あなたと映画を。#2
チームhappy endsでお送りする第2弾。途中から他の季節の人たちが登場します。季節はそれぞれ、表記したタイトルのお話の少しあとくらいです。
17.『脛に傷痕、膝にあざ』より
「今日は帰れ」
恋人になったらますますうるさく毎朝『今日はどうした』と私をチェックしにくる香月に、開口一番そう云われてしまった。
「顔赤いしふらふらしてる。熱あるんじゃないか?」
「へいき!」
「お前が平気でも周りが迷惑なんだよ」
私を無視して、先輩と私を帰す算段を付けるけど。
「やですー」
「――田代」
怒った声。びくっとするとすぐに呆れた顔になる。
「お前のことだから『今日の定食はサバの味噌煮なのにー』とか考えてんだろ」
「それも考えたけどそれだけじゃないもん」
いつのまにやらバッグを持たされ、歩きだしている。
「じゃあ何だよ」
エレベーターのボタンを押して、一緒に中に乗り込んで。わーい貸切っていつもなら喜べるけど。
「だって今日映画行くって約束したじゃん……」
仕事が忙しくてなかなか行けなくて、でもそれを『楽しみは取っておく方がもっと楽しめる』って云ってた香月と、やっと今日行ける筈だったのに。
「ぐーやーぢーいー……!」
下降する箱の中で唸ったら、香月がぶっと噴き出した。
そうこうしている間に、超高層じゃないビルのエレベーターはあっという間に一階にご到着。扉が開く直前、「いい子にして体調戻したら、ご褒美に映画連れてってやる」とおでこにキスが降る。え、と思っている間に、「ちゃんと帰れよ」って私だけ下ろされて。
香月を乗せて行ってしまったエレベーターが五階で止まったのを確認して、私はフラフラと地下鉄の駅に向かって歩き出す、けど。――熱、絶対上がった今ので。
********************
18.『気の強い小動物と俺』より
俺にぶつかられて捻挫した同期の彼氏から、『うちの彼女がお世話になりました』と唯子さんに贈られた花。「わ、かわいい」って目を細める唯子さんを見てたら、『病院への送迎ありがとうございました』って俺にもわざわざくれた酒を、一気飲みしたい気持ちになった。
「亮太君?」
「見ないで」
カッコ悪い自分を見て欲しくなくて背中を向けると、遠慮がちに触れられた。
「私、何かしちゃった?」
「違う!」
慌てて振り返ると、唯子さんがしょんぼりしてて、ああせっかく喜んでたのに俺が台無しにしたとまた落ち込んだ。
「――嫉妬したんです」
「しっと?」
「あいつの恋人が、唯子さんにぴったりの花なんか送ってきたから悔しくなって。――すいません」
言い切ると同時に、ふわりと彼女にハグされた。
「バカ。お花屋さんに嫉妬してどうするの」
「うん」
「でも嬉しい」
「――え?」
「しょっちゅう静電気でパチパチするのとか、こんな見た目なのに気が強いのとか、自分じゃコンプレックスだったの。でも亮太君は毎日喜んで車のドアの開け閉めしてくれるし、私のことかっこいいって云ってくれるから、まぁいいかなって思うようになれたんだよ。そんなの、亮太君だけなんだから」
「――」
「ね、映画行く前に徳丸さんのお店に寄ってお礼云おう?」
「うん」
「映画は、私が選んでいいのよね?」
「うん」
「亮太君、うんばっかり」
だって、うんって云ってないと泣いちゃいそうなんだよ。
********************
19.『水玉×テレパシー』より
「意外です」
「何が?」
二人で、映画デートに来た。てっきりアニメかコメディを選ぶと思ってた大貴さんは、ちょっと難しそうだけど、私も興味のあったフランス映画を提案してくれた。
「こう云うのも好きだよ」
そう口にする今日の大貴さんは、昔のヨーロッパの少年みたい。白い半袖のセーラー服(と云っても女子高生のじゃなく、水兵さんの)に、ゆったりしたシルエットの麻のズボンを履いて。古き良きこんなスタイルも妙にお似合いで、思わず見惚れてたら本人に気付かれちゃった。
「いやん、美希ちゃん俺のこと見過ぎ」って優しく笑う。咎められなかったので、安心してもっと見つめた。
「そんなに見られたら困っちゃうよ俺」
「――困らせたいです」
「キスしたくなるから、駄目だよ」
「キスしたいです」
映画館の、長―い廊下。たくさん並んだスクリーンの一番奥へと歩いて行くけど、人気作でないせいか人の姿はない。だから、ついつい大胆になった。
ぴたっと大貴さんの足が止まる。私も止めて、じっと見上げる。
「誘惑しないで」
困った顔で、唇をなぞる指。こんな時だけ大人なのは狡い。そう思って、かぷっとその指を噛んでやった。
********************
20.『寄り添って、つながって』より
つわりが始まって以来、私は毎日ほとんどの時間吐き気にまとわりつかれている。
仕事中は、それでも気を張っているしやることがあるので紛れるけど、問題はお休みの日だ。
ふとんの中でごろごろして過ごす。動きたくないのもあるけど、家のことをしていると心配性の旦那さんがやたらと心配するから。
多分情緒も不安定。叶えられないって分かってるわがままをいっぱい云ってしまう。
「旅行したい」
「つわりが落ち着いてからな」
「映画観たい」
「それも、落ち着いてから」
「今がいい!」
「ん、そうか」
どんなことも、さらりと受け流される。
「ポップコーン一番おっきいサイズのたべたい」
「検診で怒られるぞ」
「映画館行きたい」
「よしよし」
「――」
抱き込まれる。小さい子みたいに。
「ずーっと気持ち悪くて、いやだよな。やりたいこともできなくて、つまんないよな」
「――ん」
「代わってやれなくてごめんな」
「――ううん」
嵐が落ち着くと、今度は『私って駄目な人間だ』って落ち込みがやって来るのが今までのパターン。でも、今日は。
「つわりが終わったら映画館貸し切ってやるから楽しみに待ってろ」なんてあなたがおどけてくれたから、「もったいないからいいよ」って笑うことが出来た。
ねえ、お腹の中のひと。君のお父さんはとってもとっても素敵だね。
********************
21.『夢の爪痕』より
「へえ、今度これやるんだ」
食卓に置いてあったチラシを、あなたが懐かしそうに眺める。県立図書館の視聴覚室で、毎月行われる映画のイベントのご案内だ。
「そう。覚えてる?」
「忘れる訳ない」
最初のデートで、行ったね。観終わったら二人で泣いたのバレバレな赤い目をしてて、笑い合ったっけ。
DVDになるやいなやあなたはそれを手に入れて、私にもコピーしてくれた。――もう何回観たか、分からない。お別れする前も、お別れしてからも。
「そういえば、最近観てないなぁ」
「私も」
引越しやら結婚式やらで、再会してから忙しかったものね。
「後でDVD観ようか」
「ん、じゃあご飯済んでからね」
あの日みたいにおしゃれしていないどころか、二人とも部屋着で、そのうえ私はすっぴんだけど。
変わらない気持ちでまた一緒に観れるなんて、まるで奇跡のよう。いつかは当たり前になる二人の時間を、今はゆっくりと楽しみましょう。
********************
22.『雨の檻』より
小田さんと、お茶しながら次のお出かけの打ち合わせ中に『じゃあ映画でも』ってなったので、「これ、兄が観て面白かったってメールもらいました」と教えてもらった作品名を挙げてみた。
「あの人クチ悪いけど、映画のおすすめは外さないんで参考になります」と云ったら、なんでか「へえ」ってニヤニヤされている。
「ほら、立木さんやっぱりお兄ちゃん大好きっ子だ」
「違 い ま す!!!!!」
********************
23.『女の子元年』より
実家のあたりにはシネコンがないので、今日のデートが初シネコンだと伝えたら何故か三浦君が『じゃあ俺に任せて!』ってものすごく意気込んでた。
『だって、知世ちゃんが知らなくて俺が知ってるってケース、めったにないんだからね!』――なんて。でもそれにしても、張り切りすぎじゃない?
「ちょっと、こんなに食べきらないよー!」
彼がオーダーしたのは、甘いのとしょっぱいの、半分ずつ入った大きなサイズのポップコーン。慌てて、注意したけど。
「でも知世ちゃん、食べたいでしょ」
――うん。
ほんとは憧れだった、山盛りのおしゃれなポップコーンを食べながら映画観るの。
だから、嬉しいは嬉しいんだけど、――どう考えても残ってしまう量であることも確か。
おっかさん気質のせいか、食べ物を粗末にするのは気が引ける。そう思っていたら、三浦君が「余ったら俺持って帰っておやつにするし」と申し出てくれた。
「――ありがと」
「なんの」
捨てればいいじゃん、って云わないこの人だから、私は好きになったんだろうなあ。
********************
24.『眩しがり屋と、その対策』より
繁忙期が終わったらデートな。
あたかもそれがご褒美であるかのように、繁忙期の最中たびたびそう云っていた北条だけど、終わりの時期は何度も後ろにずれ込んでその都度先送りになった。
そうして、やっとバカみたいに残業しないで済んだ日。
「北条」
「ん?」
連日の疲れが隠しようもなく滲み出しキラキラが少し減ってる男の顔は、いつものゴージャスとは別の色気が漂っている。
「今日なんでしょ、私に遠慮しないで、とっとと行って来なさいよ」
デートしたいって云うのも嘘じゃないと思う。でも、今日は北条が一年少し前からずーっと心待ちしていた、大好きな映画の続編の先行公開日。チケットも運よくとれたと喜んでいたのを知っている。
私が勧めても、まだ申し訳なさそうな顔してる北条。
「そのかわり、おみやげ買って来て。うちで待ってるから」と背中を叩くとようやく「――サンキュ」と笑った。
その晩、訪れてきた北条が携えてきたのは、映画にまつわるたくさんのグッズ――マグカップ、ぬいぐるみ、クリアファイル、タオルハンカチ。私は特にその作品に思い入れもないのにもらっても正直困ると思っていたら、彼が自分用に買い求めた物だと分かりとてもホッとした。
「これは岡野に」と渡されたのは、それとはまったく関係のない指環。
「そろそろいいかと思って」って、何がよ。心臓と繋がってる指に、勝手に填めないで。
ぴったりだった指環を眺めるふりをして、顔が上げられない。きっとゴージャスさが復活したキラキラ笑顔が、今、目の前に待ち構えている。
********************
25.『ファーストでスタートでビギニング』より
沢木も私も好きな小説が映画になった。
誰かに何か云われたら『受験前の最後のお楽しみです!』って言い訳しようと思いながら、観に行く約束を交わす。――そんな言い訳しなくても、お父さんもお母さんもみずほも、快く送りだしてくれたんだけど。
公開二週目の地元の映画館の座席は、左右も前後もど真ん中が確保出来た。
ふかふかなのが売りのシートを堪能していると、沢木が肘掛けを跨いで毛布を掛けてくる。
「別に寒くないんだけど」
あんたもでしょ、と横顔を見ると、奴はまっすぐスクリーンの方を向いたまま「俺は寒い」とはっきり云った。寒がりでもないくせに、とツッコもうとして、固まる。
毛布の下、私の手を繋いできた沢木の手。少しひんやりとしている。――それなら。
「このまま、暖めてあげようか」
ツンとした口調でそう云いつつ繋いだ手をきゅってすると、「頼む」って言葉と同時に、きゅうっと繋ぎ返された。
沢木はその日最後まで、寒がりな手をしていた。
********************
26.『ファーストでスタートでビギニング』より
「パパさん、ちょっとさびしそうだよ?」
ねーねーがデートで映画行っちゃった後、リビングで本を読んでる背中に飛びついて云うと、「そうだね」って苦笑された。
「じゃー、みーと行く? 映画」
「みずほはあれだろ、怖いのが好きなんだろ?」
「ぴんぽーん!」
「僕はそう云うのはパス」
「もー、ワガママだなあパパさんは! しょうがない、カフェで我慢してあげるよ」
「かたじけないね」
笑うパパさんが本を閉じて、「しのぶさん、みずほとちょっと出かけてくるよ」ってママさんに声を掛けたのを、玄関で「早く早く―」って足踏みしながら待って、それからお出かけしてさしあげた。
********************
27.『ふたりの作り方』より
展覧会が終わって、ようやく谷原君ともゆっくり会えるようになった。
いつものように、あのバーで飲んで、そのあと谷原君ちにお持ち帰りされて。――そんないつもどおりの流れが、久しぶりの今日は何だかホッとする。
翌朝目を覚ますと、谷原君は私より先にもう起きて動いていた。いつもは寝ぼすけさんなのに、珍しい。
「おはよ、遥ちゃん」
「おはよ」
谷原君はわざわざベッドにカフェオレやサンドイッチを運んでくれた。カップが空になればおかわりまで聞いてくる。記念日でも何でもないのに何事だ? と訝しんでいたら。
「今日はね、遥ちゃん感謝デーだよ。ずっとほったらかしにしてたからね」
反論は認めないわよ! と谷子ちゃんで凄んで、やりたいことをリストアップするように紙とペンまで渡された。――さて。
「書けたよ」と渡すやいなや、谷子ちゃんからさっそくの駄目出し。
「アタシは『リストアップ』って云ったのよ! たった一つを厳選しろって云ってないのよ! しかも何よこのささやかな願い事は!」
「だって、これがいいんだもん」
「――もう、アンタって子は!」
がばりと抱き込まれて、苦しいってば。
ささやか過ぎるらしい私の願い事は、『谷原君と手繋ぎデート、行き先は映画館』だった。
********************
28.如月・弥生『まったくやっぱり君って奴は。』より
「とも、えー!」
待ち合わせスポットで、一人飛びぬけて縦にも横にも大きな彼はそれだけで目立つのに、ぶんぶんと手を振り人の名を体に見合った大きさで呼んできた。――トモトモって云いかけて、人前で恥ずかしい呼び方するなバカって云ったの途中で思い出して。かわいい奴め。
スーツは胸板の厚さが隠し切れていなくて、筋肉好きのお嬢さんたちが熱い視線を注いでいるのが分かる。主に体に。でもこれ私のなんだよね一生。
パツパツの腕に手を添えて、「行こう」と行き交う人の多さで有名なスクランブル交差点を映画館へと歩きだす。
「きっとこれ、上から見たら映画のワンシーンみたいなんだろうね」と云う彼は、デカイくせにたまに乙女みたいだ。
「――ほんとに、かわいい」
私が漏らした言葉は「え?『トントニカワ』ってなんの呪文?」と、いつものように誤変換されてた。スルーしてたら映画を観る前にも後にも聞かれたので、「ああもう、うるさい」ってあしらったらしょぼんとされて、またきゅんとなる。
ほんとにほんとに、かわいい人。
********************
29.夏時間、君と『ふえるミライ』より
スーツ姿の龍ちゃんとお出かけすることなんてほとんどないのに、平日の昼下がりにデートなんて、これ、夢?
「半休取っただけだろ、美智佳おもしれーな」
くつくつ笑う龍ちゃん。うん、やっぱりうちでくつろいでる時と顔、違うな。実は服に着られるタイプの人だったか。
「ところで龍ちゃん、今日のご予定は?」
「フルーツパーラー行って映画観て買い物して食事」
「午後からデートにしては濃ゆい内容だね」
珍しいな。龍ちゃん、いつもはあんまりぎゅうぎゅうに詰め込まないのに。そう思って見上げたら、「美智佳が喜ぶ顔が見たくて見たくて、気が付いたら喜びそうなとこあちこちに予約入れまくってた。余裕ねースケジュールで悪い」と申し訳なさそうな顔されたけど。――そんなの嬉しい以外の何ものでもないよ。
「いっちばん高いパフェ頼んでいい?」
「もちろん」
「映画、私が観たいって云ってた奴?」
「もちろん」
「龍ちゃん大好き!」
気が済むまでハグして、それからそうだ、予約入れてたんだ! って慌てて二人でフルーツパーラーへと急いだ。
********************
30.如月・弥生『私があなたに贈るもの』より
お休みの日、洗濯を干して掃除機も掛けた後、前から気になっていたところを徹底的に掃除していた。――夢中になり過ぎてて、高志さんが起きて来てたのも気づかずに。
ふう、と達成感を感じて息を吐くと、「沙保里」って声が聞こえて、振り向くと高志さんがマグカップを二つ持って立っていた。コーヒーのいい匂い。
「そろそろ休憩しようと思ってたの、ありがとう」
ダイニングの椅子に腰かけると、高志さんが何だか難しい顔をしている。
「あのね沙保里」
「はい」
「君は頑張り過ぎだ。平日毎日仕事に行って、帰ったら家のこともして。土日くらい休んだらどうだい? 俺も、平日出来ない分、土日は家のことするんだから」
別に無理してる訳じゃないんだけどな。でも、高志さんを休ませたくて先回りしてたのも確かだ。なんとなく目を逸らして、部屋の片隅を見てしまう。――あ、あそこもちょっと片付けたい……
「――分かった。沙保里」
「はい?」
「出かけるよ。支度をして」
そう促されて、何故だか出かけることになった。
一時間後、彼の運転で走り出す車。
「高志さん、どこへ行くんです?」
「映画館。君は家にいるとちょこちょこ働いてしまうようだから。映画なら、見ている間は座っているだろう?」
うん、でもそれは好きでやっていることで、高志さんが気を揉まなくてもいいんだけど。そう思いつつ、映画デートをしっかりと楽しんだ。
以来、土日に私が張り切り過ぎると、自動的に映画デートへ連れ出されるようになった。めでたし、めでたし?
********************
31.如月・弥生『チョコレートはいらない』より
仕事部屋のパソコンデスクで寝ている亘。いつもなら物音を立てないように近付いて毛布を掛けるか、揺さぶって起こしてベッドへ行けと促すところだけれど、今日はパタパタとスリッパを鳴らして歩いて、シャッ! と音を立ててカーテンを開けた。途端に、しかめられる眉。キスしたい位、かわいいけどね。
「亘、起きて。映画、今日行くって約束したよ。忘れた?」
「……忘れてないよ。ちょっと休憩してただけ」
嘘つき。どうせまた一晩中書いてたんでしょ。疲れて、声がかさかさじゃないの。
「映画、暇な時でもいいよ。今忙しいんでしょう?」
「いい、行く。栞ちゃんにも観て欲しいから」
今日は、亘が脚本を手がけた映画を観に行く事になっていた。まあ、そう約束してはいたものの、亘は徹夜するほど書くことに集中してたから『ごめん、これ書いちゃいたいからまた今度』になるかもと思っていたのに。
――私とのお出かけ、優先してくれちゃうんだ。
「じゃあ、お支度してちょうだい」
嬉しくて、でも素直に嬉しいって云えなくてつっけんどんに言い放つと、即座に「栞ちゃん、俺今日、何着たらいい?」って、情けない声が返ってくる。
ああもう私、なんでこんな手の掛かる男が好きなのかな!
そう思っても、何故か緩んでしまう頬。
********************
32.夏時間、君と『出木杉さんの恋』より
「あ」
これから封切りの前売り券を買いに、たまたま立ち寄った映画館のロビーで上杉さんが小さく発した声。その目線を辿ると、知らないカップルさんがちょうどゲートで係員にチケットを見せて入場するところだった。
「お知り合いですか」
白々しい、と思いながら聞くと、「うん、好きだった人と、多分その恋人」と隠さずにさらりと答えられた。そのせいかな、嫉妬で心がざらざらすることもない。
「よかった、幸せそうだ」と漏らす声に、嘘の色は見当たらなかった。
「自分を振った人に、そう思える上杉さんは素敵ですね」
「君は、そうじゃないの?」
「私の方がうんと幸せになってやる! 見てろよ! って対抗心メラメラですよ」
そう云うと、上杉さんは盛大に噴き出した。
「じゃあ吹越さん、今は幸せ?」
「それは上杉さんが一番ご存知かと」
「分からないから聞いてるんだよ」
――まったく、白々しいったら。
「幸せじゃない訳ないじゃないですか……」
そっぽ向いて逆切れ気味に早口で伝えたら、「よーく分かった。ありがとう」って耳元に出木杉ボイスで囁かれて、撃沈。
********************
33.如月・弥生『もっと』より
ロビーの片隅に置いてあった、一緒に記念撮影が出来る俳優さんの等身大のパネル。
恵一さんはその真ん前に立ち、ニヤニヤ笑いながら「ン。我ながらいい出来だ」と写真の仕上がりにご満悦だ。自分の撮ったものでそこまで幸せになれちゃうってすごい。
恵一さんはスマホでばしゃばしゃと角度を変えつつ何枚もパネルを撮り、さらに私へ渡して、主演の俳優さん(のパネル)に肩を組んでツーショットの写真を撮って。
――ようやく撮影が終わった時には、少々列が出来ていた。
順番を待っていた女の子たちとすれ違ってから、「あのおじさんヤバくね?」「主役の男好きすぎじゃん」とひそひそ呟かれ、「違う!」と小さい声で反論した仏頂面の恵一さんを宥めるのに一苦労しつつ、笑い出さないように堪えるのがほんっとうに大変だった。
15/12/08 一部訂正しました。