぱなしになっている入り口の向こうでクルトが手招きをしている。頭を下げるとアマデウスは心底楽しそうにクルトの元へと走っていった。
(まあ、あない楽しそうにしとるし、ここに居れば大丈夫か。)
自分だけではアマデウスの助けにはなれずともここにはアルヴァもヘレーナもクルトだって居る皆でアマデウス、そしてアリスのことを守り支えていこう、そうラウラは心に誓った。
朝入り口の修理をした後、アルヴァの起床を待って全員で昼食をとる。アリス以外の人と一緒に食事するのもアマデウスにとっては家族と過ごしていた四年前以来のことだった。暖かな料理が埋め尽くす食卓、それを囲む人たちもまた暖かな笑顔に溢れていた。大したことは何もないただの世間話に日常会話。それでも気の置けない者同士のどこまでも自然で隔たりのない会話は聞いているだけで顔をほころばせてくれた。
「どうだチビ助。俺の作る飯はうめえだろ!」
さっきまで最早『恒例の』と言いたくなてしまうヘレーナとの小競り合いを繰り広げていたクルトがアマデウスの顔を覗き込んできた。
「顔がにやけちまうほどうめえってか。お前わかってんな~、もっと食え食え!」
勝手に理解したクルトはフォークで肉の塊を突き刺すとアマデウスの口に押し込んできた。下味に使われた香辛料たちの幾重にも重なった奥深く腹の虫を十二分に興奮させる豊かな香が口内から食道を通過し胃袋に充満する。『早く噛みしめ飲み込め』と急かす虫を抑えつつ肉に歯を入れる。表面はこんがりと焼きあげられていながら中は舌で押せば身がほぐれるほどに柔らかく甘みの強い脂がどんどんあふれ出してくる。
「ふごく、おいひいれふ~。」
幸せ指数の急上昇でアマデウスの顔は完全に緩み切っていた。暖かい料理に新しい仲間、自分を心から受け入れてくれる場所、『ミスティル』にはそう感じさせる何かがあった。
「兄様、アリスも!」
隣を見ればアリスが大きく口を開けて待ち構えていた。
「ん~。」
アリスの口に合うように小さく切り分けた肉をアリスの口へと運ぶ。料理を噛みしめると頬に手を当て幸せにとろけきった笑顔を浮かべていた。
(アリスのこんな笑顔、きっと僕だけじゃ見なられなかったですね。)
これまでアリスを守って生きてきたアマデウスにとってアリスの笑顔は何よりも幸せを与えてくれた。アリスに言われたものの自分の好奇心から『ミスティル』入りを決めたアマデウスはアリスが今の状況を受け入れてくれるのかどうかが気がかりであった。だがそれもアリスの笑顔を見れば杞憂だと思えた。
ヘレーナから頬っぺたを弄ばれても全く気にも留めずアリスは口の中の幸せを噛みしめ続けている。昨晩も宴の中皆と一緒に食って飲んで踊って笑い転げていた。もしかするとアマデウス以上にアリスの方が馴染んでいるかもしれないとそう思ってしまうほどであった。
(ミスティルの皆さんならあの事も・・・)
「アーデ。」
アリスをいじっていたヘレーナは突然その手を止めるとアマデウスへと興味を移した。
「は、はい。なんですか?」
アリスの幸せそうな顔に気を取られ考え事をしていたアマデウスは突然の声かけに慌てて取り繕うように返事をした。
「観光、行こっか。」
『君たちの知らない大人の世界を教えてあげよう』などと若い女子に声をかける怪しいオヤジのような仕草を交えつつヘレーナはアマデウスとアリスを連れ出した。
「いやー、アリスとアーデがついて来てくれて本当によかった。一人だと退屈だったから。」
アマデウスたちを連れ出したヘレーナは大した説明もなく一人上機嫌に先頭を歩いていた。
「あのー、観光ってどこに行くんですか?」
「ああ、観光ね。うん、行くよ。でもその前に一つだけお使いに付き合ってね。」
笑顔でそう言うとヘレーナは鼻歌混じりにまた先頭を歩き始めた。
前を歩く一人の女性の見た目は他より薄い色素を含めても違わずエルフである。高い魔力に優れた剣術、おまけに妖術まで扱える彼女。戦力としては喉から手が出るほどの存在に違いない、そんな彼女がどうしてエルフたちの国『エルゲンホルム』ではなくここ『メルマリア』に居るのか、それもこんな少人数の集団『ミスティル』に属しているのにはどんな理由があるのか。アマデウスはどうしてもそれが気になっていた。
「ヘレンさん、一つ聞いてもいいですか?」
「うん?何かな?」
「ヘレンさんはどうして『ミスティル』に居るんですか?」
楽し気に上下するヘレーナの体が一瞬制止した気がした。
「ヘレンさんだけじゃありません。アルヴァさんもクルトさんもあんなに強いのですから、今の世界どんなところも欲しがる逸材だと思うのです。それなのに皆さんが『ミスティル』に居る理由は何なのですか?」
アマデウスが口を閉じた後も少しの間ヘレーナは黙ったまま歩みを進めた。
「・・・そうね。皆には皆の理由があるんだろうけど私がここに居る理由は、私が私で居ることを求めてくれる場所だから、かな。」
「私が私で居る?」
「私ぐらい美人で強ければ世界中で求められるのはもちろん当たり前のことなんだけどね。それはエルフの魔法であって私じゃない。雪女の妖術であって私じゃない。エルフと雪女の情報を持つ稀有な遺伝子であって私じゃない。ヘレーナ・フェーリーンを求めてくれるのは『ミスティル』だけなのよ。アーデはまだ小さいからよくわからないかもしれないわね。この世界では力のない人は力のある人に押しつぶされてしまう、だけどたとえ力を持ってもそこには多くの責任と敵が生まれる。そういう世界なのよ。」
アマデウスにも幼いながらに理解できるところはあった。
故郷と家族を失って四年二人はいくつもの国や村、集落を渡り歩いてきた。多くの集団に属し生き繋いできたがそのそこにも二人の名前は存在しなかった。二人だけじゃないその場に居るほとんどの者が一握りの上位の者の力の一部でしかなかった。中途半端な力では力を持たないことと同じ。その場の全てを叩き均すほどの力が無ければ自身の存在を証明すること不可能、それこそがこの世界での習わしだった。
ヘレーナが横目に覗くアマデウスは檻の中、自由に飛ぶことが出来ずに苦しんでいる鳥のようだった。
ヘレーナの足は王国の中心街へと向かっていた。その道中アリスが興味を持つたびに色々な店に立ち寄った。そしてその全ての店でヘレーナは親し気に挨拶を交わし誰もが笑顔でそれに答えていた。初対面のアマデウスとアリスに対しても『へー、あなたたち『ミスティル』の新入りさんなのね。じゃあこれ、お近づきの記しに。』などと敵対心も猜疑心もなく声をかけ、おやつまで無料でくれた。
「皆さんお知り合いなのですか?」
「まあね。私たちは自衛団やギルドとは違って直接依頼を受けてるからね。その分依頼主との距離が近いのよ。まあアルヴァの方針なんだけどね、『依頼主の心の見えない依頼は受けない』だそうよ。」
「全然意味が分かりません。」
「ぷはは、そうよね。要は気分の問題って話みたいよ。気分が乗れば受けるし乗らなきゃ受けない、それだけのことよ。」
まだ知り合って一日しか経っていないにも関わらずアマデウスの中でも『気分の問題』ただそれだけの説明で妙に納得が出来てしまった。
「さ、目的地に着いたわよ。」
立ち止まるヘレーナに合わせて前を向くと目の前には大きな円形の建物があった。セメントの厚い壁に鉄の扉、そして何よりその大きさにアマデウスとアリスは上を向いたままで居た。
「ふふ、驚いた?ここが『メルマリア』のギルドホールよ。」
ギルドホールと言えばクエストの発受注に達成報酬の支払い、メンバーの募集に応募、腕に自信のあるありとあらゆる種族の者が集まる場所である。当然大柄で体格の良い者も多く集まるが流石に大きすぎる。入り口の高さは三階建ての民家ぐらいはありそうだ。
「『メルマリア』にはね巨人族のギルドもあるのよ。それで入り口もこれだけ大きく作ってあるって訳。」
「はー。」
昨日対峙したトロールも大きく感じたが巨人は全く比べものにならない生き物のようだ。姿の想像さえ追いつかずアマデウスの口からは空気が漏れるような力ない返事が出ていた。
「さ、入りましょ。」
ヘレーナは呆気に取られている二人の手を引くとホール内へと歩みを進めた。
三人が扉に近づくと扉は自動で開き中へと招いてくれた。
「?」
「あの扉はねホールの稼働時間内は登録された人間であれば通してくれるのよ。アーデとアリスの登録ももう済んでるはずよ。」
「??」
ヘレーナの話ではあの扉は魔法道具の一種らしい。アマデウスたちのホールへの登録については権力を持ったあの人がしてくれたとだけヘレーナが言っていた。
ヘレーナからクエストボードや受付カウンター、闘技場に訓練場、浴場に酒場、緊急時用の転送魔法陣など各所を案内してもらった。まるで巨大複合施設のようでアマデウスもアリスも楽しんでいたのだが、アマデウスには終始気になっていたことがあった。
「どう?楽しんでもらえたかしら?」
「はい。・・・あの・・・ヘレンさん。」
「ん、どうしたの?」
少し回りを伺い口をつぐんだ後、アマデウスは小声で尋ねた。
「ここに来てからずっと僕ら他のギルドの方ににらまれているようなのですが、どうしてでしょうか?」
「ふふん、気づいてたのね。」
「当たり前です!一人残らずこちらを見ていたら誰だって気づきます!」
興奮気味にアマデウスが訴えるとその陰でアリスもしきりに首を縦に振った。
「それもそうね。まあ、彼らが私たちを見てる理由はそのうちわかると思うわ。私たちは私たちの用事を済ませましょ。」
ヘレーナは周りの人間など道端の小石同然とばかりに気にも留めずにホール奥へと歩みを進めた。ホールの最奥、最後のドアを開けると中には誰も居らず厳かな空気が流れていた。突き当りの壁にはドアなどはなく窓口が一つ空いているのみだった。それまでとは全く異なる景色に緊張するはずなのだが、アマデウスはそれとは違うもののせいで緊張していた。
「ヘレンさん、どうしてあんなところに、あんなものがあるのでしょうか?・・・・その、・・・棺桶が・・・。」
アマデウスが指さした先、窓口から人一人分ほど空けたところで壁に立てかけられていた。郵便受けのように内開きの窓が一つ付いただけの真っ黒で飾り気のない棺桶、しかしその下部には小さな車輪が取り付けられており、不気味なのだか滑稽なのだかよくわからない珍品と化していた。
「あら?もう着いてたのね。アランが時間通りなんて珍しい。」
「えっ?ヘレンさん、あの棺桶と知り合いなのですか?」
「まあねー。」
ヘレーナは揚々と棺桶まで近づくといきなり蓋に手をかけ棺桶を開いた。
「おっはよー!アラン!」
勢いよく開け放たれた棺桶の住人はTシャツ一枚に自衛団の制服を羽織りズボンは裾を七分丈の長さまで捲ったラフスタイルで本を読んでいた。
「さっ、私らも到着したんだからちゃんと仕事しなさい。」
閉ざされた空間を開け放たれ声をかけられてもなお読書に耽る住人からヘレーナは本を取り上げた。
「あーもう!何をする!今ちょうど良いところだったというのに!」
いきなり手を離れた本を追うように住人は飛び起きてきた。背丈は一六〇㎝半ば、筋骨隆々というわけではないが骨肉のしっかりとした体格をしている。丸顔にくりくりとした瞳の幼い顔つき肌は白く開かれた口の中には尖った牙が二本左右に見て取れた。
「・・・ってヘレンか。遅かったな。あまりに遅いから一冊読破するかと思ったぞ。きゃは。」
「アランがいつも通り遅刻すると思って合わせてあげたのよ。」
クルトなら間違いなく頭に血を登らせているであろう皮肉もヘレーナにとってはセンター返しクリーンヒットの棒球でしかなかった。何を言おうと敵わないと知っているアランは早々に白旗を振った。
「で、そっちの二人が例の新入りか?」
「そ、アマデウスにアリスよ。二人とも、こちら自衛団の副団長アラン・オークランス。世界でも数少ない純血のヴァンパイアよ。」
アランの言葉をきっかけにヘレーナがお互いの紹介をする。完全に初対面であるはずのアマデウスとアリスのことをアランはすでに知っているようだった。
「あの・・・どこかでお会いしましたか?」
「いいや、正真正銘初対面で間違いない。」
「?」
「アランはね、君たち二人の個人情報をギルドホールに登録してくれたのよ。つまりデータの上ではすでに彼はあなたたちに会ってたってこと。」
ヘレーナが何を言っているのかアマデウスたちには全く分からなかったがそれとなく頷いておくことにした。
「首は縦に振ってるけど全くわかってないって感じね。まあいいわ。それよりもアラン、報酬の受取がここってだけじゃなく、あなたが直接報酬支払の立ち合いに来たってことはかなりの高額報酬になったってことよね?」
――――ニヤリ。とアランはヘレーナの問いにいやらしい笑顔で答えた。
「・・・おい。飼い犬に野良犬が仲良く一緒に出てきたぜ。」
ギルドホール最奥の多額報酬受取所から戻ってきた四人+棺桶を出迎えたのはホール内でアマデウスたちに視線を送り続けていた他ギルドのメンバー約三〇人だった。
「これはこれは我らが同胞諸君。こんなにたくさん一体どうした?」
アランが悠々と大きな態度で迎えると一人の大柄な熊のハーフヒューマン混血人間が奥からのそりと姿を現した。
「いやなに、俺たちも働き相応の報酬をいただこうと思いまして参上しただけですよ、副団長様。」
「働き相応の報酬?一体何の話だ?」
「何を仰いますか。今そこのハーフエルフの姉ちゃんたちが持ってる袋に入ってるレッドファングの討伐報酬ですよ。」
ギルドホール最奥、多額報酬の受取所から出てきたヘレーナとアマデウスは各々大袋二個と中袋一個を担いでおり、その中身はジャラジャラと音を立てていた。
「これは彼女らがレッドファングの幹部陣を含めた構成員の多くを討伐し、チームを壊滅させて得た報酬だ。その報酬がどうしてお前たちに関係あると言うんだ。」
食事を前にした猛獣よろしく我慢の限界などとっくに超えている男どもを前にアランは飄々と事実だけを告げる。だがそんな対応では余計にクレーマーのボルテージを高めることになるのは火を見るよりも明らかだった。
「ふざけんじゃねえぞ!これまでに俺たちが討伐したレッドファングの報酬の四〇倍はあるじゃねえか!きっちり分け前はいただくからな!」
「分け前?お前らの討伐数はたったの一五、それも何の情報も持ってない末端の者ばかりだろ?それに比べミスティルの討伐数は五〇〇、その中にはトロール兄弟のような主力や幹部のほとんどが含まれていた。その結果が素直に報酬金額に現れただけのことだ。それのどこに不満がある?」
理路整然。事実に基づいた至極最もな話だが、だからと言って大金を目の前に素直に受け入れる者などその場には居なかった。
「くそっ!話の分からねえ奴だ!所詮は親の七光り、自分の力で生きたことのないボンボンの飼い犬には何を言っても無駄か。」
「それがどうかしたか、この世界力を持ってこそだろ?なら親の力であろうと使わねば勿体ない。それに俺は今の立場を気に入っている、飼い犬と呼ばれようがそれで結構。」
のれんに腕押ししたような手ごたえのなさ。裕福な家庭に育った子供だからこそのゆとりなのかそれともアランの心の強さが成す業なのか。どちらにせよアランの態度が男どもをさらに苛立たせていることは間違いなかった。
「くくっ。そうか、そうだな。確かに、この世界力が全てだ。ならここで俺たちが力づくで金を奪おうともこの世界ではそれも純然たる正義ってわけだ。」
熊男の言葉を合図に男たちは武器を手に構えた。相手は三十人、昨日五〇〇人の襲撃を目の当たりにしているアマデウスからすれば何ともない数のように思える。しかしだからと言って楽な相手なわけではないゴブリンやオーガを相手にするのとでは話が違う。
「ヘレンさん。何だかあの人たちやる気になっていますけど大丈夫なのですか?」
「大丈夫大丈夫。あれぐらいアランに任せとけばいいのよ。」
左腰に携えられた刀に手を添えつつアマデウスはヘレーナにそっと耳打ちをするがヘレーナはけたけたと笑い流した。
「ちっ、てめえはへらへら笑ってんじゃねえ!だいたいてめえらみてえに生まれ持った力だけで遊んで暮らしてる奴らにくれてやる金なんてねえんだよ!ふっ、その金だって本当は我らが国王様が身内に向けて出したお小遣い何じゃねえのか?ああ?」
大きな賛同の声が男どもから上がる。ミスティルに対した罵声が飛び交う中、アランは打って変わって黙り込んでいた。
「何だ図星か?これだから生まれ育ちに恵まれた奴らは・・・。国王の親族にエルフにウェアウルフ狼人間、そこのガキどももどうせ大層立派な育ちをしてるんだろうよ。どうせ国から甘い蜜だけ吸って自分じゃ何もしてねえんだろ?なら、」
「・・・ていろ。」
「あ?はっきりものも言えんのか。」
顔を俯けたまま呟くアランの顔を覗き込もうと熊男が近づくとアランは勢いよく顔を上げた。その瞳は赤く輝き、髪は風に煽られているかの如くなびいていた。
「少し黙っていろとそう言ったんだ!」
「ッ!」
先ほどまでそこでのらりくらりとしていた青年は姿を消し確かな強者の空気を纏ったヴァンパイアがそこに居た。突如目の前に現れた強者の存在に熊男はその場に腰を抜かした、はずだった。地に落ちるはずの尻はその影を強めず、熊男の体は宙へと浮かんだ。
熊男は首元を掻きむしりながら宙にぶら下げられる。その体はアランの差し出した右腕に合わせその高度を上げた。
「お前に彼らの何がわかる。彼らの歩む道にある苦痛、苦悩、憎悪、後悔、お前に理解出来るものがひとつでもあるのか。俺や親父の事を何と言おうが別に構わん。だが彼らのことをお前が口にしてよい理由など微塵もない。知っておるか、彼らがどれだけこの国の・・・、国民のために、」
「アラン!」
アランが右の拳を握りこむ寸前、ヘレーナが声を上げた。熊男は地面に落下し、アランはまた元のやる気の感じられない青年に戻っていた。
「・・・げほっ、げほっ。てめえ、自衛団の副団長様が善良なる一般市民に手ぇ上げて、ただで済むと思うなよ。」
咳込みながらも最後まで食って掛かる熊男にアランは身をかがめて口を開いた。
「俺は公共の場で武器を抜いたギルド所属者を制圧しただけのこと、何が悪い。」
元の事実だけを口にした切り返しであったが先ほどのヴァンパイアの姿が焼き付いた男どもは手にした武器も投げ出し一目散に逃げだしていった。
「まあ・・・、その・・・、さっきは悪かった。」
「ん、んん、んぐんぐ。うん、まあいいわよ、別に。」
ギルドホールの職員たちへの謝罪と騒ぎの後処理を済ませたアランはアマデウスたちを連れて『戸陰』へとやって来ていた。
「あの、さっきのは結局どういうことなのですか?」
「さっきの?」
「はい、そのーうまく言えないんですけど『ミスティル』の皆さんは一般市民の方々にはすごく親密にしていただいているようなのにギルドに入ってる同業者?の方々には恨まれてる、と言うか嫌われていたみたいなのですが・・・。」
「あー、まあね。あれは醜い男の嫉妬よ。」
「嫉妬、ですか?」
「そう、アーデもさっき言ってたけど私たちって結構貴重な戦力なのよ。だからだいたい皆欲しがる、でも手に入らない。それならどうするか。」
ヘレーナは皿に盛りつけられたわらびもちの内一つだけを取り分けそこにきな粉と黒蜜をかけると、それを黒文字で指しながら話した。
「・・・排除する。」
アーデは少し嫌そうな顔でデコレートされたわらびもちを見つめた。
「そっ。自分の味方にならない、でも力があるそんな奴邪魔者以外の何者でもないからね。それに私たちはホールでの仕事は受けてない。他のギルドからすれば一体どこで仕事を受けてるんだってなるわけよ。」
ヘレーナはアーデが見つめるわらびもちを黒文字で刺すとそのまま口の中へと運んだ。
「依頼主と直接やり取りをするから他のギルドは何もわからないの。そしてここにも依頼主が直接来てるってわけ。」
ヘレーナがそう言って視線を送った先に居たのは自衛団副団長アラン・オークランスだった。
「アランさんが依頼主、ですか?」
「そっ、さあさっさと本題を話しなさい。」
「そうだな。勿体ぶったところで仕方のない話だ。・・・ヘレン、今この国で起きている連続殺人は知っているか?」
「ええ。事件が起きてるってことぐらいわね。今は確か・・・七件だったかしら?」
『メルマリア王国』で現在起きている連続殺人、全ての被害者は夜間一人で居る所を襲われ一撃で命を奪われていたという。目撃者は一人も居らず手がかりは未だに何一つ得られていない。
「いいや、九件だ。」
「九件?」
「ああ、昨晩うちの団員が二人殺された。」
「二人も、ですか?」
「ああ、一人はアマデウス、君も知っている者だ。五番隊特別攻撃部隊員アードルフ・オーグレーン。」
アードルフ・オ―グレン、昨日行われた自衛団入団試験の受付に居た男で水牛のハーフヒューマン混血人間である。アマデウスとは入団試験絡みで一悶着あった記憶に新しい相手だった。
「昨日、君との一悶着があった後、夜中まで一人で訓練していたらしくてな、今朝訓練場で死体が発見された。」
戦いが全て、そう言っても過言でないこの世界では誰かが死ぬことなど呼吸をするように当たり前のことではあるが、前進するべく努力を始めたばかりの者の道が閉ざされたと聞くとその無念に心が痛んだ。
「それで、もう一人は?」
俯きこぶしを握るアマデウスに代わってヘレーナが言葉を続けた。
「五番隊隊長ハンス・ルンベックだ。」
「ハンスがっ!」
九人目の被害者を耳にして声を上げたのは『戸陰』の店主だった。
「おじさん知ってるの?」
「知ってるも何も俺の部下だった奴だ。俺が面倒見てきた仲じゃずば抜けた天才だったんだが・・・。」
『メルマリア王国』で軍がまだ機能していたころの分隊長であり幹部の一人であった店主は軍を退役するまでに多くの部下を育成している。『戸陰』に来る客も教え子やその知り合いがほとんどだった。
「ハンスは・・・、力の限り戦って死んだのか?」
店主の声からは悲しみこそ感じられたが怒りや憎しみは全く感じられなかった。育てた部下の多さはそのままに失う部下の多さになる、店主がハンスの死に怒るにはこれまでに失った命があまりに多すぎたようだった。
「今回も目撃者は居ない。だからハンスの死に様は誰にもわからないが、状況から察するにアードルフと敵との戦闘を目にして駆けつけたようだ。部下を目の前で殺され怒り、戦い、そして命を落とした。彼の性格からしてそんなとこだろう。」
アランの話ではハンスの剣は切断されその切断面と同じ傾きでハンスの体にも斬り傷が刻まれていたという。傷はその一本のみ犯人の一閃を受けた剣もろとも右肩から左腰まで一直線に斬り込まれていた。
「そうか・・・・・。」
「それで、私たちにどうしろって言うの?」
静まり返る空気に割って入るようにヘレーナが話を前へと進める。
「実は事件の間隔が縮まったここ二週間、自衛団では国内全域で夜間の巡回を行っていた。そんな中一昨日の七件目が起き、昨晩の巡回では数を倍にして国内の巡回に臨んだ。その瞬間に足元を掬われた。おまけに敵は五番隊隊長を負かす程の手練れだ。どうしても力のある者の協力が要る。手を貸して欲しい。」
真っ直ぐに力強い瞳がヘレーナに向けられる。
「そこまで必死に戦うのはどうして?自衛団が王国を守る立場だから?それとも国王や政府、自衛団の信用を保つため?」
アランの熱い視線に対し、ヘレーナは冷え切った瞳を向けて尋ねた。
「いいや、仲間のためだ。」
瞬き一つせず、アランは即座に回答した。そのまま数秒の沈黙が場を流れていった。
「わかったわ。アルヴァに言っておくわ。夜間の巡回にも参加するし戦いになれば全力を提供してあげる。」
「ありがとう。助かる。」
「いいのよ。でも、どうするの?何も手がかりないんでしょ?それじゃあ仮に街中ですれ違ったとしても気づきようがないわ。誰かが殺されてからじゃ遅いでしょ。」
ヘレーナの心配も当然である。敵のことが全く分からなければ備ることなど出来るわけがない。敵がこちらを認識しているにも関わらずこちらは相手を認識できないのでは確実に後手に回ることになる。そんな状態で自衛団の隊長に勝る敵と戦う等心配で然るべきである。
「敵の手がかりだが、公に公開されてはいないが二つだけわかっていることがある。」
「つまり、不特定多数の人に知られては困る情報ということ?」
「いや、国民に不安を与えないためだ。」
「どういうこと?」
「とりあえずは手がかりについて聞いて欲しい。まず一つ目だがこれは切り裂き魔が狙う対象についてだ。奴が狙うのはある程度の力を持った者だ。そしてその力の程度は数を重ねるごとに大きくなっている。」
そう言ってアランが差し出した紙にはこれまでの被害者が事件が起きた順に記されていた。
「あの、この名前の横に書かれた数字は何ですか?」
アマデウスが指したのは用紙に並べられた被害者の名前の右隣にそれぞれ記された数字、上から順に八七三、六五二、五九四、四一二、二〇六、一四三、八三、一二と並んでいる。
「そうか君はこの国に来たばかりだから知らないのか。この国では年に一度王国最強を決めるランキング戦が開かれる。これは去年のランキング戦の結果、つまりはこの国で何番目に強いかを現した数字だ。」
ランキング戦は国民からの事前に行われる推薦投票の上位一〇〇人と希望者全員で行われ多い年では三〇万人以上が参加する。
「三〇万人の内の一二位、すごいですね。」
「だけど、その一二位がやられてるのよ。」
「まあランキング戦の順位がそのまま強さの値になるわけでもないがな。力があっても出場しない奴も居るからな。」
アランのじとっとした視線がヘレーナを捉えていた。
「あら、どこかの血液オタクも推薦出場を蹴ってなかったかしら?」
ヘレーナはふんっと鼻を鳴らしながら嘲笑混じりに視線を返した。
もし出場していれば勝つのは自分だと強く主張する意地たちがぶつかり合いを披露していたが、ヘレーナが呆れたように溜息を一つこぼし再び数字の並んだ用紙に視線を落とした。
「・・・それにしても、まるで力試しでもしてるみたいね。」
ヘレーナは用紙に書かれた数字の列を指ですうっとなぞった。
「やっぱりそう思うか?」
「まあね。だけど、仮に一二位が相手にならなかったのだとすれば私たちでも危ない相手ってことになるわね。」
グッ、と空気が重くなる見えない敵の大きさに体が強張り視線が下がっていく。
アリスの左手を握る右手にも力がこもる
「それでも・・・戦闘において、アルヴァやエルランドさんに勝てる生き物がこの世に存在するとは思えないのよね。」
重たくなった空気の中ヘレーナは随分と簡単に、軽い言葉を放った。それでもその言葉がシリカゲルかの如く空気中の重さを吸収してくれた。
「そうですよね。あの二人ならたとえドラゴンが相手でも一撃で仕留めてくれそうです。」
安心したアマデウスは優しくアリスの手を握りなおした。
「それが、そうとも言い切れない状況なんだ。」
重さのとれた空気の中、アランだけが重く言葉を引きずっていた。
「どういうこと?何か根拠があるのかしら?」
「ああ、そしてそれこそが二つ目の手がかりだ。」
二つ目の手がかり、公には発表されない切り裂き魔への糸口、その二つ目。
「奴は妖力を使う可能性が高い。」
妖力、ヘレーナのような雪女や世界崩壊の兆しと言われる九尾の妖孤のような妖怪やそれに相対する陰陽師やエクソシストが戦いに用いる力。精霊や人体が保持する自然エネルギーに役割を持たせ変換・生成する魔力と異なり強い感情に起因した攻撃や呪いに特化した力とされている。
「被害者の体に残された傷から妖力が検出された。これまでの者からも同様に検出はされたもののその濃度は大したものではなかった。それが昨日に至っては到底無視できるレベルではなくなっている。」
「妖力か・・・、それは確かに公には出来ない情報ね。」
「ああ、この情報が国民に知れれば心を乱すことになる。大きな不安や怒りそれに悲しみや憎しみは妖力の源にもなる。そうなれば敵はより力を増すことになる。」
アマデウスにも多少なりとも妖力の知識は有りここまで聞けばどういう事態が起こっているかは明らかだった。
「つまり敵は強化系の妖術を使っていて、標的としているのはただ力のある人ではなく妖力を高める贄としてより高純度の者、ということですね。」
「・・・そういうことだ。・・・・・君らも気をつけろ。」
いきなりに事の本質を突き話題を二段飛ばしに進めた少女のような少年、資料では知っていたし実物もこの目で確認をした。なのに捉えられない何かがある、アランにはそう思えて仕方がなかった。
『君らも気をつけろ。』そう言ったアランの視線はアマデウスではなくその陰に隠れたアリスへと向けられていた。アマデウスは身構え固唾を飲んだ。
「俺は敵を捕らえられればそれでいい。君らに干渉するつもりはない。君らを守る役目は『ミスティル』の連中に任せるさ。」
何かを知っている、そんな口ぶりで話しながらもそれ以上言及する様子もないアランにアマデウスはその身の緊張を解いた。
「・・・うんまあ、ヘレン一応君も気を付けな。」
アランがヘレンの方へ向き直ったあと、心配の言葉をかけるまでにはブランクが五秒ほどあった。
「せめてもう少し心配そうに言いなさいよ。」
『はあ、わかってはいたけど・・・。まあありがと、そうするわ。』とヘレーナは何かをあきらめたかのような溜息をつきつつもお礼は素直に口にしていた。クルトの時とは違ってはいるがヘレーナとアランの間にも分かりあえているものがあるように思えアマデウスにはただただ羨ましく思えた。
「敵は強い、その上まだ力を隠している可能性が高い。十分に気をつけて事に臨んでくれ。」
「力を隠してるのはこっちも同じことよ。私アルヴァが本気で戦ってるところなんて見たことないから。」
「もちろん、うちの団長も同じことだ。」
「ということなんだけどどうかな、アルヴァ。」
アランと別れ、『戸陰』へのツケの精算を終えた三人は『ミスティル』のファミリーハウスに帰宅した。ヘレーナはすぐに面々を集め自衛団から受けた依頼の話をした。
「そうか、切り裂き魔の事件は耳にはしていたがそこまでの大事だったとはな・・・。もちろん受けよう。文句はないな、クー。」
「当たり前っすよ。やられた仲間の無念に立ち上がるなんてサボり魔のアランのくせに男見せるじゃないっすか。」
すでにボルテージの上がりきったクルトに確認などもはや不要であった。
ヘレーナがアランへ任務の承諾を連絡を入れ、改めて任務内容の詳細を確認が行われた。
ミスティルからはクルトとヘレーナのA班にアマデウスとアリス、ラウラのB班が巡回を行う。各班員はお互いの状況が確認出来る距離を保ちつつ個人行動の形をとる。敵と遭遇した場合には戦闘行為は極力避け時間稼ぎに努める。接敵が確認されると直ちに西側はアルヴァ、東側ではエルランドが応援に駆け付ける手筈となっている。巡回の開始時間は午後十一時。それまでは各人心身と装備の準備に当たるようにとのことだった。
午後十時任務開始時刻まで残り一時間。
今朝と同じくアマデウスは湖の側で刀を手に舞を舞っていた。
ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、・・・ヒュッ、ヒュヒュン。
今朝とは異なりギャラリーの動物たちの姿は一つも見えずアリスだけが静かに見つめていた。クルクルと移り変わる景色の中アリスの姿が時折現れては消える。舞を舞ってる最中アマデウスの頭の中ではアランとの会話が思い返されていた。
『奴は妖力を使う可能性が高い。』
『標的としているのはただ力のある人ではなく妖力を高める贄としてより高純度の者・・・』
『君らも気をつけろ。』
(アランさんが僕たちを、特にアリスのことを心配したことは間違いなく正しいことです。)
ヒュヒュン、ヒュン、ヒュッ、ヒュヒュン。
(敵が本当に純度の高い強力な妖力を求めているのであれば今夜の標的は間違いなくアリスです。)
ヒュヒュヒュヒュン、ヒュヒュン、ヒュン、ヒュヒュヒュッ、ヒュヒュン。
(恐らく僕よりも強い敵、それなら、)
ヒュッ・・・
「おいおい、随分と血気盛んな刀じゃねえか、チビ助。」
速度の上がった刀はクルトの左手の人差し指と中指に挟まれピタリとその動きを止められていた。
「ご、ごめんなさい。考え事をしていてクーさんが来ているのに全然気づかなくて、その、本当にごめんなさい!」
クルトがアマデウスの刀を止められていなければ今頃クルトは隻眼になっているところだった。動きを止められた刀はクルトの左眼球まで五㎝のところに置かれていた。
「何だ何だ、任務直前だからって緊張してんのか?ガチガチじゃねえか!」
ガハハと大笑いしながらクルトは大げさにアマデウスの背中を叩いて言った。力加減のわかっていない仲間の鼓舞にむせたアマデウスは地面にしゃがみ込み咳き込んいた。
「けほっ、けほっ、えほっ、・・・はあ、はあ。・・・・・クーさんは緊張しないんですか?」
呼吸が落ち着くとしゃがみ込んだまま顔も上げずに尋ねた。
「はあ?緊張?バカ野郎、そんなもんするわけねえだろ。逆境?危機?どっちも俺の大好物だからな。」
「なんでっ!・・・・・どうしてですか?敵は何者でどこから襲いかかってくるかもわからない、もしかすると自分では何をどうしても勝ち目がないかもしれないのですよ?」
クルトならそう答えるだろう、そう思っていたのに、耳にした理解し得ない回答に心が体が反抗的な態度を示した。アマデウスは一息置き逸る心をなだめると再びクルトに尋ねた。
「小せえ、小せえなチビ助。」
突然に大きな声を上げたクルトにアリスは驚いてファミリーハウスの方へ駆けていってしまった。
「クーさんの方が背、小さいです。」
アマデウスは拗ねたように顔を背けて言った。
「ううう、うるせえ!俺が言ったのは身長の話じゃねえんだよ!てか小さくねえ!俺の方がデカイわ。」
いやクルトの方が小さい。ぶっちゃけ一五㎝ほど。
「いえ、それはどうでもいいんですが、それなら何が小さいのですか?」
「おまっ、どうでもって・・・。はあ、小せえってのは身長のことじゃねえ。男として小さいって言ってんだ。」
「?」
「『何を言ってんだこの男は、』って顔してんなあ、オイ。・・・いいか、男のデカさは心のデカさだ。どんな面倒、どんな危機も全部受け止めるだけの心のデカい男になれ。だからな、男なら格好つけろ。どんな逆境に陥ろうが笑って立て。」
クルトの瞳は静かにしかし熱く燃えている。クルトが語る言葉もまた熱を持ちアマデウスの心に飛び込みその熱を広げた。『一言も漏らすことなく耳に通しその全てを心に焼きつけろ』と本能が告げる。
「限界を知って尚その上を行け。自分にはまだ先があると信じろ。格好つけるってのはそれを態度に示した結果だ。敵の姿が見えないからなんだ、自分より強いからなんだ。そんなもの限界でもなんでもねえ。死にたくねえなら、守りたい者があんなら、乗り越えろ。限界なんてものは死んだ後に決めろ。」
まだ一〇歳のアマデウスにでも理解できる。今この瞬間こうして語るクルトはどこまでも格好いい。それでも、どれだけ強く憧れようと高く望もうと、すぐにそうなれるわけではない。一度自分で心が引いてしまった限界という境界線は踏み越えることが、踏み越えようと足を上げることが出来ない。
「僕は、アリスのことを母様から任されました。どんな窮地に立たされても守りたいです。それでも、僕より強いアルヴァさんやエルランドさんよりも強いかもしれない敵に勝つなんて出来ません。だけど、アリスだけは死んでもっ、」
死んでも、その先の言葉をアマデウスは発することが出来なかった。腹部に強烈な痛みを受け言葉は失われた。そのまま前に傾くアマデウスの体をクルトの小さな体が力強く受け止める。
「死んでも守る?刺し違えて危機を乗り切るのか?それとも自分の命を代わりに差し出すのか?どっちにしろそんなものはただの甘えだ!その危機が人生で最後のものなのか?代わりに守ってくれる誰かが居るのか?もしそのどちらでもないってのならお前が死んだ後誰がアリスが守るってんだよ、ああ?」
確かにクルトの言う通りだった。アリスの身に及ぶ危機が今日限りになる保障など全くなく、アマデウス以外にアリスを任せられる身寄りは当然なく頼ることの出来るアテもない。
「なら、どうすればいいのですか!家族も仲間も友達だって一人も居ない、アリスを生涯守りきれるだけの力も持っていない僕に!一体何が出来るって言うのですか!」
のどの痛みを感じて初めて、自分が叫んでいることに気がついた。家族や仲間、生まれ育った村、アリスだけを残し全てを失ったあの日。アリスを守り生きていくと決めたあの日から四年間、自分の感情を塞ぎこみ他人と深く関わることを避け続けたアマデウスにとって初めてのことだった。どうにかしたい、でも力がない。何一つ諦めてはいけない、なのに他に選べる選択肢がない。どれだけ心が前進・飛躍を望もうが頭と体がそこにブレーキをかける。アマデウス・レンクヴィストという一人が引きはがされバラバラになっていく。離れかけた心は冷たく冷えていった。
「だから言ったじゃねえか。どうすればいいか、今の自分に何が出来るかなんて考えなくていいんだよ。大事なのは何が出来るかじゃねえ、何をしたいかだ。・・・・・それにお前はもう一人じゃねえだろ。」
とんっ。
アマデウスの胸にクルトの右の拳が当てられる。じわり、とクルトの温もりが拳を通してアマデウスの心を温めていく。
「アーデにはもう姉さんやヘレン、ラウラに俺だって居る。いざって時はお前たちの事は俺たちが守ってやる。デカくなり過ぎてお前ひとりじゃ支えきれない心だって一緒に支えてやる。だからお前は先だけ見てればいい。」
心が温かい。頭は冴え体も軽くなっていく。昨日、トロールと戦っている時にも感じた感覚、さっきまでとはまるで違う。強く望み行動すれば何でも出来る。求めれば全てを手に入れられる。そんな感覚が全身で感じられた。
「心のデカさってのは容れ物の大きさだ。てめえ一人でどこまででも大きく出来る。でもな、心の強さって中身のことだ。でもな、こいつに限っては自分じゃどうしたって詰め切れねえ、手と足の数みてえに限りがある。だからな他の人に詰めてもらうんだ。てめえの心の中にどれだけ多くの人の顔や名前、声や言葉が入ってるか。絶対に守りたい人の数がてめえの心の強さだ。男としてデカくなれ。そんでもって、人として強くなれ。」
もう一度、クルトは右の拳を握りなおしもう一度アマデウスの胸に当てた。この時アマデウスの胸に伝えられたのは温もりだけでなくしっかりとした重みがあり熱く硬いクルトの思いも伝えられた。
「さあ、そろそろ出発しねえとな。一度家に戻るぞ。」
このときクルトの小さな背中がとても大きく見えた。
アランから指定された集合地点は王国の中心街にある自衛団の本部前であった。
「ミスティルの皆、協力を快諾してくれて本当にありがとう。犯人を捕まえるまでの間よろしく頼みます。」
自衛団本部前でミスティルのメンバーを待っていたのは、自衛団団長のエルランドに副団長のエイラとアランだった。
「別にお前のために来たわけではない。御託はいいから早く仕事の話をしなさい。」
エルランドに対するアルヴァの容赦のない発言にエイラが目くじらを立てるがエルランドはそれを制止した。
「だけど、自衛団の団員のために戦ってくれるのですよね?それならばやはり、ありがとうと言わせてほしい。」
そう言って頭を低く下げお辞儀をするエルランドの姿は彼が本当に心の美しい人なのだと場に居た全員に再度思わせてくれるものだった。
「待たせて申し訳ない。詳しい説明をしましょう。」
ミスティルのメンバーはアルヴァを除き二手に分かれ王国の西側の巡回エリアの内二ヶ所を担当する。各担当区画内にてさらに二手に分かれ体裁として一人の状況を作る。パートナーとはお互いの姿は確認出来ないがどちらかに襲撃があれば物音で気づき即座に駆けつけられる位置を保つように、とのことだった。敵の姿を確認した際に救援信号を発する簡単な発信機を手渡された。発信機同士が半径一〇〇m以内にあれば青いランプが点灯し近づけばより強く光る、それを頼りにパートナーとの距離間を保つとのことらしい。
自衛団の他のメンバーについてはすでに巡回に出ているらしく敵もそろそろ動きを見せ始めるころかもしれないとも言っていた。
アマデウス・アリスとラウラのチームはB班は王国の中心に比較的近いところにある商業地区が巡回エリアとして割り当てられた。
巡回エリアの中には日中にヘレーナやアリスと訪れた店が見られた。足を止め店の前に立つと昼間の光景がすぐに思い出される。威勢のいい声のおじさん、おやつをくれたおばさん、素敵な笑顔で頭を撫でてくれたお姉さん。昼間の光景とともにファミリーハウスを出発する前のクルトの話が思い出された。
『心の中にどれだけ多くの人の顔や名前、声や言葉が入ってるか。』
(名前は聞けていませんが顔も声も交わした言葉も全て心に入っています。)
思い出した人たちは皆戦いから離れたところで生きる、他人に優しくすることの出来る心の穏やかな人ばかりだった。そんな人の存在こそがアマデウスがこれまでに訪れた他の地域にはない『メルマリア王国』の素晴らしさだと思った。だからこそ、
(この国の人たちを守りたい。)
アマデウスは強く心に思った。
とにかく巡回に戻ろうと体を動かすと右の袖が引かれた。
「アリス?」
振り返るとアリスが胸元を握り締め息も荒く苦しそうにしていた。
「兄・・・様。ここ・・・何か、・・・・・変。」
それだけ告げるとアリスはその場に倒れこんでしまった。呼吸も苦しそうにではあるが出来ているし心音にも異常な乱れはなかった。それだけにアリスが倒れた理由が分からずにアマデウスは手に汗を握った。
「ぎゃはっ!」
背後から気味の悪い笑い声が辺り一帯に響き渡った。アマデウスが周囲を見渡すと辺りは濃く霧がかかっていた。その中アマデウスの視線の先一〇〇m程、一つの影がこちらに近づいてくるのが見えた。
「ぎゃはは・・・。やっと見つけたぜ!すげえ、すげえ妖気の塊じゃねえか!」
狂気の声を発しながら近づく影はゆっくりとその姿を露わにする。足首まである真っ黒いローブ、大きめのフードを被った深い猫背の人影。声からしておそらく三〇歳後半の男だと思われる。その男は両腕をだらりと垂らしたまま体を左右に揺らして前進する。ローブで体のラインが隠れてしまっているが、背は一七〇㎝前後肉付きは極端に悪く必要最低限の筋肉しかついていないように思われる。その風貌の不気味さ以上にその手に持たれた武器がそいつを敵だと体の髄から感じさせた。垂れ下げられたローブの袖から覗く黒と赤を身に纏う刀。黒と言ってもクルトの持つ同田貫の黒、裏表もなく真っ直ぐな誠実さとはまた違う印象の黒だった。ただただ黒いそこに意味を持たず何も知らない無垢ゆえの生まれながらの黒、まるで全てを飲み込んでしまう闇のような黒だった。そして刃文から刃の部分、人を斬る部分のみが濁った血のようなくすんだ赤に身を染めどうしようもない不気味さを纏っていた。敢えて思いを込めずに打たれた刀、刀本来の役割『斬る』それ以外には何も覚えさせられていない刀は刀工の腕がそのままに現れる着ることに関して最弱にして最強の刀だ。
(あの人が切り裂き魔に違いありません。)
アマデウスはフードを被るとアリスを背後に庇い、エルランドから手渡された救援用の発信機のボタンを押した。
「ちょろい!ちょろすぎるぜ!全く何をしているんだ国王様はよお!」
霧のカーテンを斬り裂くように刀を振るい切り裂き魔はアマデウスの視界にはっきりとその姿を現した。
「さあて、本日も妖気をいただきますか。・・・って、ああん?てめえは一体何だ、何で気絶してねえんだあ、おい!」
『本日も妖気をいただきますか』目の前のローブの男は確かにそう言った。その風貌から確信はしていたが男の口から発された言葉でさらに裏打ちがされた。そしてアリスが意識を失ったのも体の異変などではなくこいつの仕業、その事実にアマデウスは少し安心した。
「ていうか何だあ、こいつ。一切妖気が感じられねえじゃねえか。さっきのデケエ妖気はどこだよ!」
男はアマデウスを視認するとあからさまな苛立ちを見せた。
「あなたがここ最近の九件の殺人は全てあなたの仕業ですか?」
アマデウスはその場に立ち上がりながら男に尋ねた。
「ああそうか。妖気を蓄えてんのはそっちの奴かあ!」
深いローブの下で瞳が覗く。ギョロッとした下卑た瞳がアマデウスの足元に向く。その瞳はアマデウスの後ろ、横たわるアリスに向けられていた。
「妖気を求めて人を立て続けに殺しているのはあなたですか!」
アマデウスはアリスへ伸びる視線を遮るように立ちなおすと声を強め再び尋ねた。
「ああ?だったらどうなんだよ。安心しろ、どういうわけか知らねえが妖気を持たねえてめえには用はねえ。俺が用があんのはそっちのメスの方だからよお。」
アリスを見て男は口元に気色の悪い笑みを作り舌なめずりをしてみせた。アマデウスはそんな男に強い怒りを感じた。
「この子は僕の大切な妹です。なので、あなたのような汚れた人に渡すことは出来ません。」
背後に大切な者を感じながら、アマデウスは刀を構えた。
「そうか、邪魔するってんなら容赦はしねえぜえ。昨日途中で邪魔しに来やがった奴みてえにさくっと殺してやるよ。」
『昨日』、昼間にアランから聞いた憶測は正しかった。ハンスはやはりオークランスを助けに入りこの男と戦いそして殺された。
「何のために、何のために殺したのですか?」
アマデウスは怒っていた。昼間ハンスの死に怒るアランや悲しむ『戸陰』の店主を見たことで強く思った。『たとえこの世がどれだけ戦いに溢れ、力こそが全てであるとそう思われても、強者が正義、弱者は悪、そんな世界であってはいけない。命を奪う行為は等しく悪でありそれは裁かれ赦されなくてはならない』と。
「理由なんてねえよ。邪魔だったから殺した、それだけだ。道端に転がってる石ころを蹴飛ばして何が悪い?辺りに沸く虫を殺して誰が困る?てめえもこれから同じように殺されるんだぜ、そんなこと気にしてる場合かよお!」
男は奇声を上げながらアマデウス目がけ飛び込んできた。
「あなたには僕と一緒に舞ってもらいます。」
「わけのわからねえこと言ってんじゃねえぞ、ガキい!」
男は走り込んだ勢いを乗せた突きをアマデウスの喉元目がけ打ち込む。
「どこに打ってるのですか?」
男の突きは空を打ち、アマデウスは男の背後に降り立った。
「オラア!」
男は体を振り向かせずに乱暴に腕・刀だけを振るう。アマデウスはしゃがんでこれを潜るとそのまま体を回転させ男の脇腹に左の後ろ回し蹴りを入れた。
家屋の壁に突っ込んだ男はガラガラと音を立てる瓦礫の中から起き上がる。
「やってくれんじゃねえか、ガキがあ!」
瓦礫から飛び出した男はアマデウスに直接突っ込まず自分の間合いギリギリで制止、攻撃へと移った。アマデウスのリーチの外一方的な攻撃にさらされるアマデウスであったが、アマデウスはこれを刀で受け流しもせずに全てを躱していく。全ての斬撃の軌道を予め教えられているかのようにその身に掠めることもしない。
ひらひらと斬撃の間を舞うように簡単に躱し続けられることに苛立つ男の斬撃はより大振りになっていった。アマデウスは大振りになった攻撃を一つ一つ躱すごとにその間合いを詰めあと一歩で刀が男を捉える距離にまで詰めていた。
ニヤリ。
男の口角が一瞬吊り上がった。その次の攻撃が振るわれた瞬間、
シュッ!
男の袖口からは投げナイフがアリス目がけ飛びだした。
「おら、どうした!てめえの大事な妹が死んじまうぞお!」
男の叫びに後押しされるようにナイフはどんどんアリスに迫る。
キンッ!
先ほどまで男の斬撃を躱していたはずのアマデウスが一〇mほど離れたところに居るアリスの手前で男の放ったナイフを弾いていた。
「はあ?何なんだてめえはよお!」
「あなたのような人のやることぐらい簡単にわかります。」
「くそがあ!」
男は走りこんでくるアマデウスに対しさらに三本の投げナイフを放つがアマデウスは走りながらにいとも容易くこれら全てを弾いた。男が四本目を手にした時にはアマデウスはすでに目の前にまで詰めて来ていた。アマデウスは男の左手首を叩くとそのままに次の一撃を打ち込む。
男もアマデウスの攻撃に対抗しようとするが辛うじて繰り出す斬撃もアマデウスの影さえ捉えられず一方的にアマデウスの攻撃だけが次々と撃ち込まれた。
「・・・・・らねえ。」
ぞくっ。
体の左側に異様な感覚を感じたアマデウスは即座に距離をとった。
「気に入らねえ、ああ、気に入らねえ。何なんだてめえの戦い方はよお!ひらひらとこっちの攻撃を躱すだけ躱しておいててめえは刃をこっちに向けることすらして来ねえ!人のことをバカにするのも大概にしとけよ!ガキ相手にこの手は使うつもりなかったのによお。てめえもう死ねよ。」
男の言葉に呼応するようにさっき感じた異様な感覚が鼓動を打ち大きくなっていく。それと同時に男の手にした赤い刃は不気味に光り始めた。
「行くぞおらあ!」
ダンッ!
男が一歩踏み切ると瞬時にアマデウスとの距離を詰め刀を振り下ろした。アマデウスは辛うじて刀で受け流すと反撃の一打を打ち込む。
「それじゃもう効かねえんだよ!」
だが、男はアマデウスの一撃を体に受けたままアマデウスを蹴り飛ばした。アマデウスは飛ばされながらも態勢を立て直し追撃に来る男を迎え撃った。
一撃目こそ受けたもののその後は全ての攻撃を受け流し逆にアマデウスの方が男に攻撃を入れていた。しかし男の言葉通りに刀による打撃は効いている様子がなく男はすぐに反撃に出てきた。
「いい加減死んどけえ!」
男はアマデウスの攻撃を無理矢理に受けながら攻撃を繰り出そうと腕を振り上げた。
「次の一撃は出せませんよ。」
アマデウスのセリフが魔法であったかのように振り上げられた男の腕は止まった。アマデウスは銅像のように直立したままの男の首に全体重を乗せた一撃を打ち込んだ。
男は再び家屋に叩きこまれたが、今度は瓦礫が降る中しゃがみ込み俯いたままで居た。
(これなら、僕一人では倒すまでは行けなくても援軍が来れば必ず倒せます。)
救援信号を送ってから一〇分が経とうとしていた。
「ぎゃはは、ぎゃははははは!そうか、そういうことか!どうしてこんなにもムカつくのかようやく分かったぜえ!」
男は突然に笑いだすと勝手に何かを理解したと言い出した。アマデウスには一体何のことを言っているのかさっぱりだったが援軍を待っている今、勝手に時間を無駄にしてくれるのは有難かった。
「俺はてめえによく似た戦い方をする女を知ってる。そしてそいつは俺がこの世で一番憎かったからなあ。てめえがそいつと被ってムカついて仕方ねえ!」
(僕に似た戦い方をする女の人・・・)
アマデウスは自分と似た戦い方をする女性など一人しか知らなかった。そもそもその女性から教わったのだ、アマデウスに似ているのではなくアマデウスが似ているのだ。
「ま、そいつも四年ほど前に俺が殺して今はこの世に居ねえけどな!」
四年前、アマデウスとアリスの故郷が襲撃され母親が殺された年だった。
「まあ安心してなあ。お前もすぐにその女の元に送ってやっからよお。」
よっこらせ、と瓦礫の中から立ち上がる男の体はまた一段と大きくなりローブの丈が脛辺りまでになっていた。
「・・・あの時、母様を殺したのはあなたなのですか?」
アマデウスの声はひどく冷めていた。瞳からは青みが抜け紫色に近くなっていた。
「あいつにガキが居たなんて知らねえなあ。だがてめえがあいつのガキだったとして、俺があいつを殺してどうだってんだあ、んん?」
男はアマデウスを煽るようにわざとらしく笑みを作り挑発する。
ギンッ!
次の瞬間、アマデウスは男に対し一撃を打ち込んでいた。男もそれに反応し刀を合わせ受ける。
「どうして・・・・・どうして母様を殺したのですか!」
大の男を相手に刀を押し込みながらアマデウスは怒りに満ちた声を上げた。
「ぎゃはは!さあなあ、昔のこと過ぎて忘れちまったよ。」
ぎりりと奥歯を噛みしめアマデウスはさらに刀を押し込む。
「おいおい、あっちは気にしなくて大丈夫なのかあ?」
男はアマデウスに押さえつけられながら顎で方向を指す。アマデウスもその方向に視線を向けるとそこには、
「ウ、ウウウ~。」
地面にうずくまり苦しむアリスの姿があった。
「アリス!」
アマデウスが声を上げた瞬間、男はアマデウスを押し切りバランスを崩したところを殴り飛ばした。
アリスのそばまで飛ばされたアマデウスは定まらない焦点でアリスの姿を探した。
漸くアリスの姿を捉えるとアリスの髪は白く染まっていた。
「アリス!どうしてっ!」
「おいおい、どうしてじゃねえだろうよお。これだけ濃い妖気の中に居るんだ。そりゃあ、出て来ちまうわなあ。俺としちゃあ何ともねえてめえの方が不思議でならねえぜ。」
瓦礫から出てきた男はさらに一回り大きくなっていた。
(まだ強化されるのですか・・・。これでは儀式用の守り刀でダメージを与えることなど・・・。)
アマデウスが手にしている刀は元来舞の奉納の際に用いられる儀式用の刀、それを彼の母親が守り刀としての意味を持たせ鍛え持たせたものである。守り刀と言っても物理的あるいは魔法的な優れた防御力を持っているわけではない。神的あるいは霊的な加護を望んだ極めてスピリチュアルな代物であり、力こそが全てのこの世界においては付加価値は全て無力でただの鉄の棒と同等の扱いになる。もちろん、アマデウスはこのことをわかっていた、わかった上で母親の形見であるこの刀を使い、アリスと己が命を守り続けてきた。だがそれも限界が来ることはわかっていた。もっと多くもっと長く、命を望むにはただ防ぎ守るだけのちから刀だけでは足りない。
(・・・・・援軍はまだですか。もう到着していもおかしくないはずなのに。)
救援信号を送ってからかれこれ一五分が過ぎていた。エルランドの話ではもう当人が到着している時間だ。なにより一番近くに居るはずのラウラが来ないことがおかしかった。
「一つてめえに教えといてやるよ。援軍なら来ねえ。」
「!」
「てめえが俺の姿を確認したときに救援を出してんのは知ってんだよ。ここの霧、これなあ妖気を濃く混ぜてあんだよ。だからなあこの場所は外からじゃ歪んで見えねえようになってんだよ!もちろん電波の行き来も出来ねえ。」
ここが隔離されている以上ラウラの援護は期待出来ないが逆を言えばひとまずラウラに危険が及ぶこともない、アマデウスはそう思った。
「俺はそっちのメス妖気を手に入れたらこの国を亡ぼす。他の奴らもすぐに殺しててめえの所に送ってやるから安心して死ね。」
(他の奴ら?それは誰のことですか。アリスですか?アルヴァさんですか?それともヘレーナさん?クルトさん?ラウラさん?エルランドさん?エイラさん?アランさん?戸陰の店主さん?今日会ったお店の人たち?)
アマデウスの頭の中を色んな人の顔が、名前が、声が、言葉が駆け巡る。胸が熱い。
ドクン。
「誰を殺すと言うたか?」
「誰って、てめえとてめえの妹とこの国の他ぜんい、ん・・・」
男は途中で言葉を失った。
「おいおい、ふざけんじゃねえぞお!その力、てめえマジであの女のガキだってのか!どこまで俺のことを馬鹿にしたら気が済むってんだ、ウルスラあ!」
アマデウスの瞳は深い紫に染まりその体は淡い光に包まれていた。男は天に向けて声を荒げながらも手足は震え腰も抜けかけ強化されていた肉体も元に戻っていた。
「うぬごときがわしの家族や親しき者をわしから奪おうと言うのか?一度ならず二度までもわしの家族を手にかけるとは、到底赦されることではない。うぬには今ここでその命に終わりを告げてもらうぞ。」
下卑たものを見る目、表情も口調も先ほどまでのアマデウスとは全くの別者だった。
振り上げられた刀は刀身を白く輝かせ空を覆う霧を払った。
―――――ゴォッ!
アマデウスの刀が振り下ろされようとしたその瞬間男の間に光の壁が走った。
「っ!」
見覚えのある光を目にしたアマデウスの瞳は青紫に戻り、体を覆っていた光も光の壁の勢いにかき消されるかの如くなくなっていた。
光の壁が走ったことで妖気の霧は散らされ壁が消えたときには男の姿もなくなっていた。
「アマデウス君!」
「エルランドさん。」
光の壁が走ってきた方向からやってきたのはエクスカリバーを手にしたエルランドだった。エルランドの姿を確認したアマデウスは全身の力が抜けたようにその場に座り込んだ。
「おいおい、一体なんだってんだこの荒れようはよう。」
さんざん人を叩き込んだ家屋の主人も霧が晴れたことで初めて騒ぎに気付いたのか今更に外へ出て来て壁の穴に驚いていた。
「ん、あれは何だい?・・・おい!あれはもしかして・・・。」
壁の穴に騒ぐおじさんの声に辺りの家々から見に来ていた住人の一人がアマデウスの方を見て何故か慌て始めていた。
「九尾だ!九尾の妖狐が居るぞ!」
指をさして大声を上げる住人にアマデウスは慌てて振り返るとそこには白い髪に白い耳、白い九つの尾を生やした小さな少女が居た。
「アリス!」
「アマデウス君、目を閉じて!」
アマデウスの声に被せるようにエルランドは大声を上げるとエクスカリバーを天に向けて突き上げた。
―――ッ!
エルランドが天にかざしたエクスカリバーは目一杯の光を放ち辺りの人の目を眩ませた。
「アマデウス君、よく聞いてください。この場は私に任せてアリス君を連れてミスティルのファミリーハウスまで帰りなさい。アリス君は君の刀で軽く叩くことで元に戻ります。本当によく頑張ってくれました、ありがとう。さあ、後のことは任せてください。早く行きなさい。」
アマデウスはエルランドの言葉の通りにアリスを戻し抱えてその場を後にした。