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ハルショカ  作者: たむら
season1
24/59

契約満了日

正社員×派遣社員

 給湯室の棚からマグカップを出して何となく見てたら、配属先だった課の片岡(かたおか)さんに「椎名(しいな)さんどうかした?」と廊下から声を掛けられた。

「感傷に浸ってました、今日でこちらは最終日なんで」と伝えると、「ああ」といつもの返事。少しそっけないような。

「今日まで、片岡さんには大変お世話になりました」

「こちらこそ、色々とありがとうございました」

 二人してお辞儀をする。一拍早く頭を上げて、普段は見ることのなかった片岡さんのつむじをこっそり盗み見た。


 派遣社員としてここでお世話になってたのは、一年と六か月。ずっといたかった気持ちがないと云ったら嘘になるけど、契約の都合上こればっかりは仕方ない。

 もうここの社員になっちゃいなよーっていう、無責任だけどまあ気持ちは嬉しいよって言葉や、こんど一緒にご飯食べいこうねーっていうお誘いだとか、仲良くなった人からはそれなりに別れを惜しむ言葉を戴いてた。ただの派遣社員なのに送別会もしてもらって、でも私はいつもの仕事上がりと同じように終わりたかったから、片岡さんのそっけない『ああ』と、それに続くフラットなあいさつのやり取りはとっても嬉しかった。

「週明けから、もう別のとこだっけ?」

「はい、ちょうど月替わりなので」

「慌ただしいね」

「まあそうですけど、間が空かずにすぐに次を紹介してもらえるのは助かります」

「そうか」

「はい。またコレと一緒に新天地でも頑張りますよ」とマグの取っ手を掴んでおどけて見せる。

 何かの景品でもらったやや小ぶりのマグは私の派遣社員人生のよき相棒だ。らしくない上に時代遅れでファンシーなイラスト入りのそれは、ちっとも趣味ではない。にもかかわらず平日毎日使うものとして選んで持ってきていたのは、『もし割れちゃっても失くしちゃってもお気に入りじゃないから悲しくない』と思ったから。でもここまで欠けることも割れることもなく気が付けば長いお付き合いになっていて、だいぶ愛着も湧いてしまっている。

「椎名さん、このあとは? まだ仕事残ってる?」

「いえ、机の私物片付けるくらいです」

「そうか」と、またそっけない声。でもそのまま、何かを考えている様子。そして。

「もし時間あったら、この後ちょっと買い物に付き合ってもらっていいかな」

「あ、はい!」

 片岡さんとならむしろ大歓迎ですと、心の中で呟いた。


 机の引き出しに備蓄してたチョコレートとキャンディとクッキーとマシュマロはそれぞれお気に入りのメーカーのもので、小腹がすいた時やちょっと疲れた時や凹んだ時、口に含めばたちまちに私を浮上させてくれた。それらの小袋やら自分で作ったマニュアルノートやらなんやらを全部引き上げて、空にする。――元通り収めた空っぽの引き出しのその軽さに、少し寂しくなってしまったのは内緒だ。

 ロッカーを再度確認した後、勤務時間を記入したタイムシートを課長にチェックしてもらって、最後のサインをいただく。シートを受け取る時、課長からも『お元気で』と云う言葉を頂戴した。社員さんがみんないい雰囲気で好きだったな、ここ。

 次にお世話になる会社もいいところだといいなと思っているうちに、片岡さんが「お待たせしました、行こうか」と、私物を撤去して完全に『私の』ではなくなった机まで迎えに来てくれた。

「はい」

 部署と社屋を去る瞬間はきっとセンチメンタルまみれになるに違いないと予想していたけれど、片岡さんと歩いていたおかげでうまいこと気が紛れてくれた。と云うか、むしろ普段は低めのテンションが上がってしまってしょうがない。一年六か月とは云えここでがんばったごほうびかな、これ。


 連れて行かれたのは歩いてすぐのところにある生活雑貨屋さん。広い店内には色んなアイテムがあって、生鮮食品以外なら事足りるんじゃないかと云う程の品ぞろえだ。引き出しに備蓄品としてキープしていたお菓子も、よくここで買い求めていた次第。

 そのお店で、「好きなマグ選んで。椎名さんの好みで」と告げられた。誰にあげるとか、何にも聞かされないままで。頭に?マークが浮かぶものの、好きに選んでいいなら遠慮なく選ぶぞと、さらにもう一つテンションが上がる。

 品数も好みな柄もそれなりにあったので、シンプルなのとモダンなのとかわいいの中で散々悩んだ挙句、『相棒』よりも大ぶりの、薄いピンク地に白のレース模様入りのマグをセレクト。CDや寝具を見ていた片岡さんの元に両手で包んで持って行って「選びました」と見せると「ん、椎名さんらしいな」と手の中のブツを取り上げられてそのまますたすたとレジへ歩かれた。あわててその背中に追随する。

 おうち用かプレゼントかとレジの人に問われて、片岡さんは「プレゼントで」とはっきり答えた。――結局云われたままのガッツリ自分好みを選んだけど、いいのかな。というか、結局誰に差しあげるのだろう。 

 疑問が喉元まで出かかって、でも誰宛てなんだと聞くのはさすがに憚られた。何かヒントはないかしらとその横顔を見ても、いつも通りのそっけない表情。非常に私好みでにくらしい。

 プレゼント包装の紙とリボンが並べてパウチされた一覧を差し出されて、選んだ色を指し示すその手も好き。骨っぽくて指がすっと長くて、綺麗で。でもそれを本人や、本人じゃない誰かに伝えたことはない。

 派遣されて仕事しに行ってるんだから派遣先の人と契約期間中はどうこうならないというのは、仕事する上で私が大事に守ってきた決め事だ。質の悪い仕事をすれば、派遣会社にも迷惑をかけてしまうし。――実際には、そこまで求められてないと分かっていても。割とどこへ行っても年配の社員さんには『バイトさん』って呼ばれるのがいい証拠だ。


 今日でサヨナラだった会社でも、最初のうちはよくおじさん社員さんに『バイトさん』って云われた。いちいち否定するのもバカらしくてそのままでいたら、ある時片岡さんが『バイトさんじゃなくて、派遣さんですよ』って静かに訂正してくれた。

『どっちだって同じじゃないか』

『同じじゃないですよ。セブンスターとマイルドセブンは違うでしょう』

『ハハ、そりゃそうだな!』

 なにやら煙草の銘柄に例えられたらしいけど、吸わない自分には何のことやらな遣り取りだった。

 おじさん社員さんが自分の席に戻ると、片岡さんから小さく『ごめん』と謝られた。

『あの人に分かりやすいように煙草に例えて説明したけど、それって椎名さんに失礼だった』

 そっけない言葉と表情の上に、うっすらと何かが滲む。自分に向けられたそれが妙にくすぐったくて、『いえ』と返すのが精いっぱいだった。


 例えがよかったのだろう、そのおじさん社員さんからその後『バイトさん』と云われることはなくなった。

 その人だけじゃない。気が付いたら『バイトさん』と呼ばれることも、『派遣さん』て呼ばれることもなくて、ちゃんと名字で呼んでもらえるようになってた。

 派遣の人は他にもいるから、私だけが特別扱いな訳じゃない。分かってる。でも。


 ――あの時、片岡さんが滲ませたもの。

 そっけないあの人がごくたまに見せる感情の現れを、私はとても好きだと思った。

 遭遇すればやっぱりそのたびにくすぐったくなった。

 レアだギャップだ、と密かにはしゃぐ自分はアイドルに熱を上げている少女のようでおかしかったけれど、自分の中で気持ちをそれ以上に育てようとは思わなかった。派遣の仕事における自己ルールもあったので、つとめて知らないふりをした。


 誰宛てのものとも分からないお包みを横で一緒に待ってるのもおかしいかと、片岡さんが包装紙とリボンを選び終えたタイミングで「外にいますね」と一言断り、雑貨屋さんを先に出た。外のベンチに座る。夏の一歩手前の空気の匂い。

 エアコンが適度にきいていた店内と違って、外はもわっと生温い。会社からずっと羽織っていた五分袖の綿麻カーディガンを脱いで、あたりを見回した。

 ラーメン屋さん、タイ料理屋さん、回転ずしのチェーン店、定食屋さん。

 このあたりにはこぢんまりとしたいいお店が多くてそれもよかったな。また、時間ある時に来てもいいかも。次の派遣先もここから遠くはないし。そしたら、いつか偶然会えるかもしれない。もう、『前』の派遣先になってしまった片岡さんにも。


 見ないふりなんてまるで意味がなかった。気持ちは、放置してたのに枯れることなく、のびのび育ってしまっている。

 いつまで好きでいていいだろう。私なんてすぐに忘れられてしまうかな。

 ほんとは、もうちょっと仲良くなりたかったな。残念。メールアドレスくらい、聞いてみればよかった。


 自分の側から、告げるのか告げないのか。告げられず、連絡先も交わせずにこのまま終わってしまうのか。

 でも、告げて受け入れてもらえるルートなんて、都合よすぎてとても思い描けない。


 お会計とお包みを終えて、片岡さんが小振りのショップバッグ二つ――何か他にもお買い物をしたらしい――を手に「おまたせ」とやって来たのでベンチから立ち上がる。

「いいえ」

 お買い物も終わったことだしこれでもう解散だろう。

『この後食事でも』な展開がもしや来るかもと一瞬思ってしまった自分が、自意識過剰かつ夢見がちでちょっと恥ずかしい。勝手に期待して勝手にがっかりしてた顔を見られたくなかったから、片岡さんの方を見ないで通りの向かい側のお店に降ろされたシャッターを眺めた。


 最初と二度目の職場を人間関係が主な原因で辞めてからは、もう正規の社員として勤める勇気は出なかった。

 派遣なら、あちらもこちらも『合わなかったから』『これ以上は無理だから』と契約の切り替わるタイミングで云える。

 そんな思いで始めた派遣生活は、思い入れがなかった筈の『相棒』に愛着が湧くくらい、もうなかなかに長い。そしてありがたいことに、いざ派遣になってからは正社員の頃のような人間関係のトラブルはなく、ここまで平穏無事にやってこられた。

 会社勤めに続けて失敗した自分は元より臆病な性質で、それもあってもう何年も恋愛なんてしていない。もとい、出来なかった。気持ちはあっても自分から行く勇気はなくて、いつも恋は憧れのままで立ち消えていた。

 そして久しぶりの恋も、またこうして自分で握りつぶそうとしている。情けないことに。


 どのタイミングで『それでは失礼します』を云おうか悩んでいると、「はい」とマグカップが入っているらしい重さのショップバッグを手渡された。思わず反射で受け取ってしまったけど、いいの? そんな思いを隠さずに見上げれば、片岡さんが軽く頷いた。

「本人に選んでもらうのが一番いいと思って。俺が選んであげられたらよかったんだけど、まるでセンスないからこんな形でごめん」

 さらに「これも」と差し出されたもう一つの紙袋。覗き込んでみるとその中には、チョコレートとキャンディとクッキーとマシュマロ――全部お気に入りのお菓子がぎっしり。

「……どうして」

「椎名さんにあげたかったから。いつも落ち着いてる椎名さんが会社でそれ食べてる時のおいしいーって顔、いつもすごいかわいくて勝手に癒されてた」

「……光栄、です」

 さらっと急にそんなこと云われて、そう返すのが、精一杯。

「マグカップは、使って欲しいと思って。週明けから行くとこで」

 渡された紙袋二つ。その取っ手をぎゅっと握りしめて、いつもより働かない頭で、片岡さんの言葉を聞いていた。一つの取りこぼしもないように。

「そいつ連れて行って。俺は新天地について行けないからその代わりだと思って」

「そんな大事なの、持ってくとか無理です!」

 慌てて即答したら、「なんで」とやや不機嫌寄りな表情で問い質された。

「――だって欠けたり割ったりしたら、いやですよ」

「そしたらまた買うから」

 どうして。

 声にもならずに口がその形になっただけで、「椎名さんが好きだから」と告げられた。それが嘘じゃないことは、表情と口調にうっすら滲む、どころではなく、はっきりと現れていたからさすがに分かる。

 緊張も。彼が気持ちを伝える時にちらりと見え隠れしていた、熱も。――ご褒美にしては出来すぎてて怖いくらいだ。

「ずっと、云えなくて。でも今日伝えられなかったらもう次はないから、こんな風に店に連れ出して、マグ選んでもらって。――次のところで使って欲しいっていう気持ちは、本当だけど」と一息に云うと、幾分恥ずかしそうに俯いた。


 一見そっけない片岡さんと一見落ち着いている私は、二人とも大人のくせにとんでもなく不器用らしい。そう思うと自然に笑みが零れた。

 深呼吸。胸いっぱいに吸った息を静かに吐けば、頭の中も少しは落ち着く。そして、憧れだけで終わっていたその言葉を、初めて唇に乗せた。

「私も、片岡さんのことが好きです」

「――よかった」

 ふ、と緩んだ目。見た事のない表情が嬉しくてついまじまじと見つめていたら当然のことながら気づかれ、車道側に顔を向けられてしまった。そっちに回り込んで顔を覗き込みたいけど、「カッコ悪いから見ないでください」なんて云われたら、素直に「はい」って云ってしまう。 

 私の方を見ない片岡さんから、「椎名さん」と手を差し出された。こちらからもおずおずと伸ばせば、そっと包まれる。そんな風にされると、まるで自分が大切なもののように錯覚してしまう。

「何か食べいこう。ノープランだけど」と片岡さんに云われて、妄想だった『この後食事でも』が本当になっちゃった、と今更ながらどきどきした。


 歩くたびに、自分から何かが零れそう。

 キラキラしたもの。

 あまい匂い。

 こうしている間にも、次々に生れてくる気持ち。


 戴いたマグとお菓子のお礼をまだちゃんと云っていなかったと、繋がれていない方の手で握っていたショップバッグ二つを片岡さんに掲げて見せて、「遅くなっちゃったけど、ありがとうございます」と結局私宛てだったそれのお礼を云う。すると、「そのマグかわいいだろ。俺の彼女、俺と違ってセンスいいんだ」なんて、しれっと当の本人である、なりたて彼女の私にのろけてきたなりたて彼氏の片岡さん。

 繋いだ手を会社の誰かに見られたら、やっぱりしれっと『ああ、椎名さんとお付き合い始めたんですよ』って云うのかな。私にだけ分かる何かを、言葉と表情に滲ませて。

 それが見られないのは少し残念だと思いながら、繋いだ指の骨っぽさにまた心を弾ませた。

続きはこちら→ https://ncode.syosetu.com/n5962bw/41/


15/10/10 誤字訂正しました。

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