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希う

自分のルール

作者: 樒 七月

高校二年生が小学二年生に話しています。

 思い出話をしよう。

 大切な人との思い出を君に知ってもらいたいから。

 ずっと色褪せない記憶を言葉にして君に伝えよう。

 忘れることのない、幼い頃の出来事を。

 そういう思い出を積み重ねていって。

 そうやって、大人になっていくんだ。


 小学二年の夏休み。今の君と同じ八歳の時だ。従兄弟の家に泊まりに行っていたときの話だよ。

 夏休みに家族旅行に行った記憶はない。今まで両親と旅行に行ったことなんてなかったんだ。

 寂しくなかったかって? 幼馴染みがいたから、寂しくはなかったかな。

 夏休みに遠くに出かけるのは、一人で従兄弟の家に泊まりに行くだけだった。電車で一時間の距離は、俺が一人で出かけるのには丁度良かったよ。今まで零士れいじ兄さんと一緒に行っていたけど、その年は兄さんは部活があって一緒には来れなかった。

 従兄弟は十歳差の由宇ゆうお兄ちゃんと七歳差の宙翔そらとくん。零士兄さんと俺は六歳差で、宙翔くんの方が零士兄さんより年上なんだ。宙翔くんを『お兄ちゃん』って呼ばないのは、宙翔くんが「僕は由宇兄さんの弟だから、お兄ちゃんは付けなくていい」って言ったからなんだ。面白いよね。俺にとっては年上なのに。

 君も俺に『お兄ちゃん』を付けなくて良いよ。『一郎お兄ちゃん』って言いにくいし。『一郎くん』で良いからね。

 宙翔くんの方が年が近かったけど、俺は由宇お兄ちゃんとよく遊んでいた。あ、これからは言うお兄ちゃんは『由宇お兄ちゃん』だからね。

 毎日、近くの公園の遊具でお兄ちゃんと一緒に遊んでいた。その公園でしか見たことがない遊具が沢山あったんだ。一人では遊べないものもあって、楽しかったよ。

 丸いジャングルジムみたいな遊具って知ってる? 回るやつ。家の近くの公園にもある? 今度一緒に遊ぼうか。それに乗ってお兄ちゃんに回転させてもらっていると、景色が違って見えた。あの頃は目が回りにくかった気がする。君も目が回りにくいんだ? 同じだね。

 その時、公園には俺とお兄ちゃん以外に人はいなかった。

 ブランコに乗っていたところで、お兄ちゃんと同じ高校の制服を着た人達が公園に来た。夏休みだったけど、学校に行く時は制服を着ないといけないんだ。その人達は、学校帰りだったみたいだった。四人いて、言い争っていたんだ。俺達に気付いていないようで、大声で騒いでいた。

 三人が、一人に怒鳴っていたんだ。弱い者いじめに見えたよ。

「お兄ちゃんは正義の味方じゃないの?」

 お兄ちゃんは四人をじっと見た後、俺に向き直った。

「正義の味方じゃないよ」

「でも、こういうとき、いつも助けに行ってる」

「助けたいと思ったときはね」

 お兄ちゃんは無表情のままだった。無表情ってわかる? あんまり怒らないし、笑わないし、楽しそうにも見えない顔なんだ。

 お兄ちゃんは無表情なことが多かった。怒っているわけではないから、話しかけたら普通に返事が返ってくるんだ。最初は怖かったけど、親戚の中で遊んでくれるのはお兄ちゃんだけだった。零士兄さんは家でも遊んでくれなかったから、親戚で集まったときも遊んでくれなかった。本を読んで一人で過ごしていることが多かったかな。そんな零士兄さんにもお兄ちゃんは話しかけていたみたいだけど。

 親戚の中で、お兄ちゃんが一番好きだった。従兄だから会える時は限られているけど、会った時は一緒に遊んでくれた。家で遊ぶより、外で遊ぶことが多かったかな。母親から俺の服を買ってきてくれと頼まれたこともあったようで、商店街に出かけたりもした。

 そんなとき、薄暗い路地で誰かがいじめられていたりお金を取られたりしていたことがあった。そういう時はいつも助けに行っていたのに。

 なんで、今は助けないのか不思議だった。

「自分の中で基準を決めているんだ。ルールって言えばわかる? これを守りましょう、これをしてはいけませんっていう」

「学校に制服で来なさいっていうのと同じ?」

「うん。それは校則だね。そういうルールをね、自分の中で作っているんだ。それから、そのルールを社会のルールに当て嵌めてみる。社会のルールっていうのは『交通ルール』とか共通のルールだね。赤信号は止まりましょうって。その社会のルールに合っていなかったら、自分のルールを直すんだよ」

 かみ砕いて説明してくれたけど、あの時はよくわからなかった。ただ、お兄ちゃんには皆のルールの他に、自分のルールがあるんだということだけはわかった。

「で、僕はその自分のルールで助けていたんだ。前に一郎が見たのは、お金を盗られた時だったよね。お金を盗るのは犯罪っていう悪いことだからね、助けに行った」

「あの人、いじめられてるんじゃないの?」

「あれは喧嘩かな」

 喧嘩も傷害罪になったりするんだけど、って言っていたけど、あの時は理解できなかった。傷害罪っていうのは、怪我をさせたら警察官に捕まりますよっていうルール。そう、これも犯罪だよ。

 俺も友達と喧嘩をしたことはあった。幼馴染みと何度か喧嘩をしたことがあるんだ。言い合いばかりで殴り合いとか暴力はなかったけど。

 その喧嘩と同じだと、お兄ちゃんは言ったんだ。

「じゃあ、僕もお兄ちゃんと同じルールにする」

「僕と同じかー。まあ、今はそれで良いと思うよ。大きくなったら、もう一度考えれば良いし」

 お兄ちゃんは背中を押してくれた。ブランコが大きく揺れる。

 言い争っている声は続いていたけど、気にしないことにした。喧嘩に他人が入るのはよくない、と分かっていた。自分の喧嘩に誰かが入ってきたときは嫌だったし。何もわからないのに入ってくるな、って思ってた。

 ブランコはずっと乗っていても楽しかった。手を放して飛んで行きたいと思ったけど、お兄ちゃんに注意されていたから手は放さなかった。手を放さなくても、高く揺れるだけでも良かった。

 何十分乗っていたかわからない。急にお兄ちゃんはブランコを止めた。

「お兄ちゃん?」

「ちょっと話してくるね」

 言い争っていた人達は、いつの間にか遊具の影に移動していた。お兄ちゃんはずっと様子を見ていたみたいだ。道路からは見えない位置で、三人が一人を取り囲んでいた。

 その集団に、お兄ちゃんは近寄って声をかけた。

「そこまでにした方が良いよ」

 お兄ちゃんの声に、三人は振り返った。お兄ちゃんは高校三年生だから、同い年か年下の人達だ。

「……須賀! お前には関係ないだろ」

「ただの喧嘩ならね。でも、恐喝は犯罪だから無関係ではないよ」

「恐喝? どこが?」

「そういうところが。脅して、お金を取ったよね」

 お兄ちゃんは、お金を持っている手を掴んだ。

「学校が良い? それとも警察? 誰に言ってほしい?」

「……ッチ! 偽善者が」

 一番背の高い人がお兄ちゃんの手を振り払って公園を出て行った。お金は返していたみたい。

 お金を取られた人も、何も言わないで逃げて行った。お礼も言わなかった。

 偽善者って何かって? 本当は良い人じゃないのに、良い人だって見せる人。偽物の優しさってことだよ。

 後から知ったことなんだけど、お兄ちゃんは高校で人気のある人と友達で、妬まれてたんだ。妬むっていうのは羨ましくて意地悪になること。だから、あの時喧嘩していた人達はお兄ちゃんのことを妬んで偽善者って言ったんだと思う。お兄ちゃんは偽善者じゃないよ。自分のルールで良いことをしているから、偽物じゃない。

 あ、お兄ちゃんって強いんだ。いつも助ける時に殴られそうになっても、怪我をしたことはなかった。相手には怪我をさせないように腕を捻ったりして止めてた。俺もお兄ちゃんと同じように強くなりたかったから、空手を習ったんだよ。俺が強いのは知ってる? 君のお兄ちゃんから聞いたんだ? うん、俺に助けて欲しいときは言ってよ。


 これがお兄ちゃんとの一番大切な思い出だよ。俺のルールが出来た日だからね。

 君と同じ歳に、お兄ちゃんから大切なものを貰って、今までずっと守ってきたんだ。

 もちろん、これからも守っていく。

 君もルールを作りたい? じゃあ、お兄ちゃんのルールを教えてあげるよ。

 そこから、自分の守りたいルールを作れば良い。

 君がどんな大人になるか楽しみだ。

『希う』の登場人物で、語り手は「一郎」、聞き手は「優ちゃん」です。

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