月が満ちたら(☆)
「ゆるり秋宵」内の「欠けないハート」及び「ハルショカ」内の「月が欠けても」の二人の話です。
「ゆるり秋宵」内の「勇み足レディ」に関連していますが、未読でもお楽しみいただけると思います。
臆病ものの前では、月日が経つのは早いかもしれない。
気が付けば、気持ちを自覚してから丸一年が経ってしまった。
でも変わらず、私はそのままで、安河内も、そのまま。
「先輩は、あいりさんの気持ち待ちでしょー? いつ伝えるんですか」
「――そのうち」
「こないだ会ったときもうそう云ってた! 『そのうち』も『いつか』も来ません! 永遠に!」
「厳しいなぁ、三田村さんは」
「あいりさんがゆるゆるなんです! すいません、同じのもう一杯」
「ちょっとピッチ早すぎない? あ、中生一つ」
「人の心配する前に自分、どうにか動きましょうよ」
「いや、こういうのって、無理にどうこう出来ないっていうか」
「あーもう、ここまで意気地なしと思わなかったー。見た目は派手派手なのに」
「すいません……」
年下女子に説教される、私。
安河内の後輩で、奴に思いを寄せていた三田村さんとはいわゆる恋のライバルであった筈なのに、気が付けば飲み友達になっていた。意気地のない私を、定期的に彼女が檄を飛ばしてくれているけれど、まだ――そう云う気にはなれない。
好きなのは本当。気のせいなんかじゃない。自分に足りないのは告白する勇気なのも分かってる。先回りしてネガティブな想像ばかりし過ぎてることも。
「まぁ先輩の気持ちは今さらやすやすと離れたりしなさそうですけどね」と締めは必ず甘やかしてくれる三田村さんは、本当は優しい。去年初めて会った時だって、彼女自身の気持ちというよりは『悪い女(私のこと)に弄ばれてる安河内』の為に、対決しに来たのだから。
その勇気はどこから湧いてくるの? と聞いてみたら『考えなしで突っ走ってるだけです』って、苦笑いしてたっけ。
「あ、『本日のデザート』は盛り合わせですって! 私シメにこれ頼もう。あいりさんどうします?」
「ん、私も同じのにする」
運ばれてきたのは、果物がふんだんに飾られたプリンとバニラアイスとチーズケーキ。のんびり食べているうちにアイスが溶け出して、チーズケーキの生地の底もしっとりしてしまう。
早く、伝えたい気持ちはある。そうしないと安河内の気持ちだっていつか、こんな風に溶けてしまうかもしれないって、分かってる。
自分が早く食べなかったくせ、溶けてしまったアイスは切ない。
週ナカ、私は因縁のある某ホテルにてお一人様ステイと洒落込んでいる。偶然がいくつも重なって、ここには何度も足を運んでいるなぁ。
最初は、好きな男とその彼女(双方昔馴染みだ)のプロポーズの援護射撃。
二回目は、ライターとしてここの特集記事を書くために。
三度目は、美しき女友達らとレディースプランを利用して部屋呑み&漫画談義。その際、ホテル側の手違いで予約していたお部屋が取れず、グレードを上げてもらった上に次回宿泊が半額になるチケットを各々もらった。
四度目の今日は、そのチケットを使ってのステイだ。ちょっと贅沢仕様のツインルーム。誕生日くらい散財したっていいでしょって言い訳しながら予約した。最初に泊まったジュニアスイートには及ばないけれど、やっぱり内装も家具も素敵だな、ここ。
お陰様で、ティーン向けの雑誌でまだ続いている『アイリーン姉さんの恋愛道場』の今月分も無事に納めてから夕方にチェックインした。最初にお風呂を済ませてバスローブで寛いで。カラコンもメイクもなくて、まっさらな、私。
誕生日のぼっちディナー(友達には前乗りでこの間の土曜日にお祝いしてもらったから! あえてのぼっちだと強調しておきたい!)は、エノテカで買ってきた白ワイン、チーズの盛り合わせ、バゲット、豆のサラダ、生ハム。悪酔いしないようにちゃんと食べながら飲んでたのに、気が付けば結構酔ってた。
だから、そのせいだ。
カーテンを開ける。梅雨なのに、嘘みたく晴れた夜空に、満月。灯りはフットライトだけにした室内に、優しい光が満ちる。
だから、そのせいだ。
ふわふわした夢心地、でも行動がおぼつかなくなるほどでもない酩酊の中で、すっかり覚えたその一一桁を呼び出す指。
プルルル、という音がいっこ増えてくたびに、ドキドキの水位が上がっていくのが分かる。これ以上はもう駄目だと切る寸前になってようやく『もしもし、あいり?』という声を聞けた。ホッとして――同時にやつ当たりしたい気持ちになる。
「遅い!」
『はあ? 何で俺いきなり怒られてんの』
「あんたが出るの遅いから!」
『台所にいたからだよ、しょうがないだろ』
「何で来てくれないの」
私の言葉に安河内は一瞬言葉を詰まらせて、それから大げさにため息を吐いた。
『あいり酔ってんな? 今日無茶ぶり多いんですけど』
「いつもは凄い察しがいいくせに、何で今日は来ないの」
安河内が、息を飲んだ。今度はごまかしようもなく。
「私が今日、誕生日で、あのホテルにいるって知ってるくせに」
誕生日は半額チケットあるからあそこに泊まるんだと、この間二人で飲んだ時にあらかじめ予告してあった。それをこいつもへえそうか、いいな、って受け止めて、でもそれだけであっさりと流された。理由なんか分かりすぎる程分かってる。
『“あの”ホテル、だろ? なおさら行けねーよ』
因縁を正しく理解している安河内が、苦々しく告げるけど、それって勘違い。
そりゃ、つらかったけど。好きな男が、私もよく知ってる女友達にプロポーズする時の演出の為に企てた、ホテルの客室を使った点灯イベントにわざわざ参加するだなんて、自分で傷を広げたようなもんだ。
それでも、安河内がいてくれたから、傷は致命傷にならなかった。
ばらばらに砕けたと思った心は、ちゃんと息を吹き返して、いま恋をしている。
「――来てよ」
手が震える。でもやめない。
『行ったら、もう『あいりにとって使い勝手のいい俺』に、戻れなくなる』
「戻らなくていいでしょ」
『――』
「戻らないでよ。私の、」
勇気が溜まるのを待っていたら、永遠に溜まらないって分かった。『いつか』も『そのうち』もないって教えてもらった。だから。
目を瞑って飛び出すみたいな感覚。どうなるかなんて分かんない。怖がりだからお酒の力、借りちゃった。相変わらずズルい自分だけど。
「私だけの男に、なってよ」
冷静になる前に、口走った。どくどくと、心臓が煩い。
『今からタクシーぶっとばしていく。寝オチしてたら許さねーぞ』と、焦った声。早足で歩く足音とやや乱暴に扉を閉めた音、鍵をかける音。言葉だけでなくそんな安河内の素早い反応に、泣きたくなるほど安心した。
「うん、待ってる」
『おう』
少し照れた、声。『切るぞ』って云ってから切る安河内だから、いつだって電話終わりはさびしくなかった。
室内を見渡す。月の光がひときわ明るく差し込んでいる。
月が欠けて、満ちて。その繰り返しに特別な意味を見つけてしまう。
譲と悠里のプロポーズの日、よりずっと前から、私のこと包んで守ってくれてたね。コワレモノみたいに、厳重に包んで。臆病でなかなか動きださない私を急かしたりしないで。怯えて逃げ出さない距離で。
自然に、気持ちが満ちるまで待ってくれたから告げられた。でなかったら、うまく固まらないでグズグズに溶けたアイスになってた。
大人なんだからもっとさらっとスマートに進められたらって思わないでもない。
でも今会いたい。会いたいの。
やっとだって、呆れる?
バスローブでお出迎えはあんまりだと下着を身につけ、明日着るつもりで持ってきていたシャツワンピースに着替えた。ドすっぴんもアレだから、ごくごく軽くメイクもして。それからようやくシングルステイから二人になることを思い出し、あわててフロントに伝えると、快く了承してもらえた。
息を切らしてやってきた安河内は、見たことのない顔してた。――いや、ケイドロの時、結構こんな顔してたっけな。敵を逃がさない時の顔。でも。
「――早く入れば」
ドアのとこに結界でも張られてるみたいに、安河内は足を踏み入れない。
「今ならまだなかったことに出来るぞ」なんて呆れたこと云う男の手を強引に引いて、ドアが閉まる。
「あいり、お前ね……」
「バカ! 人の勇気を何だと思ってんの!」
しがみつく。安河内はでっかいから、私の頭は奴の胸元にようやく届くくらい。
見覚えのあるシャツ。でも、こんなに近づいたのは初めてで、安河内の匂いが分かるのも初めて。
来てくれた。でも、困った顔してたらと思うと怖くて顔が上げられない。こんな臆病者のどこがいいのさ。無表情だし都合よく甘えてばかりだし、そのくせ素直じゃないし。
それでも離したくないんだよ。安河内のこと、誰にも取られたくない。
縋る手に、力を込めた。
「やけになってないし、譲のことはもう引きずってないよ」
「――うん」
「あと私、今酒臭いと思うけどでも、明日になったら忘れるとかないから、だから」
「わかった」
抱き込まれる。ふわっと。それから、ぎゅっと。つむじに、熱い息が掛かる。
「夢じゃないよな」
「夢だったら困る」
こんな勇気、二度も三度も起こせやしない。
「夢じゃないって確かめて、いい?」
いいよ、って云う囁きは、キスに飲み込まれた。啄むキスで始まって、どこで覚えてきたの、ってくらい、大人なキス。
静かに離れて、私を見てるのが分かる。でも見つめ返したり出来なくて俯くばかりの自分は何も知らない女の子みたい。そんなトシでも、うぶでもないのにね。
また抱き締められて、耳元に囁かれた。
「好きだ」
「うん」
「あいりは、俺のこと好き?」
「好きじゃなきゃこんなことしない」
かわいくない返事は、やっぱりキスに飲み込まれた。そのまま始まってしまうのかな、なんて緊張していたらふっと笑われた。
「まあ、そう焦るなよ。こっちは長年の片思いがやっと報われたんだ、じっくり味わわせてくれ」なんて云って、少し濃くなっていた雰囲気をわざと追いやってくれた。――そんなとこも、好き。
ほんとにそう思ってくれてるかもだけど、でもほんとのほんとはきっと、私に合わせてくれてるって分かってる。
慌ててた筈の安河内がしっかり持ってきた極上ワインを、残ってたチーズやバゲットと一緒にいただいた。
「何か前もらってたんだけど何でか開けてなかったんだよなこれ」
「ふーん」
それの送り主が男ならいいけど、女なら相当本気だよって分かる、高級品で知られる赤ワイン。でもそんなつまんないこと今日は云わない。
「おいしいね、これ」
「おう、ならよかった。あとこれ誕生日祝い」と渡された小袋。遠慮なく包装を解いて開けると、今夜の月をそのままミニチュアにしたような、ほんのり黄色いムーンストーンのピアスが入っていた。
「きれい……」
「そう云うと思って、ずっと前に買ってあった」
ようやく日の目を見たと苦笑いする安河内と、シンプルかつ優美なピアスが結びつかなくて、双方を何度も交互に見てしまう。
「え、何で」
「ただの友達ならあげらんねーだろうがこんなの。あいりが、今日俺をここに呼んでくれたから、俺もようやく持ってこれたんだよ」
安河内が笑う。あ、細―いお月様みたいな目、してる。
大好きなその目で、私だけを、見てくれてる。
こんな素敵なものを買ったくせにずっと隠し持ってるとか、ほんとにもう。
なんだか心がきゅうっとなって、その拍子にぽろりと本音がこぼれた。
「あんたみたいに優しくなれるかな」
たくさんたくさん、優しい気持ちをもらったから、だけじゃない。好きな人には優しくしたい。お返しとか見返りとかじゃなく。
「あんたみたく、うまく出来ないかも知れないけど」
喜ぶのも悲しむのも表すのがへたっぴで、表情筋は頑ななまま。でも、いつだって気付いてくれた。
「安河内のこと、大事にする」
ぎぎぎって音がしそうなほどぎこちなく笑ったら、何故か安河内は泣きそうな顔して私を見てた。そして。
「それはこっちの台詞だ、バカ」なんて悪態つくくせに、甘ったるいキスととびきり心地よいハグを、くれた。
翌朝。
いつもは遮光カーテン+灯りを消して念入りに暗闇をこさえて寝るって云うのに、やけに眩しいような気がして目が覚める。
天井の高さと白さで、現状を把握した。
隣のベッドを見る。でかい背中をこちらに向けて、すやすやと眠っている安河内が身に着けているのはパジャマではなく昨日シャツの下に着てきた半袖のTシャツ。すとんとしたワンピースのような男女兼用のホテルのパジャマを一回着てみたら、ものすごく不似合いだったのだ。いつまでも小さく笑っていたら、ふてくされてしまった。
『ごめんごめん、つい。気ぃ悪くした?』
『別に』
悪くしてんじゃん思いっきり。
『あんたってめんどくさい男だったんだね』と苦笑すると、『――呆れたか?』って、不安げな声。そんな訳ないのにバカだなあ。
椅子に腰かけてしゅんとしている奴に近付いてって、キスしたらすぐに仲直り出来た。っていうか、安河内ときたらその後立ち上がって備え付けの冷蔵庫にビールを取りに行きがてらキスしていって帰りにもキスして、目が合うとキスして合わなくてもキスしてきた。
私も、会話が途切れるとお返しにしてみたり。バカップルか。そうなのか。
羞恥に身の内を焼かれて悶えていると、案の定私の表情を読んだ安河内に『今日は特別な日だから、いいんだ』なんて云われてしまう。
『え、じゃあ明日からはしないの』
思わず口走った私に、『明日からもずっと特別だけどな』と笑って、何十回目か分からないキスをくれた。
誕生日でカップル成立の特別な今日から、日付が変わってもやっぱり特別な日を迎えて、ちょっとだけ夜更かししてからそれぞれベッドを使って普通に寝た。
惜しいような気もしたけど、ゆっくり少しずつ恋人になるのを味わうの、私も悪くないと思うし。
なんかでも不思議。
こいつの小学校時代から知ってて、ずーっとずーっと友達だったのに、恋人、だなんて。くふふと忍び笑いすると、それで目が覚めたのか、ゆっくりと寝返りを打って安河内がこちらを向いた。
「よう」
「よう」
体を起こすけど、まだ少し眠そう。髪の毛のてっぺんがピョンピョンしてる。そんなのがいちいち新鮮で目が離せないでいたら「――俺の顔になんか付いてるか」って、髭が伸びた頬や顎をそわそわと触ってた。
「よだれの後が」
「マジか」
「嘘だよ」
「朝からくだらねー嘘をありがとうよ」
「でも髪の毛はすごいよ。盛大にアホ毛になってるよ」
「マジか」
「マジで」
色気ナシで、今までと変わんない会話。でも、やっぱり違うな。
安河内が、私を見る目も。頬に触れる手も。当たり前のようにしてきたキスも、何もかもが、甘い。きっと私も。
ベッドの上で、寝ぐせ頭の安河内の胡坐に囲われてうっとりする。そしてハッと大事な事を思い出した。
「安河内、今日まだめっちゃ平日! あんた仕事!」
あわあわしていたら「今日もともと代休の日。あいりは?」と私を抱き込んだままベッドに倒れ込みながら安河内が云う。
「今日は午後から打ち合わせ。譲の会社」
「そっか」
「……妬く?」
「いや? もうお前、俺のもんだし」
あっさりと、私の懸念を吹っ飛ばしてくれた。
「私の彼氏はいい男だなあ」
「あいりは見る目ねえなあ」
「何でさ」
「いい男なんか他にごろごろいるだろ」
「そんなことないよ」
少なくとも、この男より上を行く人は今のところいない訳だし。
「譲に報告したら、喜んでくれるかな」
「驚くんじゃねえの、アメリケンな感じで大げさに」
「オーマイガー! とかアッメージング! とか?」
「そうそう」
くすくすと笑う。啄むキスをする。
「どうだったか、夜メールするからね」
「それより夜も会いたいんですけど」
「――うん」
無表情で照れてたのにやっぱり見抜かれてて、またたくさんキスされてしまった。
午後の打ち合わせ終了後、配給会社の人から気安い幼馴染に戻った譲(戻った途端の嫁ラブトーク&デレた顔と、さっきまでの仕事モードとのギャップがすごすぎる)に、お澄まししたまま「そうそう、私と安河内付き合ってるから」って伝えると、譲はポカンとしたあと立ち上がり、応接スペースでうろうろしながらオーマイガーオーマイガー云ってたので無表情のまま噴いた。
これ動画撮っといたら安河内に見せてやれたのになあ。惜しい。
目の前で大興奮しつつ祝福してくれてる、かつて大好きだった人への未練はもうなくって、ただそのリアクションを安河内に正確に伝えるべく、私はひたすら熱心にその様子を観察していた。
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三田村さんはこちら→ https://ncode.syosetu.com/n4134ci/30/