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街は沈む

作者: ちま

 ただ暗く、光の届かない水底を覗いていた。この下の区画はすでに沈んでしまっている。上の区画ではまだ少なくない人が住んでいるけれど、これが現実だった。じわりじわりと海水に侵されている区画のまだ安全な場所で、私は何も見えない水底をただただ見つめていた。これが日課であった。

 もうずいぶんと前から船底に穴は開いていたのだろう。ゆっくりと侵食する海水に誰も気づかなかった。いや、気付いていない振りをしていた。私もそうだった。時折、この船で使われなくなった区画は切り捨てられていた。使われなくなったのではなく使えなくなった区画だったのかもしれない。私が生まれた頃には、使える区画の方が少なくなっていた。時折思い出したかのように人々は集まり、海水を外に捨てたりしていたが、この船の寿命は延びていたのかはわからない。ただの自己満足に過ぎなかった。居住可能な区画が減少するに伴い、人口も減少していった。小さなひびも次第に大きな亀裂となっていた。船はゆっくりと傾いていた。誰もがそれを知っていたのに、誰にもそれは直すことはできなかった。それは致命的な傷であった。直す術はすでに失われていた。

 人類が海の上で生活するようになってからおよそ百年。当時の科学者たちの叡智を結集させて創られたこの船は希望そのものであった。陸地が失われつつある世界において、本当に最後の手段であった。船には多くの人と遺伝子が積み込まれた。今ではもうその殆どが水底に沈んでしまっているのだろう。船は海流に乗って、少ないエネルギーで世界中を何周もした。同じように海上で生活する人々や少ない陸地に留まる人々とも交流を持ち、情報を共有して少しでも人類というものを延命させようとしていた。海上生活の中で生まれた両親は希望の塊であった。世界中が海に覆われてしまっても人類はまだ続くことができる、そう思わせる存在であったらしい。また、科学者たちの見解では、船の寿命が尽きるより先に陸地がまた現れると考えられていたらしかった。百年経っても陸地は現れず、百年ぽっちで船の寿命が尽きてしまうということは誰も考えていなかったのだろうか。考えたくもなかったのだろうか。

 たったの百年、人類は延命したけれど、それもそろそろ終わろうとしている。私が生まれた時点で、希望はほとんどなくなっていた。人々はただそれまでと同じような生活を送り、終末なんて来ないようにふるまっていた。環境が悪いのか、陸地で暮らしていたころより人類の平均寿命は半分ほどになり、先を考えられる人間は居なくなっていた。希望の塊だった世代の両親は、私たちのような未来の無い世代を産み落とし、先に逝ってしまった。私は深い深い水底を覗きながら、いつでも未来を希望していた両親を思い出していた。不幸であり、幸福な世代だった。

 幼い頃から私は青々と広がる水平線が怖かった。この先のどこかに必ず陸地があるだなんて両親は言っていたけれど、全く信じられなかった。いつこの青さに飲みこまれてしまうのか、そればかりを考えて眠れない日々を送っていた。その予感は正しくもあり、間違いでもあった。沈んだ区画は青さに飲み込まれるのではなく、ただ黒く染まっているだけであった。私はそれに安堵した。魚の影さえ見えない闇は、不思議と私を安心させた。それを知った日から私は毎日、人目を忍んで立ち入り禁止の区画に出入りするようになった。誰もいない、波音と船がきしむ音が反響するだけの空間で、私は終わりの時を待っていた。沈んだ時に、誰よりも早く水底に辿り着きたいのかもしれない。出来れば苦しみたくはないな、とぼんやり思っているといつも以上に船の傾きが酷くなった。壁にたたきつけられ、青黒い海水が迫る。いよいよその時が来たのか、船が断末魔のような大きな音をたてている。足場がなくなり、容赦なく私の身体は水底へ引き込まれた。水底にたどり着くまでの間、私は人類が築き上げた文明をゆっくりと、走馬灯のように眺めていた気がした。

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