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ハルショカ  作者: たむら
season1
6/59

暫定的運命の人

高校生×高校生

 ある日、動画サイトでたまたま見つけた自主製作のコマ撮りアニメ。

 繊細でかわいくて奇麗に奇妙で優しくて、夢中になった。

 感想を綴ると、動画とは打って変わってシンプルな、でもちゃんと嬉しかったと読み取れる言葉が返ってきて、それからやり取りをするようになって知ったのは、投稿者の彼が同じ県内の高校生だったっていうこと。


 新作を観た。

 彼の書いた文字がぴょこんと紙から立ち上がったかと思ったら、左右に分かれて逃げ出し、それを男の子が追いかけると云うコミカルなストーリー仕立てのショートアニメ。

 文字たちは空を飛び、海を渡り、最後にはちゃんと紙に戻って来たけれど、その書き文字にはどこかで見覚えがあるような気がずっとしてた。そしてその心当たりに、ようやく行き当たった。


 隣の席の、真壁(まかべ)君だ。

 ――やけにかわいい字を書くんだなあって印象に残ってたから分かった。でも実際の字と動画にアップされてた文字を両方見てなかったら、絶対分かんなかった。だって、あの人めちゃくちゃ愛想ないし、もう新学期も二週間経つっていうのにちっとも喋んないし。なのにこんなにカラフルでポップな物語を作るなんて、面白すぎるでしょう。

 よし、明日は本人に突撃だー。



「真壁君おはよう」

「……はよ」

 真壁君は元気にあいさつした私をちらりと見て、それからぼそっと挨拶を返してきた。昨日までこんな愛想よく挨拶してなかったのに急になんだって思ってるのかも。でもいい。そんなことより確かめなくちゃいけないことがある。

 私は、何かをノートに書いている真壁君に「あのさあ」と話しかけた。するとぴたりと書くのをやめて、わずかに眉を顰める。

「……何」

 おお、警戒心バリバリ。

 さらに警戒される前に、ズバリと切り出した。

「ねえ、真壁君て『wall0415』さんだよね?」

「!」 

「私、『わらびもち』だよ」

 ハンドルネームを明かすと、「……あんたが?」と、警戒しつつほんのすこし心を緩めると云う器用な真似をしてきた。

「なんでそれ、俺に云うの? てかなんで分かったの俺だって」

 早口で囁く声は、少々焦ってる。そんなの初めて聞いたよ。

「新作の書き文字で。ほら、プリントとかに書くのと同じ字だったから」

「……ああ、なるほど」

 種を明かすとそれまでずっと緊張していた真壁君の肩が、ふっと力を抜いて楽になってた。

「今回のもすごいよかったー。面白かったし、なんかほのぼのしたよ」と伝えると、「そっか」と嬉しそうに微笑む。わ、そんな顔してくれちゃうんだ。野生の動物が自分の前で寛いでる姿を見たみたいで嬉しい。

「あんたほんとに『わらびもち』さんなんだな」

「え? なんで?」

「話し方が、俺にくれるメッセージの書き方とそっくり。語尾のばすとことかそのまんまで笑える」

「ちょっとー! ……あ、ほんとだ」

 自分でも納得してたら「ヘンな奴」とまた笑われた。


 それから、隣の席という利点を生かして、こっちからちょこちょこ話しかけるようになった。そうしたらむすっとして『うるさいな』なんて云いそうだと思ってた真壁君は、意外にもこちらから聞いたことには律儀に答えを返してくれる人だった。警戒モードじゃなくなったのも大きいのかも。


 コマ撮りアニメは殆どおうちで自作するってこととか、黙々と作業するのは好きなこと、出来上がると達成感があるけど終わってしまうと思うと寂しいと思うこと。

 私が投げ掛ける言葉をじっくり受け止めて考えて、ぽつ、ぽつ、とゆっくり話してくれる真壁君のテンポと声は、心地よかった。

 一学期の最初の席替えでは裏工作に励んでまた彼の隣を死守した。なんでこんなに必死なの私、と思った時、作品とおんなじくらい、真壁君を好きになってた自分に気付いた。


「私真壁君好きだなあ」

 そう告げたらものすごく困らせるって分かってた。

 ほら、やっぱり超困ってる。予想通り過ぎて笑えるよ。てか、仮にも女子に告白されて手にしてたノートを床に落とすほど困るって失礼な人だ。

羽鳥(はとり)、」

「待って、切り捨てないで。話を聞いてよ」

 落ちたノートを拾い上げて渡す。

「……何」

「真壁君、好きな人いる? いないよね?」

「知ってるくせに聞くなよ。どうせ恋なんてしたことないよ俺」

「うん、だからさ」

 さあ頑張ってばくちを打て私。

「私が、恋ってなんなのかを教えるから、真壁君の暫定的な彼女にしてよ」

 大抵のことじゃ驚かない彼が、初めて話しかけた時みたく唖然とした顔で再びノートを落とした。


 好きな人が出来たらそれでおしまいで構わない。

 でも、特定の人が今いないなら、ぜひ。おねがい。断りの姿勢を見せつつ、ズバッと断るには私に対して情が湧いちゃってたからもう無碍にはできない、そんな雰囲気を醸し出してた真壁君に、ひたすらそう粘った。

「俺、別に恋がどうとか教えてもらわなくて構わないんだけど」

「で、でもそしたら作品に役立つかもでしょ?」

 そう云ったら、黙り込んだ。うん、これは作品作りに貪欲な真壁君にはかなり有効だったかもと心の中でガッツポーズ。なのに、口を開いたらまだ頑なだった。

「俺なんかと付き合ってもつまんないよ」

「つまんなくないって思うからこんな申し込みをしてるんだけどこっちは」

「俺、バイトと製作できっとあんたが望むようにはかまえないよ」

「そんなの分かってるんだってばもー! いいからさっさとハイっていいなよ」

 最後までハイとは云わなかったけど、『嫌になったらいつでも遠慮しないで云えよ』と云う言葉をもぎ取ったことで、了承したとみなした。


 そんな風に、付き合う前にはさんざん渋ったものの、真壁君は思いのほかいい彼氏をしてくれている。

 私も向こうもバイトしてたから時々だったけど、バイトがなくて製作が落ち着いてる時は一緒に帰ってくれた。……最初は休むタイミングはばらっばらで、二週にいっぺんくらいだったそれは、むこうがいつの間にかこっちのお休みの曜日に合わせてくれたおかげで、週二のお楽しみになってた。

 ハンドルネームから推測した通り、四月一五日が真壁君のお誕生日。でも付き合い始めたのはそれより後だったから、とっても残念ながら私からはプレゼントをあげられずにいた。なのに、五月下旬のこっちの誕生日当日、私にぽいっと「それあげる」と渡されたのは、真壁君の作品の中でいちばん好きなコマ撮りアニメに出てきたキャラクターが描かれた絵。そのキャラと、かわいい女の子が手を繋いでる。

 こういう子が、好きなのかな。そう思って、自分とはロングヘア以外ちっとも似てないその子をちょっと凹んだ気持で眺めていたら、「それ、羽鳥だから」と言い捨てて教室から出て行ってしまった。

 う、わあ……。


 もう一度、まじまじと眺める。


 いろんなパステルカラーで描かれた、髪の毛。

 大きくデフォルメされた目はキラキラしてて、中にお星様まで。

 耳の上でピンどめしてて、それは私のお気に入りのリボン付きのピンで、それが全く同じに描かれてあるから、ほんとに私なんだって、分かった。

 こんなにかわいく描いてくれるだなんて、もっと好きになっちゃうじゃん……。


 でも、私は『暫定』だから、あんまり近づきすぎちゃいけない。

 嬉しい気持ちはそのままに、努めて冷静であろうと、決して恋には溺れちゃいかんとブレーキをかけまくった。

 まあ、そんなの意味なかったけどね。

 だって気が付いたら、私いつも真壁君を見てる。真壁君も、それ知ってる。

 一緒の帰りの途中、すこし下がって後ろから見てても気づかれて、ちょうど目線の当たるうなじあたりをごしごしして、「見るなよ」っていう。

「無理」

「……羽鳥」

「だって見たいんだもん」

 私がにっこり笑ってそう告げると、観念したようにため息を吐く。

「恋すると皆、そんな風に人をじっと見るのか」

「んー、人によるんじゃない? 私は見るよ、すっごい見るよ」

「知ってる」

 くすっと笑う横顔に、どきりとする。

「だ、だって好きな人が自分の知らない間にイイ顔してたら悔しいからね!」

 今みたいに、さ。

 まるで私がほんとの彼女みたいに優しく笑うから、思わず動揺しちゃったじゃん。

「見逃すと、悔しいのか」

「悔しいよ。だから、私のいないとこで泣かないでね?」

「泣くかよ」

 アホか、ってくしゃくしゃにかきまぜられた髪が嬉しくて、私はまた真壁君を好きになる。

 すーっと、手が近付いてきて、私の右手を掴まえる、私のより大きな手。なのに、あんなに細かい作業の出来る手。今は、暫定的に私のものにしちゃった、手。

 正式に私のものになればいいのにと思って、慌ててかき消した。

 好きだけど、執着したらいけないもんね。


「好きな人が出来た」と真壁君から告げられたのは、六月のはじめだった。


 その頃になると、私と居る時の警戒してない真壁君、に皆話しかけるようになっていて、その中に女子も混ざってた。話の中でコマ撮りアニメを制作していることもあっさり教えちゃって、最初のあの警戒は何だったのさと思うくらい。

 いいけど。見つけたの私だし。と誰に勝ち誇りたいのかそう思ってた。

 彼の世界が広がるのはもちろんいいことだ。分かってるけど。

 面白くないというのも、私のほんとの気持ち。


 真壁君は、四月の初めにくらべると、すごーく優しい顔をするようになった。

 彼にとって世界はずっと敵とか怖いものだったのかな。今はそうじゃないといい。怖い対象がゴキナントカなら私がなんとか退治してあげられたけど、きっとそういうんじゃないんだろうしな。

 真壁君は、いつもすこし照れながら、二人で帰る時の最後の最後に、手を繋いだ。

 それが泣きたいくらい幸せだってことを、きっと私これっぽっちも隠せてなかった。いや、むしろ隠す気なんかさらさらなかった。だって、私の猛烈なプッシュで始まったこの関係がどこまで続くかは、真壁君の気持ち次第だったから。いつ終わってもいいように、ちゃんと自分の気持ちはその都度伝えてた。『好き』も『大好き』も『かっこいい』も『優しい』も。それに関して言葉で前向きなお返事を戴いたことはないけれど、照れた顔や困った顔を見られるのは嬉しかったな。

 ずっとずーっと、このまんまでいられたらよかった。

 だけど、何といっても私はおしかけの暫定的彼女なのだから、好きな人が出来たというなら『どうぞどうぞ』と快くこの席を譲らなくちゃ。しがみつくなんてルール違反は論外だ。

 この日が来ることくらい、分かってたじゃないか。なのになんでこんなに悲しむ。

 いいことじゃん、恋を知らない男が、恋を知ったと云うのだからめでたいことこの上ない、はず。

「そっか、よかったね」

 せっかくこしらえた笑顔から、ほろほろと涙が落ちた。それを見て真壁君がハッとした顔になる。そんな顔することないのに。

「じゃあ、私たち……私は、今日でおしまいってことで」

 暫定的な彼女だったのはさっきまでだから『私たち』なんておこがましかったかと云い直した。

「ちょっと待って羽鳥、」

「ありがとうね」

 最後にそれを云えてよかったと思うことに、する。真壁君の口が『ごめん』て動く前に踵を返した。恋を失った上に謝られたりなんかしたら、たまらない。

 ひと雨来る前の夕暮れ。温い空気の中を結構なスピードで突っ切って歩いて、たくさん汗をかいた。泣いてしまった目元が熱い。なのに、胸の中は真冬のように冷え冷えとしている。


 恋なんて知らないと云った真壁君だけど、きっと人を思う気持ちはずっと彼の中にあったと思うんだ。だって、彼の作る世界はあんなにも美しい。

 それでも、暫定的じゃないだれかをちゃんと好きになったのなら、そのうちのすこしくらいは私の功績だって胸を張ってもいい?

 恋してもらうことは叶わなくっても、私の目も言葉も繋いだ手から伝わる体温も、「真壁君が好き!」っていつも分かりやすいほど訴えてたと思うから。

 恋を失うくらい、何だ。大人が仕事を失うよりは辛くない筈だ、きっと。イヤ分かんないけど。でも。

 今まで生きてきた中でいちばん、今が辛い。


 お別れしちゃったのが金曜で、土曜日は一日泣いたり寝たり。日曜は半日バイトして、そして迎えてしまった月曜日。

 恋が終わっても席は隣のままで、登校すれば真壁君はいつもと同じく、私より先に席についている。

「……おはよう」

 真壁君おはよう、と云っていた挨拶は、誰に向けるでもなく、真壁君の横らへんに向けて云った。うわあ、自分がこんな意気地なしだと思わなかった。

「おはよう」

 真壁君は、この間の言葉なんて嘘みたいに、しっかり私に向けて、口にした。

 教室内にぽつぽつ、人が増えてくる。朝練を終えてきた人、遅刻を何とか免れた人。その何人かと挨拶を交わした後、今までなら真壁君としていた会話がなくてさびしい。

『なんか今日は世界史当てられそうな予感がするよー』

『……羽鳥、予習してないんだろ』

『えへへ、あたりー』

『(ため息)……当たったら、俺のノート見ろよ』

『わあ、ありがとう!』


 そんな風だったのに、ね。

 今日の曇天に負けないくらい、こっちも泣きそうだよ。


 そしてその日は予感もなかったのに、世界史で当てられてしまった。当然、予習はしてない。

 開き直って分かりません! て宣言して怒られよう、と思った時。

 真壁君が、自分のノートをとんとん、て指差す。そこに書いてある言葉を、ちょっとボーっとしながら、口にした。

「……赤壁の、戦い」

 すとんと座って、前を向いたままちいさくありがと、と云った。そしたら真壁君が笑ったような気が、した。


 休み時間、真壁君のとこに、最近よく来る女の子が二人、やってきた。そして「『モジモジの旅』、見たよー! すっごいかわいいねあれ」「うん、ほんと! お気に入りリスト入れちゃった」ときゃっきゃしてた、けど。

 真壁君がノートを広げてる時は、考えごとをしたい時、なんだよー。むむって顔されちゃうよー。ちなみに私が最初に声掛けた時も警戒半分、むむっが半分だったと聞いて申し訳なかったんだ。

 そしてタイトル、『モジニゲル』だよー。間違わないであげて。

 云いたいけど、私はもう云えない人。

 黙ってたら、彼女たちは移動教室だからじゃーねーって行っちゃった。

 真壁君はぱたんとノートを閉じて、前を向いたまま「羽鳥」って私を呼んだ。だから私も前も向いたままで「何?」と答えた。思った以上に硬い声が出ちゃったことに、自分でも動揺する。

「今の聞いてただろ、何で黙ってんの」

「――もう、色々突っ込める立場じゃないから」

 二人とも、視線を合わせることなく淡々と応酬した。見つめ合う権利もないのに、私にどうしろっていうの。さっきみたいな場面でさらっと友人として振る舞えるほど私人間出来てないんだから。

 チャイムが鳴る。現国の先生が、入ってくる。

 一斉に起立した音にまぎれて、もう一度「羽鳥」と呼ばれた。

「今日夜、新作アップするから」

 頭を下げた時、私にだけ聞こえる声でそう告げられた。


 だから、何。

 それを観たら何かスペシャルにいいことでもあるっていうの?

 そんな風に、勝手にいじけてねじくれてる自分が嫌だ。せっかく奇麗にお別れできたと思ったのに。

 ――奇麗とかきれいじゃないとかほんとはどうだっていい。

 別れたくなんかなかった。それがどんなに不自然な関係でもずっとそばにいたかった。今でもそう思う。でも暫定的でいいだなんて、そんなの嘘だ。私は逆転ホームランをどっかで期待してた。だって好きなんだもん。好きな人のほんとの彼女になりたいと思うよ普通。


 自分の中で嵐が吹き荒れる。自分でも知らなかったし見たくなかった気持ちまでさらけ出されて、ぐっちゃぐちゃ。おかげで心の引き出しは、ぜーんぶ泥棒さんに入られたみたいに開けられたままだ。


 嵐が去った後には、妙にクリアな気持ちだけが残った。


 私がこんなだから好きになってもらえなかったんだ。

 ――それを認めるのは、とても悲しかった。


 気持ちは夜になっても晴れないまま、影のようにひっそりと私についてきた。そんなでも、やっぱり新作のことは気になって気になって仕方がなかった。

 学習机の上におきっぱ&開きっぱのノートパソコンの電源を、オン。おさがりで古いそいつは、こっちを散々焦らしてからようやく立ち上がる。

 それからインターネットにつないで動画サイト内の真壁君のページを開いて、聞いた通りそこにあった新作動画のサムネイルを見た。


 ――――――――はい?

 びっくりし過ぎて、思考が止まった。気付かずに息まで止めてたみたいで、苦しくなってから慌てて吸って吐いて。

 にわかにドコドコ激しく打ち鳴らす胸の鼓動をほんのすこしだけ落ち着かせてからもう一度、くだんのちいさなサムネイルを、見る。

 女の子が描かれている。

 いろんなパステルカラーで描かれた、長い髪の毛。

 大きくデフォルメされた目はキラキラしてて、中にお星様まで書いてある。

 耳の上でピンどめしてて、それは私のお気に入りのリボン付きのピンで、それが全く同じに描いてあって……。

 震える手は何度もダブルクリックを失敗して、それからようやく『暫定的運命の人』というタイトルの作品を再生した。


 描かれていたのは、女の子の、恋の物語。

 大好きだけどつれない彼氏(真壁君風味)を、彼女はけなげに追いかけて、笑ったり、怒ったり、泣いたりと忙しい。嬉しいシーンではキラキラが飛んで、悲しいシーンでは大粒の水滴模様が描かれてデフォルメはされていたものの、その全てに既視感を覚える。

 だってそれは、私だ。真壁君を見つめていた、私の物語。

 ――でも私なら、最後は悲しい結末なんでしょう? だって『暫定的』、だもん。

 残り時間を見て、胸が苦しくなる。もうすぐ、この恋も終わってしまう。

 向かい合い、見つめ合う二人。それぞれ違う方に歩きだすのだと思っていたら、彼氏が女の子をぎゅっとしたところで、物語は終わっていた。

 そしてもう一度タイトルが出て、『暫定的』という文字がくずれて『運命の人』だけが残ると、いわゆる弾幕と称されるほどのコメントが、ラストと同時にたくさん流れた。「かわいい!」「すごいよかった!」「こういうのもいいね」などなど。でもそのどれもが、私の視界を上滑りしていった。



 意味が分からない。


 なんで? どうして?

 戸惑っていたら、いつの間にか日付を跨いでいた。

 そして、ノートパソコンの横に寝かせていた携帯が、突如ふるふると電話の着信を伝えてきた。あわてて持ち上げるのと『通話』を押すのと、相手が真壁君と認識したのとがほぼ同時で、気付かないふりでスルーも出来なかった。

「……もしもし」

 声が震えてるのは、深夜だからと抑えてたせい、だけじゃない。

『……真壁です』

「……」

 真壁君の声も、すこし震えてた。

『羽鳥、寝てた?』

「……起きてた」

 なんでか、嘘はつけなかった。本当のことを云ったら、次に何を聞かれるか分かってたのに。

『新作、観た?』

 思った通りにそう聞かれた瞬間、息までが隠しようもなく大きく震えた。

「……観た」

 ようやくそう囁くと、むこうでも長く息をついた音が、聞こえた。そして。

『あれ、羽鳥だから』

「なんで、……なんでっ」

 なんで私なの。だとしたらなんで、『好きな人ができた』なんて、わざわざあんな言い方したの。なんで結末は現実と違うの。

 聞きたいことは山ほどあるのに、喉元あたりでせき止められてるみたいに、ちっともうまく出て来てくれない。

 しゃべるよりも長く、二人して黙ってた。

 耳が、ものすごく敏感な生き物みたいになってる。真壁君の言葉を、その声色を聞き漏らすまいとしているせい。

 真壁君の息の音を何度か拾った。それから、口を開けて吸い込む息。言葉を紡ぐ前のもの。

 何を聞かされちゃうんだろう。気になるけど、怖い。怖いけど、気になる。

 パジャマにしているTシャツの襟のあたりをぎゅっと掴んだ。

『あれが俺の気持ちで、俺が見てた羽鳥で、俺が羽鳥からもらった大事な気持ちだよ』

 そんなことを聞かされたら、勘違いしたくなる。

 それじゃあまるで、どう考えても。

 襟元を掴んでいた手が、はたりと落ちた。その上に降る温い、雨に似たもの。

「……な、んで……」

 ぼやーんと曇ってしまった視界の中、さんざん手をさまよわせて、ようやく見つけたティッシュの箱を引き寄せた。そして勢いよく何枚かを引き抜いて、べしょべしょになってる顔に押し付けて、水分を吸い取る。見えないのをいいことに、もれなくセットで出てきた鼻水も拭う。

『あのままじゃ、羽鳥ばっかり片思いみたいだから。俺だって、好きになったから。一度ちゃんとあれを終わらせて、今度はもっとちゃんと始めたかったから。……なのにうまく伝えられなくて、羽鳥を傷つけて、ごめん』

 私の『なんで』の内訳を正しく理解して、欲しかった以上の答えをくれた。

 聞きたいことは全部聞けちゃったから、私はただ静かに泣くことに専念した。


 ようやく落ち着いた頃合いで、真壁君が電話の向こうから私の名を呼ぶ。

『羽鳥』

「……はい」

 もしかしてもしかしたら、私が真壁君の言葉をぶっちぎっていなければ、金曜日に聞けてたかもしれない言葉を、待った。

『好きです。俺と、付き合ってください』

 もたらされた言葉を噛み締めたらうっとりするほど甘くて幸せな味がした。

「――恒久的に?」

『恒久的に』

 暫定的からいちばん遠そうな言葉をチョイスした私が鼻声丸出しでそう念押ししたら、くすりと笑ってのってくれた。

 そんなのがもう、今までと違う。

 私は気持ちこそむき出しにしてたけど、撤退することを常に意識してた。真壁君は優しい目で私を見て手を繋いでくれたけど、いつもあと一歩近づくのをどこかためらってた。今なら分かる。好きだからとあのままで気持ちを育てては駄目だと、真壁君が気付いたんだ。

 でももうちゃんと、恋人だから。私が彼女で真壁君は彼氏だ。その事実だけでこんなにも簡単にハッピーになれる。


 今すぐ会いたい。でも実際に会うまであと七時間もある。まぶたの腫れはとれるだろうか。髪の毛をつやつやにしてから行かなくちゃ。ピカピカの肌で会いたいから今すぐ寝なくちゃ。でもずっと声を聞いていたい。


 何を最優先にしたらいいのか分からなくて、ただ耳だけを相変わらず敏感な生き物にさせたまま真壁君の次の言葉を待っていた。


「ハルショカ」内43話に続きあります。


15/05/26 一部修正しました。

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