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ハルショカ  作者: たむら
season2
31/59

桜酔月

会社員×会社員

(とはいうものの今回はお仕事描写はありません)

 この季節だけ特別に、自分に許していることがいくつかある。

 真夜中のコンビニ通い。

 夜桜見物。

 ここにはいないあなたを思うこと。


 悲しいくらいにゆっくりと、その人の不在を完全に自分が受け入れた時には、もう季節が二周していた。そして、今年も桜を一人で見ている。


 僅かな花咲き時は、毎晩歩いてすぐのコンビニへと足を運ぶ。午前一時。薄紅は闇に映えて、いっそう美しい。

 昼間は暖かい日でも、夜はまだ羽織るものなしでは歩けない程度に気温が下がってしまう。あの人からいつかのクリスマスに贈られた大判のストールを異国の民のようにぐるりと肩に巻いて、真夜中の道を歩いた。


 危ないから、俺も。


 そう云って、夜中でも明るい大通りを歩いて一分もしないうちに着いてしまうコンビニへ、あなたはいつだって騎士みたいに付き添ってくれた。

 きっと、付き合っていた頃ならこんな時間に一人で出歩くなんてと叱られていたに違いない。――ううん、きっと今でも心配くらいはしてくれるだろう。優しい人だから。

 でも、見たい。桜は今だけだもの。


 通り沿いには両側に桜の木が植わっていて、私たちはそれを夜見るのが好きだった。

 コンビニで温かい飲み物を買って、儚い花を二人並んでいつまでも見ているのが、好きだった。

 今でも好き。

 恋が絶たれても残ったものはたくさんあって、私はそれに生かされてる。

 記憶とか。ストールとか。この、桜だとか。


 飲み物を買う時、いつもと違って無糖の缶コーヒーをレジへ持って行った。普段は絶対飲まない。だって苦いばかりじゃない。

 あなたはどうしてこんなのを飲んで、あんなに甘い顔をしていたのかな。それは、今なお解けない謎だ。

 正答を囁く人はもうここにはいないから、謎は一生謎のままかも。それでもいいや。そうしたら、私は自分が望むことを答えにしていられる。

 私が傍にいたからだ、なんて。


 時折、舞台の演出みたいに、花弁がゆっくりと散る。くるくる回りながら。

 まるきり同じ動きなものなんてひとつもなくて、どれも気ままで軽やかだ。それを儚いと思うのは人間だけで、桜の花はむしろ楽しんでいるのかもね。自由で、それでいてどこか群舞を思わせるまとまり具合にふとそう思った。

 闇夜を従えて咲き誇る緻密画のような花。ガードレールに凭れて、首が痛むことは承知で見上げる。見上げながら、らちもないことを考える。そんな愚を、この時ばかりは黙認している。


 大好きだった。

 必ず迎えに来るなんて云って欲しくなかった。だって映画の中でそう云った人は、必ず迎えに来ないでしょう?

 待っててくれたら嬉しいと自信なさげに呟かれて、ずっとその亡霊のような言葉に自分は囚われたまま。

 二年だ。

 友人の子供が生まれて、立ち上がって歩いて、口もききだす程の年月が、あっという間に過ぎてしまったよ。私だって会社で異動があったし、髪も切った。少しずつ世の中や身の周りが変わっていっているから、あのままなのは自分の心だけ。それだっていつまでも同じではいられないだろう。

 一体、この気持ちは何なのか。

 恋、だとは思う。

 恨みごとではない。怒りでもない。

 そんな風にふるいにかけて、最後に残ったのは。


 好き。

 それだけだった。


 買ったはいいものの飲む気にならない缶コーヒーは、カイロ代わりにして冷たい指先でコロコロと遊んだ。ほら、私はこうやって一人でちゃんと体調管理だって出来てる。あなたがいないからって自暴自棄になんかなってない。だから、もうこちらを忘れてもらって構わないよ。そのかわり、覚えていることは許してね。

 もう、いいんじゃないかな。この恋から解放されても、誰も怒らないと思うよ。

 そう自分に問い質してみることもあるけど、肝心の自分自身が囚われていることを希むから、楔もおもりも鉄格子もないっていうのに私はここから一歩も動けないでいる。

 だって離れたら、迎えに来てもらっても行き違いになってしまう。――迎えなんて来ないって頭では分かっていても。


 あの人は来ない。それが事実で、正しい答えなんだろう。

 私があの人に会う手だてはもう何もないし、もし面会を申し込んだとしても今の私じゃ門前払いされるのが目に見えている。

 そんな立場の人なのだ。本来。


 手が届いてしまったのが、そもそも間違いだった。

 大学の四年間だけは好きに過ごしてよいと云われたあの人は、実家を離れて束の間の自由を謳歌していた。

 ただ学食で定食を食べている時も、みんなでバカ話で盛り上がっている時も、あなたは初めての水遊びにはしゃぐ子どもみたいに目を輝かせ、にこにこしてた(実際、規則破りもジャンクフードも何もかも初めてだと、あとからこっそり教えてもらった)。

 輪の中に居ながら、あなたは時折みんなを眩しげに見ていた。その寂しい顔に気が付かなければ、友達でいられたのに。

 気付いてしまった。気付かれてしまった。


 きっとどうせ今だけだ。どこかで互いにそんな風に思っていた筈なのに思いが深まるのは止められなかった。

 あなたの手と私の手は、繋いだ形がいちばんしっくりしていた。そこから楽しい気持ちも愛しい気持ちも枯れることを知らない泉のようにどんどん湧いて来て、私たちは何だって出来ると思えた。繋いだ手をもっと固く握りしめ、共に歩いて行けるのだとさえ。

 その勢いのまま社会人になって数年が過ぎ、――私はようやく理解した。

 今の世の中にだって、身分差は存在するし、生れは変えられないこと。

 永遠の愛も夢物語も、そうそうその辺には転がっていないこと。

 あなたより先に現実を直視出来た私からさよならを口にしたけど、あなたはとうとう『分かった』とは云わずに『必ず迎えに来る。――待っててくれたら嬉しい』なんて縋りたくなる言葉一つを残して、本来の世界へと戻っていった。


 去年の桜、来ない人を思った。毎日夜桜見物をしながら。夜毎に、彩りを薄紅から緑へと変えていくさまを見ながら。

 来ないと知っていて思いを募らせた。諦めていた筈の心は、桜を見ればまた同じ愚を犯す。

 好き。

 気持ちが溢れた瞬間、それが花びらになってはらはらと散った。きりなく繰り返す、たった一つのその言葉。望んでいた未来が来なくても、心だけはこうして自由にあなたを思う。

 自ら恋を諦めたとしても。心変わりをされたとしても。

 私の心の真ん中は、いつだってここにある。


 一際強く吹いた風に目を閉じて、じっとやり過ごす。次に目を開けた時その人がいたらいいのに、なんて、少女のようなことを考えながら。

 ――さあ、もう帰らなくちゃ。

 桜を見る間だけ広げていた思い出一つひとつを、また丁寧に拾い上げて、しまった。


 帰り際、ふと通りの向こう側を見やると、あちらの歩道に立つ男性の姿が見える。あの人の、一番のお気に入りの桜の下には誰にも佇んで欲しくない。早く立ち去ってくれないかと、なかなかそこを動かない人に勝手な苛立ちを覚え、そして次の瞬間、頭が真っ白になった。

 とうとう気が狂ったのかと、何度も瞬きをしては目を凝らす。そうしているうちにあちらの人も私に気付いて、左右を確認するとガードレールを跨いでこちらへとやってきた。

 嘘。うそだこんなの。


「どうして……」

「迎えに来ると云った。……信じてなかった?」

「信じられる訳が、ないじゃない」

 きちんとした将来を約束された人だった。

 今ここに居ると云うことは、誰もが羨む輝かしい未来を、二年かけてひっくり返すか棄てるかしてきたのだろう。

 棄てるなら私との未来だった筈だ。

 必ず迎えに来ると云ったのが本当の気持ちだったとしても、それは一時の熱で、そのうちきっと冷めてしまうのだろうと静かに諦めていた。

 そこまでしてもらう価値も、こちらから差しだせるものもない。あるのは気持ちだけなのに。

 恋人との再会に喜びよりもむしろ困惑している私を、困ったようにやさしく見つめてから、あなたは少しだけ眉をひそめる。ああ、これは叱られるパターンだ。

「こんな時間に出歩いて」

 やっぱりいただいてしまったお小言に苦笑する。

「止めてくれる人はいなかったから」

 そう伝えたら、とびきり苦い顔をされた。

 この人の不在をあてこするつもりじゃなかったけど、そんな風に聞こえてしまったかな。

 ごめんと口にする前に、抱き込まれた。

「……こんなに、冷やして」

 あなたが来るのが遅いからだよ。

 どれだけ待ったと思ってるの。

 そう詰るより、先に確認したいことがあった。

 頬に手を伸ばす。

「あったかい……」

 生きてる。幻じゃない。

 来てくれた。本当に。

 それでも、強い風が吹けばこの都合のいい夢が醒めて、私を包んでくれている筈の体が消えてしまうような気さえして、思わず子供のように縋りつく。馴染んだ匂いに包まれて、「もうどこへも行かないよ」というあなたの声を聞いた。

「全部置いてきた」

 その言葉の重みに、心が冷える。

「君と離れている間、『御子息』でも『次期社長候補』でも何でもない、ただの自分を作ってた」

 うん。見て分かった。

 体に合ってなくて、あちこち皺が寄ってるスーツ。オーダーのものを身に着けて、メンテナンスも細かに施されてた頃と比べて全体的に野暮ったくなってる。

 でもそれで失望しない自分がいた。心は、ただ温かく満たされている。

「さすがに、まっとうに働いて得た収入までは取り上げられなかったけどね……。ほんとに、何にもない」とあなたは笑う。

 それで気持ちが醒めると思われたなら心外だ。もっとぎゅうぎゅう抱きついてやった。そんな私に、あなたは安堵したように長い息を漏らす。

「今は実家とは何にも関わりないところで、普通に会社員として勤めてる。まだ何のポストにもついてなくて、だから……もしかしたら安泰な生活は約束出来ないかも知れないけど」

 それでも、俺のお嫁さんになってくれますか?

 その声が少しだけ震えてるだなんて、きっと誰にもわからない。私だって、こうして密着していなかったら、あなたの胸の高鳴りにも、きっと気付けなかった。

 そういう、強がりなところ、好きよ。

 一時的に反抗してみても、結局は自分の進むべき道を静かに受け入れていると皆にそう思わせておいて、たかが恋であっさりと手放すなんて、この人はとんだ大ばか者だ。

 苦労知らずの筈のあなたは、それでもこの二年でたくさんの荒波に耐えてきたんだろう。優しい笑顔はそのままに、逞しささえ感じられる――気がするのは、何割か不当に過剰評価しているかもしれないけれど。

「これでいいえって答えたら財産目当てみたいだから、『はい』って云うしかないじゃない」と怒ったふりをすると、「君らしい答えをありがとう」とあなたがくつくつ笑う。


 二人で手を繋いでさえいれば私たちは何だって出来る、なんてもう無邪気には言い切れなくなってしまった。彼の将来を狂わせてしまった罪悪感は、このあと幾度も私を襲うだろう。

 若気の至りというには少し分別が付いてしまった今の二人では、勢いだけで走り続けることなんてきっと出来ない。二年前に感じた迷いや不安は、小さくなったり、大きくなっていたりしながらしっかり根を張ったまま。

 それでも。

 ――再会してからのこの短い時間に、気持ちはもう準備出来ていた。



 桜が舞い散る、午前一時少し過ぎ。

 夢の続きのような景色の中、あなたを騎士の様に伴い、家に向かって歩く。


 歩いて行く。


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