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ハルショカ  作者: たむら
season1
8/59

誘惑ビフォー/アフター

会社員×会社員

 職場のコーヒーサーバーの前、かごに入れられているポーションミルクの蓋には誕生花が色鮮やかにプリントされている。三六六日分のバリエーションがあるらしいそれらは安定感がないのか、かごの中でころころと転がっているものが多い。コーヒーが落ちるまでの間に一つ一つきちんと蓋が上に来るように並べ直して誕生日とその花言葉をチェックするのは、もう癖になっていた。

「――あ」

 小さな呟きは、自分と同じくコーヒーを入れに来た=残業中の小休憩中である同僚の中川(なかがわ)君が拾った。

宮迫(みやさこ)、どうした?」

「私の誕生日! ほら」と指でつまみ上げ、数日後に迫ったその日付を見せびらかす。

 誕生花はいちご。記された花言葉は、『誘惑、甘い香り』。大好きないちごが自分の誕生日に関連しているのが嬉しくてにこにこしてたら、「つましい幸せだな」なんて云われてしまう。ふんだ。

「いいんですー。お誕生日に彼氏レストラン連れてってくれると思うしー、多分超々ステキなプレゼントくれるしー」とだいぶ脚色を施して口にすると、中川君はたじろいだ様子で「……そうか」と自席へ退散した。自分の分のコーヒーをいれるのも忘れて。

 ちょっと、プレッシャーかけ過ぎたかなあ? 苦笑して、奴の分もコーヒーを入れ、自分のも持って机までデリバリーしてさしあげた。

「はい」

 紙コップを手渡すと、「あ、サンキュ」と照れ笑い。二人とも猫舌人なので、長いことふうふうして、それからようやく口に含む。溜まっている仕事を週末までに片付けたいらしい同僚の指が生み出す、キーボードを間断なく打つ音たちばかりがそこここから聞こえてくる。コーヒーをひとくち二口飲む間、ここだけ静かだった。

 中川君は中身をこぼさないようにか紙コップを注意深く机に置くと、「超々ステキか分かんないけど、いちおう用意はしてあるから」とぼそっと告げてきた。

「ん、ありがと」

「――で、ご存じのとおり、レストランとか俺あんま詳しくないんですが」

 そんなの想定内ですよ、とは告げないまま一旦席に戻り、今度は付箋を貼ったレストランガイドを渡す。

「貼ってある中から選んで予約して」

「わかった、ありがとう」

「今回だけだからね、こんなに甘やかすのは」

 今まで女性と深いお付き合いをしたことはないと交際スタート前に自己申告してきてた中川君と、付き合い始めてこれが最初のイベント。今後も『俺よくわかんないから』であれこれ済まされてはたまらないので一回こっきりの特別措置だ。まあマメな仕事ぶりを見ればそんな人じゃない、とは思うんだけど。

 断言するには、まだ私たち二人の歴史は浅い。そして、同僚としてまた友人として見せる顔と、恋人に見せる顔が違う人がいることも、なんとなくは知っている。

 なのでお互い、今は距離を測りながら近づきつつある途中。


 花言葉にあるような甘い香りも思わせぶりな誘惑も、この人には何一つ通じなかった。なにせ、中高を男子校で過ごし大学も男女比率が九:一という学部で、せめて外部の女子と交わるサークルにでも入ればよかったのに趣味のエンジン(『趣味のエンジン』ていうくくりがもう分からないんだけど。エンジンって趣味で語るものなのか)同好会なんてものに入ったがために当然そこでも女子との交流はほぼなく、姉妹はおろかいとこや近所の仲良しさんにも異性はいなかったというから対女子スキルのなさは筋金入りだ。

 そんな彼に「今度、どこかで食事でもしない?」と勇気を出して誘ってみれば、感じの良い笑顔でこちらをいい気にさせてから「そうだな、じゃあ皆に声掛けとくよ」だし、彼自身へ褒め言葉を連ねてみても「またまた」とただのお世辞扱いされたし、何度も凹んだ。今まで落としたい人は百発百中のスナイパーだった私が、自分を女だと意識されてないってことであんなにショックを受けるとは思わなかった。『二人で』という分かりやすいワードがなかった時点で食事=同期会に変換されてしまった、褒め言葉の中の何割に本気が含有されているかなんてことを推し量る技能が俺にあるわけない、とは、付き合ってからの答え合わせで知ったこと。

 まあ、女扱いされてなかったのは自分だけではなかったので、今となっては彼の鈍感力に感謝している。大学時代はどうだか知らないけど、同期としてこの会社に入って私と付き合うに至るまでに他の人の手が付いた形跡はないから。でも、自分のお手つきもなかなかさせてもらえなかった日々を思い返すと、むず痒いを通り越してはっきりと痛い。


 それまで私が恋愛で発動させていた『好意を匂わせて、追わせる』は、中川君相手にまったく機能しなかった。

「中川君ていつも素敵なネクタイしてるよね」

「お休みの日って何してるの?」

「前に話してくれた実家の猫ちゃん、元気?」

 少しだけプライベートに踏み込んだ言葉。ほんのひと匙の親しみを添加したそれに、秘密というと大げさな、でも『二人でしか通用しない話題』というタグを付けて差し出す。

 そのタグが増えれば増える程親しくなる。そして秘密の深度もどんどんその度合いを増す。

 それでいて、射程圏内に入ったと確実に手ごたえをつかむまでは、こちらからは一切決定的な言葉は発しない。

 私にとって恋愛はそうやって始めるものだった。

 中川君にちょっかいを出したのは、平均点な見てくれをしているのに浮いた噂一つなく、たまに女性社員の側からそんなそぶりを見せられても軽やかにスルーする彼を私なら落とせると思ったからだ。なのに、駄目だった。それで余計ムキになったことは否めない。するりと逃げて追わせる筈がするりと逃げられて逆に慌てて追いかけて、手を伸ばして食らいついて。こんなの、私らしくない。そう思うのに。

 声を掛ける。笑顔を返される。

 胸が弾む。見当違いの答えにがっかりする。

 その繰り返しの中に、私は一体何を見つけたのか。

 

「なんであの子のお誘い断ったの? もったいない」

 スルーされまくってた頃、私と同じようにアプローチしてた後輩もあっさり躱されたのを不思議に思ってコーヒー休憩の時に探りを入れたら、間違えてスティックシュガーを何本も入れたコーヒーを飲んでしまったような顔をして、「――誘われたって、何?」と聞き返された。

「え、あれどう考えてもお誘いじゃん」

「だから何が」

 心底わからないと云った顔をする彼を見て、あらこれはもしかしてと一つの可能性を見い出す。

「家におーっきいディスプレイがあって、それで休みの日にDVD観るんだって中川君が話したら、あの子『じゃあ今度お部屋にお邪魔させてくださいよ』って云ったじゃない」

 それは飲み会の時で、周りの人達にも隠さず後輩は堂々と『この人をいただきます』の宣言をした。二人きりの時を狙い澄まして声を掛けていた私はその漢らしさに、やられた、と思ったものだけど。

「あれは単にうちの大画面で映画を観たいって話じゃなかったのか」

「――な訳ないでしょうが」

 ビンゴ。こいつは相当のにぶちんだ。

 別に来てもいいけど、うちにあるDVD暗ーい戦争映画とかばっかりだから、たぶん楽しくないよ、なんてみんなの前で困った顔で云われたら、普通はお断りされたと思うもんだ。彼女もそうですか、って笑顔で、でもその後はすーっと離れて他のテーブルに行っちゃったし。

「中川君はなんでそんなに恋愛スキルが低いのよ」

 ライバルが去って行ったことにホッとしつつ、自分が相手にされてない悔しさも交えて盛大に呆れたら、「女子慣れしていないからそんな曖昧に云われても無理」とようやく空振りの原因を教えてくれた。

 仕掛けられていること自体も分からない人ならば今までの対戦の惨敗具合にも合点がいく。てんで相手にされていなかったそれは高等なスルーじゃなく単に認識されていなかっただけ。

 なら、どうしたら本気にしてくれる? こっちをちゃんと見てくれる?


 さんざん悩んだ末に脳がひねり出した解答は、『気持ちをきちんとはっきり伝える』という、とてもシンプルかつアナログで、当り前なことだった。

 でも、もう何年もそんな尊い行為をしていなかった自分にとって、それはとんでもない苦行で、恐怖の対象だった。

 だって自分の気持ちをラッピングも施さないでそのままさらけ出すなんておっかないじゃない。怪我をするのは痛いからいや。突っ返されたらもっといやだ。

 それでも、『やっぱり、この人がいい』と思う気持ちは何度吹き消そうとしてもそう簡単に消えたりしない。

 相手が自分をどう思ってるか分からない時点でこっちから動くのも相当怖いけど、もうそれしか伝わる方法がないなら、仕方がない。

 そこまで考えて、苦笑した。私は怖がりなんだな、意外にも。だからあんな曖昧な始め方ばかりしていたのか。


 伝えるならメールではなく、直接顔を見て。そう思って、「話があるんだけど、二人だけで会えないかな」とこちらから声を掛けた。きっと中川君はこれを脈ありだなんて思わずに、ただ『聞かれたくない話があるんだな』と思うんだろうと思った。そしてそれはビンゴで、待ち合わせたカフェに残業して遅れて現れた彼がオーダーを済ませてまずこちらに聞いたのは「どうした? なんか、あった?」とひたすら私を気遣う言葉だった。にぶちんなくせに、人のことばっかり心配しちゃって。

 そういうところがいいんだよなあ。そう思ったら、怖いとか傷付きたくないとかがすっと納まって、かわりに告白の言葉がするりと出てきた。

「中川君が好き、なんだ」

 誰がどう聞いても告白にしか聞こえないその言葉を口にして、私はどうだこれで勘違いなど出来まいと心の中で盛大にドヤ顔をして見せた。なのに。

「――宮迫が」

 怪訝な顔で私を指差し、次にその指を自分に向けて「――俺を?」と聞いてきた。

 何故にそんな理解出来ない、みたいな顔されてるかな。

「いっとくけど、異性として意識してるから。遊びでもないし騙してもないから」

 なんか中川君に云われそうだなーってことを先に云ったら黙られた。

「でもって、LIKEじゃなくちゃんとLOVEなので」

 とどめを刺したら、やってきた淹れたてのブレンドコーヒーをふうふうしないで口付けてみたり、口を付けてからミルクを入れようとしてみたり大胆にこぼしたりと、盛大に動揺してくれた。

「まあ落ち着きなさいよ」と紙ナプキンを渡しつつ、妙なアドバンテージを感じてた。実際には向こうの気持ち次第なのに。

 それでももう、怖くはなかった。むしろせいせいした。

 なるようになれ、だ。駄目ならだめで仕方がない。


 中川君の動揺は長く続いた。結局一言も発さずに、カップさえ冷めないような短い時間であたふたとコーヒーを飲みきった。待て、こっちはまだ全然飲んでないっつうの。

 ため息を静かに漏らして、こちらもカップを口に運びつつ何でもなさそうな口ぶりで云った。

「わざわざ呼び出したりなんかしてごめんね。そっちから話すことがないなら、もう行ってくれて構わないから」

 裏返された伝票ホルダーを手元に引き寄せていたら、飛び出してきた手がテーブルの真ん中らへんでその動きを止めた。二人して押さえてるから同時に同じかるたをとったみたいになってる。

「中川君?」

「あの、」

「うん」

「同僚として、ってこと……じゃあ、ないんだよな」

 なんじゃそら。

「そろそろ私、怒ってもいい?」

 飛び切りの笑顔で拳を固めたら若干、いやだいぶ引かれた。

「あの、俺も、宮迫の事は憎からず思ってて、」

「うん」

 ちょっとその古めかしい言い回しに、すこしだけ和んだ。

「そうだといいなあとは思っていたけどそっちの気持ちとか全然分かんなくて」

「にぶちんだからなあ中川君は」

「……宮迫の云う通りだから、多分付き合ってからも色々気が回らなくてそのたびにそっちを怒らすと思うけど」

「ちょっとなんでそこ悲しませるじゃなく怒らすな訳?」

「さっきの拳見たらそうなるだろうが」

 ああもう話が脱線しまくり。

 でも急かしたら駄目なんだよね、向こうはビギナーなんだし。

「なのでそれでも良いということであれば、是非お付き合いをご検討していただきたく」

「仕事か」

 低い声でつっこんだらようやく二人とも笑顔になった。

 この中川君のスマイルが、私のものになるのね。手も。唇も。いずれは体も。

 早いとこいただいてしまいたいけどきっと処女相手にするみたいに接しないといけないんだろうなあ。

 私の心の舌なめずりなんかこれっぽっちも知らずに、中川君はやけどしたらしい口の中を冷やすのにお水をちびちび飲んでた。

 水にぬれた唇がつやめいてて、こっちはなるべく早い段階でいただいてしまおうと決意した。


「よし、まずは私のことを下の名前で呼んでもらおうか」

 両思いになったのだしとさっそく提案したら、「いやいやいやいや無理無理無理無理」と即答された。ち、この童て……もとい、ビギナーめ。

「じゃあ手は? 繋げる?」

 お手させるみたいに掌を見せたら、おずおずと近付いてきた私より一回り大きい手。

 そーっと包んできたから、焦れて捕獲(コイビトツナギ)をしたらびくっとされた。

「何か怖いんですけど」

「ダイジョーブダイジョーブ」

「慣れてないんだ、優しくしてくれ! ゆっくり!」

「してるじゃないの、心外だなあ」

 人を狼扱いするもんじゃないわ。今日ひん剥くわけじゃないんだし。


 その後も、ビギナーな中川君に一つ一つ根気強く教えつつ、すこーしずつ距離を近づけていった。女の人の気のある素振りや、ライバル認定してきた同性からの牽制の言葉を私から聞いて「そういうことか」と頷く姿に、改めながらこの人がスルーしてきた誘惑の多さを知る。

 今お付き合いしてるのは私なのに、そんなのを無防備に披露してしまう中川君が面白くなくて、そんな時にはじーっと見つめてみたり、間近まで唇を寄せてみたりと、つい困らせてしまう。ビビらせてごめんよ。


 そんな中川君とのようやくで初めてのキスは、私のお誕生日ディナーの後。人通りの少ない路地を並んで歩いていたら、「宮迫」と肩をちいさく引かれ、足が止まる。見上げれば、やっと向こうから顔を近付かせてきてくれた。こっちからも近付きたいのを我慢していい子で待っていたら。

 ビギナーは、どうやら目測を誤ったらしい。ごん、と鈍い音がして二人のおでこは見事にぶつかってしまった。

 一瞬、なんだ? って間近で目を合わせて、痛むおでこを二人して笑って、それから仕切り直した。

 こんなアクシデントにも興覚めにはならずに胸の高鳴りは続くのが不思議。

 啄む唇も、ぎこちない二人。私の方が場数踏んでる筈なのに、うまく舌を誘い込むことも出来ずに、ただ触れるだけの口づけを何度も交わした。

 こちらへ歩いてくる足音と会話を聞いて、ようやく互いから離れる。あのお店美味しかったねー、もうお腹いっぱいだよーと云う見知らぬ子たちの楽しげな声が遠ざかるまで、意味もなくショーウインドウに映る自分を見ながら前髪を弄ってた。

 耳を飾っているピアスは、今朝選んでつけたものではなく、中川君が私にくれた『超々ステキなプレゼント』。あの誕生花のポーションミルクを見つけた時より前に、私に似合いそうだと思って買い求めてくれたというこのピアスは、偶然にもいちごのモチーフだ。

 渡された時にもお礼を云ったけど、何度云っても別にいいだろうと「これ、すごくかわいくて素敵。ありがとう」とウインドウ越しに目を合わせて口にすると、「そう云ってもらえてよかった」とそっと手を繋いできた。



 はじめての、というフレーズをつけた恋人と二人でする色んなことを一つ一つクリアして、今や私の言葉をスルーしない中川君相手に、私は今更「この後、もう一軒行く?」と手の甲に触れたり、「まだ帰りたくないなあ」としなだれかかってみたりする。そのたび、彼は「……うん」とはにかみつつ誘惑されてくれる。

 そんな風にうぶい反応でこちらを悶えさせるくせに、このごろの彼ときたら歩き出したタイミングにさっとその大きな手で私の手をさらって、こちらを大いに動転させるのが得意だ。

 ついこの間までのおそるおそるな近付きっぷりが嘘みたい。私がちょっと赤くなったからって、そんな優位に立ったような顔して。ああもう、せっかく我慢してたのに今すぐうちにお持ち帰りしたくなっちゃうじゃないか。

 そんな、狼な気持ちもありつつ、本当にも少し一緒にいたい気持ちもあって、まだ残っていた最大の誘惑を差し出すことにした。

「今日は、一緒に私のうちに、かえろ?」

 笑いながらさらっと口にする筈だったその台詞は、つっかえつっかえの、変にせっぱつまった云い方になる。

 今のうそ、と取り消そうとして、ぎゅっと抱きすくめられた。

 いちごのピアスをした耳たぶの際に唇を寄せて、中川君は「うん」と一切の躊躇なしに、そう云ってくれた。


続きはこちら→ https://ncode.syosetu.com/n4134ci/41/

15/05/25 誤字訂正しました。

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