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ハルショカ  作者: たむら
season2
45/59

盛りガール(☆)

「ハルショカ」内の「嘘ガール」の二人の話です。

 こってりと重ねられたマスカラ。どぎつい赤の唇。足を痛めつけそうなハイヒール。――はい、やりすぎ。


 彼女を認識した時の印象はこうだ。

 自分の周辺にはこういった非ナチュラル系の女性もいるけど、ここまで似合ってない子は初めて見たかもしれない。

 だからといってじろじろ見るのも悪趣味だし、その後は特に気にも留めなかった。



「恋人は作らないんですか」

 週末ごとに訪れるバーで店主と来日したミュージシャンの話をしている最中、さらりと切り込まれた。俺は煙草をふかしながら苦笑する。

「毎週末ここに来て常連連中(みんな)としゃべってたら恋人見つける暇なんかないよ、知ってるだろ?」

「言い訳にしか聞こえませんね。その気になればいつでも作れるくせに」

 鋭い指摘には答えず、煙草で沈黙を埋めた。

 灰皿に吸殻をぎゅっと押し付け、その頭と火を完全に潰してから「……正直、めんどうかな」と呟く。

「何がですか」

「そこに至るまでの手順を踏むのが」

 偶然でも誰かにセッティングされたものでも、まずは出会って。それから互いを知って。

 気になっていますよというシグナルを察知して、こちらからも発信して。

 少し踏み込んで、嫌がられなければさらに一歩。駆け引きが好きな相手ならそれにも乗って。

 若い頃には散々楽しんだそういったプロセスも、今では『またか』としか思えない。自然と、その日だけの割り切った関係を持つ機会が増え、そして週末になれば同じく独身男たちとここでバカ話をするのが楽しくて、真面目な付き合いからは足が遠のいていた。

 何年も使わずにいて歯車の動かなくなった時計のように、久しく自分の生活では止まったままのもの。恋という言葉を口にするのも恥ずかしい。最後にときめいたのなんていつだっけな。記憶をさかのぼっていると店主からおせっかいな提案をされた。

「あの子と付き合えばいいのに」

「好きでもないのに? それこそ失礼だ」

 誰が見てもあからさまな好意をぷんぷん振りまいて近づいてきた年下の女の子を遊びでつまみ食いする趣味はない。なので、いつもなら距離を取って接触を回避するのに、妙に装いがミスマッチな子のミスマッチ具合に、逆に興味を持ってしまった。これ、気を引く為のテクなのかなとも思ったけど、どうもそういうことの出来る子じゃないっていうことはもう知ってる。

 店のみんなに気に入られてる、いい子だ。

 でもそれだけじゃ、恋にはならない。


 そう思っていた筈なんだけど。


 慣れというのは恐ろしいな。気が付けば、盛り過ぎな彼女がここに来ると、隣の席に呼んで話をするのが当たり前になっていた。今日は何を話して、何を見せてくれるのかを楽しみにしてた。


 誰かの飲んでたズブロッカに興味津々の顔をして、「飲む?」って渡されたグラスに口をつけるその手前で度数のきつい匂いにやられたんだろう、むせた後にぽつりと零した「おとなってたいへん……」という言葉に噴き出しそうになったり。

 オフショルダーの肩口がよっぽど気になるのかちょこちょこ直して、それでも落ち着かない様子でいると思ったら諦めてカーディガンを羽織った姿にホッとしたり。

 庇護欲なのか、保護者のつもりなのか。それにしては、こちらの心が忙しないような。


 一二時を回る頃になると店内の壁掛け時計をじいっと見て、それから『えいっ!』とアテレコしたくなるほどの勢いでスツールから立ち上がって、そのくせ「じゃあまた」なんて笑ってみせて帰るのはいつものことだ。

 ドアの向こうへ彼女が消えた途端につまらなくなった心は、勝手にあの化粧をべりべりと剥いだ。するとメイクの下から年相応の、素朴な女の子が現れる。

 うん、髪はサイドで結んで、リネンかコットンのシャツワンピース、それに足下はサンダル。高さも色気もない奴。その方が、断然いい。装いを変えた彼女をうまいこと想像出来た自分に喝采を送りたくなる。

 ああもったいないなあ。あの子なんであんなカッコしてんだろ。訝しんだ自分に、店主がこっそり教えてくれた。

「大人なあなたに釣り合いたいから頑張っているそうですよ」

 ――それを聞いて、ニヤけたくて仕方ない顔をごまかす為に(ごまかせる相手だとは思ってないけれど)即席のしかめっ面になる。自分の吐いた煙をもろに被りましたという態で。

 それを知ってか知らずか、店主はグラスを磨きながらなおも続けた。

「その言葉に思わず、ぐっときてしまいました」

 それを聞いて、はっきりと眉間に皺を寄せる。今度こそ何かのポーズではなく。

「大丈夫ですよ、グラッとはきませんから、俺は」

 こちらを慮ってか自身の配偶者の為か、店主はグラスを静かに置くと、目の前で堂々と左手の薬指の指環に口付ける。見せつけるように長く。

「ああ」

 安心したよ。安心した自分の心に、気付いてしまったよ。

 もうじきに、彼女が来る。いつものようにこれっぽっちも似合っていない装いをして、まっすぐにこちらを見つめる女の子が。

 年甲斐もなく浮かれてしまう。早く会いたい。一分でも一秒でもいいから。


 でも結局、その晩とうとう彼女は店に現れなかった。絶対来る筈もない閉店の時間までねばったというのに。

「――どうしたんでしょうね」

 音楽も灯りも半分以下に落とした店内でグラスを拭きながら、店主がちらりとこちらを見やる。なんだなんだ、その目は。俺は何もしていないし、何も知らないよ。むしろ教えてほしいくらいだっていうのに。


『もしかして体調が悪いのか』とか、『忙しいのか』とか、時と場所を選ばずにふとした瞬間浮かんでくる。おかげで心配事のレパートリーは、この何日かで相当バリエーションを増やした。

 それだけじゃない。完全にこう着状態になってしまった会議の最中に『盛り過ぎメイク』を思い出せば、それだけで苦笑しそうになってとても困った。街ですれ違う人や会社の部下の中にもしや彼女はいないかと、いつもの逆であのメイクを『目で盛って』みては、そのつど落胆した。――そんな自分に、さすがに呆れた。

 考えながら、じりじりと金曜の訪れを待った。最悪の予想からは敢えて目を逸らしてた。今週こそ会えると、そう信じたかった。


 そしてまた閉店時間まで待ちぼうけしてしまった。気遣うフリをやめた店主が、『本当にあんた何しちゃったんですか』という目でこちらを責め立てる。だから知らないんだって俺も。

 まったく、あんなに懐いてたくせに突然姿を消すなんて。こうなってみると、あっちが告白の言葉なり連絡先なり携えてやって来るのをのんきに待ってたりするんじゃなかった。

 そう思って、すぐに取り消す。

 待つ時間さえ、楽しかったんだよ、俺は。

 そわそわして、うきうきして、なんだか久し振りに心の歯車が回りだしていたのに。


 君はあの盛り過ぎな装いを、他の誰かに見せると決めたのか。そいつにまっすぐ向かっていくと。

 ――長いこと手入れをせずに放置していた歯車が軋む。それでも、よたよたとそれは動き続けている。

 そうだ。

 君がいなくなったからって、この気持ちまで捨てる必要はない。だったら、とことん足掻いてみようじゃないか。

 幸い、ヒントはたくさん与えられた。どのあたりに住んでいて、何が好きか。休日に訪れる店やおおよそのエリアも。素直な君は『赤の他人、しかも男にぺらぺら個人情報を教えるんじゃない』と口うるさい父親みたいに諭したくなる程、俺に話してくれたから。

 ひとしきりそうしておいて、喋り過ぎという名の情報漏えいにハッと気付いては、ミステリアスに見えていると本人だけが思っているらしい曖昧な、――はっきり言ってしまえば笑いを堪えているような顔を拵えてみせる。そのけなげさに胸を打たれつつ、盛り過ぎメイクとその表情の絶妙なコラボを笑わないようにするのは毎回大変だった。おかげで、たぶん腹筋はかなり鍛えられた。

 あんな風に楽しませてくれる人はいない。これからも楽しませてくれなきゃ嘘だ。長い時間止まっていて錆び付く寸前だった人の歯車を、勝手に回しておいて。

 君がいくら上手に隠れていたとしても探し出してみせる。『大人のくせに大人げない』と店主や他の常連連中に呆れられたって(実際呆れられた)、金も人脈も使えるものはすべて使ってやる。


 そう息巻いていたものの、結局のところえげつない手段を行使する前に何とか自力で君を見つけだせた。

 フラットな靴、ふわりとしたワンピースにジーンズ、それから作りこんでない顔――ほら、やっぱりこっちの方がうんとかわいい。


 初めまして。『目で化粧を剥がす』必要のない君。

 君のことをもっと好きになる予定なので、これからもどうぞよろしく。

「どうしても化粧したいって言うなら、まあまずは俺の知り合いのBAに教えてもらうとしようか」

「……そんなに?!」

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