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ハルショカ  作者: たむら
season2
52/59

誰にもあげない(☆)

×女優

「ハルショカ」内の「エンドロールのその先で」及び「如月・弥生」内の「チョコレートはいらない」に関連していますが、未読でもお楽しみいただけると思います。

(注:「チョコレートはあげない」という別の話とタイトル間違ってこちらで表記していました。五十鈴スミレさま、ありがとうございました~!!)

 それまで所属していたアイドルグループを脱退してから初めてのお仕事が、インディーズ映画のメインキャストだった。

 主役のロクデナシ男の彼女。自分だったら絶対選ばない系の。

 なのに、演じている時は自然に好きになってた。脚本があの人じゃなかったら、そうはならなかったと思う。

 ぼろいアパートの窓辺で、背を丸めながら煙草を吸う姿や、街であたしが演じる洋子(ようこ)の手を引いて追っ手から逃げる時の手の熱さを不愉快じゃなくしてくれたのは、脚本で描かれた彼のモノローグにキュンとしたのと、竜二(りゅうじ)役の役者さんの作り込みがほんものだったから。

 実際の役者さんは全然竜二とは違って、めっちゃ腰が低くて挨拶をきちんとする(しかも奥さんもいる)人で、役柄とは真逆のタイプだったので、役と現実をごっちゃにして惚れちゃうようなことにはならなかった。――リハーサルの合間にちらりと、モニターの向こうへと目をやる。

 そこには、脚本家がいた。

 あたしは彼の多くをまだ知らないけど、とにかく寡黙な人だ。

 人に何か聞かれるとじっくり考え込んで、慎重に答えを出す。

 差し入れのお菓子のセンスがいい。いつも素敵におしゃれすぎないシャツを着ている(業界人はいまだに「すぎる」人が多い)。何事も控えめなくせ、脚本だけが強烈で、大胆だった。そのギャップに、萌えないなんて嘘だ。気になる。すごく。


 でも、あの人にはぴったりと寄り添う存在がある。


 彼女は、いつも脚本家につきっきりなわけじゃない。でも、試写会やパーティーで見る時には、影のように――というよりは彼女自身が輝いているから光のように――自身をアピールしているようなふるまいをする。たとえば、映画の内容の話題になって、脚本家が熱を込めて発言する際、上げたり下ろしたりする手の軌道上に皿やグラスがあれば、さりげなくさっと避けたり、脚本家がワインで少し濡らしてしまったジャケットの袖に気付かないまま話を続けていると、そっと脱がせて水を含ませたミニタオルでトントン叩いて汚れを緩めたりと、まあ世話を焼きまくっちゃって、ぶっちゃけ『かいがいしい彼女パフォーマンス♡』がうざい。


 ――婚約してるって聞いたけど、引っかき回してやりたい。あわよくば、奪ってやりたい。

 そんな、ネットに晒されたら大炎上しそうなことを考えながら、映画の完成披露パーティーの間じゅう、脚本家と彼女を見ていた。


 そして映画の公開後、各種メディアや舞台挨拶のキャンペーンなど、顔を合わせる機会が一通り終了する頃合いで、あたしはある場所を訪れた。てかまあ、脚本家の家だけど。

 その住所の情報は、脚本家本人からオフィシャルに手に入れたものではなく、プロデューサーからきいたもの。自分だってファンの人に自宅マンションをつきとめられたらすごく嫌なくせに、同じことをしてしまった。そんな罪悪感を心の奥へえいっと追いやって、呼び鈴をそっと鳴らす。――反応なし。留守かな。出直そうかどうか考えていると。

「どうしました?」と、例の彼女が、エレベーターホールからこちらへ向かって歩いてきた。またコイツ。なんなのほんと超ウザいんだけど。てか、大して接触もなかったくせにこんな風に押しかけてきている、実にみっともない場面をよりにもよって正規の恋人に見つかるとかサイアクだ……。

 なんて思いながら、顔には一切出さずに「お久しぶりです~」とにっこり笑った。どうよ、ほぼノーメイクにダッサイでっかいだて眼鏡してても隠しきれないこの芸能人オーラ。一般人はすっこんでな。

 あたしがそう一方的にキャンキャン吠えまくる小型犬のような敵意を向けても、全く気付かない(気付かせないあたしがすごいんだけどね)その女は「この間の映画、周りの人もみんな面白いって云ってますよ。竜二と洋子すっごく評判いいんです!」とニコニコしている。しかも映画の評判を聞いてうっかり「あ、ありがとうございます! 嬉しい……!」って本音がポロリと口から出てしまった。やっぱ、初主演映画でめちゃくちゃ緊張したし、数字がまあまあいいのは知ってたけど、こうやって実際の声が聞けるのは、好評なのが嘘じゃないって、ほっとするから。

「こんなところで立ち話しちゃってごめんなさい。有村(ありむら)に会いに来たんですよね。今開けますから」

「あ、すいません」

「いいえ」

 彼女がバッグの中から当たり前に取り出した鍵で当たり前に開けた、脚本家の家のドア。ちくっと胸が痛む。ふん。そんなの、婚約してたら当たり前だって。それにすぐ、あれはあたしのものにしてやる。そんな風に自分を鼓舞しながら、彼女の背中をひたすら睨んだ。

 ドアを開けてあたしを先に通すと、カチリと施錠しながら、彼女が「有村、いま家にいるにはいるんですけど、集中しちゃうと全然音聞こえなくなっちゃうんですよね、ごめんなさい。スリッパをどうぞ」と云う。

「……ありがとうございます」

 あたしにスリッパ(見るからに客用)を勧めて、その人も履く(見るからに愛用のスリッパ)けどなかなか歩き出さない。どうしたのかと思いきや、薄暗かった玄関内の電気をパチパチと付けて、廊下のあちこちに目をやっている。床や壁、天井にも。

「書いてるとすごく意識が散漫になるから、飲み物がこぼれてたり、下手するとコップが割れたままになってたりするから、危ないんですよここ」

「……はあ……」

「私が先に歩きますから、その後ろなら安全ですよ」

 地雷原かよ。


 スリル満点な廊下をなんとかくぐり抜け(あちこちに落ちていた雑誌や靴下は彼女さんが回収しながら歩いていた)、リビングへ無事にたどり着く。ソファの上も周りもテーブルの下もチェックして安全なのを確かめてから(繰り返すけど、地雷原かよ)「どうぞ、座っててください。今呼んできますね」と彼女が、脚本家のこもっているらしき部屋へと向かう。そして何かをやりとりしている会話のあと、彼女が「お待たせしました」って彼の腕を文字通り引っ張ってきた。ドキドキしながら挨拶しようとして、息を吸ったところであたしは思いっきり固まってしまった。

 ――――は? あんた誰? なんか、激しくイメージが違うんですけど?!


 いつも、撮影に来る時や取材を受ける彼は、もっとずっとこざっぱりしていた。こぉーんなヨレッヨレのシャツ(食べこぼしのシミ付き)と毛玉だらけのスウェットじゃなかったし、髪もひげもちゃんとしてた。なんだこのボサボサ。

 あたしが顔に出さないまま呆然としていると、彼女さんが「ほら、彼女、分かるでしょ?!」と小声で耳打ちしている。それに対するレスポンスは総じて鈍く、「……んー?」だの「……うん」だの、通信速度の遅すぎるWIFI使ってるスマホ並みで、イラッとくるわ。

 でも「この間は映画でお世話になりました」とこちらからも挨拶すると、急にチャンネルが切り替わったみたいに「洋子だ」と役名で呼んだ。

「はい」

「あの、あれ、すごくよかった、です。……(しおり)ちゃん、あの映画のタイトルなんだっけ」

「なんで自分で書いた作品なのに忘れるの! あとねえ、そのスウェット、いい加減洗濯に出したら? 女優さんの前で云いたくないけど匂ってるから!」

 うん。云わないけど、すげえ臭せえ。

「……あー……」

「あーじゃなく!」

「でもこれ着てるとよく書けるんだよ……」

「だからって、これからどんどん気温上がってくっていうのにまだ着る気?」

「クーラーガンガンきかせれば大丈夫」

「な訳ないでしょ、諦めなさいよ」

 ――わかった。この男、駄目な奴だわ。うわ、ないわー。

 抱いていた幻想は、高速道路で走行中の車のフロントガラスに飛び石がヒットしたみたいに、面白いくらい粉々になった。

 要するにきっと、彼女さんがやっていたのは私が彼女です♡アピールなんかじゃなく、フツーに脚本家のフォロー&アシストだ。あ、こんどはスーパーヨレヨレ毛玉ごろごろスウェットの袖をコップに引っ掛けて中身こぼしてるし、それをぼーっとしているだけで何もしねえぞこの男……うわー、本気でないわー。

「栞ちゃん、ごめんね、ありがと」って小声で云ったのは、ちょっとだけかわいかったけど。


「ごめんなさいね、ほんと、この人悪気はないの。でもいろいろと気を悪くしますよね」

「いいえ大丈夫です、けど。……てか、いつもこんな……?」

「ええいつもこんな。生活能力が一切ないから、怖くて放っておけないんです」

「なんで自分でやらせないんですか、自分がこぼしたものの片付けくらい」

「さっきまでどっぷり脚本に浸ってたところを無理やり部屋から引っ張り出した私も悪いし、下手に触らせるとかえって被害が広がるから」

「そもそも、どうしてそこまで、面倒見てあげるんですか? 婚約してるから?」

「いいえ」

 きっぱり答えた彼女は、思わずこちらが見とれてしまうほど奇麗で。

「人には掴めるものの数が決まってて、この人は一〇あるうちの九が脚本なの。それで、残りの一で、私のことを全力で愛してくれているの。それで私は、幸い生活能力は普通にあるし、この人の作る脚本がすごく好きだから、それでね」

 そう云っている間にも、脚本家の頭はもうここから離れていて、持っていた(というか『水分取りなさい』と渡された)マグにちびちび口を付けていたかと思えばどんどんその手が下がって、仕舞いには「ごん」と派手な音を伴ってテーブルに着地させていた。

「あーもー……、よかった割れてない」

 お姉さん、かいがいしすぎるよ。奇麗だし、ぱっぱと動けるタイプなんだから、もっと他の男選んだ方が良くない?

 とアドバイスしたいけど、彼女はとても楽しそうに世話を焼いてるんだから、こりゃあしょうがない。


「あたし、そろそろ失礼しますね」

「え、もう?」

 立ち上がると、彼女も慌てて立ち上がる。

「今いらしたばっかりなのに」

「でも、アポもなしに来ちゃったし。――有村さんの脚本好きだし、顔も結構好みだったから略奪狙ったんですけどねー、あ、大丈夫、これはないわーってわかったんで、安心してくださいね。――でも、悔しいからちょっとだけ失礼」と断ると、あたしは脚本家の目の前で、堂々と彼女の唇を奪う。まあ、ガールズラブの素質はないから、すぐに離したけど。

 呆然としている二人に元アイドルのスマイルを披露して、「お邪魔しましたー」をおうちと恋の二重の意味で告げて、さっさとそこを出た。


 べっっっつに、失恋てほどのアレじゃないし。あわよくばラッキーくらいの考えだったし。

 それにしても、あたしが彼女にちゅーしたときの、脚本家のあの顔!

 ボケボケしてて、あたしのことなんかまるっきり興味ありませんオーラ全開だったくせに、目えかっ開いて見たね。あー面白。

 あんなことして、もう、彼の作る作品に呼んでもらえないかな。いや、覚えてないか女優(あたし)のことなんか。万が一覚えてても、あの彼女がとりなしてくれるだろう。

 というわけで、さらばだ!


 *********


 起きてるのかそうじゃないのか分からないような目は、まだカッと開かれたままだ。

「……そろそろ瞬きして」

「う、うん。――痛い」

「でしょうねえ、普段あんなに目、開かないものねえ」

 (わたる)はまぶたの上から手で押さえて、ソファで悶絶している。

「だいじょうぶ?」

 横にしゃがんで問い掛けると、「駄目」と答えが来た。

「栞ちゃんは、俺のなんだから、他の誰にもキスなんかされちゃ駄目。誰にもあげないで」と、目を見開いていたせいで充血した、茶色い目のまま訴えられた。

「はいはい」

「ねえ、ほんとに駄目だからね」

「分かってる」

 そのやりとりとキスを数分繰り返したあと、「それにしてもなんであの子、栞ちゃんにキスしたんだろう……?」と亘はすごく不思議そうに呟いた。ふだん、恋する男女の心のひだを細かく表現することに定評のある人とは思えないその発言に苦笑してしまう。

 あの子は、あなたに会いに来たんでしょ。でも、想像と違うあなたに少しがっかりして、それから顔も名前も役に紐付けされているものの本人そのものはきちんと認識してもらえていなかったことに腹を立ててたんでしょ。

 だから、少しでも印象づけたくて、キスしたの。それくらい、私にだって分かるのに。

「今度会うまでちゃんと覚えてるのよ」

「忘れないよ、あんなことされたら。……そうか、彼女、あんな顔も出来るんだな……」

 散々悔しがってくせに、頭はまた脚本家モードに切り替わってる。もう、独占欲も私の存在も亘の頭の中からははじき出されてどこかへ飛んでいってしまった。

 それが寂しくないっていったら、大嘘になる。でも、嫌じゃないのよ。亘が楽しそうにしてるのを見たら私も楽しい。こんな特等席、誰にもあげない。


 また、新しい物語の生まれる予感。

 それを一番そばで見られるのは、とても素敵なことなのって、彼女に伝えたい。――盛大に呆れられる気がしてならないけど。


 案の定、次の作品でも起用された彼女と顔を合わせるたび、「あ、物好きな栞さんだ」と可笑しそうに云われてしまったけど、「いつもメンテナンスご苦労様です」としみじみ手を合わせられもする。

 そして亘は彼女を見ると必ず「あの時はよくも栞ちゃんにキスしたな……!」と小声で恨みがましく云っては、「は? つかよく覚えてんな、人の名前は覚えないくせに」と彼女に返り討ちにされるのだった。


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