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ハルショカ  作者: たむら
season2
55/59

lovely baby in my car(前)

野良少年×OLさん

「なんで赤ちゃんinカーっていうステッカーは山ほど売ってんのにかわいい恋人が乗ってますよってのは売ってないんだろうねえ」

 不条理にもだえ苦しんだ私のそんな発言は、この世で一番かわいい恋人にペッて打ち捨てられる。躊躇なく。

「世の中の人はあんたみたいに頭が沸いてねえんだよ」

「えへへっ」

「ほめてねえよ……」

 はーってこれ見よがしに吐かれたため息だって、ジップロックに入れて蒐集したい。はらりと頬に落ちた一本のまつげも。

 指をのばして取ろうとしたら、私の意図を正確にお見通しな彼にさっと奪われ、ゴミ箱にポイされてしまった。かなしみを隠さない顔をして見せたら、「頼むから、抜けた髪だの切った爪だのコレクションすんな」ってさらにかなしい追い討ちが。

 でも恋人は、打ちひしがれている私に背を向けつつも「……俺がいるんだから、俺の一部だったもんなんか必要ねえだろ」って言ってくれたから、親猿に飛びつく子猿の勢いで照れてる背中にくっついて、痕がつかない程度に我慢しながら首も肩もほっぺもちゅうちゅうした。それを、嫌がらずに(諦めてるだけかもだけど)享受しながら、彼は私の頭を撫でる。


 分かってる。私オカシイ。でもそうさせてるのは、かわいすぎ&美しすぎるこの恋人だ。

「無自覚なかわいさは罪……」

「あんたの目を治せるなら、俺は崖の上に住んでる無免許ドクターに頼みにいってやるのにな」

 残念ながらあれは二次元の住人なので、私の恋は今日もすくすくと生き続けている。



 私のラブリーベイビーである伊吹(いぶき)君は、ツン9デレ1な、口も目つきも悪い男の子。

 出会ったときは最悪。私の基準からしてみればややハードなお育ちの伊吹君は、道行く人のバッグを奪い、金品を強奪しようとしていたのだ。

 そして彼は奪う方、私は奪われる方としてボーイ()・ミー()ツ・ガール()した。

 バッグの持ち手を引っ張る伊吹君、本体を両手で抱え込んで徹底抗戦する私。本来なら力の差で、抵抗しても奪われてた場面。でも。

「!」

 伊吹君は持ち手を掴んでた手と自身の身体を、突如引いた。

「あんた、なにすんだよっ!」

「あ、ごめーん」

 ぎらぎらした目の痩せこけた男の子。顔色悪いけど、至近距離で見るとまつげが長くって鼻筋も綺麗で、あれ? もしやこれってすっごく私好みの生き物なんじゃん? って認識したら、あれこれ考える前にかさついた唇めがけてキスしてた。

 わたしの不意打ちの攻撃(キス)によって、彼の窃盗意欲は完全に鎮火された模様。ふたたびバッグを奪うことなく、立ったまま呆然としている。そんな彼に、手放されて戻ってきたバッグからいそいそとティッシュを出して「口拭く?」って聞く。でも彼は「いらねえ、けど、」と手の甲で唇をおさえて後ずさりしながら、明らかにまだ動揺し続けている。

「私、稲村(いなむら)千昌(ちあき)二七歳会社員、彼氏募集中です!」

「……どういうつもりだ」

「え、一目惚れした相手にアピール」

 照れながらストレートに答えたら、彼はずるずるとしゃがみこんで「わっかんねえ……」と悩んでしまった。

「俺は、あんたの金を盗もうとしたんだけど」

「私はあなたにハートを盗まれたんだけど」

「そんな物騒なもんは盗んでねえよ!」

「疑うの?」

 ならも一度唇奪っちゃうゾとこちらも至近距離でしゃがんで尖らせた唇を近づけたら「よせ」と突きだされた手に遮られた。せっかくなので、そのまま熱い手のひらにキスした。そしたら、その手にも逃げられてしまった。ちぇっ。

「やめろって! あんたほんとになんなんだよ!」

「うーん、自分でもこんなの初めてでどうしたらいいか分かんないんだけどさ、どうやらほんとに一目惚れしちゃったみたいなんだよね!」

 高らかにそう宣言すると、「……あんた頭おかしいよ」と静かに告げられた。

「かもねぇ」

 恋愛関係の脳の領域がバグってるっぽいことは、過去のいくつかの事例からも認める。

「どうみても俺は恋の相手にふさわしくねえだろ、あんたみたいなキレーな人には」

「ねえ今私のこと綺麗って言った? 言ったよね!?」

 口裂け女の有名すぎるフレーズ入りの台詞を彼の言葉に被せるように言うと、「俺が言いたいのはそういうことじゃねえ……」ととうとう頭を抱えられてしまった。

 その時、彼のおなかがかわいらしい音できゅるきゅると鳴った。彼はそれを隠そうとしてか、私に背を向ける。チャーンス。

 無防備な背中に、えいって抱きついた。

「っ、やめろ、何日も風呂入ってねえんだよっ」

 その言葉は嘘じゃなくて、実はバッグの攻防戦の時から匂ってた。まだ梅雨前なのに、今日はやたらと暑かったからいっぱい汗もかいたんだろう。でも、だからってここで手放すには惜しい。

「じゃあうちにおいで」

「……は?」

「お風呂に入ってさっぱりしたら、私ご飯作ってあげる。おなかいっぱいになったら、お布団で寝たら? 目の下、隈すごいよ」

 常習で手慣れてるなら、キスされようがハグされようが、ためらいなくバッグを奪った筈。そうせずに素直に動揺してくれて、やすやすとバッグから手を離して、しかもこのやつれっぷり。

「……ね。もしかして行くとこもお金もない感じ?」

 言葉は返ってこなかった。悔しげにそっぽを向いたのがたぶん答えだ。

 初夏とはいえ、まだ朝晩は涼しいし、日によっては寒いくらいだ。野良の男の子がどうやってそれを過ごしたかと思うと、あんまりにも気の毒で泣けてきた。

「っ、……」

 黙って嗚咽する私に、おそるおそるこちらを向いた彼はすっかりうろたえてしまった。

「おいどうしたんだ、どっか痛いのか? 俺にできることはあるか?」

 ほら、ふつうにいい子じゃーん。そう思ったら、ますます涙が止まらない。

 どうして、こんなことしようとしたの。

 どうして、こんなことしなくちゃいけないところまで追いつめられたの。

 聞きたいけど、今はまず。

「そばにいて」

「……」

「うちに来て」

「……」

「お願い」

 キレーなお姉さんのぐずぐず涙は、すさんだ少年の心にすーっと染み込んで、そして。

「……しょうがねえな」

 ため息一つ吐いて、まだ泣いてる私の手を取って、立ち上がる。

「家、どこ」

 誘っておいて、いいお返事がもらえるなんて思ってもみなかった私は、「えっ」と動揺した。さっきまでの彼のように。

「行っていいんだろ。行ってやる」

「い……いいの?」

「いいけど、まさかあんたおとり捜査官で俺が連れてかれるのは警察とかそーゆーオチじゃねえだろうな」

「や、普通に一般人だけど……いいの?」

「いいもなにもあんたが誘ったんだろうが」

「恋人、とかいるんじゃないの」

「宿なし職なし金なしの男にそんな余裕はねえよ」

「そ、そっか……よかったあ……!」

「変な女」

 初めて笑った顔は私の頭も心臓も瞬時に吹っ飛ばすほどの破壊力。つい「もおおおうう好きいいいい!!!!」と閑静な夜の住宅街で叫んでしまって、「あんたほんとバカだろ!」と小声で鋭くつっこんだ伊吹君に口をふさがれ小脇を抱えられたまま二人して逃げる羽目になった。

「ねえ、お名前教えて」

 涙目の名残りで見上げると、彼は私から目を背けて「……伊吹」と教えてくれた。



 二人の出会いを思い出すと、いつだって心はホカホカに、顔はデレデレになる。

 幸いにも伊吹君はあれが初めての追い剥ぎ(未遂)だったので、警察に通報する必要もなかった。彼は散々『未遂でもあんたを襲ったことは確かなんだから、警察に突き出せ』って言ってたけど。


 約束したとおり、連れて帰ると彼をソッコーでお風呂に入れた。そして、出てきてさっぱり、と言うか水も滴るいい少年になってた伊吹君に、私にはオーバーサイズのスウェットを着せて、おうどんやら卵焼きやら食べさせた。

 はじめは居心地が悪そうにもそもそと、次第に旺盛に食べる伊吹君を眺めていたら、「……うまい」としみじみ呟かれた。

「ごめんね、うどんは冷凍だし出汁巻き卵も巻くの失敗しちゃったんだけど!」

「そんなん関係ねえよ。……自分のために用意された飯なんて、こんなぜいたくでうめえもん食ったことねえんだよ……」

 そういうと、横を向いてしまった。

 のど詰まっちゃったかな。そう思ったけど、背中は震えてた。そっと撫でさする。

「これからは、毎食そうだよ」

「……」

「そのかわり簡単なものばっかだし、出来合いも冷食も多いし、あなたの嫌いなものも食べさすよ」

「……」

「ずっといて。いなくならないでね。もし急に姿消したら私、死ぬよ」

「……こええってあんた……」

 やっと笑った顔はほんっとーにかわいくって、私は思わずディープにキスしちゃったんだけど仕方ないよねそんなの。無自覚なかわいさは罪。


 毎日お風呂に入って、毎食きちんと食べて、髪を整えてきちんとした格好――シャツにジーンズっていう、清潔感のあるカジュアル姿になった伊吹君は、身びいきじゃなくちゃんとして見えた。元々、身体のパーツのバランスがいい。頭は小さくなおかつ後頭部も美しく、手足が大きくて指先まできれいで、腕も脚もしゅるっと長い。眼力が冴え渡る大きな目は、人に馴れない猫のようだ。作り物めいて形の良い耳、思わず見惚れるほど美しいラインを描く鼻筋、エロティックな唇。ああ、いつまでもほめていられるわ私。


 かわいいかわいいかっこいいかっこいい超好き尊い愛してるって毎日言ってたら、最初のうちは「なあ、あんた俺を騙して内臓売るとかそういうの……?」とまるで信じない伊吹君はもんのすご――く私を警戒していたけれど、慣れると「ああハイドウモ」ってスルーなんかしてきた。

「……さびしい」

「はあ?」

「私の言葉を信じてくれるのは嬉しい。当たり前に思うのも嬉しい。でもその反応はさびしいよー」

 私が切々と訴えると、伊吹君はなっがいため息を吐いて、私のそばまでやってきた。

 間近まで顔を寄せるとこちらをじっと見つめて、それから小さく何かを呟く。

「え、何聞こえないもう一回」

「その手には乗らねーよ」

 そう言いながら、伊吹君は唇を寄せてきた。

 心の声が偶然聞こえたらこんな声かな、みたいな微かな『好きだ』を何億回も耳の奥で超高速&無限リピートさせながら、口封じのキスを受けた。


 ガリッガリからやや痩せ体型になった伊吹君は普通に歩いてても皆が目で追っちゃうほどかっこよくって、すごいねモデルさんみたいだね! なんてほめそやしていたら、街でスカウトされて、なんと本当にモデルさんになってしまった。

 はじめは、雑誌の後ろの方のダイエットサプリとかトレーニンググッズ広告で小さく載っていたのが、だんだんちゃんとしたページに起用されるようになって、最近では名前入りでメインの扱いだ。

 私だけの人が、私だけの人じゃなくなるのは、正直言って心の底からすごく嫌だ。けれど、彼の類まれな美しさを、世の人々が無視できないのはやっぱり嬉しくって誇らしい。


 モデルのお仕事で稼いできたお金を、伊吹君は律儀に私に手渡す。

「いいよいいよ、なんか自分のために使いなよ!」

 いくら私がそう言っても、「服は貰えるし、髪も仲良くなったヘアメイクの人が切ってくれるし、別に買うもんなんてない」とそっけない。

「私もないんだけどなあ」

 押し付けられたお金に困っていると、「じゃあそれ貯金でもしとけよ」とまっとうなお言葉をいただいた。

「なんと! 追いはぎしようとしてた人とは思えない堅実発言!」

 私がふざけて言うと、彼はざーっと暗幕を下ろしたように、表情を失くした。

 ――傷つけて、しまった。

「……ごめん」

 なんでもないよ、気にしてないよって笑いのネタみたいな気持ちで口にしたのは、大間違いだったみたいだ。

 私もつられて暗幕モードになったのを見て、 伊吹君が「あんたが気にすんなよ」と小さく笑う。でもきっとそれは私のためにのみ拵えてくれたもので、だからすぐにまた表情を暗くしてしまった。

 自分に言い聞かせるように、彼は静かに話す。降り始めの雨のように、一滴、また一滴。

「俺は、育ちが悪い」

「……」

「あんたに養ってもらって、好きって気持ちをむき出しで押し付けてもらって、それで今ここにようやくいるけど、いつまたドブみてえな人間に戻るか分からねえ」

「……戻らないよ」

 そのために、私はいるの。腕に寄り添いながら、そっと口にした。それをやめろよ、とは言われないけど、信じてもらえていないのが痛いくらいに分かった。

「ああ、でもな、それでもきっとどうしようもないことがある」

 目は静かに私を映しているけれど、見ているのはきっと別世界だ。

「もし、自分が親になったら、なんて、怖くて想像も出来ねえ」

 ぽつりと漏らした言葉には、そのままどこまでも沈んでいきそうな重みがあった。

「虐待って名前のつくようなの片っ端から暇つぶしの遊びで試すような……そんなクズの血が、流れてんだよ。どうしようもねえよ」

 慰められたくはないだろうと思った。実際、彼の身体の目立たないところ、髪の毛に隠れた頭皮や太腿のきわには、傷跡がいくつかある。ぱっと見えるところに虐待の証拠を残したくなかったんだろう彼の両親の浅知恵にははらわたが煮えくり返る、どころではすまされないけど、モデル活動に支障が出なくてよかったことも事実だ。

 私はそんなハードな人生をしていないから、いくら想像してみたところで彼の体験には遠く及ばない。だから。

「……好きだよ」

 私が背中にハートを書きながらそう言うと、「あんたは空気読むって言葉を知らねえよな……」と笑う気配。

 だって、それしか出来ないからね。

「だいすき」

「知ってる」

「あいしてる」

「ハイハイ」

「捨てられたら死ぬ」

「だからなんで最後はいっつもおっかねえんだよ!」

 言葉を一つ手渡すごとに、彼がどんどん戻ってくるのが分かって、涙が出そうに嬉しかった。

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