月が欠けても(☆)
「ゆるり秋宵」内の「欠けないハート」の二人の話です。
自分じゃどうしようもないことを、ずっと悩んでる。
去年の密かな大失恋から、半年弱。それにもう、とつけたらいいのか、まだ、とつけるべきなのか。
すでに、気になる人がいるなんて自分は情が薄いのか、とか。
それがまた懲りずに長い付き合いのある安河内なのはどうなんだ、とか。
この間、仕事が一件保留になった。
ずっと好きだった譲のいる映画の配給会社のお仕事じゃなく、初めて携わった通信大手の販促用社内パンフ。細かに刷新するということだったので、ギャラの良さだけでなく今後にも繋がると期待していたのだけれど、その中に載せられていた製品のデータが改ざんされていたものだとわかって販売はいったん中止になり、それに伴いパンフレットも印刷直前で差し止めになってしまった。
今後どうなるかの見通しも、今のところ立ってはいない。
それでも完全原稿を収めていたこともあって、ギャラは当初の提示通りに戴いた。そういうところはさすがに大きい会社だなあと感心してしまった、けれど。
本当なら、全国のお店に配られて、社員の人の役に立つ筈だったそれが日の目を見なくなったことに、やっぱりとてもがっかりした。ギャラが発生するのだからプラマイゼロだと割り切ることが出来ない当たり、まだまだ自分は甘いなと思う。
電話を終えて、そのままごろりとラグの上で横になる。
――今日はなんか、自分を甘やかしたい。
締切がいくつか続いてて、それが昨日でようやくひと段落ついて、そのテンションで夜中、安河内に『終わった!』ってメールしてた。
遅く起きた今朝になって確認したら『お疲れ。なんか食いに行くか』って返事が来てて、よし焼肉にするか寿司にするかと思っていた矢先の、差し止めの連絡だった。
だから、今はそんなにがっつがつに攻めるご飯じゃなく、ちびちび飲んで最後に黒ゴマのアイスを戴きたい気分。
寝転がったままそうリクエストを送信したら、『注文の多いあいり様だな』と、分かりにくい了解のメールがすぐに帰ってくる。
ほらね、安河内はやっぱり優しい。
その優しさは、よくないよ。いくら小学校からの長い付き合いだとしても、異性のただの友達に向けていいものじゃない。
癖になる。てか、もう既に、なってる。
心が譲しか見てなかった時には、その優しさが過剰だって気付かずに、全力で甘えてた。
まるで譲がラスボスで、私が勇者で、安河内が魔法使い。立ち向かっては都度傷付いて、回復魔法をかけてもらった回数は数えきれない。密かな思いが完全に叶わなくなった時だって、復活の呪文を唱えてくれた。
『誰かを喜ばせる為に誰かが走り回って、その誰かを助けた奴がいるから今ハートは出来てんだろ、一人だけじゃこうはいかねえ。俺たちがいてようやくハートは欠けずに済んだんだってこと』
自分の恋が無駄死にじゃないって云ってもらえてどれだけ嬉しかったことだろう。
恩返しがしたい。
ありがとうって伝えたい、それから。
いつか、安河内に近付いてみたい。
でも、今はまだそれを恋にはしたくない、とも思っている。
さて。私にはここ何年か細々と続いている仕事がある。
ティーンをターゲットにした雑誌の、恋愛相談コーナー。
アイリーン姉さんの恋愛道場、なんて仰々しい名前のついたその小さなコーナーには、毎月メールも手紙もたくさん寄せられる。
私多分読者の子たちより恋愛スキル低いですよ、と初めに編集さんに口を酸っぱくしてお伝えしたのだけど、恋愛特集での担当ページがアンケートで好評だったため、連載の形でコーナーを担当することになった。不安なまま船出をして、何とかここまで続いている。
ライターだから、思ってもないヨイショ記事を書くことだってある。でも、このコーナーに関して、媚びたり嘘をついたりはすまいと決めていた。それで不評を呼んで打ち切りになったとしても。
それが、まっすぐな気持ちを寄せてくれる女の子たちへの私の取るべき態度だと思ったから。
『親友の彼に恋してしまいました。友情と恋、どっちを取るべき?』という質問の時には、『難しいけど、自分の気持ちより相手の幸せを考えられたら素敵だよね』と回答した。
それには自戒の意も込められている。まあ、告白したところで譲が私の手を取る確率は九九.九九九九パーセントなかったと思うけど。
勝率がたとえあったとしても、うまくいっていた二人を引き裂いてまで譲を手に入れたところで、果たして自分は幸せになれただろうか。
きっと譲も私も晴れやかな気持ちではいられなかっただろう。傷ついた悠里が、いつだって二人の間に存在してただろう。長年の友人関係だって、ずたぼろになってたに違いない。
イイコちゃんで潔癖で夢見がちな私は、だからその選択肢だけはなかった。
なくて、本当によかった。結婚して今やデレッデレな譲――今まで『悠里が悠里が』とうるさかった口癖は、『うちのヨメが』(ドヤ顔で発言)に変わっている――と、その横でにこにこしてる悠里を見れば、なおさらにそう思う。
結婚前『悠里が』と聞くたび、そこに悠里が居なくても柔らかい笑みを浮かべる譲の顔に傷ついたりやるせない気持ちになったりもしたけど、うまいこと気持ちを昇華させることが出来た今では『ほんっとバカな奴』としか思わないし、もちろん恋愛対象でもない。
『失恋しました。つらいです。こんなのどうしたらいいんですか』とお手紙をもらった時には、『実は姉さんも少し前に失恋してしまいました。とてもつらかったけど、でも恋したことを後悔はしていません。お互いがんばりましょう!』とつづった。もっと役に立つアドバイスが出来たらいいのに気の利いたことも返せない、と落ち込んでいたけれど、そのやり取りが紙面に載った号の発売後には、なぐさめなのかお菓子が続々と届いた。
そんな、見知らぬ女の子たちからも、私はたくさんたくさん励ましてもらった。
私が自棄を起こさないようにずっとフォローして、失恋後に心を立て直す間もずっと立ち会ってくれた男は、今目の前でメニューとにらめっこしている。
「あいり」
「んー?」
「黒ゴマのアイス、今日メニューにない」
「嘘―!」
がっかりだ。
ただでさえショボーンモードなのがさらにショボーンになるじゃんかそんなの聞いたら。
あーあ、ってビアジョッキにため息吐いたら、「大将がね、だから特別に作ってくれたってさ」と何でもなさそうに教えてくれた。
思わず顔を上げると、「他のテーブルの分はないから内緒だって」とテーブルの向こうから身を乗り出して、人の耳に口を寄せて囁く安河内。
掛かる息と体温に、固く閉ざして遠くに避難させてた筈の心を直接撫でられたように錯覚した。こんな時ばかりは、表情筋が固くてポーカーフェイスの上手な自分でよかった、なんて思う。
「よかった、すっごい食べたかったから、今日」
「あいり好きだもんな、あれ」
「うん、好きだよ大好き」
いつか、そんな風に誰かに、――安河内、に、告げることは出来るんだろうか。
ビールのジョッキに山盛りに積まれたポテトやら、脂ののったホッケやら、いろいろつまみながらゆるゆると酒は進んで、いい感じに酔った。なのに、ショボーンな気分は拭いきれない。
安河内にもあの黒ゴマアイスを戴いてた時に結局は「何か今日元気ないよな」とショボーンを見抜かれて、細かな内容は避けて簡単にあらましを話してた。そしたら人の頭をポンポンして、「まあ仕事だからさ、理不尽なこととか自分じゃどうしようもないこともあるけどさ、」と優しく声を掛けてくれた。
「でも、へこむよな」
「――うん」
こんなことで泣きはしない。でも、少しだけ、心の鎧が緩むのが、分かる。
「ほら、俺の分も食って元気出せ」と、安河内は食べかけの黒ゴマアイスをこちらにずいと差し出してきた。
「い、いいよ」
「いいから食えよ」
押し問答を続けていたらアイスが濃い灰色の液体になりかけたから、慌てて器を引き寄せた。
ちなみに自分の分は安河内が半分食べるより早く食べ尽くしてある。
「ありがと、ごちそうさま」
「いいえ」
お礼を云えばニカッと笑って。
そうしてお人好しのあんたは、私に差し出してばかり。
空っぽになった手に物を載せて返しても、きっとそれじゃ喜びはしないって長年の付き合いで知ってる。でも、じゃあ、私がその手を握ったらどうする? なんて思って瞬時にかき消した。
――俺、そういうつもりじゃないよ、って云われたら立ち直れない。
だから、いつも差し出した後の安河内の手はからっぽのまま。
五月。
例のパンフレットは、データ改ざん部分を正しいものと差し替えて発行されることになった。やれやれ、気を揉ませやがって。
再発行に関して私の出番はなかったから当然追加のギャラ発生はないけど、ようやく刷り上ってきたパンフを見て珍しくニヤニヤしてしまった。
『パンフ無事に送られてきた』とメールしたら、『はいはい、だから浮かれてんのねあいりは。何系行く感じ?』と返って来て、安河内はエスパーなのかと本気で思った。なんでこんな短文、しかも絵文字なしでそう分かる? なんか悔しいから、『がっつり焼肉系』と返信した。
二人ともメールをやり取りした日の夜は都合がよかったから、いそいそとお支度をして出かけた。場所は、いつもなら地元の駅前だけど、今日はなんとなく安河内の職場の近くで。
電車に揺られる。車窓に映る自分を見る。うん、我ながらすがすがしいほど愛想のない顔だ! せめてもの彩りにと思ったのがカラコンをし始めたきっかけだったけど、人工の色で作り物めいた目は、無表情をさらに強調しただけだった。
でも決して無感情な訳じゃない。心の中には色んな気持ちがある。今だって私は無表情の水面下で結構弾んでる。
宙ぶらりんになってた仕事のけりがついたから。焼肉だから。だけじゃない。
だったら焼肉なのにわざわざお気に入りのワンピースになんて袖を通したりしない。
夜の車窓にぼんやり映る無表情の女は、私にはそれでもちょっと嬉しそうに、見える。
「よう、あいり」
「よう」
待ち合わせ場所に定刻通りつくと、安河内は私より先に来ていた。
隣に、見たことのない女の子を連れて。
瞬時に、私の心は凍りつく。そして鎧を締め直し、再び遠くへいざ、と思っていたら、「これ、会社の後輩。悪いな、焼肉行きたいってついてくることになった」と何でもないように云われて、全力でホッとした。
「安河内先輩そんなこと云って、今日の焼肉のお店教えたの私ですよ?」
「だからそれはランチ一回ゴチってことで話ついただろうが、何でついてくるかな」
そのやり取りで、心は再凍結。
お店を教えてもらったり、ランチをご馳走したりされたりするくらいには、仲がいいんだな。羨ましい。だけ、じゃない。ねたみも不安もきっちりある。
三田村さん、と紹介されたその人は、好戦的であることを隠しもせずに私に挨拶をくれた。でも私も無表情返しだからきっとイーブン。安河内だけがいつもと変わらない様子で「行こうぜ、もう腹へりまくりだよ」と暢気に笑ったから、それでも武装解除して「そうだね」と返したけど。
「こっちですよ」と安河内のスーツの腕を引くのを見せつけられれば、いい気はしない。
「やめろって、子供じゃないんだから腕をつかむな」
「だってこの辺道がごちゃごちゃしてて分かりにくいじゃないですか、先輩よくとんでもない方に歩きだすし」
確かに。
頼りがいのある安河内だけど、平気な顔してずんずん歩いてくのをこれっぽっちも疑わずについて行くと『迷った』とあっさり告げられることは結構ある。
腕に、絡んでいた七分袖のベージュのスーツ。綺麗にお手入れされてる爪。つやつやでくるくるの髪。意図的に開けられているブラウスの胸元。
幼馴染の美女軍団にも決してひけをとらない、かわいい、美しい装いの彼女。
お願い、心を揺らさないで。
個室へ行くと、安河内は当たり前のように私の横へと腰掛けた。
そんなことが、今はひどく嬉しい。
三田村さんは艶やかな唇を尖らせて「何でそっち座っちゃうんですか―! お誕生日席お誕生日席!」と真ん中の席をぱたぱた叩いてアピールしてたけど、「やなら帰れ。今日はあいりを労う会だから」とあっさり一蹴されてしまう。
その後も、安河内はやたらと絡まれて、それをものともせずに普通に飲み食いしてた。
こっちはいつケンカになってしまうかと肉を焼きつつハラハラし通しだったけど、三田村さん推薦のこのお店のお肉は美味しかったし、心配していた洋服への匂い移りも、テーブルの上に設置されていた強力な換気扇のおかげで思ったほどでもなかった。
そろそろデザートタイムにしようかって頃、彼女が席を立った。
「ちょっとお手洗い行ってきますけど先帰んないでくださいよー」と安河内を指差し、安河内がその差された指を叩き落として「そんなことしないから早く行ってこい」と呆れた顔で送り出すと、個室はしんとしてしまった。
「……悪いな、びっくりするだろ」
「うん、いつもあんななの?」
「まあそうだな。でも今日はなんかちょっとタチ悪い。あいり、気ぃ悪くしてないか」
「……大丈夫」
二人してぽんぽんやり取りしてて疎外感があったけど、安河内は何かとこっちを気に掛けてくれてたし、今の一言でチャラだ。
でもむかっ腹は立ったから、「仲いいんだね、二人」ってちくりとしてやる。
そしたら、安河内は飲みかけてたビールジョッキを静かにテーブルに置いて、体ごとこっちを向いて、静かに云う。
「そういうんじゃねえから」
「……うん」
残酷で都合がいいな、私。自分にはあんなに云われたくないと思った言葉を聞いて、すごく安心してる。その先に、もし、私への告白めいた言葉が続いたとしても、今はイエスと返せないくせに。
それすら分かられているのかな。言葉は、そこまでで終わっていた。
二人して、ぽつぽつ近況を話していたけど、お手洗いに立った三田村さんはなかなか席に戻ってこない。
「私ちょっと見てくるよ、トイレで気持ち悪くなってるかもしれないし」
「ああ、頼む」
ぐるぐると、店内の通路を何度も曲がってようやくたどり着いたお手洗い。
――の前で、三田村さんは腕組みをして立っていた。
「よかった、飲みすぎたりしてないですよね」と声をかけると、じろりと睨まれた。
「当たり前じゃないですか、あれっぽっちでどうにかなるほどやわじゃありません。それより、待ってたんですよ」
「……安河内を?」
なら私が来ちゃって悪いことした、と慌てたら、「違います、杉下さん」と名指しが来た。
「私?」
「ちょっと、外で話しません?」
確かにトイレ前は、おしゃべりに相応しくない。そう納得して、『三田村さんと、外の風に当たってるね』とメールを入れてから二人してお店の入っているビルの外に設けられた小さな庭園に出る。
昼間の名残で空気がまだどこかあったかい。でも長く夜風に当たってたら寒そうだな、なんて思いながらベンチまでの小路を歩いた。
二人で並んで、そこに座る。仲良しでもないのに変なの。大体話すって何を話せばいいんだろうと困っていると、むこうから口火を切ってきた。
「杉下さんのこと、先輩の話によく出るのでどんな人なんだろうってずっと気になってました」
「……そう」
どんな話をされてるやらと苦笑すると、途端に眉を顰められた。
「私、先輩のこと好きなんです」
「……」
どうしてそれを私に、と口に仕掛けた時、むこうから先制攻撃を受けた。
「単刀直入に云いますけど、恋人にしないんならあの人私にください」
「!」
「先輩はあなたの事悪く云わないけど、でも杉下さんだって先輩の気持ち、わかってるんですよね? 応える気もないくせに、いつまでも先輩をキープしないで」
その言葉は、鎧の隙間から的確に私の心を刺した。
「そう、だね」
ほんと、そうだよね。
そういうことだ、私がしているのは。
ほんとはどこかで分かってた。安河内が私に向けてくれてる気持ちは、友達だから、だけじゃ説明がつかないって。でも譲で傷付いた心を私は、安河内の気持ちに気付いてない態で、差し出された優しさだけをただ受け取ってた。
夜中に出すメールにすぐ返事がくることを。こちらからの突然の誘いを断らないことを。私がして欲しいと思う通りの甘やかしと励ましを。
どんな気持ちで安河内がしてくれてたかなんて、想像してしまったら、自分の分と安河内の分の気持ちで、心が押しつぶされてしまうと思った。
それプラス『そういうつもりじゃない』と云われることを怖れて、私は今日まで見ないふりを決め込んでいた。
安河内が現状を許してくれているからと、言い訳までして。
無表情のまま突然だーっと涙を流したら、私より硬い顔してた彼女がぎょっとなった。
「泣かないでくださいよ! 私が悪者みたいじゃん……」
「ご、めんな、さ、」
「いいから、これ使って!」と押し付けられたポケットティッシュを、ありがたく使わせてもらった。今日も付けてきたカラコンがずれないように、目は擦らずにそっとティッシュで抑える。
「こんなのよくないって、自分でも分かってて、」
「――無理に喋んなくってもいいですよ」
そう云ってもらったけど、伝えたかった。
「でも、また恋して駄目だったらって思ったら、こわ、くて、」
始まってもいないのに先回りしてもう終わりを怖がるなんてバカみたいだ。
でもずっと望みのない恋をして縮こまっている心は、もう一度傷付くなんて今はとても出来ない。
そのくせ、安河内を手放すって考えただけで手が震える。
――あんたも、私以外の人を選ぶの?
自分はその手をまだつかめないくせに、そんな風に思ってしまう。
「――あーもう!」
その人は焦れたようにそう云うと、キッと再び私を見据えた。でもそのまなざしは、さっきよりも柔らかい。
「わかりました」
静かに口にしたその言葉は、まるで彼女が彼女自身に言い聞かせているような口ぶりだった。
「いいです、もう」
「……え?」
「杉下さんが性悪女で、その気もないのに先輩を弄んでるなら解放して欲しかったから無理やり今日ついてきたけど、そうじゃないってよーく分かったから」
なにさ、両思いじゃん。
そう呟いて横を向くと、ささっと目元をぬぐったのが分かった。だからって、私に何が云える?
ごめんなさいもありがとうも違う。
どちらともなく『戻りましょうか』って云うまで、ただ夜風に吹かれながら月の出ていない空を、眺めた。
二人で揃って個室に戻ったら、案の定私の目の赤さを見咎められた。
安河内が大騒ぎする前に、「コンタクトしたままうっかり目を擦った」と言い訳をしたら「そうか」とだけで、それ以上の追及はない。
「先輩過保護なんだかヘタレなんだか」と三田村さんが大げさにため息を吐きながらデザートメニューを広げると、「うるせえ」ってむくれてた。
「ごちそうさまでした! 先輩、私の分まで出させちゃってすいませーん」
「お前な、あいりだけゴチにしてお前から徴収するわけにはいかないだろ! そう思うなら最初からついてくんな」
「そう云う訳にはいかなかったんです」
「どういう訳だよ」
「さあ?」
――あなたを、助けに来たんです。
言葉の裏に隠された本当の気持ちは、私が勝手に云っていい事じゃないから、レジでもらった飴を口に放り込んで黙ってた。
だれかを、好きになる。思いをあちらからも返されるとは限らない。
それでもいい、と思った時に、人は告白するのだろう。
勇気を携えて、不安を抱いて。
三田村さんの見立て通り、両思い、なのかもしれない。
でもまだだ。
今の私は私のことで精いっぱいで、安河内に優しくなんてなれない。
でも優しくなりたいのよ、恋をするなら。
安河内みたいに。そう思ってる。
駅で他の路線へと向かう三田村さんと別れて、二人してホームへ並んで歩く。その速さだって、でかい安河内にしてみたら遅い部類に入るだろう。でもいつだって、急かさないでくれたね。
立ち止まっても。うずくまっても。
いつだったか、飲みすぎて潰れた私を負ぶって、タクシー乗り場まで歩いてくれたこともあったっけ。
思い出して口元を僅かに緩ませて笑ってたら「なんだよ」って気付かれた。
「ねえ」
「んー?」
何でもなさそうなふり。私が構えてしまわないように。
その優しさに、やっと私、向き合いたいと思えたの。
ドキドキしながら、安河内を見上げて、告げた。
「私、いつか安河内に云うことがあるよ」
「――そうか」
ただそれだけの言葉を、安河内は嬉しそうに受け取ってくれた。しかも。
「『なんだよ今云えよ』って云わないの?」
「今聞かされないってことは今云うことじゃないんだろ?」
「まあね」
「それなら、楽しみに待ってるから」
「――うん。待ってて」
「おう」
笑う安河内の目が、きゅっと細くなって、お月様みたい。
すぐに惑う私の足元をいつも優しく照らしてくれるから、月のない夜だって平気だった。
またここから半年かかるかな。それとも五年くらいかかっちゃう? 自分のことなのに、自分の気持ちが一番予測できなくて困る。
でも出来ればそこまでお待たせはしたくないものだと思いながら、やってきた電車に二人して乗り込んだ。
「ハルショカ」内32話につづきあり
15/05/26 一部修正しました。