優しさの端数(☆)
×一軍女子
「ハルショカ」内の「時を駆ける寅ちゃん」に関連しています。
私は賢くてかわいい。ちょっと胸とお尻が大きいのが難点だけど、まぁカンペキ過ぎるのってイヤミだからこのくらいがバランスとれてていいかんじでしょ。
謙遜じゃなく本気でそう思う程度に、私はイイ性格をしてる。だから女子には分かりやすく嫌われてる。あの子らは、頭も胸もかわいさも性格の悪さも私の足元にも及ばないくせに、嗅覚だけは鋭くて小型犬みたいにキャンキャン吠えるのが好きだよね。
「男子の前だと態度違い過ぎじゃんアイツ」って、当たり前じゃない。自分の事好きでもなければ仲良くしててなんのメリットもない人に愛想よくしてどうすんの。どうでもいい他人の恋愛トークなんかに一生懸命リアクションしてるヒマがあったら、爪磨いてる方がよっぽどいい。私はあんた達とは違うの。
とは言え、そんな私にもつるむ仲間はいる。私と同じく、『女子から爪弾き系女子』。まあこちらはだいぶ性格が似たり寄ったりなので、ビッチと言われようが前向きに一軍女子を名乗ってるけどね。それでまた炎上するんだけど。
たいくつな日々。同級生は、男も女もだいたい自分より精神的に幼いし。でも。
――楽しい瞬間だって、たまにはある。
そろそろ賑やかなあの人が彼女に連れられて登校してくる時間。
「じゅんじゅんあるくの早いよー」なんて甘えた声まで聞こえてきた。
その声も、手を繋いでいる二人も、私の大きな胸を小さく痛ませる。なのに一軍仲間曰く、見ている時の私の唇は少しだけ楽しそうに上がっている、らしい。
私が片思いしてるなんて、悪い冗談みたい。
早熟な体は、小学校の高学年の頃にはもう男性から性の対象という目で見られてた。中学の頃にはすでに、高校生や大学生の彼氏がいつも隣にいた。今考えれば中学生に手を出すなんてろくな男じゃないって分かるけど、当時の幼稚な自分には体のことをからかわない、いい気になる言葉をじゃんじゃんくれる、大人になったような気持ちになれる年上の恋人がいる事は本当に自慢だった。――今は、もう少しは見る目があるつもり。
電車に乗って高校に通うようになると、痴漢にも遭った。あんなの、今でこそ撃退できるけど最初は怖くて声なんか上げられるもんじゃなかった。
それでも電車を降りる頃には何事もなかったような顔して登校したんだけど。
「あれ? なんか今日、元気なくない?」
高一の五月にして既に女子の中で嫌われ者の地位を確立していた、そんな私に教室で声を掛けてきたのは、顔面のクオリティの高さも変わり者具合も学年一の男の子。
いつもなら「別に」って言えていたと思う。でも、この日は。
弱ってた。誰かに助けてほしかった。
「……朝、電車で痴漢に、遭って……」
それだけ口にすると、あとは涙をこらえるのに必死だった。
「そっかー、桜井さん、胸もお尻もでっけーもんなあ」
その明け透けな物言いに、思わず涙も引っ込んだ。
さすがに、本人を前にそう言い放った男子はいない(陰で何を言われているかまでは精神衛生上あえて関知してない)。
「あ!」
突然彼は、ぱん! と手を合わせたかと思うと、荷物をじゃんじゃんリュックから出して、「いいこと思いついた!」と油性のマジックを高く掲げた。そして、昨日返ってきたばかりの彼の中間テスト――すでにくっちゃくちゃ――をリュックの底から掘り出して、その答案の裏に何かを書きつけつつ「困ったらさ、これ出して、周りに見せてみ?」とにっこり笑い、「どうぞ」ってそれを渡してきた。
「ちかん! たすけて!」とオールひらがなででかでかと、油性ペンで書いてある答案用紙の裏。――これ人前で見せると、私がものすごい落ちこぼれだと勘違いされそうなんだけど。そう思っていたら、当人も慌てた様子で「あ! これテストの紙だった! どうしよう、一回ちゃんと考えてから動けってじゅんじゅんに言われてるのに!」と一人でおろおろし出す。
「――大丈夫。ちゃんと次からは自分でなんとか出来ると思うから」
はい、と点数の面を隠して折って渡すと「ならよかった!」と両方の手で、胸の真ん中を押さえて、小首を傾げて満面の笑みを見せる美少年。
ひらがなだし、考えなしのおおざっぱだけど。無為の親切を手渡しされて、嬉しかった。
「――ありがとう」
そんなの本心で言うのどれくらいぶりだろうと思いつつぎこちなくお礼を述べると、彼は私の一〇〇倍愛らしい笑顔で、「どーいたしまして!」と返してくれた。
そんなの、恋に落ちない方がどうかしている。
好きになった人には好きな人がいる。なら奪っちゃえ。
高校生男子なんて性欲のカタマリだから、身体で落とせばいい。自分の体が恋愛成就の役に立つなら、電車で知らない人の性欲の的になった事も許せるような気さえした。
呼び出した放課後の、二人きりの教室。彼は何事かと疑いもせず、のんきに鼻歌なんか唄いながら「おまたせー」といつも通りにやってきた。
先制攻撃で速攻落とす。そう判断して、会話もなしにブラウスのボタンを外しながらうるうるの上目づかいとピンクに染まった頬、艶やかな唇(頬と唇はメイクによるもの)で迫ってみれば、「イヤー! コワイ!」と泣きながら逃げられた。彼女のところへ。――なに、ソレ。
今までは全部落としたい相手を確実に射止めてたテクニック。なのに、通用しないどころか逃げられるなんて、こっちのプライドはズタズタだ。だからって、これ位で傷付くようなやわいメンタルなんか持ってないから、私はこのカップルへのいやがらせに興じる事にした。
でも、その彼女の方も彼と長く付き合っているだけあって、面倒見も良ければ強いハートも持ってる。私がねちねちイヤミを言ってみたって、ちっともききやしない。
何なのよ、このカップル。むかつく。
そう思って、持てる技術を総動員してよりいっそうの意地悪してやった。話を膨らませて噂を広めたりもした。でも、二人はめげない。
お洒落雑誌に取り上げられてからというもの、彼にちょこちょこやって来る取材。あたかも自分が彼女みたいに振る舞って、ライターさんが喜びそうな人物像(本人がかなりイヤそうな方向に脚色してやった)をペラペラ話しても、あの人は少し悲しげに目を伏せるだけ。
そして、取材が終われば仲良くまた彼女と二人で帰っていって、次の日にはもうすっかり元通り。
むかつく。
それでも、いつまでも、あのカップルは私の意地悪をスルーするものだと何の根拠もなく決めつけてた。
まさか、富岡さんから「もうしないで」と釘を刺されるとは思わなかった。――彼女より先に、彼にも特大の釘を刺されたなんて、私教えてあげないんだから。それくらい、いいでしょ。
「俺にはなにしてもいいけど、じゅんじゅん傷付けたらゆるさないよ」、だって。
初めて見た。笑ってない顔。そんな真面目な顔も、彼女の為なら出来るんじゃん。そうしてる方がちょっとは賢く見えるよ。
やっと逃げないでまっすぐ私の事見てくれたね。でも、そのきらきらした目には彼女しか見えてない――ああそうか、そうだ。
私、失恋したのか。
最初っから分かってた。彼には彼女がいるって。告白して断られたし、叶う事はないって。
でもこうして、改めて突きつけられた。それでようやく、諦めの悪い自分でも理解した。
これ以上の手出しは、許されないって事。
あの人は誰にでも優しいけれど、それは彼女に向けたものの残りでしかないって事。
インタビューを受ける直前に廊下に呼び出されたらそんなんで、柄にもなくドキドキしてた自分がバカみたいに思えた。
釘を刺されたけど、インタビューではいつもよりうんとくっついてやった。富岡さんからも言われなくったって、これが最後だもん。だったら、私らしく好きなようにさせてもらう。
彼の頼りない記憶の中でもしぶとく生き残れるように、私は完璧に振るまった。
取材が尻切れトンボで終わると、大得意の『平気なフリ』して家に帰った。
着替えもしないでベッドで突っ伏して思うまま泣いてそのまんま寝られたら、少しは楽なんだろうな。そう思いながら制服を脱ぎ、丁寧にハンガーにかけ、丁寧にブラッシングして私服に着替えてお菓子をつまみ、今日の復習と明日の予習と支度をすっかり済ませて、それからようやく自分の気持ちに向き合った。
涙は私のかわいげのなさや性格の悪さとは関係なく、溢れてくる。
泣き顔を見せたら少しは動揺してくれたかな。こんな時にまでこんな打算的な考えが浮かんでくる私ってほんとに……かわいくない。
でも彼女だって別に特別かわいくはないじゃない。
何で私じゃだめなの。どうして富岡さんなの。何が違うの。何が足りないの。
もちろん、賢い私はちゃんと分かってる。
受け入れて、諦めなくちゃ。
私が、あの人に好かれる日は来ない。
あの人があの人の好きな人と別れる事も、きっと。
そんな当たり前の事がこんなにつらいだなんて、どうかしてる。
母の「ご飯よ」という声で、いつの間にやら眠っていた事を知る。
電気のついていない室内は、真っ暗になっていた。
少しは、楽になれたのかな。まだずきずきと痛んでいそうな、美しくハリがある豊満な胸に手を当ててそっと自分に聞いてみる。高一の、私が恋した時のあの人みたいに両手で。
うん。大丈夫。
まだだいぶ辛いけど、死にはしない。
「……次は、もっとまともな人に恋する」
自分に言い聞かせるように、声にしてみた。
そうよ。
私は私のまま。恋なんかで変わったりしない。
性格の悪さを丸ごと愛してくれる男だって、きっとどこかにいるだろう。
出来ればお金持ちのおうちの人で。出来れば身長が高くて顔がかわいくて性格が良くて。
――後半の条件には、まだあの人の笑顔がよぎるけど。
さあ、ならいつまでもめそめそしていられない。運命の出会いは明日の朝あるかもしれないんだから。
やけ食いも夜更かしも厳禁。この美しさと胸とお尻を武器に、またがんばるだけよ。
失恋したなんていって分かりやすく凹んで、そのへんの女子に同情されるなんてお断りなんだから。想像しただけで軽く鳥肌が立ちそうだそんな安っぽいドラマ。
私は私よ。ツマンナイ女子を蹴散らして、男の子の視線を釘づけにして、それで。
あの人達の事なんて、ちょっとした枝毛くらいにしか思わない私になってやる。