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mistel  作者: ぽむぽむ
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第一章

第一章   ピュアヒューマン純人間


 『メルマリア』国内にある喫茶『戸陰』。金髪ショートヘアの人間の少女ラウラ・ラーゲルベックは常連らしく『戸陰』に入りびたっている。今日までにラウラが踏み倒してきたお茶代は一〇万ナクロにもなるがこれはツケとして処理され、ラウラが新規の客を連れて来た場合一人につき三〇ナクロの支払いとして計算されることとなった。

「そういえば、自衛団で思い出したんだが昨日事件があっただろ?」

「ああ・・・例の切り裂き魔やろ?もう七件目やっけ?」

「いや、そっちじゃなくてだ。」

「えっ?」

 今『メルマリア』史上最悪の事件の記録を更新し続けている『連続殺人』が起きている。七人目となる被害者が昨晩発見されたというのに店主はこの件を差し置いて何を事件と呼ぶのか。

(五人も殺されている事件以上の何かが?)

ラウラは思わず不安を顔に映す。

「そんな怖い顔すんなって、悪い事件じゃねえって。むしろスカッとするいい話だぜ。」

「ふーん、それでその事件って何なん?」

「お前レッドファングって知ってるか?」

 レッドファング、トロールとゴブリンたちの集団で公式ギルドとして協会に登録されていないいわゆる闇ギルド。

「知ってんで。最近『メルマリア』に来てスリやら空き巣やらしとる小悪党やろ。」

「そうだ。奴らアジトが王国の領域外にある上に少人数の集団でやって来て目的だけ達成したらすぐに逃げるからなかなか捕まらなくて手を焼いてるらしい。だけどな、――――」

 店主の話では、昨日旅商人が『メルマリア』まであと少しといったところでレッドファングの襲撃を受けたそうだ。隣の小国からの短距離の移動ということもあり大した装備も持っていなかったそうで素直に馬車ごと渡そうとしたらしい。その時、

「ピュアヒューマン純人間の子供?」

「そうなんだよ。ピュアヒューマン純人間の子供二人が現れたと思ったら一人があっという間にレッドファングどもを倒しちまったらしいんだよ。」

「んなアホな!ピュアヒューマン純人間が、それも子供がゴブリンに勝つなんてありえへん!」

 この世界にはエルフやドワーフのような人間と同素体でありながら特異な力を有する亜人、ドラゴンやフェニックスのような高度な知能を有する超生物、さらには雪女や妖狐のような妖力を扱う妖怪まで存在している。それらがお互いの領土を奪い合い争う中、人類は自覚した。我々は最弱の存在で今のままでは滅びる運命以外しか訪れないと。

 魔法も妖術も使えず、身体能力でも大きく他に劣る人類の力。それは知恵や策略ごときで覆すことなど不可能だと理解せざるを得ないほどの差を戦場に示した。すなわち人間にとって他種族との争いはそのまま種の滅亡を現すと言っても過言ではなかった。

 それでも人間にも多種族には持ち得ないものを持っていた。それは医療であり、工業であり、建築であり農耕である。つまりは他種族が力の向上に費やした時間で積み上げた高度な文明、それこそが唯一人類が他種族の持ち得ない独自のものであった。

 しかし、その利点も争いの中で力になることはなかった。そこで人類が編み出したのが戦いに参加し生き残るための力を取り入れる新たな技術、他種間における交配技術であった。これにより獣人や鳥人、魚人、さらにはハーフエルフや半妖の誕生をもたらし、争いに参加する力を得た。

「戦闘においてピュアヒューマン純人間は何一つ多種族に勝るもんを持ってないねんで。」

「そうだな。だからこそ人類は多種族の血を取り入れた。俺もそのうちの一人ってわけだ。」

 店主は実際祖父の代から蜥蜴の遺伝子を組み込んでいる。もちろんリスクがないわけではなく上手く適合出来なければ当人には障害が現れ最悪の場合死が訪れる。うまく適合出来たとしても得られる力には個人差がある。ピュアヒューマン純人間とほとんど変わらない者から取り込んだ種族とほぼ同等の力を得る者まで様々だ。

「ピュアヒューマン純人間なんて俺の知り合いじゃあお前とエルランドぐらいか。」

 現王国内では人類の内、ピュアヒューマン純人間は約0.02%と言われており、全種族で言えば約0.001%一〇万人に一人ほどだそうだ。

「エルランドさんなぁ・・・。あの人の強さはもはや異質やからなぁ。同じピュアヒューマン純人間とは扱われたくないわ。」

「それには痛く共感だな。俺がまだ軍に居たころ一度手合わせをしたことがあるが、尻尾切って逃げようかと思ったぐらいだからな。」

「おっちゃんそれは尻尾と一緒にプライドも落とす上に人間であることも置いてくることになるで。」

「うっせぇ。余計なお世話だぜ。」

 店主の自虐ネタをなお一層になじるラウラを他所に店主は厨房の片づけに向かおうと背を向ける。店主の背中に向けて少し声を張ってラウラは言葉を発した。

「ホンマはその子供、見た目だけで中身はピュアヒューマン純人間とは違うのかも知れんで。」

「あ?んなわけねえだろ。だったら何だってんだよ?」

店主は食器を洗いながら目も向けずに返事する。

「せやなぁ・・・・・神とか?」

 口にくわえぶらつかせていた団子の串を抜きキメ顔で店主を指すラウラ。

―――カチャン

洗い物をする店主の手が一瞬不自然に止まった気がした。

「おっちゃん?」

「バカなこと言ってんじゃねえよ。あんまり頓珍漢なこと言うもんだから皿落としそうになっただろうが。てか串で人のこと指すんじゃねえ、バカが!」

 眉間にしわを寄せながら手についた泡をラウラの顔に投げつける。

「うわっ、ちょっと口に入ったやんけ!にがっ!ぺっ、ぺっ!」

 梅干し級に顔にしわを寄せて舌を串でこすり付着した洗剤を全て拭い取ろうと必死になるラウラ。

「だいたい、お前だって知ってんだろうが。この世界には神なんて存在しない。大昔には存在して、見えざる手で偶然とか奇跡とかいうもので世界のパワーバランスを保ってたー、なんて言ってるけどよ。世界に生まれ出た瞬間、赤ん坊だって気が付く。自分でどうにかしねえといけねえ、存在が定かでねえものに頼ったってくたばるのが早くなるだけだってな。今では宣教師ですら神なんてほっぽり出しててめえが生き残るのに必死になってやがる。・・・当たり前だ、自分で動きもしねえやつは何も得られねえんだからな。」

「・・・・。」

 小気味よく皿がリズムを刻み続ける中、店主は思いをはせるようなどこか遠く皿の向こう側を見つめ言葉をこぼした。ラウラはどこかばつが悪そうな顔で両手で包んだ湯呑からほうじ茶をすすっていた。

「だけどよ、こんな身も蓋もねえ世界も悪くねえって俺は思ってんだよ。皆自分が生きるのに必死だからよ、そりゃ辛いこともたくさんあるかもしれねえ。俺だって家族一人も残っちゃいねえわけだし。それでも悪させず全うに生きてる奴らは皆いい顔してんだよ。自分の人生に必死になって人生満喫して最高じゃねえか。」

「せやな、それはわからんでもないわ。」

 少し声色を明るく話す店主の言葉にラウラも本心ではないながらも事実の肯定をする。

「・・・やっぱ、勘違いなのかもしれねえな。」

「?」

「いやよ。さっきのピュアヒューマン純人間の話だよ。いくらゴブリンだけだったとしても混じりっ気なしの人間の子供に勝ち目なんてどう考えてもねえよな。やっぱ何かしら多種族の血が混ざってたのかもしれねえな。それか話自体がデマかだな。」

「その話なら真実だぞ。」

 ラウラと店主の思考に割って入った声は店の入り口方向からやってきた。凛とした張りのある力強い声。その持ち主は胸に腰、腕と脚を最低限カバーするだけの軽装鎧を纏い腰には細剣を携えている。胸の鎧にはレッドドラゴンをあしらった自衛団のマークが入っている。鎧から露出した腕や脚はすらっと伸び肌の色は透き通るようで白というよりは透明という方がイメージにそぐうと言える。肩先まで伸びた輝く金髪、その隙間から突き出している尖った長い耳が一段と目を引いた。

「おう、エイラじゃねえか。」

「お久しぶりです、マスター。三日ぶりでしょうか?」

「・・・エイラ・メランデル。」

 ラウラは苦虫を噛み潰したまま噛み潰した言葉で彼女の名を呼んだ。

「あなたは確か、『ミスティル』のラウラ・ラーゲルベック、ですね。」

「あら~、自衛団の副団長様が私ごときの名をご存知とは、恐悦至極に存じますわあ。」

 口の前で扇子を広げる素振りをしながらわざとらしく抑揚をつけ答える。

「ラウラさん、ヘレーナは元気にしているのですか?あと、あの行き遅れのアバズレ女、まああの女に限っては健在以外にありえませんが。」

「ご想像の通りやと思いますよ。ヘレン姉もアルヴァ姉も元気にしてます。」

エイラという女に対してラウラの向ける感情は嫌悪感、というより敵対心や猜疑心のようなもののようだった。この女は何を考えているのか、何がしたいのかわからない。エイラ・メランデルに対するラウラがいつも抱く感想だった。


 エイラ・メランデル。『メルマリア』国内に暮らす唯一の純血エルフであり、自衛団の副団長。

エルフは元来純潔であることを尊び他種族と決して関わりを持とうとしない。他種族交友が一般的になってきている今も自国『エルゲンホルム』で静かに暮らしている。エルフの他種族との違い・特徴と言えばその外見以上に強力な魔力を有するところにある。魔力を有する種族は世界に幾つか存在しているがそのどれもがエルフからすれば魔力をもたないのと同じだという。その魔力欲しさに『エルゲンホルム』に戦いを挑んだ国、種族も多くあったがそのどれもが返り討ちにされている。それだけにエルフの情報はその外見と強力な魔法を扱うこと以外は何も知られていない。

 だからこそ、何か画策するでもエルフについて情報を明かすでもなく、『メルマリア』の一国民として暮らし、自衛団の任務にも真面目に従事するエイラがラウラには理解出来なかった。

「ラウラさん、私の顔に何か付いていますか?」

「ああ、いや、何も付いてませんよ・・・。」

 エイラは本当によくわからない。さっきまでの高慢で威圧的な雰囲気は今はもう微塵も感じられない。目の前で首を傾げ不思議そうにラウラを見つめるエイラからは、その心が本当に無垢であるからなのか、はたまたラウラに感じられる存在でないからなのか、何も感じ取ることが出来なかった。そのことがまたラウラの心をかき乱しエイラ・メランデルを得体のしれない者にする。

「・・・なあおい、エイラ。さっきの『真実』ってのはどういうことだ。」

 ラウラの意識が絡みつくエイラを店主の声が外からつつく。

「お話した通りですよ。レッドファングを倒したピュアヒューマン純人間の子供の話、あれは全て本当のことです。」

「全て?」

「ええ。全てです。私はここ数日、任務で隣国まで遠征していまして、昨日帰国したのですが、その途中でその現場に遭遇していますので。」


王国から七、八㎞東に大きな森が広がっている。エイラが率いる自衛団の遠征小隊が森の中を進んでいると進行方向から動物たちが団員達には目もくれずに駆け抜けていった。

「何か居るようですね。皆さん周囲に気を配ってください。私が先の様子を見ます。」

 エイラの指示通りに団員はエイラを囲み円形になり来たる外敵に備える。エイラはその中で屈み頭を下げ静かに目を閉じる。

「ウィル・オ・ウィスプ、遠き光を我が瞳に映さんがため。そなたの光の力、我に与え給え。」

 詠唱を終えると頭を上げ目を開く。エイラの見据える先数㎞の景色が光情報として二つの眼を通して流れ込み、脳内でその光景が映し出される。

「見つけました。一台の馬車とゴブリンが六匹、・・・赤い牙。レッドファングのゴブリンのようですね。・・・これはっ!」

 エイラは急に立ち上がると遠視魔法をそのままに映る景色に向かい駆け出す。

「副団長!一体どうしたんですか!」

突如説明も指示もなく駆け出したエイラの後を団員たちが追う。先を走るエイラの背中からはコンマ一秒も無駄には出来ない、そんな言葉が聞こえてくるようだった。

「馬車の持ち主が襲われているのですか?」

「いいえ、馬車の持ち主は無事です。子供と一緒に隠れています。」

「では、どうして?」

「子供です。子供が一人逃げ遅れて、ゴブリンに囲まれています。」

「なんですって!」

「現場までの距離はっ!副団長っ!」

 現場までは一㎞ほど、今のままのペースで行けば三分と三〇秒、ゴブリンたちは弱い者を嬲ることを好む。それでも三分三〇秒も遊んではいない。見たところせいぜいあと二分もすれば遊び飽きてなぶり殺した後三〇秒で撤収することだろう。これまでのレッドファングの手際を考えればそれでもまだゆっくりしているぐらいだ。

「私が見ている前で未来ある子供を殺させはしません。――――シルフ、かの子供の命を護らんがため。疾く駆ける風を遣わし給え。」

 エイラは叫びを上げると力いっぱいに地面を蹴りつけ飛び上がった。次の瞬間、ゴォッと力強い風が空中に浮かんだエイラの体をさらっていった。

「副団長っ!」

「私は先に行きます!あなたたちはこのまままっすぐ、追いかけてきてください!・・・間に合いなさい。」

 エイラが駆け出してから三〇秒が経過した、現場まではまだ八五〇mほど残っている。

 ゴブリンは腰にしたこん棒にはまだ手を付けていない。その手に握られた石を輪の中に居る子供向かけて次々に投げる。一つ、・・・二つ、・・・三つ。一つずつ投げられる石はことごどく子供の体に痛みを残していく。四つ、五つ。二方向から同時に来る石が子供の軽い体を前後に揺らす。よろめく子供の姿にゴブリンたちは一段と大きな高揚に全身を震わせた。現場の音は聞こえはしないがそれでも、ゴブリンたちが何を言っているかぐらい想像はつく。


「いいぞ、もっと踊れ!」

「頭に当てて殺すんじゃねえぞ。そんなもんつまんねえんだからよ。」

「ピュアヒューマン純人間はただでさえすぐ死んじまうからなあ。」


「外道め。」

 自分と異なるもの自分よりも力の劣る者を虐げて何が楽しいと言うのか。今の世界にはこういった事が幾らでも起こっている。何度目にしたところで決して慣れはしない。虫唾が走り反吐が出る。だが何よりも今この場でゴブリンの好きにさせている自分自身にエイラは苛立ちを覚えた。

「もっと、もっと早く。もっ――――」

 グニャリ、視界が歪み体が流される。遠征任務の帰り道での異なる精霊魔法の並列使用。魔力の多量消耗による目まいがエイラの意識も視界も奪おうとした。

「――――っつ!」

 意識を失いかけたタイミングで下唇を噛みしめ痛みで無理に起こした。それでも、意識を失いかけたことで遠視魔法は解けてしまったようで馬車も子供もゴブリンの姿も見えない。

「現場まで残り距離は確か・・・。」

 残り三〇〇m。タイミングとしては本当にぎりぎりだと思われる。

 バランスを崩した体を戻し再び風に乗る。

「確か、この先!」

 さきほどまで見えていた現場の手前、最後の繁みを突き抜けエイラは現場に体を投げ込む。勢いのままに頭から一回転し起き上がる。すぐさま状況確認とともに細剣に手をかける。

 目の前の光景は最悪でこそなかったがそれに等しかった。こん棒を振り上げたゴブリンたちが一斉に飛び掛かるところだった。間に合わない、と体が制止しようとするのを無理に起こそうとした瞬間、脳が思考を辞め体は制止した。

理解の範疇を越えた事象を目の当たりにしたとき脳は処理しきれずにフリーズ現象を起こす。この時のエイラはまさにその状態にあった。

「笑み?」

 円形に広がった各々が場所から内に向かい飛び掛かるゴブリンたちの中央、飛び掛かるゴブリンたちの標的そのものである一人の人型の子供の口元は微笑んでいた。

 フードが一体になった上着を着ているが、その袖は大きな四角になっている。下は余裕のある七分丈のズボンに足首まで固定できるベルトの付いたサンダルを履いていた。フードで顔はよく見えないが体格から歳は十歳ぐらいかと思われる。

深く被られたフードから覗く口元は確かに笑っていた。いや、笑っているというよりは微笑みかけている、というのが確かな表現と言えるだろう。

一瞬、子供が見せた表情に身を制止した後、事が済むまでエイラは指一本も動かすことはなかった。

「その場に居ったのに魔力切れで身動き一つ出来んかったん?」

「バカにしないでもらえますか。魔力切れにはなっていません。」

 言葉とは裏腹にエイラからは怒りが感じられなかった。

「じゃあどうして動かなかった?」

「違いますよ、マスター。動かなかったのではなく動けなかった、いえ動くのを忘れてしまっていた、というのが正しい表現でしょうか。」

 自嘲の笑みを浮かべるエイラは人間のようでラウラは親近感を覚えると同時に嫌気が差した。

「何でやの?」

 ラウラの声色がずいぶんと素直なものになったことに少し驚きながらもエイラは答える。

「その子の剣術、舞に見惚れてしまったのですよ。」

 目を閉じ思い返すだけでエイラの心はすっかり耽っていた。

「僕と舞いませんか?」

 中央に立つ子供がそう話した気がした。その子の言動など毛ほども気にせずゴブリンは飛びあがったままに子供目がけてこん棒を振りかざす。子供は左腰に据えられた刀の柄に右手鞘の鍔際に左手を添えたままに左足を引きつつ体を左回転させゴブリンの攻撃を躱す。

「グギャッ!」

 攻撃に行ったゴブリンが崩れ落ちる。子供の手には抜刀された刀が握られ、ゴブリンの左脇腹には深く打撃の後が残っていた。

「ギャッ、ギギャッ、・・・グュハッ、ガッ!」

肺が圧迫されて上手く呼吸が出来ないのかろくに声も出せず地面にへばりつきもがく仲間の姿を目の当たりにたじろぐゴブリンたち。

本当につい先ほどまでただ自分たちの興のためだけに生きながらえていた世界最弱の種族が、何をした。

「今、何が起きたんだよ。誰かちゃんと見てねえのかよ!」

「ピュアヒューマン純人間のガキ一人だぞ!どうしたって俺たちに敵うわけがねえだろうが!」

「ならギムの野郎はなんでそこで泡吹いてぶっ倒れんてんだよ!」

「うっせえ、黙ってろ。ビビってんじゃねえ。何かしてくるかもしれねえってんなら、そんな隙すらも与えなきゃいいことじゃねえか。一人やられたからって五対一なんだ。一斉に攻撃、それで終わりだ。ギャギャッ、行くぞ。」

 ゴブリンたちは子供の周りを取り囲む円をジワリと内へ進める。ゴブリンたちの武器はこん棒にダガー、カトラスを扱うものも居た。対して子供が手にしているのは一本の小太刀。体との対比を言えば大人が太刀を扱うようなものだがそれでも多対一に決して向いているとは言えない。

 だが子供からは焦りや不安、恐怖といった感情は感じられない。焦っているのはむしろゴブリンたちの方のように見える。今は自分の目で直接見ているからこそはっきりとわかる。

(この子はあの人と同じ種族の壁も軽々と飛び越えてゆく何かを持っている。持たない者には理解することも叶わない何かを。)


「それから後は一方的でした。ゴブリンたちの動きは初めからあの子に教えられていたのではと、八百長でないのかと疑いたくなるほどでした。」

「事件の顛末はわかった。だがどうしてそれでその子供がピュアヒューマン純人間だと言い切れる。それこそピュアヒューマン純人間じゃないと疑うべきだろ。」

「もちろんそうするべきだったのでしょう。ですがその子を前にした時にあの人と同じ感じがしたので他の可能性など排除してしまっていました。」

「ほんならその子供がピュアヒューマン純人間かどうかはっきりとはしてへんってこと?」

「いえ、彼はれっきとしたピュアヒューマン純人間です。国土の外とは言え事件の現場に遭遇した手前報告の義務はありましたので。彼についても必要事項だけですがその場で調べさせていただきました。精霊に嘘は通用しませんから。彼は間違いなくピュアヒューマン純人間ですよ。」

 事件現場に居合わせ、子供の体を実際に調べたエイラが言うことなのだからそれは真実に相違ないのだろう。それなのにラウラの中にあるその子供はピュアヒューマン純人間でない、と訴え続ける声は大きくなるばかりだった。

「彼?そのピュアヒューマン純人間の子供男なのか。」

「はい。ですが見た目はまるで女の子のようでした。あんまりにも美しい顔をしているものですから三度も検知魔法をかけてしまいました。実際に目の当たりにするとピュアヒューマン純人間であること以上に性別が男であることの方が信じられません。」

 ピュアヒューマン純人間の子供について詳細情報が伝えられている中、ラウラだけは考え事で頭がいっぱいのようだった。

「せやけど・・・。」

 多種族に勝るほどの力を持つピュアヒューマン純人間の子供、同種でその弱さを体の芯から理解しているラウラからすれば到底信じたくはない話、それでもエイラの話の後ラウラにはもう一つの思いが顔を見せていた。

「ラウラ、帰るのか?」

 突然立ち上がったラウラに店主が声をかけた。

「うん、・・・ああ、まあそんなとこやな。」

 机に立てかけてあった刀を腰に据えるとどこか浮かないようなはたまた楽しみを見つけた時のような明暗どちらにも感じられる、そんな笑みを残し店の出入り口に体を向けた。

「そういえば、今日は自衛団の入団試験の日ですね。昨日の事件の彼・・・、彼も試験を受けるためにこの国に向かっていた最中だと言っていましたよ。試験開始は一五時、あと一時間弱ですね。」

「・・・おおきに。」

 ラウラはお礼だけ残して駆け出していった。

「てめえ、次は金持って来いよ!」

 駆け出していったを見送るように出入り口から頭を突き出し大事なことだけラウラの遠ざかる背中にぶつけた後、戻ってきながら店主はエイラの言葉に返事を出す。

「ったくラウラのやつ・・・・。それはそうと、また優秀なやつが入りそうで良かったじゃねえか。」

「ふふっ、それはまだわかりません。」

「なんだよ、ゴブリン六匹相手に勝っちまうぐらいなら即戦力じゃねえか。試験パス出来ないわけがないだろうが。」

「そういう意味じゃないですよ。彼が選ぶのがうちじゃないかもしれないってことですよ。」

「?」

 エイラはそれ以上のことは何も言わず一人楽しそうに笑みをこぼした。


自衛団入団試験会場は喫茶『戸陰』から東に三㎞離れたところにある自衛団の野外訓練場で行われる。午前の部はすでに終了、午後の部は一四時受付開始、一五時より試験開始だったはず。エイラが午前の話をしなかったことから考えるに少年は午後の部にエントリーするつもり、とでも話していたのであろう。

受験生たちが会場に再度集合するのは試験開始一五分前だ。現在時刻一四時三五分。あと一〇分もすれば彼も含め受験生たちは集合し試験前の準備に入ってしまう。にも関わらず、

「うちはこんなとこで何してんねやろ・・・。」

 試験場までショートカットしようとしたのが悪かった。まだ日も高いし大丈夫だろうと使った路地裏の通路。そこに面した扉が一枚開いていたので自然と視線がその中へと向いてしまった。

「あっ、オーガ。」

 そこに居たのは二匹のオーガと今まさに襲われようとしている獣人の少女が居た。

 二倍近い大きさの体を少女に多い被せ衣服を引き剥がす場面を目にしてしまっては立ち止まらずには居られなかった。

「ちょっ、あんたら何してんねん!そんな幼い子押し倒して、最低やで!」

「プギッ、誰だてめえ。」

 ゆっくりと体を起こすオーガ。背丈は一八〇㎝ほどだろうか、首は脂肪に埋もれ、大きく突き出した腹はゾのような厚い皮膚に包まれていた。口からはみ出した牙は赤く色づけられていた。

「あんたらレッドファングやな。」

「ほう、俺らのことを知ってんのか。ずいぶんと有名になっちまったもんだぜ。なあ兄弟。」

「ブフフ。全くだ兄弟。でも嬢ちゃん、こんなとこ見ちまったんだ、ただで帰れると思うなよ。」

「ふん、うちがピュアヒューマン純人間やからってなめん方がええよ。オーガ二匹ぐらい楽なもんやで。」

「プギギ、この嬢ちゃんの方が威勢も育ちもよくて美味そうじゃねえか。」

「俺としてはこっちの猫人族のお嬢ちゃんの方が幼くていいんだけどなー。」

「キモッ!あんたらキモ過ぎるわ!脂ぎったデブってだけでもお断りやのにおまけにロリコンかいな、ホンマ自分の姿鏡で確認して来いっちゅうねん。」

「プギー!こんメスだけは絶対に許さん!引ん剝いてヒーヒー言わせてやる!」

「うわー。なんかもう哀れに思ってまうな。・・・でも、さっきも言ったけどオーガ二匹じゃうちには勝てへんよ。その夢も所詮は絵に描いた餅っちゅうことや。」

「そうか、俺ら二人では勝てないか、・・・・・ブフッ。」

 部屋の奥から物音が聞こえたかと思うとわらわらとゴブリンが現れた。八匹のゴブリンに部屋の奥で金目の物や食品を物色させていたようだ。ゴブリンたちはまだ幼く成人の半分四〇㎝ほどではあるが一〇対一だ、どう考えても勝ち目がない。となれば、

「あっ!」

 まるで今ここで戦いを始めようとするかのように刀に手を伸ばそうとしていた右手で突然通路の右奥を指さす。

「プギ?」

扉から顔を出しラウラが指さす通路の奥を覗き込むオーガたち、どがその先にはなにもない。

「おい、何なんだ!」

 オーガは顔を正面に戻したがそこにも何もなかった。

「・・・ん、あのメスはどこ行きやがった?」

「兄弟、向こうだ。」

 扉で遮られた視界の奥一五〇mほど先をラウラは走っていた。


そう、あのタイミングでうまく逃げられた、猫人族の少女もきっとゴブリンたちが自分に引き付けられた隙に逃げただろうと、ラウラはそう思っていた。

「何で行き止まりになってんねん!」

 壁、壁、壁。ラウラがいくら首を振ろうが正面も右も左もその目には壁しか映らない。一週間前までここに壁はなく、この通路は東の訓練場まで抜けられたはずだった。それが今は四m近い壁が行く手を遮り行き止まりになっている。

「くそっ!この壁何とかならんのかいな。」

 そういって壁のあちこちを触り調べている間に、

「プギッ。やっと追いついたよ、お嬢ちゃん。」

 ゴブリンたちに追いつかれ、行き止まりに追い込まれる形になってしまった。


 そして一四時三五分、現在に至る。

「さあお嬢ちゃん、俺の家畜になる覚悟は出来たかな?プギギッ。」

「うっさい!誰があんたみたいによー燃えそうな油ギトギトのデブの家畜になんかなるか!どっちか言うたらあんたの方が家畜に向いてんのとちゃう?ほら言うてみー、ぶひぶひってな。」

「ブヒーッ!このメスガキ!今すぐ躾けてやるからそこ動くんじゃねえ!」

 腰の後ろに備えられた大きめの鉈を手に取り油をまき散らしながら突進してくるオーガを前にラウラは笑みを浮かべる。

(これでうちの勝ちや。見たとここいつがこの集団のボスや。こいつを殺せばあいつら逃げ帰ってくれるかもしれん。せやなくても慌てたもう一匹のオーガを仕留めたらチェックメイトや。未成熟のゴブリンだけでオーガを殺ってもたうちとは戦わんやろ。)

 目を血走らせ鉈を右手ごと振り上げたまま突進を続けるオーガ。

(こんなけ視界が狭なったオーガ一匹ぐらいなら、うちでも余裕や。)

 大きく上下に揺れる腹回りの惰肉が明らかに力いっぱいの突進を妨げていた。遅い、歩くのと大差ないのではと心配になるぐらいに遅い突進だった。

(それにしてもえらい揺れるな。ここまで目の前で揺らされると腹とは言え無い乳のうちとしてはなんや頭に来るわ。・・・やなくて、そろそろ構えとかんと、)

 オーガがいくら隙だらけとはいえ準備を怠って勝てる相手ではない。オーガは他種族の中では戦闘力は低い方だが自分が最弱のピュアヒューマン純人間である以上素手でやり合っては勝ち目など毛の先ほどもない。

「あれ?」

 そもそも戦いというものは始める前には結果が決まっているものだ。確か、神とか言ったか。弱者が都合のいい妄想を描き現実逃避するための対象だあるそれが爪の先さえも見せないこの世界。準備を抜かるような者には勝利のご来光を拝む日など一生来るはずもない。

「刀が・・・、ない。」

 この瞬間ラウラの勝ちはなくなり、負け=オーガの家畜が決定した。

(アルヴァ姉、ヘレン姉、クー兄ありがとう、毎日楽しかった。お爺ちゃん、お父さん出来の悪い子供でごめん。)

 今更謝ったところで許してもらえるわけもなく、家畜ルートは確定なのだがそれでもあんな脂ぎった豚の相手はしたくなかった。ならここで自害してでも逃れるしかなかった。

「皆さようなら。」

――――――ザンッ。

 静かに閉じられた瞼の向こうで何かが通り過ぎたような気がした。

「この刀、お姉さんのですか?」

「ふぇ?」

 目の前に居たのはラウラの刀を差し出した子供とその背に覆いかぶさった少女だった。切れ長の目に深い青色の瞳が特徴的だった。背は一三五㎝ほどで線が細く撫で肩、優しい微笑みを浮かべる実に美しい少女にラウラは思わず見入ってしまった。

「おおきに・・・。」

「あの・・・僕の顔に何か付いていますか?」

「いやいや、違うんよ。あんまりにも綺麗な顔してはるから思わず見惚れてしもたんよ。・・・・・・・・って僕?」

「あっ、はい。よく女の子に間違えられるんですけど、どうしてですかね?」

「かわいい・・・・。」

 照れてはにかむ少年の攻撃力はビックバン級だった。この笑顔さえあれば世界を作り替えられるのではと思わせるほどに輝いていた。これほどまでに可愛い男の子を目の前にすると女性としてジェラシーを感じずにはいられなかった。

(しかし、女の子らしい男の子・・・どこかで耳にしたような気がする・・・。)

女の子みたいな顔にフードが一体になった上着、肩口から先の袖の部分は大きな四角形のフォルムをしている。ズボンはゆったりとした七分丈、足元にはサンダル・・・・・。

(エイラさんが言うとった、昨日のっ!)

「君、昨日レッドファングのゴブリンをとっちめた子か!」

「レッドファング?確かにゴブリンの人には昨日お世話になりましたけど。」

「やっぱりか!エイラさんが言うとったピュアヒューマン純人間の少年っちゅうのは!」

 首を傾げて困っている少年の顔や体、服装に装備と隅から隅までじろじろと見つめらラウラ。

(この子、何がうちとそんなに違うんやろ?むしろうちよりか弱いんとちゃうやろか?)

 ――――――ゾクッ。

 少年の背中越しに殺気がラウラに突き刺さる。体を起こして少年の体のその向こうにある殺気の根源を探す。殺気の根源らしきものはすぐに見つかった。だがそれは今しがた感じた心臓に手を添えられたような即刻死に繋がるような鋭さも重さも全く足りていない、

「一体何だってんだ!てめえら人のことバカにするのも大概にしとけよ!」

 そこに居たのはただ怒り狂っているだけのオーガだった。

「そう言えば居ったなあんなん。さて、どないしたもんか。」

 すっかり存在を忘れてしまっていたがオーガと以下九匹から集団リンチに会う一歩手前だったのだ。

「お姉さんはアリスと一緒に下がっていてください。ここは僕が・・・。」

 そう告げると少年はアリスと呼ばれた少女を背中から下ろしゆっくりと前に出た。

「何だ?そのメスガキがてめえの代わりか?自分より幼い子供に守らせるたあ、いい御身分じゃねえか。だが、ありゃあお前なんか相手にするよりよっぽど滾ってくるぜ。ブヒッ。」

「うっさいわ、この変態!」

 (やっぱりあかんわ。なんぼ強い言うてもあんな変態に幼い子近づけさすんは倫理的にNGやわ!)

ひしっ。

 腕まくりして出て行こうとするラウラを誰かが引き留めた。見ると少女が上着の裾を掴んでいる。身長一一〇㎝ほどの小さな体に確か着物と言っただろうか異国の服を着ているが文献で目にした形とは大きく違っている。動きやすさを重視したのか太もも辺りから開けており全体的に着崩されている。大きな瞳の宝石のような鮮やかな赤紫色も手伝いその幼さにそぐわぬ妖艶さが感じられた。

(なんやろ、この子の瞳・・・。なんか吸い込まれるような・・・。)

「―――――っ!」

一瞬、ほんの一瞬意識が途絶えた気がした。急に体から精神だけを引き剥がされたようで体の感覚が戻り切らずわずかにずれて感じる。

「兄様の邪魔、離れて・・・・ください。」

 少女に引かれるまま、ラウラは壁ギリギリのところで少年を見守る。

「本当にこんなガキ一人に相手させるのかよ。これじゃあただのご褒美だぜ。君君、大丈夫ですか?ってな、プギギ。」

「僕なら大丈夫ですよ。それよりあなたたちは彼女を襲おうとしていたんですよね?」

「ん、僕?・・・あ、ああ。これから君も一緒に襲うんだけどな。」

「では、ここに来るまでにあった猫人族の方の家、あそこを襲ったのもあなた方ですか?」

「そうだ。どうした?怖くなっちまったか?」

「そうですか?罪人は罰を受け罪を許されなくてはなりません、これは当然のことですよね。」

 少年はフードに手をかけると静かに被った。

 少年の纏う空気が変わった気がした。それまで確かにそこに感じていたはずの少年の気配がまるで空中に溶けてしまったかのように全く感じられなくなった。

「皆さん、僕と舞いませんか?」

「何言ってんだこいつ、やっちまえ!」

 荒々しくオーガたちを先頭に少年へと襲い掛かるゴブリンたち。少年は刀を手に取りゆっくりと抜刀した。

 先頭のオーガが振り下ろす鉈の側面を刀で叩くとそのまま体の横にはたき落とし、投げ出された体に刀の背を打ち込む。次のオーガがすでに振り下ろし始めた刀を右足を引いて半身で躱すと、手首を上から、続けて顎を叩き上げる。

「す、すごい。」

 ものの数秒で自分より五〇㎝も大きな身の丈のオーガを地に伏せてしまった。

「あなたたちも僕と舞ってくれますか?」

 自分のボスがやられ次にどうすればよいのかわからない未熟なゴブリンだったが、ただ自分もやられるんだ、それだけは理解が出来た。命を奪われる恐怖から脚はガクガクと震え立っていることもままならなかった。そんなゴブリンに少年は選択肢を与えた。逃げるか戦うか。

 心が折れた状態での戦いなど自分の心を失った者にしか出来ない。ゴブリンたちは武器さえもその場に置き去りにし全力で逃げ出した。

「ふう。」

 刀を納めた少年はフードを脱ぎ大きく息を吐いた。

 今の少年はラウラにも感じ取ることが出来る。そのことにラウラもふと息をついた。

「ありがとう。助かったわ。で、なんやの今の?めっちゃすごかったやん!」

「いえ、僕なんて全然。まだまだですよ。」

 謙遜する少年もまたものすごく可愛かった。

(でも、何なんやったんやろ?今の?)

 少年の動きに何か違和感を感じた。相手の攻撃を見て躱したにしては回避行動が早すぎる。それに幾ら相手が態勢を崩したからといってピュアヒューマン純人間の打撃がオーガに通用するわけがない、まして一撃で気絶させることなど急所をピンポイントで突かない限り不可能である。

「僕、名前は?」

「あ、自己紹介がまだでしたね。僕の名前はアマデウス・レンクヴィストといいます。こちらは妹のアリスです。」

「アマデウス君にアリスちゃんやね。うん、覚えたで。うちはラウラ・ラーゲルベック言うねん、よろしゅうな。」

「はい、こちらこそよろしくお願いします。」

 えへへ、とラウラと笑い合ってるアマデウスの横でアリスが浮かない顔で袖を引っ張る。

「どうかしましたか、アリス?」

「兄様、時間。」

 アリスは懐中時計を取り出すとアマデウスに盤面を突きつける。

「ああっ!まずいです!」

「アマデウス君、急にどないしたん?」

「すみません、ラウラさん。僕、自衛団の試験に行く途中だったのです。またお会い出来たらゆっくりお話ししましょう。行きましょう、アリス。」

 そう言うと、アマデウスは壁、雨どい、屋根と伝い建物の上を走っていった。アリスもより小さな体でさも当然のように後をついていく。

「うち、ピュアヒューマン純人間の中でも身体能力低いんとちゃうやろか?」

 自分より幼い二人の身軽さに思わず自分が周り全ての者に劣っていると感じてしまうラウラであった。


『メルマリア』王国領土内の最東端、自衛団専用の野外訓練場。その敷地の外側、自衛団入団試験場の集合場所となっているこの広場にすでに人影はなく、受付役の自衛団員二人、それぞれ水牛と馬のハーフヒューマン混血人間が残って談笑していた。アマデウスは再び懐中時計を取り出し時間の確認をする。

「一四時五八分。良かったです、ぎりぎり間に合いました。」

 息を整えながら近づいてくる少年と少女を面倒くさそうに見る。

「あのー、入団試験を受験したいんですが・・・。」

「ああ君ねー、周りを見てもらえればわかると思うけどもう試験は始まっちゃってるんだよ。」

「そうそう、だからね、今年は諦めてまた来年受験してくれるかな?」

「来年じゃダメなんです。それにまだ試験開始時間にはなってませんよね?」

 アマデウスは懐中時計を開いて文字盤を受付の団員に突きつける。

「でもね君、もう点呼も取り終えちゃったからね。予定を前倒しにして始めさせてもらったんだよ。」

「それにね、あんまり言いたくはないんだけど君じゃどのみち合格は出来なかったと思うよ。」

「それは、どういう意味ですか?」

 受付の言葉にアマデウスは周囲の空気をピリつかせた。

「君、ピュアヒューマン純人間だろ?それに見たところまだ一〇歳ぐらいじゃないか。」

「随分と遠回しな言い方をするのですね。はっきりと言ってはいかがですか?」

 アマデウスの言葉が団員の怒りゲージを確実に沸点目がけて押し上げていく。

「ちっ、ガキが。てめえが傷つかねえようにわざと遠回しに言ってやってんじゃねえか。」

「何をそんなにイラついてるんですか?僕はまだガキなので遠回な言い方ではわかりません。」

―――――プチン。

「ならど直球に教えてやるよ。お前じゃ弱すぎて話にならねえって言ってんだよ。出直して来いクソガキが。」

 しめた。作戦通りとアマデウスは心の中でほくそ笑んだ。

「そうですか、では僕が弱くなければ問題ない、ということですね。・・・例えば、現役の自衛団員と勝負して勝ちでもすれば・・・。」

「おい、何が言いたい。」

「あれ?あなた方が傷つかないようにわざと遠回しに言ったつもりだったのですけど、まさか僕みたいに『ガキなのでわかりません』、なんて言いませんよね?」

「ふん、威勢だけは一丁前か。いいぜ、俺が直々に教育してやるよ。自衛団の強さ身をもって思い知るがいい。」

 

 試験場前広場、つい先ほどまで入団試験を目前に控えた受験生たちがここに居た。人類に亜人類、獣人族、魚人族etc…種族、性別、年齢、出身を問わず、王国『メルマリア』を愛し己が手で守護したいと望む者全てに受験資格は与えられた。そしてまもなく始められる試験を突破出来た者だけが晴れて自衛団の一員となることが許される。

「今頃中では試験の説明がされている頃だろうな。お前は行かなくてもいいのか?」

「僕はまだあなたから受験票をいただいていませんので。」

 アマデウスは依然として余裕の笑みを浮かべている。構えもごくごく自然で力みも全くないように見える。他種族で大きさも自分の倍近くある相手を前にして平常時でも考えられないほどに心を落ち着けているアマデウスがより一層団員の心をかき乱し荒立たせた。

「謝るなら今のうちだぞガキが。」

「どうして僕が謝らなくてはいけないのですか?」

「このくそガキが地獄で反省してこいや!」

 水牛の団員が柄が二mはあろうかという巨大なポールアックスを振り回しながら突撃を始める。これに合わせてアマデウスは間合いを測るように腰を落とし居合のように構える。

「アードルフ・オーグレーン団員!」

 突如二人の間を割って入った大声に水牛の団員が振り上げたポールアックスのその先まで瞬時にフリーズさせた。

「聞こえなかったようなのでもう一度呼びます。自衛団第五番隊特別攻撃部隊員、アードルフ・オーグレーン団員。聞こえたら返事をしてください。」

「はっ!ご苦労様です、団長!」

 先ほどまで赤い幕に突進する闘牛のようだった団員が今は青ざめた顔で敬礼している。さぞ笑える光景なのであろうが今はそれ以上に気になる者が近づいて来ている、気にする余裕すらもなかった。袖に重みを感じたので見るといつの間にかアリスが自分の腕にしがみついていた。

(昨日、エイラさんから話は聞いていましたが、この人が、)

「自衛団団長、エルランド・メランデルさんですね?」

「初めまして。おっしゃる通り、私がメルマリア王国自衛団団長を務めるエルランド・メランデルです。」

 昨日、ゴブリンたちを自衛団に引き渡したあと自衛団の副団長であるエイラから話では聞いていた。アマデウスと同じピュアヒューマン純人間でありながら『メルマリア王国』最強とまで噂されている自衛団団長の話。

 線が細く艶やかなロングの金髪、清楚で穏やかな雰囲気の顔だち、背は一九〇㎝ほどで衣服越しでも感じられる無駄のない美しい肉体。

 それだけに信じることが出来ず脳がパニックを起こす。今全身を包んでいる生々しく確かな存在感を持った殺気を彼が放っているものであると、どうしても理解することが出来ない。殺気を向けられていることはわかる、警戒心も正常に働くなのにどこを警戒すればいいのかわからなかった。自分の腕にしがみつくアリスの力が強くなるのを感じた。

(団員の人を挑発したことを見られていたのであれば今ここで捉えられるかもしれません。なら、アリスだけでもなんとか逃がして―――)

―――ヒタ。

 ザザッ。咄嗟にアリスを抱え大きく後ろへと跳躍した。

 顎を持ち上げるように二本の指で触られた、わずかコンマ三秒ほどの時間だった。だが今もまだアマデウスの顎にはエルランドの指が触れ続けている、そんな気がした。

「あっはっはっはっは・・・・・。」

 アリスを背中に隠すようにして刀を構えるアマデウスをきょとんとした顔で数秒眺めた後、エルランドは大声で笑い始めた。

「なにが可笑しいんですか?」

「あーはー、はー・・・はー。・・・すみません。君たち、アマデウス・レンクヴィストとアリス・レンクヴィストですね?」

「はい、そうですがどうして僕たちのことを知っているのですか?」

「いやなに、エイラ副団長から報告を受けていたというだけのことですよ。」

 涙をぬぐいお腹を抱えたまま話すエルランドからは先ほどの殺気は髪の毛一本分も感じられなかった。それどころかどこか親しみやすささえ感じられた。

「しかしこれは一体どういうことでしょうか?うちの団員が子供相手に武器を振りかざしているものだから思わず威嚇してしまいました。アードルフ団員、説明してもらえますか?」

「はっ!実は本日の入団試験者の確認が早めに終わり追加の受験希望者もなさそうでしたので一四時五五分に全員試験場へと移動してもらったのですが、そのあとその子供が来たものでして・・・。」

「その時の時刻は?」

「・・・・・」

「一四時五八分でした。」

 口をつぐむ団員を横目にアマデウスは自ら口を開いた。

「試験開始時刻は一五時からでしたよね?」

「あっ、はい。」

「前倒しで試験を開始してしまったのでお兄さんが僕の試験相手を務めてくれていたのです。」

「なるほど。それで現役の団員自ら全力の手合わせをもって実力を測ろうとした、ということですね。」

 冷ややかな視線がうつむいたままの団員の心を撫でる。団員は体の芯から冷やされたようにガタガタと震えだした。

「ならば、私が彼の実力を測っても構わない、ということにもなりますよね?」

「そんな!団長にガキの相手をさせるなんて!」

 団長自らの名乗り出にアードルフは心底慌て口調を乱す。全ての者に敬意を持って当たることを信条としている自衛団にありながら軽蔑した物言いにエルランドの冷徹な視線が向けられる。

「し、失礼いたしました。」

「・・・・・はあー、私だって自分の部下が負けるところを見たくはないのですよ。」

「!?・・・いや、何言ってるんですか、団長?俺がこんなガキに負けるわけないじゃないですか!あっ・・・。」

 団員の目は完全に焦点を失っていた。子供相手に全力でかかろうとした場面をボスに見られた挙句その子供より劣るとボスの口から告げられた。信じられない言葉に口が勝手に反論の言葉を発したがその口以外心も体もすでに逃げようとしていた。口につられ前のめりになった上体を戻すと二、三歩バタバタと後退した。反論を述べた口さえも不味いことを口にしたとすぐに噤んだ。

「日頃の訓練を欠かしていなければ相手の実力ぐらい感じられるものです。団員として、戦いの最前線に立つ者として恥を知ってください。一からやり直しですね。」

 エルランドの言葉がぎりぎり保っていたアードルフの膝を砕いた。

「アマデウス君。うちの団員が失礼を働いたようで、申し訳ありません。あなたも謝ってください。」

「すまなかった。」

「い、いえ。僕も言いすぎました。」

 さっきまで怒り狂っていたアードルフが怯え、慌てふためき、今は意気消沈している。この目まぐるしく変化する状況にアマデウスは置き去りにされつつあった。

「お互いに謝ったことですし、この件はこれで終わりにしましょう。」

「は、はい。」

(失敗しました!これでは入団試験がっ!)

 状況に追いついた頭が即座に警鐘を鳴らした。アマデウスはすぐに口を開こうとしたが、杞憂であった。

「ところでアマデウス君、先ほどの試験の話なのですが、私が相手でも構いませんか?」

 ぞくり。エルランドの纏う空気がまた変わった。殺気とはまた違った重く粘着質な空気。アマデウスのつま先から脳天まで全てを包み一挙手一挙動、心拍に至るまで全ての動きを見られているような気がした。

「望むところです。・・・ですが、合格条件を聞いてからにさせてください。」

「・・・では、私に一撃入れることができれば合格、という条件でどうでしょう?」

 少し悩んだ後エルランドの出した条件は端から見れば無謀でしかなかった。自衛団の各番隊隊長であっても一対一では団長に有効打を与えられる者はほとんど居ない。

「わかりました。エルランドさんに一撃入れれば合格、それでお願いします。」


 広場の中央に二〇mほど距離を置いて二人が向かい合う。アマデウスの試験開始時刻は一五時一五分からと改めて指定された。開始まで残り一分と迫っていた。

「アマデウス君。私は本気を出してもいいですか?」

「当然です。本気を出していただかないと僕も刀を振るえません。」

 優しく柔らかい空気に包まれていたエルランドは『そうですか。』と一言呟くとそれまでの空気を破り捨てた。戦場を生き抜いてきた者だけの本物の殺気、緊張で呼吸もまともには出来ない。この場の重力が突然強まったように体が重くなる。手のひらにじわりと嫌な汗が滲むのがわかった。

(やっぱり、この人の強さは尋常じゃない。)

 視界がエルランドの周りだけに絞られていく。

 ひや。梅雨時のような蒸し暑く気持ちの悪い湿度を感じていた手のひらに、冷たくて柔らかい何かが触れた。

 視線を落とすとアリスの小さな手がアマデウスの固く握られた拳に添えられていた。アリスの大きな瞳がじっとアマデウスを見つめている。

「大丈夫。兄様は負けない。流れを感じて。自由に舞って。」

 急に世界が広がった。

大きく一つ深呼吸して呼吸を体の感覚を確かめる。

 (はい、大丈夫です。呼吸も正常ですし、体も動きます。)

 もう一度大きく息を吸いながら空を見上げる。いつも以上に視界が広く、世界がより色鮮やかに感じられた。

「ありがとうございます、アリス。もう大丈夫です。」

 アリスは手を背中に隠し少し恥ずかしそうに笑って見せた。

「必ず勝ちますから離れたところで見ていてください。」

コクリ。と頷くとトタトタと走って去っていくアリス。途中一度立ち止まると振り返りアマデウスに向けて親指を上に立てて拳を突き出してはまた離れていった。

「エルランドさん、僕と舞ってくれますか?」

 アマデウスの問いにエルランドは笑みで応えた。


一五時一四分五五秒、五六・・・五七・・・五八・・・五九・・・


ダン!試験の開始と同時に動いたのはアマデウスの方だった。刀は構えずに両腕を後方へと流したまま前傾でエルランド目がけて走り出す。

アマデウスの動きを確認してからエルランドはゆっくりとその腰に下げられた剣に手を伸ばした。エルランドが剣の柄に触れるとまるで血液が循環するように剣や鞘に光が流れ、鼓動を打つ。

「剣の名はエクスカリバー。この世に名高き聖剣です。ただ普通の剣ではありませんので、お気を付けください。」

 鞘から現れる刀身は強い光を放ちやがて長い両刃の剣身にとどまった。

 アマデウスはゆったりとエクスカリバーを振りかぶるエルランドを変わりなく視界に収める。

「はっ!」

 エクスカリバーが振り下ろされるその瞬間、剣身は再び強い光を放った。

 光はアマデウス目がけ空間を塗りつぶしていく。

ダッ!アマデウスは光が放たれた瞬間に横っ飛びで走行ルートを二メートル右へとずらした。

―――ザザン・・・。アマデウスを目がけた一本の光の筋は後方一〇mの辺りまで至ったところで霧散した。光が収まった時には地面には深々と斬撃の跡が刻まれていた。

「まさか予備知識もなく初見でエクスカリバーの一撃を躱されるとは、驚きました。」

 『驚いた』そう口で言ってはいるもののエルランドの表情には微塵も驚きは表れていなかった。今のエルランドは入団試験の試験官なのだ、先ほどの一撃も試験の内の一項目なのであろう。

―――キンッ!

余裕を見せるエルランドに対するアマデウスの初撃は全速力からの低い足元への一撃。エルランドはこれを正面からは受けずにエクスカリバーの背で受け流し即座に返しの一撃を振るう。アマデウスの前後に伸び切った体目がけエクスカリバーは振り下ろされる。

(今回は初見でしたし、まあこれぐらいのものでしょう。初撃を躱しただけでも見事です。)

アマデウスに対する評点をつけながら試験終了を告げる剣を下す。

ギンッ!

試験終了を告げるはずの音は想像とは大きく異なった強い金属音だった。

「何を惚けているのですか?試験はまだ終わってはいません。」

 想定外の金属音はエクスカリバーが弾かれる音だった。最後の一撃で気絶するはずだったアマデウスは未だ健在ですでに次の一撃に入っていた。

 アマデウスが一気に踏み込んだことでお互いの武器の間合いの中で剣劇が繰り広げられる。

 エクスカリバーでアマデウスの攻撃を正面から受けながらもその全てを弾き振るうエルランドはまさに騎士の手本といった様を見せていた。それに対しアマデウスは決して正面からは受けず体の回転も合わせエルランドの攻撃の全てを受け流しロスなく次の攻撃につなぐ。絶えず流れていながらも重心の移動と回転運動により繰り出される攻撃は確かな重みと威力を持っていた。不規則で流動的な動きの中に緩急が存在しているアマデウスの攻撃はまるで舞のように美しく周囲の者は不思議と視線を引き寄せられていた。

 長剣のエクスカリバーでは絶えず流れるアマデウスの攻撃は追い難く、次第にアマデウスの攻撃が先行し始めた。

(このまま流れに乗っていれば必ずチャンスが、)

ギギン!『このまま押し切れる。』アマデウスの集中にわずかな隙が出来た一瞬。その一瞬にしてエルランドはアマデウスの刀を弾き体に二つの切り傷を刻んだ。

見ると両手長剣だったエクスカリバーは片手長剣のサイズにスリムアップしている。

「最初の一撃から感じていましたが、エクスカリバーは生きているのですね。」

「生きてる、ですか。端から見たのでは剣そのものに形状変化魔法が組み込まれている、と考えるのが普通なのですが・・・。魔法の扱える者であればいざ知らず魔力を持たないピュアヒューマン純人間であるあなたが一目見た時点で気づいたのはなぜですか?」

「あの・・・すみません。なんとなく鼓動というか生きてるなーって感じがしたというだけです。」

 恥ずかしそうに話すアマデウスはただの子供で力を隠しているようには全く感じられなかった。

(先ほどの一撃を防いだことと言いエクスカリバーの鼓動を感じたりあなたは普通のピュアヒューマン純人間とは違うようですね。)

 ただ感覚が鋭く反応がいいだけなのか、本人の自覚していない何か特別な要素が隠れているのか、エルランドの頭に一瞬議論されかけたが今は試験の最中であり会議室はすぐに撤収された。

「エクスカリバーには光の精霊が宿っているのですよ。初めはただの光の力を持つ剣、というだけだったのですが、今では思った通りの形に成形出来るそうです。」

 エクスカリバーを慈愛顔で見つめながらその剣身を優しく撫でるとエクスカリバーもまた喜びながらエルランドの手のひらにすり寄っているような気がした。

(さっきよりも気配が大きくなってます。まだ強くなるなんて本当冗談になりません。)

 エルランドから感じられた余裕は削られていき圧倒的な存在感と実力が空気を通して感じられる。それでもアマデウスの集中は一切欠けることなく一層研ぎ澄まされていった。それを感じたのか、エルランドも改めてアマデウスに向き直る。

「まだまだ舞ってくれそうですね。」

「当然です。まだエルランドさんに一撃入れていません。」

 言葉を言い終わるかどうか、そんなタイミングで第二ラウンド初撃は繰り出された。

「不意打ちすれすれですよ、騎士道に反するのではありませんか。」

 速度が段違いに上がった上に不意打ちまがいなエルランドの一撃をアマデウスは咄嗟に受け止める。

「あまりゆっくり出来ないようですので・・・。」

「えっ、今なんて・・・。」

 鍔競り合いの最中呟かれたエルランドの声はアマデウスには聞き取ることが出来なかった。

「集中力が足りていませんよ。」

 純粋な力勝負では当然エルランドに分がある。アマデウスは跳ね除けられ態勢を崩し、次の一撃も刀を当てて防いだのみ。さらに後ずさりを重ねるアマデウス。繰り返されるエルランドの攻撃は徐々にその速度を上げていきアマデウスに押し迫る。

 ガギン!

 足元から斜め上に振り上げられたエルランドの一撃がアマデウスの上半身ごと刀をかち上げた。完全に伸びきったアマデウスの体は次の一撃に備えることなど不可能だった。無常にもエクスカリバーは振り下ろされる。

(刀で受けられないならっ!)

 全神経が見ることだけに注がれていく、聴覚・触覚・嗅覚・味覚から得られる情報を捨てさり剣を見ることだけに一〇〇パーセントの神経を費やす。世界から音も肌を撫でる風の感触も匂いや味もそして色彩さえなくなっていく。そして得る情報が少なくなるごとに振り下ろされる剣がスローモーションになっていった。

コンマ二秒もあればアマデウスの右肩から左腰にかけて深く溝を刻みつけていた斬撃はアマデウスの体感で二秒たった今右肩に切っ先を入れようとしていた。

「うおおおおおお、」

 受けられないのなら躱すしかない。どれだけ早い斬撃だろうがこれだけスロー再生してもらっていればたとえカタツムリだろうと躱せるに違いない。

しかし、上空に飛んでいきそうなほど強くかち上げられたおかげで体は伸び切ってしまっている。両腕は上空へ飛んで行ってしまいアマデウスの指示など届くわけがない。両脚だって体を浮かさないように地面を捕まえておくのに必死でそれどころではない。回避の要となるはずのユニットが全く使えない。それでも脚は地についていて体幹は生きている。

 『体幹が生きているのでしたら』と言わんばかりに、体幹のみの力で体をひねり上空への力に占められた体に無理矢理回転方向の力を生み出した。

――――ヒュン。

 間一髪。振り切られたエクスカリバーは服を掠めただけでアマデウスの体に溝が刻まれる危機は回避された。

アマデウスは危機を回避したところで止まってはいなかった。

「おおおおおおお、」

(この人に一撃入れるには、勝利するには今しかない。)

エルランドは今勝負を決めるはずの一撃を躱され態勢を崩している。対するアマデウスはその一撃を躱した時点で次の一撃の準備は完了している。

回転したことで傾き始めた体を立て直すために目一杯踏み込まれた脚は攻撃のための踏み込みとなり、致命傷を与えるに足る重さ、速さの一撃を繰り出す力は用意された。あとは体を伝う力を流れのままに刀に乗せ振るうだけだ。

「りゃあああああ!」

――――シュッ。

 振り切られず、獲物を捕らえることもなかった刀の切っ先から乗せられた力だけが空中へと放たれる。

 アマデウスの刀はエルランドの喉元手前五㎝のところで制止していた。

「惜しかったですね。」

 エルランドは汗一つない爽やか笑顔で言ってみせた。

「なにが『惜しかったですね』ですか・・・。」

 対照的にアマデウスは汗にまみれ苦しそうに笑った。その顎の下一㎝にも満たないところでエクスカリバーが太陽に嫌味のように負けないぐらいの光をギラつかせていた。

「もう一戦、お願いできますか?」

 体を起こし乱れた息を整えながらアマデウスは再戦を申し込んだ。

「アマデウス君が望むのであれば何度でも!と、言いたいところなのですが申し訳ない。今日は時間切れのようです。」

「何か予定でもあるのですか?」

 悲し気にシュンとさせた顔で尋ねるアマデウスを見て、『まあちょっとね。』と苦痛を隠すような苦笑いを作った。思い出すと頭が痛くなる案件を思い出してしまったようだ。

―――ヴー、ヴー。

苦笑いを作るエルランドの右耳に装着された通信機からバイブ音がし始めた。

「はあー。」

 声には出していないものの脳内でアテレコしてしまうほどあからさまなため息をついた後、しぶしぶ着信に応答する。

「はい、こちらエルランドです。」

 電話先で何をそんなに怒られているのか何を言っても引き下がらないクレーマーへの対応ぐらいにひたすら頭を下げ続けた後もう一度、今度は声に出して大きなため息をついた。

「通信何だったのですか?」

 ここで相手を聞かなかったのは知ってしまうと面倒そうだからではなく、単に聞いたところでアマデウスの知っている者ではないだろうと言う確率的推測からである。

「ああ、はい。実は今日ある集団が大規模な襲撃計画を立てているという噂が上がっていまして、その会議の途中で抜けてきたのですよ。」

「つまり、仕事をサボタージュして逃げてきたのですか?」

「い、いやいや違います!仲間がものすごーく優秀なので私が居なくても大丈夫かなーと思いまして、任せてきただけですよ。」

 必死に汗マークを飛ばしながら、一〇歳の子供それも話に関わりのない外部の者に言い訳する姿は非常に情けない。エルランドのことを見る目も自然と冷淡になっていった。

(エルランドさんとはまだ会ったばかりですが、この人は多重人格者なのではないでしょうか?)

 まだ言い訳を続けているエルランドの正体に対しアマデウスは現実逃避に等しい解釈を脳内会議に提出していた。

「とにかく、申し訳ないのですが私は戻らなくてはならなくなってしまいました。再戦の話ですがよかったら明日、自衛団の本部に来ていただけますか?」

「明日ですか!」

「本当に申し訳ない!それでは私はこれにて失礼します。」

 アマデウスが取り付く島もなく、帰っていくエルランドは戦っているときの二倍は速度を出していた。

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