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ハルショカ  作者: たむら
season1
7/59

long,slow,distance(☆)

「如月・弥生」内の「未来の方から来ました」に関連していますが、未読でもお楽しみいただけると思います。

×高校生

 陸部顧問の松ケンは、体育教師なのに(なのにって変だけど)小柄で、先生である事を示すIDを首から下げないで他校を歩いてると生徒と間違われちゃう位童顔で、そんな童顔な顔はなかなかかわいらしくて、私だけじゃなくこの学校の女子に一番好かれてる先生だと思う。

 って、まるで見かけだけ好きみたいなのは失礼だな。皆ちゃんと好きだよ、松ケンの事。

 体育会系のせいか、顔に似合わず熱いんだけどね、夏とか近寄りたくないくらい。その熱さが、もしかしたら中学生の時だったら嫌いだったかもしれない。高校生の今だから平気と云うかむしろ好きというか。

 とにかく行事大好き。体育祭前、受け持ちのクラスだけじゃなく他のクラスの子たちがバレーボールの練習してれば惜しみなく指導するし(松ケンはバレー部出身だ)、クラス応援の旗とか横断幕とかの作成で皆が残ってると、飲み物差し入れてくれたり、クラスが総合優勝した時には全校生徒+先生方+御来賓の方々がいるっていうのに憚らず男泣きして皆をもらい泣きさせたり。

 ――私には、それよりずっと前、決定的に松ケンを好きになってしまったきっかけが、ある。


 一年前。まだ、二年のはじめの頃。

 赴任してきたばかりの松本(まつもと)先生は、始業式の檀上で挨拶した時からそのルックスの良さに女子がざわざわしてた。でも私はそういう整った人ってなんか他の人を見下してそうで好きじゃないし、できれば関わり合いたくない派だった。

 なのにクラス担任になっちゃうわ、転出していなくなっちゃった陸部の顧問の座につくわで、接点めちゃくちゃありまくり。

 あーあ、って思いながら、松本先生が部活に来た初日、ちょっと気分が落ちたまま練習前ミーティングをした。

 ミーティングでは種目ごとに分かれて、それぞれのこの日のメニューをリーダーが伝える。ちなみに長距離班のリーダーにして唯一の三年の先輩は肉離れで休んでいたので二年生の間でその日ごとに持ちまわりでやっていて、この日はたまたま私はリーダー(仮)だった。人前でなんかするのは苦手だから(てか、得意な人っているのか?)、早口でささっと伝える。

「まずLSD、それから……」

「おい!」

 今さっき、『とりあえず俺からは口出ししないので、今までのやり方を見せてくれ』と云ってたのは誰だよって勢いで私の言葉は遮られた。

「お前、今、LSDっつった?」

「はあ」

 私がそれが何かと返したら、松本先生がそのかわいい顔を歪めて怒りだした。

「ふざけるな! 薬物なんて絶対ダメだぞ! お前たちは一時の快楽で一生を犠牲にするつもりなのか?」

 その突然の剣幕に陸部だけでなく、外練習だったバスケ部やミントン部までしんとしてしまったグラウンドで、先生の言葉だけが響く。

「悩みがあるなら云ってくれよ、出来る事は何でもするから! 俺も一緒に立ち向かうから! だから、薬物には手を出さないでくれ、頼む!」

 一人一人を見ながら、必死に訴えて。――元々熱い気質を持っている陸上部部員一同は、そんな松本先生に呆然とし、それからじーんと来てしまった。

 だって、初日だよ? まだみんなの事知らないんだよ。なのにどうしてここまで。

 教師で顧問だから、だけじゃない。この人は、多分こういう人なんだ。人とまっすぐ関わる事を疑問にも思わない。その先に何があるのかも知らないくせに、信じる方にすべてのコインを躊躇なく差し出せる人。

 ちょっと、クールを装いたいお年頃の私まで、泣いてしまいそう。

 そんな中、部長がおずおずと「……先生、さっき佐伯(さえき)が云ったLSDは、多分先生もご存じのlong slow distance って云う走法の略で、薬物の方じゃないです」と告げると、先生は「う、嘘っ……!」と赤面しその場に崩れ落ちるという、女子高生顔負けのかわいい反応をしてみせた。

 勘違いの原因は、どうやら赴任前の学校で行われた薬物防止教室の印象が強く残っていたせい、らしい。うちにも県警の講師の人がきたけど、薬物で委縮しちゃった脳の画像とか、シンナー中毒の人が書いた、歪んだ○とか☆に見えない☆とか成人が綴ったとは思えないお手紙とか、かなり強烈だったからなあ、あれ。

「ご、ごめん……ほんとごめん……」

 しおしおといつまでも頭を下げ続ける先生に、こっちが「分かりましたから、もう頭上げてくださいいい!」と慌ててしまった。

「真面目にやってる人に、とても失礼な事云ったから」と先生はその日ずっと、神妙な顔をして練習を――もちろん薬物じゃないLSDも――見ていた。

 それをきっかけに、よく知りもしないで見た目だけで先生を『好きじゃない』って決めつけた私は変わった。一八〇度変わった。

 心は、足よりも速く勝手に走り出してた。慌て過ぎて転びそう。つまり、その。

 先生なんか相手に、恋をした。


 そうなると、疎みまくっていた環境は一転してパラダイスだ。だって、毎日教室でも部活でも会える。さすがに、体育の授業は受け持ちが男子だけなので受けられなかったけど。

 ちなみに、松ケンて呼び始めたのは私だ! 私が呼んでたらみんな当り前に呼ぶようになったのが、誇らしいようなちょっと悔しいような。

 初めてそう呼んだ日の事、覚えてる。日直で先生の下僕状態で進路指導のプリントを入れたダンボール箱を持って、二人で廊下を歩いてた時に「松ケン先生」って呼んだら、ん? て顔して、「俺の事?」ってきょとんとして、私が「そうだよ」って答えたら、「おお、そう呼ばれんの、初めてだ」ってすっごく嬉しそうに笑ってくれた。

「え、だって前の学校でも呼ばれなかった?」と私がどきどきを隠して平気なフリして聞くと、松ケンは「前は男子校だったし、『松っつん』とか『松っちゃん』とかだったから」って教えてくれた。

「共学初めてだし、女子にどう思われてるか分かんないから、今そう呼んでもらえてすごいほっとした。ありがとな」

 ぽん、って跳び箱を越えてくみたいに人の頭で許可なくその手を弾ませて、松ケンはさっさと廊下を歩いて行く。触れられたこっちの事なんか気にもしないで『おーい早く来い』なんて云っちゃってさ。

 ――ばか。他の女子もそんな風に触るの?

 自意識過剰なの分かってる。あっちは先生(女子に若干不慣れかつ鈍感)でこっちは生徒だ。

 恋なんかしたってかないっこない。生徒と教師の恋愛なんて、物語の中だけのモノなんだから。

 そう思っても、走り出した心は止まらない。むしろ、あの『ぽん』が起爆剤になってもっと加速したかも。


 春も夏も、部活の合宿も記録会も、体育祭も文化祭も修学旅行も、LHRも。高二の思い出には、どこにだって松ケンがいる。

 まっすぐで熱いくせに、『もうちょっと教師らしく振る舞ってくださいって教頭先生に怒られちゃったよ』と生徒にぐちってしまう、ちょっとユルいとこも、好き。

 夢中で恋してた。叶う事なんてないって分かってるつもりで、それでもどこかで叶う日を夢見たまんまで。



 バレンタイン、のんびりした校風で知られる我が校は、「学校にチョコなんか持ってくんなよー」って生徒指導の先生がとりあえず一回云うだけで、持ち物検査なんて野暮な真似はしない。故に、松ケンはその日たくさんのチョコレートをもらってた。

 女子部員からもその日の部活終わりに一同でさしあげた。松ケンは、「わざわざありがとなー」ってにこにこ顔で受け取ってた。両手に下げてた大きめの紙袋には、本気のチョコレートだって、きっと多分たくさんあった。

 私も無記名で、でも一言『大好きです』って書いたカードを、こっそりその袋に忍ばせた。それだけでミッションクリアな気分だった。だって、返事なんて期待してないから。


 なのに、先生はバレンタインから数日後の土曜練のあと、「佐伯」って私を呼んで、わざわざ「ありがとな」って、云うんだ。

『ありがとな』、は感謝で、普通好きな人にもらって第一声はそれじゃないから、私はそれだけで泣きそうになる。

「ばれちゃいました?」とおどけて聞いても、「見慣れた字だからすぐ分かった。お前の字は小っちゃいくせに整ってるから」なんて、嬉しい筈の言葉まで、もらって。

 それでも私の心は満足なんかしなかった。だって先生が好きなのは私じゃない。そう、はっきりと示されてしまった。


 土曜日の校舎はいつもの喧騒がなくがらんとしていて、知らない場所みたいに見える。

 その窓ガラスの数を端から一枚いちまい数えて、泣くもんか、って頑張った。

「ありがとな」

 先生はまたその言葉を繰り返す。優しい口調。だけど、私の心に希望はないよと改めて刻み込むみたいに受け止めてしまう。

「人を好きになるって、大事な気持ちを俺に向けてくれてありがとう。その気持ちに、俺は応えられないけど」

「分かってます」

 分かってるよ、生徒だもん。そう思いたい私に、先生は柔らかく「違うよ」と訂正をする。

「生徒だから、先生だからじゃないんだ。俺、好きな人がいるから」

「……そっか」

 この人は、残酷な人だな。そんなの、嘘でもさらっと流してくれればいいのに、どうしてわざわざ受け止めてきちんと投げ返したりするんだろう。しかも生徒に自分の恋愛事情とか、普通話さないよ。でも仕方がないか。これが松ケンクオリティ、だもんね。

 最初っからまっすぐだった。私が好きになったのは、そんな人だった。自分に向けられた恋心を先生顔でそらす筈もなかった。

 もうお断りしたんだから『じゃあ』ってすればいいのに、やっぱりまっすぐな松ケンの話は続く。その切なさそうな目が、見慣れた教師としてのものじゃなく初めて見る男の人だって事に、今更どきっとした。

「向こうは多分俺の事知らないから、両思いなんて夢のまた夢なんだ。でも、諦められない。だからお互い、頑張ろうな」

「なにそれ」

 ああやだ、泣いちゃったよ。頑張ってどうすんの、頑張ったって松ケンは私の事好きになんかなんないじゃん。まったくもー。

 派手に泣いてやったら、女子にだいぶ慣れた筈の松ケンが、笑えるくらいおろおろしてたからザマーミロって思った。

 ふん、女子高生をふったんだから、こっちからそれくらいの仕返ししたって、いいよね。


 そんな風にして、疲れも知らずにひたすら走ってた私の恋心は、突然よりどころを失くしちゃった。

 もう、走らなくっていいんだよ。何度そう声を掛けても勢いのついた足は理解できないみたいで、楽しげなステップを踏むみたく軽やかに跳躍し続ける。


 このころはよく、ぐるぐるとトラックを何周も走り続けている夢を見た。

 タイムを計っていた筈なのに計測できなくて、何度もやり直す、そんな夢も。

 長距離仲間に話したら「悪夢だ!」と笑われた。

「でしょー!」っていっしょに笑ったけど、泣きたい時に笑うのって結構辛い。

 恋が終わっても日常は続いてく。松ケンの姿を教室でもグラウンドでも見ない日はない。

 一年近くの習慣でその姿を無意識に探して、見つけて、見つめちゃう。見れば、やっぱり心は走る。

 苦しい。もう止まりたい。疲れ知らずで走っていた恋は、減速しつつそれでも走る事をやめられないでいる。『赤い靴』のカーレンは、こんな気持ちだった?

 でも私には、足を切ってくれる首切り役人なんていない。



 ある日、ふっと気付いたら薄皮一枚くらい、気持ちが楽になってた。

 松ケンばかり追いかけていた目は、桜の木の枝の先、徐々に膨らんでゆくつぼみへと関心を向けていた。

 ――私がこんなでも、春は来るんだ。

 桜が咲く日を心待ちにして、久しぶりに弾んだ気持ちになる。


 松ケンがこの高校に来てから一年が経ち私が三年になると、残念ながら受け持ちからは外れてしまった。それでも部活動で毎日会えるのは嬉しくて、まだそう思ってしまう自分の気持ちが、ちょっとだけ痛い。でもこれはただの余韻で、もう恋の本体じゃないって分かってる。

 気持ちがばれちゃったあの日、はっきりと恋を終わりをつきつけられて、それ以来家でたくさん泣いてひと冬を過ごした。そしたらやっと最近気が済んだ。

 精一杯走っていいレースをした、そんな気持ち。結果はどうあれ、ベストは尽くした。好きな気持ちを偶然だけど伝えられたし、ふられたからってヘンな態度にもなってない。

 偉いぞ私。

 桜の花も、そんな私を褒めるようにたくさんきれいに咲いてくれた(と、そう思うことにする)。

 泣きながら眠ると必ず見た悪夢を、最近は見ない。かわりに見るのは、ただ楽しく、どこまでものんびり走る夢。

 知らない道を行く。後戻りできないって分かってて、元々走っていたトラックからはどんどん離れて行っている。でもそれはちっとも不安じゃない。

 起きた時、『なんか気持ちよかったなー』って思えたのが嬉しくて、また長距離仲間に話したら「佐伯は夢でも走るのが好きだねえ」と呆れられてしまった。


 そんなある日、面白いものを、見た。

 松ケンと、新任の女の先生の事だ。


 有村(ありむら)先生。現国担当。年は、噂によると松ケンと同い年。

 教え方はシンプルで分かりやすい。女の人にしては少し低めの声で、松ケンみたいにフレンドリーでカワイイ! って感じじゃないけど和風美人で、男子は『クールビューティー有村』とか云ってる。

 その人が松ケンの思いの相手だって、すぐ分かった。私だけじゃなく、先生に片思いしてる(もしくはしてた)人は分かると思う。

 隠してるけど隠し切れてないよ。アンタ、いつもは紅茶なんか飲まないじゃん。何いそいそ昼休みに自販機で買って渡してんのさ。

 それをまた有村先生も少しだけ嬉しそうに、でも学校だしな、生徒いるしな、みたいな感じで戸惑いつつ受け取ってる。んで、松ケンはたったそれだけの事でにっこにこになってる。

 そんなまどろっこしい事してないでとっととくっついちゃいなよ、と部活の始まる前にこっそり耳打ちしたら、一年前のように顔を真っ赤にしてへたり込んで「な、なんでバレた???」ってうろたえてた。なんでって当たり前じゃん、ついこの間までアンタの事が大好きだったから、ですよ。

 安心させようと「大丈夫だよ、言いふらしたりしないから」と口にした言葉。

 松ケンはよっこいしょと立ち上がりながら「知ってるよ、佐伯がそんな卑怯な真似をする奴じゃないって」って、返してきた。

 まったくもー。恋心がダッシュで戻ってきたらどうすんのさ、そんな言葉で私の事なんか喜ばして。後先考えてから発言しろ筋肉脳め。


 松ケンに向かって走ってた、私の恋。迷走して、減速して、それでも走るのは止められなくて、自分でも気づかないくらいにゆっくりと遠くへ行っちゃって、今となっては行方知れずだ。

 もう胸は松ケン相手に高鳴らないけど、今はまだ二人でいるのを見ればそれでもちくりと痛むこともある。

 そんなのもきっと、いつの間にかどこかに行ってしまうんだろう。長い時間をかけて、ゆっくりと遠くへ、うんと遠くへ。


 そうなった時、私は何してる? 大学はどこかに受かってるかな。もう誰かに恋なんてしちゃってるのかな。

 ――恋するなら、まっすぐな人がいい。

 あんな目で私を見つめてくれる人が、いいな。


 松ケンはさっきあんなに動揺した事なんて忘れた風に、もう顧問の顔してそれぞれの班のミーティングを腕組みして聞いてた。各班リーダーの方を向く松ケンの後ろ姿を見ていた私たちは、笑いを堪えるのが大変。神妙に聞いてるふりして『みた?』『みた!』と飛び交うアイコンタクト。

 ミーティングが終わるやいなや「先生、お尻砂だらけだよ!」と白くなったままのジャージのお尻をパーン! と通りすがりに景気よくはたいてやった。

「こら!」と怒りながらパタパタお尻の砂を落とす松ケンとゲラゲラ笑ってる陸部の仲間たちの声をBGMに、私は誰よりも先にトラックを走り出していた。



続きはこちら→ https://ncode.syosetu.com/n4804ce/31/

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