何もいえない(☆)
会社員×会社員
「如月・弥生」内の「サヨナラホームラン」及び「夏時間、君と」内の「私を野球場へ連れて行って」に関連していますが、未読でもお楽しみいただけると思います。
いやな夢を見た。
高校二年の、私だ。
何度目だろう、私は夢でも何度だって同じところを傷つけられる。
でも、傷付いて泣いても、朝はやって来るしお腹は減るし仕事は休めやしない。もちろん、ただしくしく泣いてた私はもういなくて、ここにいるのはそんな夢を見ても引きずらないできちんと切り替えの出来る大人の私。
「よし」
いつもより気合を入れてメイクする。
いつからか、いやな夢を見た朝は念入りに化粧をして、ゆっくりとご飯を食べて、丁寧に仕事をするようになった。すると、難しい上司に褒められたり、帰りに寄り道した雑貨屋さんで限定商品に出会ったりと、ちょっとしたいいことが多いような気がする。
――でも今日は、夢をそのまま現実世界まで引きずってたみたい。
「は?」
「そんな顰め面しないの、美人が台無しじゃん」
夜、仕事の後に会う約束をしていた友人と待ち合わせ場所で会ったとたんに「今日合コンだから」と告げられた。
「今日そんなって聞いてないんだけど」
「云ってないもん。だって云ったら出てこないじゃん、さとちゃん」
「当たり前でしょ。好きな人くらい、自分で見つけるし」
「そう云って、最後に彼氏と別れてからもう何年経つと思う?」
「――」
反撃したら、即座に迎え撃たれてしまった。
ほんとは、こういうのやめてほしい。けど、お世辞にも充実しているとは云えない私の恋愛事情を、この面倒見の良い友人に心配されてるのも知ってる。――大学で知り合って以来仲良くしてもらっている彼女には、高校の時の私のふられ方を打ち明けたから。
首を竦めて、おどけて見せた。
「分かりました、降参。出ます」
私が了承をアピールすると、友人はほっとした顔をして、そののち苦言を呈してきた。
「別に今日彼氏作れって云わないから、異性と交流するくらいたまにはしてよね」
「はいはい」
「でも、――もしかしてまだ高校の時の事、影響してる?」
「な訳ないでしょ、もう一〇年経つんだからね」
「だよね、ごめん」
嘘だよ。夢に見ちゃうくらい引きずってる。気持ちがどうこうじゃなくて、またあんな風になるのは嫌だなって、誰と付き合ってもそう思ってる。――ああ、駄目だ。
思考が弱気の泥沼パターンに引きずり込まれる前に、スイッチを切り替えた。
「ねー、今日の会場って何屋さん?」
「確か、創作和食だった。ほら、あそこの、看板出てるとこ」
あそこの、と指差した彼女の、美しく整えられた爪の先に目的の店は見つけた。
――それ以外も、見つけてしまった。
当時の面影が色濃く残っているスーツ姿の男性。懐かしさと混乱で目が離せないでいると、向こうも気づく。談笑していたのをやめてやけにこちらを見つめてくると思ったら、はっとした顔になる。
こっちに来る気配を感じたから、「ごめん、やっぱり帰る」と告げて、一目散に逃げた。ヒールで全力疾走したって、今更コケたりしない。
そのままの勢いで坂を下り、駅の改札に飛び込んだ。たくさんの人が行き交う地下鉄の長い長い通路を走る勇気はさすがになくて、周りの歩く速度に合わせつつ、そんなことないと分かってはいても、もしかして追いつかれたんじゃないかと何度も後ろを振り返ってしまった。
夜の人の流れは朝よりも緩やかだ。行きと違って、帰りは学校や会社といった『行かねばならない』ところに足を運ぶ訳じゃないから。急いでいた心ははじめこそゆったりとした速度に苛ついていたものの、じきにのんびりとした雰囲気に宥められて、プラットホームに降り立つ頃には息も心も整っていた。
敵前逃亡してしまった、ということと、友達に何も告げずに逃げてしまったということにようやく気づいてスマホをバッグから取り出すと、友人から鬼電な着信が。でも。
『ごめんね、今日は帰ります』の一言だけ送って、電源を落とす。そのまま、タイミングよくやってきた電車に乗る。
乗換駅で人が沢山降りて、ようやく座席に座ることが出来た。電源をオンにすればまた友人からのメッセージと向き合わなくちゃいけないと思うとスマホを弄る気にもならず、ほかに暇つぶしグッズもなければ、どうしてもそのことを思い出してしまう。
一〇年前、高一の終わりから高二の夏の少し前まで付き合っていた男の子。ついさっき再会した時、ひどく傷つけられた側の私がすぐに分かったのは未だ夢に見てしまうくらい記憶に残っているからだけど、なんで向こうは私のことなんか憶えていたのかな。
『云いたいことがあるなら云ったら?』
冷たく云い捨てた彼の顔を、まだ鮮明に思い出せる。
初めての彼氏だった。野球部の、ちょっとお調子者の男の子。明るくって、見てる方まで楽しくなっちゃうような人。
両思いの恋に不慣れな私は、ただ傍にいるだけで胸がいっぱいになってしまって、云いたいことは一つも云えなかった。そんな彼女に彼氏だったその人はいつも困った顔をして、やがて苛立ちを隠さなくなっていった。
『あのさ、ほんとに俺のこと好き? 里中ちっともそんな感じじゃないから、俺分かんないよ。……もう終わりにしていい?』と別れを切りだされたのは、付き合うようになって三ヶ月たったころだった。
勇気を出して、夏休みになったら初めてこちらからデートに誘うつもりでいた。休み中も連日部活だけど夏の大会のあとならお休みも少しはあるって聞いていたから。
彼の前に立つと緊張しすぎて、喋れそうな時にもうまく会話出来ずにいた。だから、何回も同じ台詞を練習して、新聞屋さんにもらったんだ、と伝えるつもりで映画のチケットまで用意して(もちろん、お小遣いで買ったものだったけど)。
別れることなんて考えてなかった。――苛々されているのは、分かってた。でも怖くて、見ないふりをしてた。でも、そんなの結局意味なかったね。
心がついて行かない。別れをつきつけられても、やっぱり『好き』も『別れたくない』も云えないで、呆然と立ち尽くしていた私に、『云いたいことがあるなら云ったら?』と呆れたようにため息と一緒に吐きだす彼。
好きに決まってる。なんとも思ってない男の子と付き合うなんて真似、私に出来るはずないのに、そんなことも分からないで何故付き合ってくれてたんだろう。一年の終業式の日、自分の中にある勇気を集めまくってなんとか告白した私に、『うん、じゃあ付き合おっか』って照れながら云ってくれたのが、遠い日の夢みたいだ。
どれくらい、黙っていただろうか。
大きなため息をもうひとつ一つ吐いて去っていくガクランの後ろ姿に、ようやくこみ上げてきた、言葉と感情。
『……云いたいことが一つも云えなくなるくらい、好きだった!』と投げつけると、びくりと雷に打たれたように立ち止まる。
その横を駆け抜けて、教室を出た。それで、おしまい。
一年の時は同じクラスだったけど、進級したら別々になったし違う部活に入っていたから、それからの接点はまるでなかった。
別れるまでは端と端に分かれてしまった教室をひどく恨めしく思っていた。けど、いずれこうなってしまうとカミサマは分かってたから、クラスを離してくれたのかな。なんて思ったりもした。
あれから私は野球が大嫌いだ。調子のいい男の子も。
大学に行く頃には、あの人じゃない好きな人が出来たしお付き合いもした。でも結局、私にとって恋は長続きしないものだった。
うまくいかない恋ばかりを重ねてしまっては、積極的になれるはずもない。もともと、彼氏がいないと死んでしまうタイプではない自分は、一人でいることにすっかり慣れてしまった。それを悪いと思ってはいないけど、恋愛至上主義な風潮の中では肩身も狭い。いっそ、恋のない世界に行きたい。
そんな風に思ってみても、地下鉄は異世界ではなくいつもどおりの駅へと私を運んだ。
合コン逃亡から一夜経った土曜の午後、知らない番号での着信があった。
スマホは仕事でも使っているので、『知らないから』と出ない訳にも行かない。何かの製品が納品出来ていない、だの、遅延が発生した、だのいった連絡を受けたこともある。
今日のこれはそんなバッドニュースでないといいなと思いつつ「――もしもし」と歯切れ悪く応じると。
『里中さん? だよね。突然すいません。俺、同じ高校だった嵯峨です』
「……嵯峨君」
残念。昨日の夜から続いているバッドなやつだった。
『知らないかもしれないよな、えっと一応同級生で俺、野球部だったんだけど』
「知ってる。――あの人がらみの人にはこれっぽっちも関わりたくないんだけど私」
『うん、でもあいつはそう思ってないみたいなんだ』
「ところでこの番号って誰から聞いた?」
返答次第ではその人ごと人間関係を切るつもりだ。
『昨日の合コンに来てた、野球部で、里中さんがきっと会いたくない相手から』
――番号、変えてればよかった。
ものぐさな私は、これまでに携帯会社の乗り換えや番号の変更をしたことがなかった。でもまさか、向こうがまだこちらの番号を消去してなかったなんて。
苦い思いにふけっていたら、切るタイミングをすっかり逃した。そして、『元気?』とか『今仕事何してるの?』とか、嵯峨君のさりげなく途切れないトークをまるっと無視するのも大人気ないかと投げやりな様子が丸分かりな相槌を打ち短い言葉を返していたら、気が付けば会うことを取りつけられてしまっていた。
どうしよう、会うなんて絶対気まずいからやだ。そう思いつつ、お断りの連絡をなかなかいれられなくて、結局まんまと会う日を迎えてしまった。
待ち合わせ場所に現れた嵯峨君もあの人同様、覚えていた嵯峨君のまま大人になっていたのですぐに分かった。髪の毛が坊主じゃなくなったことで、当時よりさらに優しい感じがする、ような気がする。
頼んでいたお酒が来て乾杯をしてから、嵯峨君に頭を下げられた。
「今日は会ってくれてありがとう」
「別に、暇だったし。それにそんな風に云われるようなことでもないでしょ」
「それでもね」
「今日はあの人いないんだ」
名前すら呼びたくなくてあの人呼ばわりしても、嵯峨君はやっぱり穏やかに笑うだけだった。
「まだ、里中さんの方の気持ちが整理ついてないでしょ、そこに連れてくるのは反則だよ」
「さっすが野球部、フェアプレー精神だねー」
「まぁね。――褒められてる感じは全然しないけど」
褒めてないからね。
「謝る事も、許されない? あいつ、あの後すごい反省していたし、泥酔すると未だに『あの時の俺は最低だった……なんで里中のこと大事に出来なかったんだ』って云うくらいには引きずってるよ」
「謝ってすっきりするのはあっちだけでしょ」
「辛辣だね」
苦笑された。
「云いたいことあれば云えって、恋に不慣れな女子高生にはなかなかインパクトのある捨て台詞だったからねえ」
元カレのその言葉をあてこすると、嵯峨君は自分がそれを投げつけられたかのように痛い顔をした。
「――俺が口出す問題じゃないけど、ごめん。あいつが底なしの考えなしなせいで、里中さんを高校の時と今と、二回嫌な思いさせてるんだよな。ほんとに相手を想ってるなら、こんな風に俺をねじ込んだりしないでそっとしておくのが道理だってのにあのバカは」
「過去形じゃないんだ」
「むしろ現在進行形だよ」
うんざりと云う顔に思わず笑ってしまう。
「でも、いい奴なんだよ。面と向かって云うと調子に乗るから本人には云わないけど」
「――」
「まぁ、未熟なバカだったからって、付き合ってたコを傷つけていい訳じゃないってのも、分かってるけどね」
「じゃあ、なんで来たの、今日」
「あいつが必死だったから」
「――」
「野球の時と同じくらい、真剣だったんだよ」
「嘘だー」
笑ってしまった。
「そんな、一生懸命こだわってもらう程のことでもないでしょう」
「それほどの事なんだよ、あいつにとっては。謝って許してもらってすっきりしようなんて打算の働く奴じゃない」
しみじみと語られ、妙に納得してしまう。
「あいつと直に会うのが嫌なら、俺を中継してもらっていい。会うのがOKでもサシはちょっとってことなら、俺とか、里中の仲いい女子とか呼んでもらっていい。なんなら立ち話で五分でも三分でも。――会って、話聞いてやってもらえないかな」
嵯峨君も一生懸命。人のことなのに。それほどの器かな、アレ。
そう訝しんでいたけど結局は折れて、『いいよ』って会うことにしてみた。
もしかしたら、私も変われるかもしれない。そう、思いながら。
「今日はありがとう」
「別に、暇だったし」
ついこの間もこんなやりとりしたなー嵯峨君と。そう思いつつ、やっぱり深いお辞儀の、坊主頭じゃなくなったつむじを見る。
結局二人だけで会うことにした。そうなるようにさんざんけしかけてたはずの嵯峨君は私のことをとても気にかけて、今日もここに来る前に『近くの店で待機してるから、なんかあったらすぐ連絡して』と心強いメッセージまでくれた。さすが元キャッチャー、気配りがハンパない。
「あの、さ……」と、席についたばかりでメニューも広げないうちからさっそく向こうがお詫びなムードを醸し出してきたので即座に止めた。
「そう云うの、後で。とりあえず何か飲み物。それから食べ物頼んで、落ち着いてからにしよ」
メニューを差し出すと、ぽかんとして、それから「はい」と素直に受け取った。
小鉢で出されたお通しは金魚の形した餃子で、「うわ、かわいくて食えない!」なんて喜んでるのが、なんか女の子みたい。
そう思って笑ってたら、「なに?」ときょとんとするから「喜び方が女の子みたいと思って」と教えると「……そっか」となんだか優しげに笑った。今度はこちらが「なに?」と聞く番。
「昔の里中は、そう云う時必ず『なんでもない』だったから返事もらえたのちょっと嬉しくって」
「ああ、うん」
多分、今二人の脳裏に『云いたいことが一つも云えなくなるくらい、好きだった!』がよぎった。
穏やかなのに妙に気まずい雰囲気の中、店員さんが運んで来てくれたジョッキを軽く合わせて乾杯する。
「何食べるの? オムライス? たらこスパ?」
一旦この場の空気をリセットしようと、高校時代の向こうの食いっぷりと好きだった食べ物を思い出しつつ提案したら、「飲み屋でいきなりがっつり食べるとかしないし……」と苦笑された。
でもじゃがバタとか鶏のから揚げとか、そこそこ重たくカロリーのある物をいくつか頼んで、それらをアルコールと一緒にお腹に収めて落ち着いてから「改めてだけど、ほんと、ごめん」と謝られた。
「高校の時、最後に里中に云われるまで、全然気づけなくてごめん。俺は自分が何でも言うからって、そうじゃない人がいるなんて思いつきもしなかった。傷つけたし、いい彼氏じゃなかった。それだけじゃなく、知らなかったとはいえ里中も参加する合コンにのこのこやってきてごめん」
「もういいよ。それに、合コンはしょうがないじゃん」
「俺、あれからずっとあの言葉忘れられなかった。泣き顔も」
「分かった、分かったから、もうその辺で勘弁してくれないかなー」
思ってもない展開で、むずむずするわ。いっそさらっと謝ってそれでおしまいにして欲しかった。居たたまれない。いろいろと。
「この間里中と偶然会って、嬉しいのか気まずいのか全然分かんないうちに逃げられて、追い掛けたくて仕方なかった。でも嵯峨に相談したら『お前見て逃げたんだろ、察しろ』って云われて、――ほんと自分のしたことますます後悔した」
おお、嵯峨君グッジョブです。
私……、うん、もう傷付いてないなあ。大丈夫だ。
「ほんとごめん」
「あーもう、ウルサイ! 謝るの禁止!」
「でも」
「悪いと思ったらここ奢って」
「え、いいけど、でももっといい店で奢りたいんだけど」
「別にいらない。そういうのは好きな人にしてもらうから」
そう告げながら梅酒サワーを飲み干すと、「分かった」とようやく元カレ――反町君が、大ジョッキ片手に笑った。
「それにしても、俺里中がこんなに喋るの初めて聞いたわ」
次何飲むの何食べるのこれ下げてもらっていい? と仕切ってたらしみじみそう云われた。
「あー、まあ、さすがに変わったよ私も」
「――俺の、せい?」
「せいって云うよりおかげかな」
運ばれてきたレモンサワーに口を付ける。爽やかな味。
「ショック療法で、云いたいこと云えるようになった」
最初は、好きな人を前にするとやっぱりものすごく緊張して。でも、伝えてみたら伝わった。それはとてもいいこと、ばかりではなく。
「でも思ってること全部伝えないとまた二の舞だと思っちゃって、そうしてたら今度はキツい女認定されて、あんまり彼氏出来ても長続きしないんだよね」
「!」
「でも、云えないで気持ち溜まるよりラク。云いすぎないように気を付けてはいるんだけど結構難しいや。だから今は、何云っても受け止めてくれる人がいいなーなんてね」
あ、酔ってる酔ってる。
長続きしないと告げた後、謝られる前にフォローのつもりで云った言葉は図らずも本音に近いものだった。
「だから、私に悪いというならいい人紹介してよね」と、さして男を欲しがってもいないのに冗談交じりで云うと。
「嫌だ」って、拒否された。
「は?」
「俺、今なら分かるよ、あんときの里中の気持ち」
「嘘ばっかり」
「ほんとだよ。――なんか、云いたいこといっぱいあるはずなのに、この辺でつっかえてる」と、喉のあたりを指差す。
そうだね。私、そんな感じだった、いつも。
「でも、それ今更だよー」
やけに熱っぽい反町君の目を気のせいにしたくてわざとおどけてみる、けど。
「だって、今更じゃないんだもん俺」
「は?」
「ほら、見てよコレ。緊張しちゃってこのざま」
「――」
目の前に掲げられた、彼の手。右手の薬指の第一関節は、練習中に突き指して曲がっちゃったままだと笑ってた、あの頃と同じ。何も云えないでいた私がよく見てた、反町君のその手が小刻みに震えてる。
「――自分が傷つけたって自覚ある相手と会ってるから緊張してるんでしょ」
私が鈍いふりでそう答えると、反町君は面白そうに「じゃ、これは?」と自身の赤い頬を指差す。
「それは、酔っ払ってるから」
「違げーし。ちょっと飲んだ位でこんなんならんよ、俺」
「じゃあ、なによ」
「分かるだろ」
「……」
「素直じゃなーい」
「悪かったわね!」
「俺のせいだよな」
「!」
それまで優しく笑っていた反町君が、途端に苦い顔になる。
「だから! それやめ!」
「え?」
「いつまでも私を傷付いてるだけのかわいそうな女の子にしてないでよ! 確かにすごい傷付いたしたまに思い出してあーって思うけど、そっちばっかりのせいじゃないでしょ! 私だって悪いんだよ、エスパーじゃないのに気持ち悟れなんて無理じゃない、しかも野球漬けの高校生で情緒なんて理解しない反町君にさ」
「ひどい」
「ごめん」
さすがに云いすぎた。でも、反町君はさして気を悪くしていなさそうだったのを見て、酔いの片隅で心がほっとしてるのを他人事みたいに思いながらまた口を開く。
「口で云えないならメールでも手紙でも交換日記でものろしでもなんでも、伝える努力をするのが当り前よ。――ごめんね。ずっと悪者なのは、辛かったでしょう?」
何年もかけて、やっと少しずつ分かったこと。私だけがいい者で、彼だけが悪者だった訳じゃない。
呆れられる前は、彼も一生懸命話しかけてくれてた。なのに、自分は答える努力をしてなかった。
私ばっかり辛かったわけじゃない。だから、もういい。
「今日でおしまいでいいから、もう忘れてよ」
「忘れたくない」
「反町君、」
「だって好きな女の子との思い出を、捨てられる訳ない」
「――――はああ?」
好き『だった』じゃなく、好き『な』って云ったかこの人。
「俺こないだ会った時に店の前にすげー綺麗な人がいるって見惚れて、でもすぐにそれは自分が傷つけた女の子だって分かって、その人にこうして会ってもらえて話もして、――また、好きになっちゃったんだけど、いいですか」
いいも何も、好きになっちゃったのを駄目とか云えないと思うのよ。
ほんと、相変わらず考えなしの人だ。嵯峨君が云う意味がようやく分かったよ。
「むかーし好きだったからって、私が今の反町君を好きになるとは限らないよ」とあちらにアドバンテージがないことを伝えてみたけど「もちろん」と承諾された。
「私合コン行くよ」
行く気なんてないけど、試す言葉が口をついた。
「彼氏じゃないのに行くななんて云えないよ」
「じゃあ行っていい訳?」
「行って欲しくないけど、」
「どうしようかなー」
「楽しそうだな」
「楽しいよぉ」
「ならいいよ」
俺に止める権利なんかないしってジョッキを傾けながら、面白くなさそうな顔してんのが面白い。
「俺は、里中の――里中さんのそう云う顔が見られるだけで今は満足」
ちょっと、急にさん付けとか、距離を感じるじゃないの。
そう思ったけど、なぜかそれは云えなかった。なんでもポンポン云えるようになったはずなのに、変なのっ。
冗談半分だったのに結局本当に反町君がごちそうしてくれて、でも二軒目に誘われることもなく駅まで連れ立った。路線が違う反町君とは、駅の通路の途中でお別れ。
「じゃあまた」って告げて、エスカレーターを使わず長い長―い階段をもりもり上っていく後ろ姿を見送ってしまった。
へえ、またがあるのか。ふうん。
ムズムズする気持ちを持てあましていたら、スマホがメッセージの着信を告げる。嵯峨君だ。
『お疲れ。なんか浮かれた酔っぱらいから早速浮かれた報告が来たんだけど大丈夫?』、だって。
そう、浮かれてるの。
『大丈夫。嵯峨君も気を揉んだよね。お疲れ様』と返信すると『俺に無茶ぶりした反町はお礼どころか『許してもらった! 次につなげる!』とか云ってるけど、里中さんはちゃんとこっちを気遣ってくれるんだな。あいつにはもったいないからいい男を早く捕まえる事をお勧めするよ』とどこまで本気何だか読み切れないメール。
いい男か。いい男ねえ。
程よく付いたしなやかな筋肉。
バカはそのまま。でも反省もしてる。
あれは、もしかしたらいい男なのかもしれない、なんて絆され過ぎたかな。
『じゃあ嵯峨君合コン宜しく』って返したら、『さすがに反町が泣くと思うのでよそで参加して下さい』と来て、なんだかんだ言って愛されてるわねあの人、と思いつつ、エスカレータの鏡張りの側面に映る自分は。
いつの間にか、にっこりと笑っていた。
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16/05/18 一部修正しました。
16/05/19 一部修正しました。
16/05/30 一部修正しました。