のら台車奮闘記(☆)
「ハルショカ」内の、これの一話前「のら台車顛末記」の二人の話です。
のら台車の面倒を見てもらったお礼を申し出たらお茶することになった、なんて、あんまりにもできすぎた話じゃない? ――でもともかく、そういうことになった。
ラッキーすぎて、これ実は夢なんじゃないの、とか思いながら午後の仕事をばりばりやっつけた。そして紙モノの束を運ぶのに元のら台車がなんの不具合もなくさっそく大活躍してくれてうれしかったりしつつ、ちょうど繁忙期と繁忙期の谷間で電話も少なかったので、いそいそと定時で仕事を上がった。
待ち合わせしていた喫茶店に先に一人で入って、飲み物を選ぶ。とにかく何かキンキンに冷えたものでも飲まないことには落ち着く気がしない。大丈夫、清家さんはいつも定時でなんか上がらないから、ドリンクを一杯飲むくらいの猶予はあるはずだきっと。うん。
という私の読みは、ものすごく外れた。
ウェイトレスさんに注文を伝えて、メニューをパタンと閉じたタイミングで、「早いねー」と、ちょっと高くて掠れてて、誰とも似ていない声が背後から聞こえてきたから。――あの、元のら台車を保護した日みたいに。
すとんと向かいの席に腰かけて、それがあんまり自然だったから、ああなんかお付き合いしてるみたい、なんてさっそく浮かれてる自分が超キモい、と思いながら「……清家さんこそ、早くないですか」ってかわいげのないことを口にしてみた。あ、普通っぽさを装うつもりがちょっとぶっきらぼうになったかも、と慌てていると、私の不調法をまるごと包み込むように、清家さんがにこーっと笑う。ひい、まぶしい。
「千木良ちゃんとお茶できるの、今日の午後ずーっと楽しみにしてたから」
なんですか! その非の打ちどころのないコメントは! むしろ私が言いたかったですよそういうの……。
かわゆすぎるお言葉をピッチャー返し的にもろに受けて、普通を装う余裕はまんまと霧散した。でもなんかお返事しなくちゃ。考えろそして動け私の脳みそ。
にこーっとしたまま何かを、てか私の返事を待っている清家さんに、私は。
「それは、たいへんに光栄であります!」
「うーん、やっぱり面白いヒトだな千木良ちゃん……」
清家さんも、今日面白い……っていうか、いつもと違いますよ。だって、私のこといきなりの『ちゃん』づけだし。
でもそこ指摘して、『さん』に戻ったらやだから、黙ってた。
私がオーダーしていたものが来て「ありがとうございます」とお礼を言って受け取ると、今度は清家さんがホットコーヒーを頼む。こんな蒸した日に、と思わないでもないけど夏も冬もあったかいものをいつも飲んでいるもんね。ちなみに飲み会では『焼酎の梅入り・お湯割り』がマストドリンクです(私調べ)。
そんな清家さんは、注文を取った店員さんにも気安く『清家スペシャル』を見舞って(そうやってまたむやみに好感度を上げるのはやめていただきたい)こちらへ向き直ると、私の前に置かれた赤い飲み物をまじまじと見つめた。
「千木良ちゃんそれなに?」
「えと、ベリーのソーダです」
「へえ、色キレイだね。でも酸っぱそうかな」
「……少し、飲んでみますか」
「うん、千木良ちゃんが飲んだ後一口ちょうだい、セクハラじゃなければ」
「セクハラではないですけど」
それは頼んだ本人が飲んでもいないのに、というまっとうな遠慮か、それとも『私が口をつけたのを飲みたい』という欲望の表れか……。はは、ないわー。
落ち着いて、と自分に言い聞かせながら「いただきます」とベリーのソーダを口に含んだ。ストローの細い管を駆け上がってなお勢いの収まらない炭酸が、血管にのってしゃわしゃわと全身に巡る、みたいに落ち着かない。清家さんが、アイドルグループの子のグラビア的に両手でちょこんと頬杖しながらじ――っとあざとかわいくこっちを見ているせいだ。なんて罪作りな三〇才。でも大丈夫、勘違いなんかしません。
ソーダに含まれる無数の泡は、一つ一つ弾けながら『目を覚ましな!』って大昔の昭和のドラマに出て来るヤンキー女子が放つパンチみたいに口の中で強く訴えてきた。若干強めの酸味は、さらにそれを後押しした。――ですよねー。
酸っぱ甘い(甘酸っぱい、じゃない)冷たい炭酸で、浮かれまくっていた動悸とテンションが少し落ち着けば、ちゃんと地に足のついた思考が戻ってくる。
回し飲みくらい、みんなするし。こんなテンションになっちゃってるのは私だけだし。誰のお誘いもするする逃げちゃうこの人が、お礼の名目以外で私とお茶する訳ないし。
大体あちらは殿上人で、私は引き取り手のないのら台車みたいなもんだ。お昼休みの思わせぶりはきっと清家さんのリップサービスに違いない。ひとときの夢とときめきを、あっしなんぞにありがとうごぜえます。
そう思う気持ちはいつわりじゃないはずなのに、どうしてかがっかりもしていた。
殿上人は同じポーズのまま「どう?」って聞いてきた。ベリーのソーダのお味はあちらの予想通り。うん、でも好きだな。
「おいしいです。でも酸っぱいの苦手な人にはちょっと向かないかも。どうぞ」
「ありがと。…………ほんとだ、けっこうすっぱい」
「男の人って酸っぱいの苦手ですよね」
「そう言われると悔しいんだけど、事実なんだよなあ」
その謎の悔しがりがかわいくて笑いそうになって困ったところで、やっと今日のこのお茶の趣旨を思い出して、深々と頭を下げる。
「改めて、台車ありがとうございました」
「どういたしまして」
「このご恩は一生忘れません」
「何でいちいちコメントとかリアクションがそんな大げさなの」
ぶは、と困った眉毛のまま豪快に吹き出された。その顔も好きです。
見とれられていることに一向に気づかない鷹揚な清家さんは、運ばれてきた自身のホットコーヒーに口をつけながら「恩なんかとっとと忘れていいけどそれより来週あたり一緒に食事でもしませんか」とさらっとした口調でそう提案してきた。
「ふへっ?!」
思いもよらない言葉が突如降ってきて、思わず声がひっくり返る。
「やっぱ会社員にしておくにはもったいないリアクションだよそれ」と、清家さんは小さな笑いをいなしながら話してくる。
「えっと、あの、」
「迷惑かなあ」
「迷惑などでは決して!」
「じゃーオッケーですか?」
「もちろんオッケーですよ!」
うわーうわーうわーお食事に誘われちゃった、とテンションが爆上がりしたのち、少女マンガだってこんなちょろい展開ありえないぜ、とあっけなくひゅーんて落ちた。――そして、ある一つの答えにたどり着く。
「……やっぱり、お茶だけじゃお礼には足りませんでしたでしょうか」
当初の予定通り図書カードとかクオカードとか、何かしらのお礼を買い求めないと。ああ、あとお食事処はどこがいいかを聞かないと。そう思いながらベリーのソーダを飲む私の前で、清家さんは口元までカップを運んでいたのにぴたりとその手を止めて、そして静かにソーサーへと戻した。あれ? 今、飲んでなかったよなあ。あと、にこーってしてるのになんか怒ってるっぽいのは、何で。
「千木良ちゃんけっこうあれだね、まっすぐに見えて思考がくねくね迷いがちだよね」
「! だって、そういうことじゃないんですか」
自身の面倒くささをずばっと笑顔で指摘されて悔しかったので、そのままの気持ちで返したら、清家さんは笑みを深めて――なのにやっぱりどこか怖く見えた――、こちらにぐっと身を乗り出して、ちょっと高くて掠れてて、誰とも似ていない声でささやいた。
「うん、そういうことじゃないんだよ」
まぢかで吹きこまれれば、案の定思考停止になるじゃないですか……。
「――じゃあ、どういうことですか」
まさか。でももしかしたら。ないよね。
そのみっつの言葉で今日は何回三角形の図形をぐるぐる描いたことだろう。でも飽きずに何度でも思ってしまう。まさか。でももしかしたら。ないよね。
でも、もしかしたら。
三角形から少し乱れた思考で見上げると、怖く見えた笑顔はひっこめられて、代わりに見覚えのあるいつもの『清家スペシャル』で「どういう意味だと思う?」って小首を傾げてあざとかわいく聞かれた。
「ヒントあげるね。俺が台車の面倒を見た理由とだいたい同じだよ」
「あのー……」
「なに?」
「それってなんか私にとってはすごく自意識過剰みたいな意味……ですかね」
「すごく自意識過剰じゃなく、そこは堂々と自信もってくれていいと思うんだけども」
「ひょおっ!」
「もうなにその千木良リアクション、バリエーションありすぎじゃない? ――で、」
どうぞ、って手で促されて、おそるおそる『自信』的なものを口に乗せた。
「清家さんが、台車のお礼とかじゃなく、ただ私とご飯食べたい、とか、わっ、私に興味ある、とか……」
「正ー解ー」
口にするだけでこっちは胸の中のちょうちょたちがわさわさ大騒ぎだっていうのに、ぱちぱちぱちとのんきに拍手された。
「それだけじゃ足りないけどまあ今のところはそんな感じで」
「?」
「そのうち教えてあげるよ」
「……はい!」
そのうちってことは、まだ続きがあるってことだ。今日だけじゃなく、次に食事があって……それから?
聞いてみたい気持ちはある。でも、『考えて』って言われそう。こういったジャンルに関して積極的に考えるのは(しかも思考停止に陥りがちな中、くねくねしないでまっすぐ答えを導き出すのは)難しいけど。
でも、今のところ迷惑がられてはない(そこは自信を持って)。
しかも、楽しみにされてるっぽい(私の珍妙なリアクションこみで)。
だから、もしかしたら、もしかして。
まさかとないよねをなくしてみたら、自分史上最高にまっすぐな答えにたどり着けた。胸の中で羽ばたくちょうちょに導かれたのね。なんて、超浮かれながら(ちょうだけに)。
「あの、次のおデエトは、気取らないイタリアンとかで、どうですか」
気張りすぎて『デート』って言うところが『デエト』になっちゃった上にいらない『お』をつけちゃったけど、さんざん人のリアクションでツボっていた清家さんは、私の言葉を聞いて吹き出さずに、にこーっとふわーっと柔らかく笑った。
「ところで、台車の名まえ決まった? もしかしてのらちゃん?」
「違います、だいちゃんです」
「そっちかー」
くすくす笑われてしまう。あーもうこんな風に楽しそうにしてもらえるならネーミングセンスがなくてむしろよかったね……。そう思う私に、清家さんは。
「ねえ、大事なものに名前つけてかわいがるなら、俺にはどんな名前を付けてくれるの?」と思考停止すぎる質問を繰り出した。
「あの、急に言われましても」
「いいよいいよゆっくり待つよ、はいどうぞ」
今なんですかい! ゆっくりって言ったくせに……!
「決まった?」
「じょ、ジョン……」
「――えーっと、なんでジョン?」
「ジョンとヨーコ的な……」
「じゃあ俺は千木良ちゃんのことヨーコって呼ぶの?」
「いや別にそこは普通に!」
「俺もジョンはなかなか、人前で呼んでもらうにはハードルが高いなあ」
「ですよね……」
「と言う訳だから、普通に下の名前で呼んでいいからね」
「え゛っ!?」
「それうれしいのうれしくないのどっち」
「うれしすぎてちょうちょが……」
「ちょうちょ?」
ほんっとおもろいヒトだな、と笑われて、私の胸の中で全ちょうちょがいっせいにわーっと羽ばたきまくった。
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21/04/26 一部修正しました。